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高松藩の下屋敷 特別名勝 栗林公園を研修

2014年11月14日 | 伊予松山歴史散策
高松城跡を高松市観光ボランティアガイドさんに案内して頂き、昼食を常盤で取りその後高松市観光ボランティアガイドさん達と交流会を持った。互いの問題点、悩み等々を問題提議し解決策を探った。そして午後の研修地である、栗林公園に移動した。高松城跡は、高松市が管理し、栗林公園は香川県が管理していた。
栗林公園(りつりんこうえん)は、明治8年(1875)3月16日、 県立公園として開園し、一般開放された日本庭園で、香川県高松市にあり香川県が管理運営している。国指定の、特別名勝である。平成21年3月16日発売の『ミシュラン観光ガイド』に「わざわざ訪れる価値のある場所」として最高評価3つ星に選定され、高松歴史文化道に指定、また平成24年には、米国の庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」に、「平成23年日本庭園ランキング」で、足立美術館(島根県)、桂離宮(京都府)に続く3位を獲得した。
公園は、紫雲山を借景として6つの池と13の築山を巧妙に配した大名庭園で、回遊式庭園の南庭と近代的に整備された準洋式の北庭からなっている。面積は約75ヘクタール(東京ドーム16個分)と特別名勝に指定されている庭園の中では最大の広さである。
寛永2年(1625)、讃岐領主生駒高俊によって、南湖一帯が造営され、寛永21年(1642)入封した松平頼重に引き継がれ、以後高松松平家5代が、約100年をかけて完成した。維新後、明治政府の管理下におかれた後、明治8年(1875)に県立公園になり一般に公開された。昭和28年(1953)には特別名勝に指定された。
園内には、茶亭や香川県の民芸品を展示している讃岐民芸館や、特産品を展示即売する商工奨励館もある。
名は栗林であるが、当初から松を中心とした庭園で、名の由来となった栗林は、かつては北門付近に存在していたが、伐採された(鴨猟の邪魔になるためとも言われる)。
英語表記は「Ritsurin Park」だったが、外国人観光客の増加に伴い「実態と合っていない」という指摘が多くなされ、平成21年(2009)3月以降は「Ritsurin Garden」に改めることとなったとある。
栗林公園と日本三名園
大名庭園である水戸の偕楽園、金沢の兼六園、岡山の後楽園は、日本三名園として名高い。しかし、明治43年に文部省から発行された『高等小学読本』巻一には、「・・・我ガ国ニテ風致ノ美ヲ以テ世ニ聞エタルハ、水戸ノ偕楽園、金沢ノ兼六園、岡山ノ後楽園ニシテ、之ヲ日本ノ三公園ト称ス。然レドモ高松ノ栗林公園ハ木石ノ雅趣却ツテ批ノ三公園ニ優レリ」とあり、栗林公園は日本三名園より優れていると記載されていた。以上な様な事を、栗林公園観光ボランティアガイドさんから学んだ。


特別名勝 栗林公園、説明書。藩政時代、高松藩の下屋敷であった。




特別名勝 栗林公園、案内図。


掬(きく)月亭(げつてい):四方正面の数奇屋造りで、回遊式大名庭園の中心的な建物。歴代藩主が大茶屋と呼び、こよなく愛した栗林公園を代表する建物。


栗林公園を代表する風景・・雨天が残念であった。左手で傘を持ち、右手でシャッターを押した。


鶴亀松。


屏風松。


植木職人の技を駆使して作り上げた、黒松に赤松を接ぎ木した松。
この松の近くに、大正天皇お手植えの松があった。天皇は身体が弱かったので、松は他の松と違った管理をして来たそうだ・・出来るだけ鋏を入れない育成管理をして来たそうだ。


この日は雨天で名勝栗林公園も今一であった。好天であれば少し紅葉が始まった木々とバックに青空を取り込んだ写真が撮れたのだが・・残念。
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