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日本100名城指定第80番「湯築城跡」に咲く蓮の花

2016年06月27日 | 伊予松山歴史散策


湯築城跡(道後公園)入口に表札で、天正15年(1587)、福島正則が湯築城最後の城主でありました。
国指定史跡は、平成14年9月20日、に指定され、平成18年4月6日、日本100名城(80番)に選定されました。


先日、地元TVニュースで、道後公園の内濠に蓮が綺麗な花を咲かせています。・・と報道され
今年もその写真を撮りに行ってみました。
此の所松山は、前線の停滞で雨天の日々が続いておりましたが、昨日久しぶりの晴天であったので行ってみました。
蓮の花は、湯築城跡の内濠に生息しており沢山の蓮の花が咲いていました。
内濠は、カワセミが良く来る所で超望遠レンズを固定して撮影しているカメラマンが数名居り、気を使いながらシャッターを押しました。
湯築城は、14世紀から16世紀後半「南北朝時代から安土桃山時代」にかけて、約250年間に渡り伊予の守護であった河野氏の居城として存続した城で、中世の城跡が市街地にあるものは、殆ど外堀は埋め立てられ、土塁は取り壊され宅地として開発されておりますが、この湯築城は戦国時代のタイムカプセルの様に現存している事が重要な史跡で日本でも此処だけでそのため国指定史跡いなっています。
発掘調査は昭和63年から平成10年に掛けて行われ、特に県立道後動物園があった所に限り学術的な発掘調査がされその成果に基づいて文化財を生かした整備を行い、平成14年4月12日に武家屋敷2棟・土塁・道路・排水等の立体復元や平面復元が完成し一般に公開開始しまた、平成14年9月に国指定史跡「湯築城跡」に指定されました。
広さは、外濠を含む南北350m・東西295m・面積8,6ha(8町6反)で東京ドーム1,7倍の広さがあり丘陵の高さは31mで、中世の城としては珍しい平山城です。
攻めるには攻めやすく、防御するには大変困難な城でありあす。
平成18年、日本100名城(80番)に選定されました。
愛媛県には、日本100名城指定の城が、、今治城(79番)・湯築城(80番)・松山城(81番)・大洲城(82番)・宇和島城(83番)・と五つの城が指定を受けており、全国でも愛媛県だけで不思議です。


奥に見えるビル街は、道後温泉ホテル街、手前が湯築城跡。
外濠は都市計画事業により、道路・路面電車の敷設により埋め立てられた規模が縮小されました。


日本100名城第80番指定の湯築城模型で、資料館にあります。


湯築城跡南面で、平成14年11月27日、マンション7Fに上げて頂き撮影しました。


湯築城跡の内濠で、沢山の蓮が自生しています。
カワセミがやって来る所で多くのカメラマンが撮影に来ます。


戦前画像にある東屋付近に秋山好古の騎馬像が建立されておりました。










湯築城跡(道後公園)は愛媛県が管理しており、年に数回、県職員や、各種団体が奉仕活動として清掃活動をしております。


先程の画像「東屋」付近に画像の様な格好で秋山好古の騎馬像が建立しており、秋山眞之の立像もありましたが、昭和18年大東亜戦争時に金属供出として潰されました。

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