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騎兵第一旅団跡紀行

2009年08月28日 | 往年の名車 メグロ
8月24日に、日本騎兵旅団発祥の地、習志野市大久保町を再び訪れた。
習志野は、以前小金原と言われていたが、明治6年に陸軍大演習が実施され観閲に明治天皇が行幸された。今までにないきびきびとした素晴らしい演習を観閲された明治天皇が御付の西郷隆盛に、今日の指揮者は誰ですかとお尋ねになり、西郷は本日の指揮者は篠原でありますと答えた。そうですか、これからは篠原指揮者に習ってわが国の発展の為に尽くして下さいと言われ、以後篠原に習えが、習志野と命名されたそうです。それから此の地に急速に軍隊が創設されたと案内して頂いた学園大久保商店街三橋理事長から伺った。
今回案内頂いたのは、明治34年12月に創設された騎兵第一旅団があった東邦大学(騎兵第13連隊跡)と日本大学(騎兵第14連隊跡)を訪れた。両大学とも多くの記念石碑が保存されていて感銘を受けた。また騎兵旅団指令本部が置かれていた八幡公園、習志野郵便局にも案内して頂き此処にも記念の石碑が沢山あった。なお、騎兵第二旅団跡は、現東邦中学・東邦高校だそうです。・・此処には行かなかった。
秋山好古は、明治36年騎兵第一旅団長として此の地に着任し、翌年日露戦争で出征し世界最強のロシヤ騎兵隊(コザック騎兵隊)を撃破戦勝に貢献した。それは秋山将軍の卓越した統率力であったと生存されている将校が語っている。そして明治39年早春に堂々の凱旋を大久保の地にしたのである。・・今回の大久保を訪れたのは好古の足跡をたどる意味も含めて行きました。

画像は、東邦大学にある「騎兵第13聯隊発祥の地」の記念石碑で、碑裏面に金属板で「騎兵第13聯隊概史」がはめ込まれている。その中に第二代旅団長・秋山 好古 第六代聯隊長・南 次郎の名が刻印されている。秋山兄弟生誕地(松山市歩行町)にある秋山両将顕彰碑の題額「秋山両将遺邸之碑」を、南 次郎聯隊長(のち大将)が揮毫している。

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