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秋山好古揮毫石碑紀行 18 松山市道後公園の碑

2015年12月16日 | 伊予松山歴史散策
昭和3年11月10日昭和天皇即位の大礼を記念して建立した。


ご紹介する好古揮毫石碑の所在情報提供者は、秋山兄弟生誕地にお越しになられた方々からの情報を元に私が単独で写真取材を行って来た。
中には、現地に行ってもなかなか発見出来なく困難をした石碑もある。
画像の石碑も、松山市道後公園にあるが探すのに一苦労した。
道後公園は、中世鎌倉時代伊予の守護河野氏の城跡「湯築城」で日本100名城第80番目の指定の城である。

1、碑 文:御大典奉祝記念
2、所在地:松山市道後公園 湯築城(東グランド)
3、揮毫者:陸軍大将 秋山好古
4、建立者:大日本国粋会愛媛本部
5、揮毫年月日:昭和3年11月
6、石碑の大きさ:高さ3m25cm 横幅1m94cm 厚さ91cm
石碑は8番目に大きな石碑である。



昭和3年11月10日昭和天皇即位の大礼を記念して建立された立派な大きな記念碑。


道後公園の東グランドに建立されている。


道後公園の西側に建立したあった秋山好古の騎馬像と、その前に、秋山眞之の立像があった。しかし残念に昭和19年、大東亜戦争の金属供出で秋山兄弟の銅像は潰された。


秋山好古は、生前「銅像創るな・石碑もいらぬ・家も要らない・墓も創るな」と言い残し昭和5年11月4日:東京陸軍病院で逝去 72歳の大往生、教師で社会人となり、教師で世を終えた。・・軍服と言う甲冑を着ていた時期は長かったが中身は教育者であった。
画像の騎馬像は、昭和11年松山の関係者がもうそろそろ銅像を創っても好古さん、許してくれるだろうとの事で道後公園の西側に建立した。しかし残念に昭和19年、大東亜戦争の金属供出で潰された。画像は、建立当時の秋山好古騎馬像である。
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