秋山生誕地では、平成17年1月19日開館以来社会奉仕活動として18名の研究員が日頃から互いに研鑽し来館者に対して生誕地を案内している。相互研修会を二ヶ月に一度、県外研修を年一回実施している。昨年は、今治市小島の芸予要塞跡(203高地陥落に使用した28㎝砲弾跡地)と、今治城・そして今治市大西町山之内にある秋山好古揮毫石碑「衆心和暢化乃成」を見学し研鑽した。
今年は、香川県善通寺市の陸上自衛隊、第14旅団司令部駐屯地内にある、博物館、愛称は、駐屯地資料館と言われ、その一つに、 西洋建築で初代第11師団長・乃木希典に因み「乃木館資料館」がありここを広報担当自衛官の案内で見学した。
また敷地内には戦車や戦闘機、ヘリコプターなど、用途廃止された装備品が屋外展示されていた。
陸上自衛隊第14旅団は、四国地区の防衛警備等を担任する司令部及びその主力部隊、主に新隊員の教育を担任する第110教育大隊、業務隊などが置かれており、四国地方における最大・最重要駐屯地である。
乃木館は、明治31年10月1日、陸軍第11師団が創設され、初代師団長が乃木希典で、軍の師団司令部として竣工した西洋建築が現在は、乃木館として開設され当時の資料から現在の自衛隊の資料が展示されていた。
陸上自衛隊善通寺駐屯地の入口にある「旧陸軍第11師団司令部跡」記念石碑。
陸上自衛隊善通寺駐屯地の表示板。
陸上自衛隊善通寺駐屯地「乃木館」施設見学案内広報担当の自衛官から歓迎の言葉を受ける。
いざ、乃木館施設見学のため入館。
乃木館の説明板。
乃木希典師団長直筆の扁額。
「慎 獨」の大意・独り慎む・乃木将軍人生の信条、五つの意義がある。
一、 常に反省すること。
一、 邪道に入らないこと。
一、 心身ともに慎み誠の人となること。
一、 行動の上に天分を発揮し奉仕すること。
一、 他人に迷惑をかけないこと。
旧陸軍第11師団長、乃木希典将軍が使われた机で、歴代師団長も使われた机。
館内に秋山好古、好古の後輩、白川義則の資料も展示してあった。
この資料館には、海軍の資料も展示してあり、秋山眞之の資料もあった。
これも旧海軍の資料で、Z旗、旭日旗、戦艦三笠艦橋に立つ東郷長官以下の有名な絵もあった。
海軍が旅順港停泊中のロシア艦隊を砲撃する際の弾着観測点として好適であるとして攻略を進言(秋山真之が進言した)し、これに当初から要塞西方主攻勢論だった中央の大本営が同調して203高地攻略を支持、第3軍司令官、乃木希典が203高地陥落に手を焼き苦戦していたのを見た、総司令部総参謀長、児玉源太郎が愛媛県今治市小島にあった28㎝砲弾を移設し攻略した時の28㎝砲弾。
乃木館内部の資料展示室・・幾つもの部屋に分かれていた。
乃木館前の敷地に記念碑があった。PKO派遣の!
乃木館前の敷地にある静態資料として機材展示。
乃木館前の敷地にある静態資料としての機材展示。
明治31年の創設された旧陸軍第11師団から現在の第14旅団の沿革図。
今年は、香川県善通寺市の陸上自衛隊、第14旅団司令部駐屯地内にある、博物館、愛称は、駐屯地資料館と言われ、その一つに、 西洋建築で初代第11師団長・乃木希典に因み「乃木館資料館」がありここを広報担当自衛官の案内で見学した。
また敷地内には戦車や戦闘機、ヘリコプターなど、用途廃止された装備品が屋外展示されていた。
陸上自衛隊第14旅団は、四国地区の防衛警備等を担任する司令部及びその主力部隊、主に新隊員の教育を担任する第110教育大隊、業務隊などが置かれており、四国地方における最大・最重要駐屯地である。
乃木館は、明治31年10月1日、陸軍第11師団が創設され、初代師団長が乃木希典で、軍の師団司令部として竣工した西洋建築が現在は、乃木館として開設され当時の資料から現在の自衛隊の資料が展示されていた。
陸上自衛隊善通寺駐屯地の入口にある「旧陸軍第11師団司令部跡」記念石碑。
陸上自衛隊善通寺駐屯地の表示板。
陸上自衛隊善通寺駐屯地「乃木館」施設見学案内広報担当の自衛官から歓迎の言葉を受ける。
いざ、乃木館施設見学のため入館。
乃木館の説明板。
乃木希典師団長直筆の扁額。
「慎 獨」の大意・独り慎む・乃木将軍人生の信条、五つの意義がある。
一、 常に反省すること。
一、 邪道に入らないこと。
一、 心身ともに慎み誠の人となること。
一、 行動の上に天分を発揮し奉仕すること。
一、 他人に迷惑をかけないこと。
旧陸軍第11師団長、乃木希典将軍が使われた机で、歴代師団長も使われた机。
館内に秋山好古、好古の後輩、白川義則の資料も展示してあった。
この資料館には、海軍の資料も展示してあり、秋山眞之の資料もあった。
これも旧海軍の資料で、Z旗、旭日旗、戦艦三笠艦橋に立つ東郷長官以下の有名な絵もあった。
海軍が旅順港停泊中のロシア艦隊を砲撃する際の弾着観測点として好適であるとして攻略を進言(秋山真之が進言した)し、これに当初から要塞西方主攻勢論だった中央の大本営が同調して203高地攻略を支持、第3軍司令官、乃木希典が203高地陥落に手を焼き苦戦していたのを見た、総司令部総参謀長、児玉源太郎が愛媛県今治市小島にあった28㎝砲弾を移設し攻略した時の28㎝砲弾。
乃木館内部の資料展示室・・幾つもの部屋に分かれていた。
乃木館前の敷地に記念碑があった。PKO派遣の!
乃木館前の敷地にある静態資料として機材展示。
乃木館前の敷地にある静態資料としての機材展示。
明治31年の創設された旧陸軍第11師団から現在の第14旅団の沿革図。
203高地、善通寺師団の事を探してこちらへ辿り着きました。祖父が生前残した本に、曽祖父と善通寺師団のことについてわずかに記載があったためです。
私の飲み込みが悪いながらも貴重な写真を拝見でき嬉しいです。
善通寺駐屯地の敷地内、乃木館、なかなか一般で上がる機会に恵まれぬと思います。良いですね。私もこの目で見てみたいものです。