EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

伊予松山城・復元建造物散策 3

2014年03月09日 | 伊予松山歴史散策
前回は、復元建造物散策2迄でしたがこれから本壇に入ります。
復元された建物は、小天守を始め、12棟あり数回に分けて紹介します。
本壇は、天守・小天守などこの城の中枢となる建物が配置されている。その為に標高132mの本丸から更に10m高く石垣を築き、ここでも再び全面防御の為厳重にし、出入口は本丸広場に接する南面一ヶ所に限定している。このことは本丸最後の砦として籠城も考慮しての造りとしたものであろう。
では、復元された本壇建物を見てみよう。
現、切符売り場からが本壇で、正面に筑紫門東塀(重文)があり右折するとまた正面に高さ5mの石垣上に筋鉄門東塀(重文)が、右手に一ノ門(重文)、そして二ノ門(重文)を潜る三ノ門、仕切門、天神櫓の間に創られた枡形が現れる。
以下画像で紹介します。


天神櫓南塀:ニノ門を潜ると右側に内外続塀(渡塀)が現れる。艮門を破り進撃する敵を攻撃する構えで、狭間25ケ所、石落とし4ケ所備えてある。昭和54年8月、木造で復元した。


仕切門から見た天神櫓南塀で、左に天神櫓、右はニノ門南隅櫓に接続している。


艮門から見た寄手側の天神櫓南塀。


天神櫓:本壇東北に建つ櫓で、虎口の艮門・艮櫓を支援する途と共に本壇石垣に合横矢の攻撃の構え。そして位置が本壇表鬼門の方角にあることから、その忌を避ける意味で、第4代藩主松平定直の時、その遠祖に当たる菅原道真公を祀ったものと伝えられる。建物は単層入母屋造り、正面は全て祭祀の為蔀戸(しとみ)となっているが、残り三面は武装建築と同様である。昭和54年8月、木造で復元した。


天神櫓内部で、中央には社が置かれている。


天神櫓が昭和54年8月、木造で復元した当時の松山市長、中村時雄氏の棟札が掲げてある。


盛大に上棟式が行われた昭和53年の天神櫓。


天神櫓西折曲塀で、天神櫓と同年に木造で復元された。


天神櫓西折曲塀で角度を変えて撮った。


筋鉄門:本壇中庭に入る最後の門で、各所丈夫に鉄で補強している。昭和8年7月9日、怪火により門の上部渡櫓部分が焼失、この部分を昭和43年5月木造で復元した。


筋鉄門をアップに撮ってみた。


筋鉄門の内側、中庭から撮影。


筋鉄門の内中庭から撮影、左は、十間廊下、玄関、玄関多聞、北隅櫓。内門。


中庭から撮影、左は、十間廊下、玄関、玄関多聞、北隅櫓。内門


玄関をアップにして瓦に三葉葵、唐破風の懸魚にも三葉葵が附されている。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 現在咲いている松山城の桜たち | トップ | 砥部町七折梅まつり »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

伊予松山歴史散策」カテゴリの最新記事