EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

新伊予松山紀行 どんど焼き

2013年01月18日 | 伊予松山歴史散策
各家庭が正月を迎える年の神様を祀るために、玄関に注連飾りかかげる。注連飾りには子孫繁栄を願う「橙」と誠実、清潔白を象徴する「裏白の葉」等をつけて飾る神祭具の一つ。最近の注連飾りは、華やかないろんな形のものがある。・・プラスチック類で綺麗な飾り付けがしてある。しかしこの類の装飾がどいんど焼きには障害になる。

神社では、注連飾りを神社に持ってくる時には、「橙」、「プラスチック」「ビニール」は取り除いて下さい。とお願いしているが、守らない人がいる。神社宮司さんは沢山の注連飾りを点検してお払いの儀式をしてどんど焼きをする。
さてどんど焼きとは
どんど(とんど・とんと)も言う、正月15日に行う火祭り行事。正月の松飾・注連縄・古札を持ち寄って神官がお払いを行った後に焼き払う。その火で餅を焼いて食べ健康と幸福をお祈りする。地方により異なるが、焼き払って出来た灰を額につけると風邪を引かないとの事だ。

資料をみると
1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。その火で焼いた餅(三色団子の場合もある)を食べる、また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくとその年の病を除くと言われている。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達すると言われている。道祖神の祭りとされる地域が多い。
民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。お盆にも火を燃やす習俗があるが、こちらは先祖の霊を迎えたり、その後送り出す民間習俗が仏教と混合したものと考えられている。

呼び方は、とんど、どんど、どんど焼き、とんど(歳徳)焼き、どんと焼きとも言われるが、歳徳神を祭る慣わしが主体であった地域ではそう呼ばれ、出雲方面の風習が発祥であろうと考えられている。とんどを爆竹と当てて記述する文献もある。これは燃やす際に青竹が爆ぜることからつけられた当て字であろう。・・とある。
最近は、日常の家庭ごみと一緒に処理することが多いようだが、新年、正月の神様(年神様)をお迎えする聖なる神具注連縄であるから・・・。やはり神社に持って行きどんど焼きの焼いて貰うのが一番いい方法だ。
画像は、松山市内の八社八幡神社の一つ、第3番社の日尾八幡神社と、第5番社雄郡神社で行われたどんど焼き。




どんど焼きの前に宮司さんがお払いの儀式を行う。


そして祝詞を捧げ。


点火してどんど焼きが始まる。


注連飾りと一緒に古札も一緒に焼き払う。


松山地方全てではないが、どんど焼きで出来た灰を持ち帰り屋敷内にまくと厄払いが出来るといわれる。






1月15日、雄郡神社で行われたどんど焼きであるが、私が行って時は既にお払いの儀式は終わっていて、宮司さんは、私服に着替えて、「橙」、「プラスチック」「ビニール」を取り除いていた。・・ご苦労様です。


いよいよ点火、点火をする方角があるらしく、今年は南西の方角が吉とかで、この方角から点火をされた。






神社では、この様なお願いの掲示板を出しているが、中には守ってもらえない御仁がいる。
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