EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

続々・伊豫湯築城主河野氏と宝厳寺(松山市)

2012年05月09日 | 伊予松山歴史散策
宝厳寺は、伊予国の豪族河野家と縁の深い寺で道後湯月町にある。道後温泉本館から徒歩10分の所に位置する古刹、時宗の開祖一遍上人誕生の地として名高い。
寺伝には、天智天皇の7年(668)斎明天皇の勅願で国司・乎智宿弥守興(おちのすくねもりおき)が創建、当初は法相宗、その後天台宗、そして文永11年(1274)一遍上人により時宗と改めたとある。

一遍上人は、河野通広の第二子として延応元年(1239)に誕生した。幼くして僧門に入り文永11年(1274)時宗を開き翌年熊野の地で神勅を受けて「南無阿弥陀佛」として記した念佛札の賦算を始めた。
当時は貴族のものとされていた仏教を庶民に普及するため念仏のみで全国を遊行した。

弘安2年信濃国佐久郡で念佛踊りを始め、その後正応2年(1289)8月23日、神戸の観音堂(現・真光寺)で亡くなるまで全国各地を念佛遊行し一所不佳捨聖遊行上人と尊崇された。

なお、時宗の総本山は神奈川県藤沢市の遊行寺である。5月23日に平塚市に秋山好古揮毫石碑の写真取材に行くので、帰り遊行寺を参拝する。

註:今、松山市では夏目漱石と正岡子規が52日間共同生活をした「愚陀佛庵」が平成22年7月12日豪雨のため倒壊し再建地をめぐって議論伯仲しており、その一つの候補地が宝厳寺前である。・・再建地は未だ決定していない。

また、宝厳寺参道は道後地区にあった遊郭の町でもあった。(当時松ヶ枝町と呼ばれていた・・現在は上人町と言われている)

境内には沢山の句碑が建立されている。

旧遊郭があった松ヶ枝町で現在は上人坂と呼んでいる、宝厳寺参道入口に平成18年12月吉日、宝厳寺53世 真阿隆祥さんが記念石碑を建立された。


旧遊郭があった松ヶ枝町でその後ネオン坂と呼ばれ、現在は上人坂と呼んでいる。・・奥が宝厳寺


上人坂(旧松ヶ枝町)を上ると宝厳寺がある。


山門入口に建つ石碑で建立者は、河野一族の得能通綱である。
得能通綱は、伊予国の豪族・河野氏の一族で、桑村郡得能荘(現、西条市)を所領としていた。
後醍醐天皇らが元弘の変を起こすと、同じ河野一族である土居通増らと共に呼応して挙兵。鎌倉から派遣された長門探題北条時直を久米郡星岡(現、松山市星岡町)で迎撃し、勝利を収めた。南北朝の抗争では南朝側に与し、新田義貞に随行して越前に赴き転戦したが、延元2年(建武4年/1337年)斯波高経の奇襲を受けて討死した。


如何にも古刹を感じさせる山門・・何故か県・市からも文化財として指定されてない??


本殿、一遍上人立像はここに安置されている。・・境内は静かで一時の休息には打って付けの静寂な地である。・・ホテル街の従業員さん達がよく来ている。


本殿最上棟鬼瓦には河野家の家紋、「隅切り折敷縮み三文字」が上っている。河野氏の来歴を記した『予章記』には源頼朝公が征夷大将軍に成った折に北条と河野を酒宴によび、源は一を北条は二を河野は三をと折敷の上に置いた事から、この家紋を使用するようになったとある。『予章記』に記された時代には家紋はまだ発生しておらず、頼朝の酒宴において河野氏の座位が三位であったなどは到底信じられないことである。いずれも、家門を飾るためになした後世の創作というしかない・・ともある。・・ともあれ源平の合戦では伊予河野氏の活躍があったことには間違いなく、鎌倉幕府開幕の功労者の一人である。


本堂に安置されている一遍上人立像は室町期の肖像彫刻の傑作で国指定重文に指定されている。


旅衣 木のねかやのねいつくにか 身のすてられぬ ところあるへき

平成元年が生誕750年、没後700年に当たるを記念して、平成2年3月15日一遍会と地元有志が建立した。
正応2年、淡路で病脳をおして巡行した時の作で「念仏をすすめてまわるくるしみなどものの数ではない」との意味。

色里や 十歩はなれて 秋の風  子規 
明治28年10月6日漱石と道後に吟行に行った時詠んだ。


あかあかと 1本の道通りたり 霊剋るわが命なりけり 
 昭和12年5月12日斉藤茂吉が参拝した時に詠んだ。



宝厳寺参道にあった。「遊郭・松ヶ枝町」江戸時代以来の公娼制度が存在していたが、昭和33年法律により廃止された。画像は昭和30年・・何故宝厳寺参道に遊郭が出来たのか??これが仲見世のような町であればよかったし現在も繁栄していたのではないか??


明治時代の道後商店街・・漱石はこの町を歩き道後温泉に毎日通った。


明治末期の道後温泉本館で、当時の入口は本館の左側(北面)に一・二・三の湯の入口あったが、現在は商店街方向に造り変えられた・・これは昭和9年7月本館の改修をしたとあるのでこの時の現在の玄関入口に造り変えたのではないか??本館最上階に振鷺閣がありその上に白鷺を設置しているが北面を向いている・・当時の玄関を向けての設置・・道後温泉に来られたら是非確認して下さい。


この地が「愚陀佛庵」再建候補地で(一昨年まで遊郭、朝日楼の建物が残っていた)奥に宝厳寺本堂がある。


最近取壊された旧遊郭・「朝日楼」

コメント
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