EEKの紀行 春夏秋冬

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衛門三郎の伝説「八ツ塚」

2009年10月30日 | 往年の名車 メグロ
衛門三郎の伝説「八ツ塚」

今日松山地方は、素晴らしい秋晴れである。バイクで四国八十八ヵ所巡礼の元祖と言われている衛門三郎邸跡(文珠院)地に行ってきた。
天長年間(824~833年)の頃の話である。浮穴郡荏原郷(現在の愛媛県松山市恵原町)の豪農で衛門三郎という者が居た。三郎は欲深く、民の人望も薄かったといわれる。あるとき、三郎の門前にみすぼらしい身なりの僧が現れ、托鉢をしようとした。三郎は家人に命じて追い返した。翌日も、そしてその翌日と何度も僧は現れた。八日目、三郎は怒って僧が捧げていた鉢をつかんで地面にたたきつけた、鉢は八つに割れてしまった。僧も姿を消した。実はこの僧は弘法大師であった。
三郎には八人の子がいたが、一大事が起こった。その翌日から1人ずつ子が亡くなり、皆亡くなってしまった。悲しみに打ちひしがれていた三郎の枕元に大師が現れ、三郎はやっと僧が大師であったことに気がつき、何と恐ろしいことをしてしまったものだと後悔する。
三郎は、沢山の財産を世の人の幸せのためにと寄進し、家族とも別れ、遍路姿となり大師を追い求めて四国巡礼の旅に出る。二十回巡礼を重ねたが出会えず、大師に何としても巡り合いたい気持ちから、今度は逆に回ることにして、巡礼の途中、阿波国の焼山寺の近くの杖杉庵で病に倒れてしまう。死期が迫りつつあった三郎の前に大師が現れたところ、三郎は今までの非を泣いて詫びた。
これが四国八十八ヵ所巡礼の始まりだと言い伝えられている。
衛門三郎の戒名は「光明院四行蓮大居士」で、現在の文珠院が衛門三郎の邸跡であると言われている。ご詠歌に「我れ人を救はんための先達に、みちびきたまふ衛門三郎」とある。
松山市恵原町にある衛門三郎の邸跡から西に200mの所に三郎の八人の子を祀る八ツ塚がある。塚の頂には小祠が置かれ石地像が安置してある。
最近は女性の歩き遍路が多く、一日30km歩いたとして約40日程度掛かる。距離は約1300kmある。
画像は、衛門三郎の亡くなった子供を祀る八ツ塚である。

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