EEKの紀行 春夏秋冬

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宇和島市伊達博物館&天赦園

2009年10月04日 | 往年の名車 メグロ
宇和島市伊達博物館&天赦園

10月1日宇和島市にある伊達博物館に行って来た。宇和島市立伊達博物館創立35周年特別展「戦国武将伝:織田信長・秀吉・家康・政宗縁の品々」が10月4日で終わるので観賞にいった。お目当ては、京都大徳寺所蔵の「木造織田信長坐像・国重文指定」と南禅寺所蔵の家康が命じて草稿した「武家諸法度草稿・・国重文指定」である。織田信長坐像、今までに見た信長の肖像とは違った像でこれが本当の信長なのかと思った。「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす・・」鋭い眼差しであった。武家諸法度草稿は、これを基にして元和元年(1615年)徳川秀忠が武家諸法度13ヶ条を発布した。その草稿が展示してあった。その後第3代将軍徳川家光が参勤交代等々の条文を加え19ヶ条が定型された。伊達藩は参勤交代で藩内の経費が圧迫されたと展示の中にあった。これは、他の藩も藩の維持管理が大変であったと思う。
天赦園は、寛文12年(1672年)宇和島藩第二代藩主伊達宗利が造成し、第七代伊達宗紀が退隠の場所として大改造し慶応2年(1866年)に竣工「天赦園」と命名したとある。天赦園命名の由来は、「馬上に少年過ぎ 世は平らにして白髪多し 残軀は天の赦す所 楽しまずんば是を如何せん」と言う漢詩から採って命名したものである。伊達宗紀は第八代宗城・第九代宗徳を背後より支援し明治維新の四賢公の一人宗城を維新の大業に参画させた。
天赦園は、西郷隆盛・大村益次郎・高野長英等勤王の志士との会見が行われた所とある。・・天赦園の資料引用
伊達博物館&天赦園は初めて行き庭園で暫し休息した。県外の観光者は、岡山の後楽園も凄いが此処もいい庭園だと感心していた。今日は外国人の(白人)団体が大型バス2台で観光に来ていた。
残念ながら松山には立派な庭園がない。

画像は、愛媛県宇和島市の国指定名勝「天赦園」である。
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