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EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

秋山好古「カラー肖像画」

2010年11月25日 | 往年の名車 メグロ
秋山好古「カラー肖像画」

日本唯一、秋山好古カラー肖像画

画像は、今年7月に千葉県習志野市学園大久保商店街が特別にカラーで製作した「秋山好古」の肖像画で、本日(11月25日)まで秋山兄弟生誕地で特別展をしていた肖像画です。

今日、習志野市大久保にある薬師寺の三橋住職が秋山兄弟生誕地に来られ肖像画のレプリカの贈呈式を行った。
寄贈して頂いたレプリカは明日から秋山兄弟生誕地で常設展示します。

場所:愛媛県松山市歩行町二丁目3番地6
   秋山兄弟生誕地
   開館時間は午前10時~午後5時まで開館
   通常は月曜日が休館だが11月から新年1月3日まで休まず開館している。


参考事項:習志野市大久保は、明治時代陸軍騎兵第13・14・15連隊があった地で、秋山好古は日露戦線にこの地から騎兵第一旅団長として出征し、凱旋した所で、現在は東邦大学・日本大学となっている。
 
    
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秋山眞之「カラー肖像画」

2010年11月25日 | 往年の名車 メグロ
秋山眞之「カラー肖像画」

日本唯一、秋山眞之のカラー肖像画

画像は、今年7月、千葉県習志野市薬師寺三橋住職が特別にカラーで製作し学園大久保商店街に寄贈した「秋山眞之」の肖像画で、本日(11月25日)まで秋山兄弟生誕地で特別展をしていた。

今日、(11月25日)習志野市大久保にある薬師寺住職が秋山兄弟生誕地に来られ肖像画のレプリカの贈呈をして頂き、明日から秋山兄弟生誕地で肖像画レプリカを常設展示します。

場所:愛媛県松山市歩行町二丁目3番地6
   秋山兄弟生誕地・・午前10時~午後5時まで
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道後温泉本館「振鷺閣の刻太鼓」

2010年11月24日 | 往年の名車 メグロ
道後温泉本館「振鷺閣の刻太鼓」

松山市にある道後温泉は、大和時代から皇族に愛され、596年聖徳太子が来浴され絶賛されたと伝えられている日本最古の温泉である。
慶長年間・寛永年間に一時地震により湧出が止まる騒ぎがあったが、その後も宝永年間・安政年間の大地震、さらに、昭和21年の南海地震のときも湧出が止まったがいずれも工事を施湧出が始まった。

本館の諸施設の充実が図られたのは、寛永12年(1636)に松平定行が伊予松山城主として入部してからで、特に明治に入ってから本館の大改築が進められ、現在の本館は明治27年に完成し現在の三階楼となった。

明治38年に日露戦争で捕虜となったロシヤ兵士が許可され入浴し、昭和20年に米英進駐軍により一部接収されたなど波乱の歴史を経過するなか、平成6年に本館が国指定の重要文化財に指定された。(温泉の建造物が指定されたのは全国で初めて)

さらに同8年に、本館最上階にある「振鷺閣・しんろかく」の刻太鼓が環境庁(当時)の残したい「日本の音風景100選」に指定され、現在も時刻を告げる「刻太鼓」として職員が、朝・夕6時に6回・昼12時に12回打ち鳴らし情緒をかもしだしている。

また、本館には皇室専用の「又新殿・ゆうしんでん」があり、全国で道後温泉だけである。

画像は、女子職員が毎日朝・夕6時に6回・昼12時に12回打ち鳴らし情緒をかもしだしていて観光客も風情を楽しんでいる。
昨日(11月23日)昼12時太鼓を打つ風景である。

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日本100名城紀行 番外 大阪市の鐘馗さん

2010年11月19日 | 往年の名車 メグロ
日本100名城紀行 番外 大阪市の鐘馗さん
 
日本100名城紀行「松阪城・高取城・千早城」と天香久山紀行最後の目的が大阪市の鐘馗さん撮影であった。

大阪の鐘馗さんは、私の友人であるアマチュア無線局長が見つけて頂き撮影して来た。
京都の鐘馗さんは沢山ありますが、大阪の鐘馗さんは非常に珍しい。

場所は、北区天神橋六丁目で玄関の上でお守りしている、茶色の鐘馗さんでした。

茶色の鐘馗さんは珍しい・・京都にも一つありましたが・・
大阪の鐘馗さんはこれで二人目です。

設置しているお宅は、鐘馗さんの由緒を理解して揚げておられるものと思います。

鍾馗さんに付いては・・以下のように解説がある。

鍾馗の縁起については諸説あるが、もともとは中国の唐代に実在した人物だとする以下の説話がよく流布している。
ある時、唐の6代皇帝玄宗がマラリアにかかり床に伏せた。
玄宗は高熱のなかで夢を見る。宮廷内で小鬼が悪戯をしてまわるが、どこからともなく大鬼が現れて、小鬼を難なく捕らえて食べてしまう。玄宗が大鬼に正体を尋ねると、「自分は終南県出身の鍾馗。武徳年間(618年-626年)に官吏になるため科挙を受験したが落第し、そのことを恥じて宮中で自殺した。だが高祖皇帝は自分を手厚く葬ってくれたので、その恩に報いるためにやってきた」と告げた。
夢から覚めた玄宗は、病気が治っていることに気付く。感じ入った玄宗は著名な画家の呉道玄に命じ、鍾馗の絵姿を描かせた。その絵は、玄宗が夢で見たそのままの姿だった。
玄宗は、鍾馗の絵姿には邪気を祓う効力があるとし、世の中に広めさせた。
鍾馗の図像は魔よけの効験があるとされ、旗、屏風、掛け軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりする。・・・とある。
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天 山 2

2010年11月19日 | 往年の名車 メグロ
天 山 2
 
天山伝承を通じて香具山に親近感を持ち、昭和51年夏に松山市天山町「友の会」事務局を結成して橿原市商工観光課に香具山に関する資料と地元の様子を照会した。

それが縁となり松山市天山町の岸区長・白石事務局長と橿原市南浦町の辻本区長や福本博治・世話人の間に文通が続き、翌年5月8日には天山町の代表25名が松山名産の姫ダルマを土産に南浦町を訪れた。

記事が昭和52年5月31日(火)の讀賣新聞地方ニュース「奈良版」に掲載された。

画像は、愛媛県松山市天山町と奈良県橿原市南浦町の交流20周年を記念して平成9年7月天山山頂に建立された記念碑である。
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