天 山 1
天山について
風土記 日本古典文学体系 岩波書店
風土記逸文・伊予の国
その中に「天山」がある。下記の通り。
風土記は、和銅6年(713年)元明天皇が諸国に命じて地名の由来や物産、伝承を報告させたが、完全に現存するのは出雲国のものだけ。
不完全ながら残っているものに常陸・播磨・豊後・肥前などがある。
伊予の場合は「逸文」としてごく一部が伝わっている。
伊豫(いよ)の国の風土記に曰(い)はく、伊与(いよ)の郡(こほり)。郡(こほり)の家(みやけ)より東北(うしとら)のかたに天山(あめやま)あり。
天山(あめやま)と名づく由(ゆゑ)は、倭(やまと)に天香具山(あまのかぐやま)あり。
天(あめ)より天降(あも)りし時、二つに分(わか)れて、片端(かたはし)は倭(やまと)の国に天降(あまくだ)り、片端(かたはし)は此の土(くに)に天降(あまくだ)りき。因(よ)りて天山(あめやま)と謂(い)ふ。本(ことのもと)なり。(其の御影(みかげ)を敬礼(ゐやま)ひて久米寺(くめでら)に奉(まつ)れり。)
注 天山
伊与の郡・・・凡そ愛媛県伊予市と伊予郡の地にあたる。
天 山・・・温泉郡石井村天山(あまやま)にある孤立丘。
旧久米郡内。もと伊予郡に属していた。・・現在は松山市天山町
天山香具山・・大和三山の一つ。香具山
神代紀口訣に「風土記、天上有レ山、分墜レ地。一片伊予国天山。一片大和国香具山」とあるのは本条の記事を要記したもの。
其の御影云々・・・・以下は後人の附記と認められる。
天山の姿を絵図に描いたもの(御影)天山は久米氏所管の久米郡にある故にその本居の大和の久米寺(橿原市内)に祀ったことをいうか。
画像は、松山城天守最上階160mから撮影した、現在の天山である。
小高い山が四つあるがその内の一つ。「通称伊予四山と呼ぶ」
天山について
風土記 日本古典文学体系 岩波書店
風土記逸文・伊予の国
その中に「天山」がある。下記の通り。
風土記は、和銅6年(713年)元明天皇が諸国に命じて地名の由来や物産、伝承を報告させたが、完全に現存するのは出雲国のものだけ。
不完全ながら残っているものに常陸・播磨・豊後・肥前などがある。
伊予の場合は「逸文」としてごく一部が伝わっている。
伊豫(いよ)の国の風土記に曰(い)はく、伊与(いよ)の郡(こほり)。郡(こほり)の家(みやけ)より東北(うしとら)のかたに天山(あめやま)あり。
天山(あめやま)と名づく由(ゆゑ)は、倭(やまと)に天香具山(あまのかぐやま)あり。
天(あめ)より天降(あも)りし時、二つに分(わか)れて、片端(かたはし)は倭(やまと)の国に天降(あまくだ)り、片端(かたはし)は此の土(くに)に天降(あまくだ)りき。因(よ)りて天山(あめやま)と謂(い)ふ。本(ことのもと)なり。(其の御影(みかげ)を敬礼(ゐやま)ひて久米寺(くめでら)に奉(まつ)れり。)
注 天山
伊与の郡・・・凡そ愛媛県伊予市と伊予郡の地にあたる。
天 山・・・温泉郡石井村天山(あまやま)にある孤立丘。
旧久米郡内。もと伊予郡に属していた。・・現在は松山市天山町
天山香具山・・大和三山の一つ。香具山
神代紀口訣に「風土記、天上有レ山、分墜レ地。一片伊予国天山。一片大和国香具山」とあるのは本条の記事を要記したもの。
其の御影云々・・・・以下は後人の附記と認められる。
天山の姿を絵図に描いたもの(御影)天山は久米氏所管の久米郡にある故にその本居の大和の久米寺(橿原市内)に祀ったことをいうか。
画像は、松山城天守最上階160mから撮影した、現在の天山である。
小高い山が四つあるがその内の一つ。「通称伊予四山と呼ぶ」