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EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

松山市周辺の山々雪化粧

2011年02月11日 | 往年の名車 メグロ
松山市周辺の山々雪化粧

2月になり松山市も最高気温10度を超える暖かさが戻って来ていたが、今朝起床してみると我が家から見える山々が今年初めての大雪で(平地には積雪なし)画像の様な雪化粧カメラ持参で我が家の近くの東山(標高50m)に登りシャッターを押した。・・午前7時30分過ぎに

松山市は昨日の天気予報では、降雪が出ていた。
西日本最高峰の石鎚山(1982m)の画像も撮りたかったが残念雲に覆われて姿を見る事が出来なかった。
平地にも積雪があれば、秋山兄弟生誕、秋山好古騎馬像の雪化粧を撮りたかったが降雪がなかった。・・平地は雨だった。
今朝の松山市内の最低気温は2,5度でした。


我が家からの画像(北東方向・・高縄山系800mm)こんな雪化粧は今季初めて


東山(松山市東石井三丁目・標高50mm)からの風景(南方向・・四国山地・高知県方向・・1000mm級)今季初の雪化粧


高知県方向の四国山地1000m・・この雪は昨晩9時頃から降雪が始まったそうです


これは南西方向で伊予市の山々今年初の積雪


松山市三坂峠国道33号線高知市に行く山越え(土佐街道)1000m級の四国山地で山頂付近には降雪はあったが山麓までの降雪は今季初である


松山市窪野町・久谷町で山麓までの降雪は今季初である・・近くに霊場四国88ヶ所の札所第46番浄瑠璃寺がある
420mmレンズで撮影



これは北東方向で奥道後温泉の上にある山でここにはロープウエイがある
山頂付近に鉄塔が2本見える少し下にロープウエイ山頂駅舎がある
ちょうど大型の鳥が飛来してきた・・何と松山の山々が雪化粧している・・絶景かな・・と見ている様な感


東山にカメラを持って登っていると鳩の番鳥と逢った・・お早う、今朝は松山市周辺の山々は雪化粧よ・・寒い朝だけど今日も元気に過ごしましょう・・こんな会話をしているような仕草・・愛らしい姿・・左が雄で右が雌でしょうか??

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椿まつり

2011年02月09日 | 往年の名車 メグロ
椿まつり

松山市の椿まつりは愛媛県下一番の大きなお祭りとして親しまれている。
今年は2月9日~11日までの3日間開催される。
椿神社の正式な名称は、 伊豫豆比古命神社と言い、御鎮座(御創建)二千余年の古くより、尊称・敬称も親しく「椿神社」「お椿さん」とも慕われ、縁起開運・商売繁昌の神様として、四国四県はもとより、広く全国から崇敬を寄せられている神社です。

通称号は、「椿神社」「お椿さん」と呼ばれ、松山市内・四国四県で特に敬称を込めて呼ばれている。この由来は、『往古、伊豫豆比古命・伊豫豆比売命の二柱の神様が舟山)に御舟を寄せ給い、潮鳴栲綱翁神(しおなるたぐつなのおきなのかみ)が纜(ともづな)を繋いでお迎えした』との伝説が示すように、神社周辺は一面の海原であった。『津(海の意)の脇の神社、すなわち「つわき神社」が時間の経過と共に「つばき神社」と訛った』との学説の一方、民間伝承では、現在も境内一帯に藪椿を主に、各種の椿が自生しているが、「椿の神社」つまり「椿神社」と呼ばれるとの説話がある。

 大政奉還が行なわれて幕政が閉じられ、廃藩置県の実施を見て明治を迎えたとき、伊予の国8藩も例外に漏れず、現在の愛媛県が誕生した。県名策定に際し、古事記・日本書紀にも記されている、当神社の御祭神の一柱、愛比売命から県名とされたが、都道府県名に御神名を冠されたのは、愛媛県のみとある。

例祭は、現在旧暦正月8日を例祭日として、その前後の3日間斎行されている。
 「立春に近い上弦の月の初期」は、丁度冬の厳しい寒さも峠を越し、物の芽が動き始める頃で、農閑期も終りを告げ、椿まつりの終了後には“田起し”“播種”を始める慣習が愛媛県をはじめ四国各地にあることから「伊予路に春を呼ぶまつり」として「椿まつり」を愛し待ち焦がれていた様子が伺える。

現在では、全国各地から毎年約50万人の参詣者で境内は3日間賑わうが、国道33号線交叉点から神社までの約1Kmの県道と平成15年に開通した「はなみづき通り」交叉点から神社まで約500mの県道は、全面交通遮断され、その県道両側に約800店の露店が立ち並ぶ状態は圧巻である。

椿まつりは初日の午前0時に大太鼓で開始を告げられて以来、最終日の24時迄72時間昼夜を徹しての比類のないお祭りですが、生活時間が多岐に亘る現在、参拝者が年々増加している。

松山市では、椿まつりが終わらないと暖かくならないと言われ春を呼ぶ祭りでもある。

参考に:現在全国に「椿祭り」と称する祭りは下記の所で行われている。

•椿祭り (東京都) - 1956年から毎年1月から3月まで東京都大島町で行われる祭りである。
•椿祭り (山口県) - 毎年2月から3月まで山口県萩市で行われる祭りである。
•椿祭り (愛媛県) - 旧暦1月7日から旧暦1月9日まで愛媛県松山市の伊豫豆比古命神社で行われる祭りである。→伊予豆比古命神社
•椿祭り (大分県) - 毎年3月大分県中津市で行われる祭りである。
•足摺椿祭り - 毎年1月から2月まで高知県土佐清水市で行われる祭りである。
•五島椿祭り - 毎年2月から3月まで長崎県五島市で行われる祭りである。
•白椿祭り - 毎年4月に島根県安来市で行われる祭りである。


恒例の四国随一の大祭(松山・椿まつり)が今年も2月9日~11日までの3日間行われる。椿祭りは愛媛県下もとより、全国各地の人々の厚い信仰に支えられた祭りで、今年も商売繁盛・家内安全を願って参拝に来ている


神社門前にある参拝の前にある御手水舎で両手を清める参拝者


身も清め、いよいよ本殿にお参りします


一向に経済の復興見えない・・平成23年は良くなるように・・そして家内安全を祈願しているのでしょうか・・皆さんは


社本殿前から撮った画像・・多くの参拝者がいろんな事を胸に秘めて


椿神社お札の種類一覧表・・沢山ありますね・・最近は


参拝を終今年の家内安全と、商売繁盛を祈願してお札を受けて・・またお札が沢山あるのでどのお札を受けるか??迷うね


 椿神社の参道(約1km)は、「椿まつり」の3日間、自動車は全面通行止になり、昔ながらのどこを切っても同じ顔が出る縁起物の「おたやんあめ」は、年々出る店の数が少なくなるように思いますが、イカ焼きやとうもろこし・りんご飴・植木を売る露店が立ち並ぶ、椿まつり初日天候もよく沢山の参拝者が参道を埋めていた・・明日(10日・11日)明後日は天候が悪くなると予報が出たので今日参拝に来たのかも??


地元のTV人気アナも繰り出し参拝客にインタビュー


商売繁盛の縁起物の品々
お参りが終、境内では「福よせ」とも呼ばれる「くま手」や「宝船」・「福ササ」などが、威勢のいい掛け声と共に販売されている縁起物を・・商売繁盛、家内安全を願うたくさんの参拝客が買い求め・・景気は回復しているといわれながらも、なかなか実感できないのが現状・・「椿さん」パワーをもらって、不景気風を吹き飛ばして、明るい平成23年にしよう!!


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第49回愛媛マラソン 

2011年02月07日 | 往年の名車 メグロ
第49回愛媛マラソン(愛媛陸協、愛媛新聞社など主催)が2月5日午前9時30分愛媛県庁前をスタートし坊ちゃん列車1号車もスタート地点に参加、列車に乗った野志松山市長の号砲を合図にスタート、伊予松山城三ノ丸市民公園をゴールに快晴の下盛大に開催された。

昨年から市街地を走る市民マラソン大会用にコースを変更した愛媛マラソンコースを今年は、君原健二(メキシコオリンピック2位「銀メダル」・ミユーヘンオリンピック5位入賞)・千葉真子(2003年世界陸上パリ大会:女子マラソン 3位「銅メダル獲得」・森脇健児・Sing-Oさん達をゲストランナーとして迎え過去最高の参加者5070名の市民ランナーが参加快晴微風(殆ど無風)の絶好調の天候の下行われた。

市街中心部では、沿道を絶え間なく埋める市民が小旗などを振って声援を送っていた。市民ランナーも以前と違ってユニホームがカラフルでランニング用スパッツにショートパンツにランニングシャツと目を見張る様な姿で、少し贅沢な感じもした。今年は男子の参加者もスパッツにショートパンツと・・
此れだけ裕福になったのか?贅沢になったのか?である。

前回から制限時間が6時間と大幅に延長され、参加者の9割が完走しまさに市民マラソンとなった。

結果は、男子は城武雅(YONDENクラブ)が2時間19分14秒で優勝した。女子は高橋真由美(いしづちクラブ)が2時間59分27秒で制した。

優勝した城武選手は、地元、愛光学園卒で東京大学、東京大学大学院で勉学して地元企業に入りクラブランナーとして頑張っていて今回6回目の愛媛マラソンで初優勝した努力ランナーである。


午前9時30分スタートを待つスタート地点、坊ちゃん列車も参加して華を添えた


愛媛マラソン選手を安全に先導する(往路を担当)愛媛県警交通機動女性白バイ隊(ホワイト・ロビンズ)も到着・・只今参上


選手先導に当たって先輩機動隊員と綿密な打ち合わせをする女性隊員
今年二回目の先導をする


愛媛県警交通機動女性白バイ隊・ホワイト・ロビンズ、全国の女性白バイ隊競技大会に参加しているが全国でも屈指の美人隊員
お名前は、喜多隊員です・・愛媛マラソン二回目の先導だそうです


愛媛県警交通機動女性白バイ隊・ホワイト・ロビンズ、全国の女性白バイ隊競技大会に参加しているがこの隊員も全国でも屈指の美人隊員、昨年全国女性白バイ隊競技大会で5位に入賞した腕前・・今年の先導も私に任せて下さいと・・白バイは800cc重量300Kもあり、倒しても自力で起こさないとだめだそうです・・大変・・これからも体に気を付けて活躍して下さい。
お名前は、永井隊員です・・愛媛マラソン先導二回目だそうです


フル放送(6時間)をする地元局RNBマイクロ波帯(10GHz)の放送機器


RNB(南海放送)実況放送全て準備OK


愛媛マラソンバイクで映像を送るバイク移動局・・バイクはハーレーダビットソン


坊ちゃん列車に乗り参加者を拍手で応援する土佐礼子さん(北京オリンピック女子マラソン日本代表選手・松山市出身)


第49回愛媛マラソンスタートを待つ選手達


スタートを待つゲストランナー「君原・千葉・森脇各ランナー」
千葉さん元気に明るく走りましょう・・愛媛マラソンの今後の発展の為に


愛媛マラソン実行委員会会長・野志松山市長の号砲でスタート・・右は中村愛媛県知事


午前9時30分一斉にスタートする選手・・いざ決戦


スタートして5分時点早くも5人に絞られたトップグループ


後続の参加者が快晴の下気持ちよさそうに走っている・・スタート5分時点だから参加者達は未だ元気


女性ランナーとしてトップで力走


愛媛マラソンゴール地点「伊予松山城三ノ丸」撮影は松山城本丸本壇小天守から撮った・・500mmで撮影


初優勝して記者会見を受ける城武選手、嬉しさで薄っすらと涙の会見・・6回目の挑戦で念願の初優勝・・おめでとう城武選手
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伊予松山城・本丸の寒梅 その2

2011年02月03日 | 往年の名車 メグロ
伊予松山城・本丸の寒梅 その2

松山地方は、2月1日から最高気温が10度を超す天候になり少しであるが初春を感じるようになった。
昨日は、最高気温が12,2度で今年最高気温であった。
伊予松山城本丸の寒梅も開花が進んだのではと思い登城してみた。

思ったよりも開花は進んでなかった。
画像を見て下さい。
帰りに松山中央公園に行ってみたら珍しい梅の花が咲いていたので一枚撮って来た。


伊予松山城山頂ロープウエーィ駅舎に記念写真撮影用の設備が置いてある
松山城へようこそごゆっくり見学して下さい・とお出迎えしてます


手前の左右の石垣は、大手門跡で復元はしていない。
復元されてない理由は、伊予松山城本丸の建造物は、昭和45年から開始され本丸の建築物の復元事業は、昭和59年3月艮門(うしとらもん)・同東続櫓、巽櫓(たつみやぐら)の復元で本丸の建物はほぼ旧状に復する事となった。但し渡り塀の大部分は欠落のままである。
肝心の大手門が復元されてないのは、創建当時の資料が残ってないからである。


伊予松山城天守で、今日は松山市である事業態の全国大会が開催され県外の方々が多く見学に来ていた。東北からの方々から松山は暖かいですね・・いいですね・・東北は積雪で大変ですと言っておられた。


本丸にある紅梅で未だ蕾の状態で開花はこれからである・・バックは天守


花をアップで撮っているので開花が多いように思われるが開花はこれから・・あと4日~5日後かな??


白梅を、露出補正を調整して強制発光で撮影


これも同様に撮影・・白梅を強調するために


この紅梅は、満開であった・・なぜか??
場所は、本丸の馬具櫓の真下にある・・ここには全国の城郭の中でも、非常に珍しい屏風折れの石垣が本丸にある。この石垣を背にして植えてありそれも南向きである。
太陽が石垣に当たりその熱が反射して梅に当たる・・本丸とは温度差が違い開花が早いのではないかと感じた。


寒梅を撮っていると上空をヘリが飛んで来た・・2月6日に開催される愛媛マラソンのTV中継のリハーサルをしていた。思わず1枚撮ってみた。
愛媛マラソンには、ゲストランナーとして、「君原健二さん、 千葉真子さん、森脇健児さん、Sing-Oさん招待選手」が、走ります。


花の名前は「ロウバイ」
花の見頃は1月上旬から2月中旬で、薄黄色で、花の由来は、花弁がロウ細工のように油を含んで半透明であることから、ロウ梅(ろうばい)と呼ばれたといわれています。
ロウバイ(蝋梅、蠟梅、臘梅、唐梅、Chimonanthus praecox)は名前に梅がついているためバラ科サクラ属と誤解されやすいが、ロウバイ科ロウバイ属の落葉低木。1月から2月にかけて黄色い花を付ける落葉広葉低木である。花の香りは強い。・・とある
撮影場所は、松山市中央公園山頂入口にあり非常に珍しい初めて見た。


中央公園から松山城天守と右奥に薄く見えるのが西日本最高峰「石鎚山」であるがよく見ないと判別出来ない・・今日は気温が上がったため大気の水蒸気が多く少し霞んでいたので見え難い・・ハィ











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復元された坊ちゃん列車 機関車手動で方向転換

2011年01月26日 | 往年の名車 メグロ
復元された坊ちゃん列車は市駅でのみ手動で方向転換作業をする。

明治20年伊予鉄道は、日本最古の軽便鉄道を創設した。
明治21年10月28日 松山―三津間の鉄道(坊ちゃん列車)の営業を始めた。営業開始時のレール幅は762mmだったが、昭和6年5月1日から現在のような電化になり電車が走るようになりレールの幅も1067mmと広くなった。
夏目漱石は、松山中学に赴任以前から時々来松しており軽便鉄道に乗ったので
有名・また日露戦争で捕虜となったロシア兵も松山22連隊の凱旋軍も乗った。

画像で紹介する坊ちゃん列車は、
1号機関車は、明治21年ドイツ国ミュンヘンのクラウ社製(甲1形)から伊予鉄道が最初に輸入、14号車は、明治41年ドイツ国クラウ社製最後に輸入した機関車である。

現在市駅・JR松山駅から道後温泉まで営業している市電は当時、道後鉄道といわれ、明治26年創設、28年に開業し営業区間は、一番町から道後温泉まで営業していた。主として道後温泉浴客の便を図っていた。
その後、明治33年5月1日に伊予鉄道会社と合併現在に至っている。

復活した坊っちゃん列車 

平成13年10月12日 市民の要望で復活した坊ちゃん列車が松山市内市電車の軌道を1号機関車と14号機関車が路面電車軌道を走っている。

繁華街を煤煙を吐いて走行は出来ず、いろいろと思案した結果、ディーゼル機関によるレプリカを市内線JR松山駅・古町⇔松山市駅前⇔ 道後温泉間で運行を開始し現在に至っている。(乗車料は¥300円)

乗務員は、伊予鉄道創業時の制服を着用した機関士と車掌が乗務していて松山市駅で坊ちゃん列車の機関車を油圧ジャッキで持ち上げ乗務員が機関車を手動で方向転換している。

参考事項:復活した坊っちゃん列車

夏目漱石の小説「坊つちやん」の中で、軽便鉄道時代の伊予鉄道が「マッチ箱のような汽車」として登場しており、四国・松山の中学校に赴任する主人公の坊っちゃんがこれに乗ったことから、坊っちゃん列車と呼ばれるようになった。
松山の観光のシンボルの復活として、坊っちゃん列車の復元構想は、過去、いくつか起こっては消えていた。特に、観光の目玉を増やしたい観光関係者、特に道後温泉関係者にとって関心事であった。

伊予鉄道が、平成13年にディーゼル方式を採用した坊っちゃん列車の復元を発表、運行開始した。列車は、往時の坊っちゃん列車をモデルにディーゼル動力方式を採用、汽笛は同社OBの協力を得、制服も当時のものを復元するなど、できるだけ本格的なものにしようとした。
蒸気機関車ならではのドラフト音は車外スピーカーによって鳴らす方式を採用し、煙突からは水蒸気を使用したダミーの煙を出す発煙装置を採用する等の工夫がなされている。

第1編成車両:ディーゼル機関車D1形 1 + 客車ハ1形 1・2
第2編成車両:ディーゼル機関車D2形 14 + ハ31形 31
製 作 所 :株式会社新潟鐵工所 (新潟市)
エンジン  :日野ディーゼルエンジン 6、014CC 搭載

客車の屋根には分岐点でポイント操作を行うトロリーコンタクターを作動させるため、ダミーのビューゲル(進路制御装置と呼んでいる)が取り付けられている。
道後温泉駅の専用の引込み線には2編成が夜間と、1日おきに時間調整のために留置されており、観光客がその前で記念写真を撮るなどされ、親しまれている。
なお現在、現存する最古の軽便機関車として、梅津寺公園内に展示しています。

では、その作業を画像で紹介しよう。
松山市にお越しの節は一度ご覧下さい。


1号機関車を油圧ジャッキで持ち上げ手動で方向転換する乗務員
夏季、梅雨時の大雨の日は大変だそうです。・・乗務員が若いから出来る作業


方向転換も無事終わり動輪を線路にセット


次の作業は、客車を手押しで機関車の場所まで移動・・ご苦労様
夏目漱石が乗ったのはこの形の客車で当時、定員12名であった


機関車に接続して、乗務員は乗客を待つ
現在1号車と14号車の2系統で営業運転しているが乗務員は15名が交代で乗務している。市電と平行して待機


これから方向転換開始、油圧ジャッキをこれから出し機関車を持ち上げ準備・・画像は14号機関車の方向転換


画像のように油圧ジャッキで持ち上げている状態


14号機関車無事方向転換完了


14号機関車が牽引する客車、1号車は小型客車2両を牽引 2号車用客車は大きいのを両牽引する・・これより長くなるとポイントの切り替えが出来なくなる
夏目漱石が乗った客車は1号機関車が牽引する小型の客車であった


14号機関車牽引客車、機関車と接続して所定の位置に着けるところ


14号機関車&客車、所定の位置に着け乗客を待つ


14号機関車を運転手する若い運転手さん、運転免許は全国でも初めて市電軌道を内燃機関(ディーゼルエンジン機関車)で走行するため特殊運転免許が必要との由、服装は明治時代創設当初の制服だそうです
1号機関車と14号機関車の造りは殆ど変わりはないが、画像で見ると、煙突上部の造りが異なる
当時のまま忠実に外観復元している


坊ちゃん列車機関車の運転内部、運転席(左側)に前方安全確認の為液晶モニターがついている


運転内部は画像の通りで前方安全確認の為、左右にカメラを取り付け運転席で安全確認出来る様に液晶デスプレイを着けている


1号車が松山市役所前で、市電と交差、上部に伊予松山城天守が見える


営業運転しない時は道後温泉駅に作られた引込み線で待機する
後方は道後温泉駅舎で、明治44年建築の駅舎であった明治洋風建築を平成21年8月外観復元された


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