Peanut scale.....fly above the rest!

伝説のピーナッツ・スケール
原始的?もしかしてハイテク?な、ゴム動力スケールモデル

Ganagobie is forever immortal........   No.3

2021-10-27 | PEANUT SCALE MODELS






胴体の上半分が完成したらうっとり眺めてる時間も必要ですがここで停滞しないで進みます。

下半分は「空中ジグ」の世界!もう図面を信じて胴枠のパーツを作ったら治具も定規も無しで自分の視力だけを信じて接着していきます。10秒眺めて即瞬間で接着するなんてことはしないで、ここはボンド系の調整が効くものを使って様子を見ながらネ・・・   

深夜に接着して朝見たら大変な事になってる!そんなの何度もございました。





胴枠三角形の頂点が概ね合っていれば良いんですが、これがなかなか思うようにいきませぬ。足の長さを調整してる間にどんどん低くなってしまい結局作り直したパーツもあります。最後に取り付ける1本の角材が上下左右に波打たず、しかも側面図のラインと同じにするのって意外と難しいと思います。





頂点が振れずに直線でしかも美しい曲線で仕上がればもう何も言うことは無いんですが・・・
ところでここへ接着する角材はこの尖ったところにどうやって接着するの?という疑問も出てくるのであります。方法としてこれから胴枠の先端をV字にカットします。しかしです、この状態でヤスリ使うのもカッターナイフで切り込んでいくのもかなり厄介です。1cm厚程度のバルサの木片を下敷きにしてカッターナイフに仕事してもらいました。





良く見ますとV時の深さを微妙に調整してラインを出してることがバレてしまいますが、寸分の狂いもなくピッタリという訳にはいかないものです。胴体の捻じれやおかしなラインになっていなければ成功とします。初号機は色んな所にゲタ履かせてましたがそれだけは何とか回避できました。





必要なところをプランクしていきます、これによって剛性は上がってきます。ここは紙貼る時ちょっとだけ助けが必要な箇所なんかがあります。「糊しろ」として追加することも後々作業が楽になることもあります。





ノーズ部分で1箇所だけプランクと角材の段差が解消できないところは「バルサパテ」のお世話になります。





ノーズソケットも一緒に作ります。これといった芸も仕掛けもございません。





最後に1000番あたりで軽くサンディングしたら完成。





0.5mmピアノ線の脚を取り付けて体重測定します。平均的ではありますが、胴体サイズからすれば少し重いかも。





主翼は前回測った時は0.61gでしたが? ま、0.03は誤差の範囲と言うことで。





一緒に尾翼も・・・





そして出来上がったものすべて、主翼をワンピースにするともう少し増えると思います。(続く)





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Ganagobie is forever immortal........   No.2

2021-10-15 | PEANUT SCALE MODELS

30数年ぶりに作り始めたガナゴビーは記憶の片隅に残ってはいますが新鮮です。何も解らず漠然と作っていた頃とは違って重量的な事、紙を貼るときの事、飛行調整するときの事、色々な事を考えながら作り始めます。まあそんな事一切考えず夢中で作っていた時も楽しかったといえばそれも正解です。

昔と同じ間違いをしないようにネ・・・





図面に厚手のボール紙をスプレーボンドで接着します。
最初に切り取ったのは胴体側面、コレ必要ですか? 一応何かの役には立つと思っておきます。






でも本当に必要だと思っているのはコチラ。胴体側面の角材が波打って醜い状態だった初代の機体、それを解消するためラミネートで左右2本を作ります。これで左右非対称になることを防ぐ事はできますし、波打たない程度の強度も持ち合わせていますからこれを基準に胴体を組み立てていきます。上手くいくのでしょうか・・・

さてマットの上で組み立てるのはちょっと面倒ですから何か手頃なものない?





もう使い古したいつも使ってる「ハレパネ」にタミヤのサンドペーパー貼り付けたやつ、捨てる前に一仕事してもらいます。





基準線引いて胴枠の位置を記入したらラミネートで作った左右の2本をテープで止めます。図面上で作った胴枠の上半分(先頭部分を除く)を接着して行きます、もちろん最初はちょっと戸惑います。やぐら(胴枠)の高さを決めるすべは「胴体側面、コレ必要ですか?」を使うつもりでしたがわざわざ加工してまで無理に使うこともないと判断しました。胴枠頂点の左右のズレは目視でチェックできますし何とかなりそうです。あっちから見て、こっちから見て、上から見て、納得したら接着します。





背骨が図面と同じ高さと傾斜であれば問題ございません!ということにして固めてしまいます。コックピットの屋根は絶対傾かないように、しかも主翼の迎え角にも影響しますから慎重に・・・





接着が乾燥したら板からはずしてみます、左右の骨がラミネートですからかなり頑丈に仕上がってます。(続く)







「コートクリア・プリンターカバー」って何だ!



Comments (3)
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Ganagobie is forever immortal........   No.1

2021-10-14 | PEANUT SCALE MODELS


What are you thinking while waiting for the completion ...





「ガナゴビー」は永遠に不滅です・・・

無名のフレンチ・ホームビルト機「ガナゴビー」が模型界で知られるようになったのはボブ・ペックさんの功績でしょうか。ペック・ポリマー社のキットでこの機体の存在を初めて知る人がほとんどだと思います。はるか昔の昭和の時代、私が最初に買ったピーナッツ・キットがこの「ガナゴビー」でした・・・

実機は1953年にフランスのデザイナー、ウィリアム&ジェームズ・ロベットによって初飛行しました。1955年カナダの航空エンジニアであるジョルジュ・ジャックミンがサイズを拡大(翼面積を70から90平方フィート)して製作、飛行しました。恐らくカナダのこの機体をヒントにボブ・ペックさんはピーナッツ機として設計されたと予想します。ボブさんの奥様サンディーさんから「カナダの友人から機体の情報を得た」というような話を聞いたことがあります。ゼロ戦やマスタングと並んで今もペックのキットに君臨するこの「ガナゴビー」はアメリカのホームビルト機「ネスミス・クーガー」や「ファイク」と同じようにピーナッツの世界では有名な機体となりました。そこにはピーナッツ機としての飛ばしやすさや飛行性能が大いに関わっているのかもしれません。

ペックポリマー社がスタートした時にキットを売り出してますからもう既に35年近い超ロングセラーなんですね。我が家には1985年製造の初代ネスミス・クーガーが今も残っています。ペックのキットは現在もオーナーが変わって(2回目)パッケージも新しくなって販売されています。でも古くからのマニアは住所にLA MESA CALIF 92041と入ってなくちゃペックじゃないと思う。最近ではこのCALIFという書き方はあまり見ませんね、殆どがCAです。レーザーカットになり製作の難易度は下がったんでしょうが、バルサキットでは最初のお仕事でもある「切り出す」という楽しみを奪われたような気がします。

新旧のボックスはこんな感じ・・・








シンプルな作りが基本のホームビルト機においてこの「ガナゴビー」はちょっと曲者です。主尾翼はすんなり製作できますが、胴体は美しいラインを残して作るには修正や加工が必要となります。ひし形の胴体は如何にアプローチするかでその難易度が変わるのかもしれませんがどちらにしても面倒なことには変わりありません。
ピーナッツ・スケール機として最初に出会った機体ですから今でも記憶に残っていますが、何でこんな難しい機体を選んだの?と言われてもね、見たこともないユニークな機体と操縦するおじいちゃんの雰囲気が良かったんでしょうか。
ここで紹介する機体はもうすでに完成して飛行している機体で、ネタ集めにちょっとこの機体のデータや実機写真を調べようとGoogleちゃんで調べるとあらま!
一番最初にYoutubeの動画がしれっと並んでます・・・





飛行会での会話 「ところで胴体はどーやって作ると正確に出来るんでしょうかね?」 「簡単そうでなかなか手強いひし形胴なんですよねコレ?」なんて話が出てきます。そう言われてみると最初の頃は空中ジグ?なんか駆使して切った張ったの大騒ぎで作ってました。上下左右のラインは夏の伸びたレールみたい・・・
胴体製作4本目辺りからやっと「見られる」ものが出来るようになった記憶があります、もちろん1機目は角材足らず!の有様でした。

そこで今回の製作法が写真でちょっとだけ残してありましたのでご紹介します、初めて作るピーナッツの製作法としては・・・向かないと思いますが。





リブの数とか位置は変更していませんが、角材を使わずスパーを入れた形で製作しています。重量はそんなに変わらないと思うんですが最近はこのスタイルばかり、カーボンの補強とかはしていません。





ざっくり完成したら支柱を取り付けるリブと四隅もガセットで気休めの補強。翼端は0.3mm程度のシートを貼っておきます。





サンディングしたらこんな感じ、片翼0.3gならまずまずですね。
主翼は特に難解な部分はございませんからあっという間に終了です。


さて問題の胴体に入ります。(続く)
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Roger AIME 28/06/1938------20/08/2021

2021-10-04 | PEANUT SCALE MODELS

2021年8月20日快晴、ロジェは空へ帰る・・・





「星の王子さま」のサン・テグジュペリが生まれたのは1900年6月。1912年、彼は70馬力エンジンのベルトー・ウロブレウスキー単葉機に同乗して空の洗礼を受けた。1922年には軍用機操縦免許を取得し、腕白小僧がいつしか飛行機に魅せられていく。ブレゲー14、コードロンC59、ラテコエール28、ポテーズ25A型、コードロンC630シムーンなど彼は多くのフランス機を乗り継いで腕を磨く。その彼がニューヨーク=プンタアナレス間の飛行に挑んでいた頃の1938年6月ロジェ・エメは生まれた。フランス南部の地中海に面するプロバンス地方で彼は育ち、工業製品のデザインを生業とし趣味の模型飛行機を始める。





僕がピーナッツスケールを始めた頃、まだ右も左もわからず関係がありそうなものには貪欲に吸収していく情熱があった。日本ではまだ未知の世界だったピーナッツも海外の雑誌や会報なんかではぼちぼち紹介されていた。その頃海外郵送競技を始めたモデルビルダー誌のホストを務めたビル・ハンナンさんやウオルト・ムーニーさんともお友達になる。ハンナンさんの通販ショップではスケール機、特に彼がデザインしたピーナッツの図面や執筆した本の他に世界のビルダーがデザインした図面が販売されていた。ウルグアイのユリシス・アルバーツさんやフランスのロジェ・エメさんの図面はかなり売れていた。ボブ&サンディー・ペックさんがピーナッツキットやパーツを売り出したことも世界中にピーナッツの知名度を上げた。毎号ピーナッツ図面が掲載されていたモデルビルダー誌を始めそれらの手に入りそうな図面やキットは片っ端から買ってしまう。
「熱」がある時ってのはそんなもんだ!





ハンナンさん夫妻がフランス旅行した時に僕のことをロジェに紹介してくれた。そしてヨーロッパでコンテストがあるときにはロジェが僕の機体の代理飛行をすることになった。フランス国内やベルギーでコンテストがある時は彼に機体を送って飛ばしてもらった。ロジェとの交流が始まった1990年代の中頃、フランス人の彼は僕の中ではサン・テグジュペリとダブっていて「星の王子さま」とでも呼ぶことにした、もちろん彼はそんな事を知らない。王子様からは定期的に手紙が届いた、フランス語だったらお手上げだが英語で書いてくれたので対等でもあった。





ロジェは寝ても覚めても図面を描くことが好きなようで、新しい図面が完成すると真っ先に送ってくれる。2000年代に入るとコンピューター図面が多くなってきて少し味気ない気もする図面が多く見られるようになったが、ロジェは最後まで決してそんな図面は描かなかった、いつも通り製図板に向かってラインの太さやレイアウトは全く変えることなく描き続けた。その図面が僕の琴線に触れた時は素早く反応して作り始める、そしてその写真を送る、するとまた新しい図面が届く・・・ そんな繰り返しが10年以上続いた。





サン・テグジュペリは猛々しい飛行機乗りにはなりきれずに最後まで心優しいヒコーキ野郎として人生を終えたと思う、ロジェの優しさと共通するところがある。ロジェから届いた手紙は100通を超える。彼が忙しくて製作ができない時だって「元気かい?今何作ってる?何か君が欲しいパーツとかあるかい?」といった手紙が届く。東日本大震災の時には僕が落ち込んでると立て続けに手紙と図面が送られてきた、そして重い気分を開放してくれた。ロジェのすごいところは自分のペースだけじゃ無く相手のことをいつも気にかけてくれる、僕には絶対出来ないであろう優しさをいつも感じていた、さすが「星の王子さま」だけある。





ロジェもネットの時代になって「メルアド」は持っていたけれど、手紙ほど頻繁にコンタクトは無かった、そして何か必要な時には必ず「封書」が届く。その返信をメールで返すのはなんだか失礼だと変な気を使って僕も封書でお礼を書く、Eメールと違ってこの少しだけ緩やかな時間の経過が心地良いことをお互い知っているのかもしれない。晩年ロジェの図面を描くテンポも昔と比べたら随分ゆっくりになった、製作ペースも昔ほどではなくなった。色んな事情で誰だって同じようにペースが落ちていく、そして手が止まる悲しい現実・・・ しかし情熱が消えたわけではなくいつも頭の中には空想の図面やバルサの木っ端や塗料の匂いが充満している、そんな人生を送っていたロジェは世界を代表する偉大なピーナッツ・ビルダーの一人だと思う。





ピーナッツの良いところは愛好者が減ることもなければ増え過ぎることもない、それってギリギリのあたりで生き永らえる絶滅危惧種のようなもの?
20数年の交流の中で僕はロジェから学んだことがいっぱいある。「あまりエキセントリックになるな!」ってこと?、当時はかなり挑発的な機体を作っていたのかもしれない、だから時にはブレーキをかける、「大人」だったんだね。黎明期の「色紙」でその機体色を表現していた時代に突然エアーブラシでプラモデルの如きピーナッツは良くも悪くも目立ち過ぎた感は認める、素朴で暖かなイメージを鋭利なナイフで切り裂くような・・・ でもその10年後にはほとんどの機体がそうなった、スケールのリアリティーを追求すれば必然なのかもしれない。そして今ではプリンター印刷のカラーリングが台頭し始めるがまだその地位は変わっていない。





ロジェから送られてきたピスタチオ機、庄内の空を飛ぶ・・・・









僕の送ったピスタチオ機、ヨーロッパ各地で飛行する・・・・









同じ時代を一緒に歩いてくれたロジェに感謝します。2021年8月20日快晴、ロジェは空へ帰る・・・





「なんだって!きみ、天から落ちてきたんだね?」
「そうだよ」とぼくは、しおらしい顔をしていいました。(星の王子さまより)


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