Peanut scale.....fly above the rest!

伝説のピーナッツ・スケール
原始的?もしかしてハイテク?な、ゴム動力スケールモデル

2010-10-31 19:19:18

2010-10-31 | PEANUT SCALE MODELS

「ピーナッツ・スケール」の生みの親、ディーブ・ストットさんが他界されました。

心よりご冥福をお祈りいたします。

Dave Stott 10/30/2010
Dave Stott was the founder of the Flying Aces Club and popularized P-nut scale model. He and Bob Thompson sent Peanut scale models to our first Shonai P.P.P.P. Contest on August 13th 1985.
庄内ピーナッツが世界的に知られるようになったきっかけは、日本で始めて本格的なピーナッツ・スケールのコンテストを開いた事かもしれません。もちろん地道な活動も行ってきましたが、当時の我々は恐いもの知らずでしたから、恐れ多くもP.P.P.P.Contest (parcel post proxy peanut)小包・郵送・代理飛行・ピーナツツ・コンテストの開催を世界に向けて発信してしまいました。「で、どーすんの色んな飛行機が送られて来ちゃったら?」「何とかなるでしょ・・・たぶん」
そして昭和60年(1985年)8月13日、この日本においては歴史的な1ページとなった第1回庄内P.P.P.Pコンテスト(現在の名古屋ナッツ)に、何とピーナッツ・スケール生みの親(2人)からそのピーナッツ発祥当時の機体2機が送られて来たのです。その一人、ディーブ・ストットさんが昨日他界されました。彼はF.A.C.(フライング・エーセス・クラブ)を作り、スケール機が競技専用機と同じように楽しむことが出来るルール作りに40年近く携わって来ました。もちろん精力的にスケール機の図面も描き、多くの機体製作方法や飛行調整方法の記事も会報「F.A.Cクラブニュース」に残されています。
その当時の状況を書いたビル・ハンナン氏の「THIRTY YEARS OF PEANUT SCALE」にあるBACKGROUND (その歴史)から少し引用します。この記事は庄内100号記念誌に掲載されたものです。

THIRTY YEARS OF PEANUT SCALE  (Bill Hannan)  Jiro Sugimoto 訳

Background (その歴史)
 大小を問わずフライングスケールモデルの起源は1900年代の前半にさかのぼりますが、それらが人気の頂点に立ったのはおそらく1927年のチャールズ・リンドバーグによる壮大な大西洋横断飛行と、第二次世界大戦の間だと思われます。この時代に模型雑誌の売れ行きと、模型クラブ会員の増加は大変なものでした。大きなスポンサーのついたコンテストが各地で多く開かれ、また模型飛行機のキットメーカーは盛況を極めていました。
 とりわけアメリカ国内ではコメット、メゴウといったブランドの5~25セントで買う事のできる低価格なスティック アンド ティシュウ(バルサ骨組み紙張り)のキットに人気が集まりました。これらのキットは縮尺よりもむしろ主翼幅でグループ化されて売られているのが普通でした。そしていろいろな種類の機体が入手可能でした。 
 キットの内容は今日のものと比較しても実に豪華で、カラフルな紙箱の中身は印刷されたバルサシート、バルサの角材、機械加工によって整形されたバルサのプロペラ、紙張り用の色のついた紙(十分ではないけれど)、小さなチューブに入ったセルローズの接着剤(十分ではないけれど)、形作られたピアノ線のプロペラ・シャフト、真鍮製のスラスト・ワッシャー、ウインド・シールドとかキャビンに使うセルロイド、動力用ゴム、木製のスラスト・ボタン、堅い木のホイールなどでした。その時代の物価を調べてみると、ハリウッド映画の入場料は10セント、そしてフライング・エイセスの雑誌は15セントでした。
 これらの価格の時代は去ってしまいましたが、この黄金時代に作られたキットの甘い記憶は残っていました。1967年頃、コネチカット州に住む二人のモデラーがこれらのシンプルなフライングスケールモデルをよみがえらせようと決意したのです。ディーブ・ストットとロバート・サンズ・トンプソン、そして彼等の仲間達は、ザ・フライング・エイセスという名の厳しい規律を作らず楽しむことを主としたクラブを作りました。彼等はまた同名の会報を発行し、コンテスト結果、図面、実機の三面図、模型製作のヒントやちょっと変わった編集記事を載せていました。

 ストットとトンプソンは古いキットの図面をベースにした翼長1フィート(30センチ)のバルサ骨組み、紙張りのスケール機コンテストを思いついたのです。そして「ピーナッツ・スケール・イベント」と命名しました。この小さなスケール機の記念すべき最初の競技会では、12インチ・スパンのHoward Pete レーサーを飛ばした有名なモデラー、ヘンリー・ストラックが優勝しました。その後、古いキットの図面は翼長1フィートを越えるものが見つかり、1インチ(2.54センチ)の余裕を持たせて13インチ(33センチ)の翼長をピーナッツの規格と定めました。愛好者達は大きな模型図面を縮小したり、実機の3面図を拡大して13インチ・ピーナッツを作り始めたのです。やがてこの翼長規定に一番有利なアスペクト比が低く、翼面積の大きな実機を探すようになりました。その結果大きな翼面積を持つだけではなく上半角をつけなくても良く飛ぶファイク、レーシーといったホームビルト機が出現しました。 しかしそれらの機体がいつも勝つというわけではありませんでした。

 最初、ピーナッツ愛好家は少数派でした。そしてこの小さな模型飛行機は、大型機や高価な飛行機を作る人たちからは認知されていなかったのです。 この態度は彼等が展示されたかわいい機体、そしてその飛行の実力を目にした時変化したのです。 そして一般の見物人までも魅了しました。 
 ピーナッツのニュースはしばらくして敏感なフライト・マスターズ゛のクラブメンバーが住む西海岸にも届きました、そしてネバダ州へ、カナダへ、ゴム動力機をこよなく愛するイギリスへ。フランス、ポーランド、チェコスロバキアにおいてもベルギーやドイツと同様、喜んで受け入れられました。
 多くの場合、ピーナッツは一人か二人の愛好家、もしくは一つのクラブによって世界中に広がっていきました。オーストラリアではブルース・ケネウエルによって1970年の中頃、エアーボーン・マガジン誌に最初にこのピーナッツに関する記事を寄稿 したことによって始まり、ニュージーランドでも愛好者が増えていきました。日本では山田一郎氏によって初めて紹介され、その後内田昭一氏と庄内ピーナッツの仲間によって 国際的にもその工作技術が認知され ピーナッツ・スケールの躍進に貢献しました。

20101030a Dave Stott with Enrique Maltz 

20101030b

Jiro Sugimoto built this Peanut "Waco YKS-6" from Dave Stott's plan in 2002.

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上高地 その2

2010-10-29 | SNAP SHOTS

一月ぶりの上高地、紅葉シーズンも終わって平湯の駐車場も車が減り、ちょっと静かになりました。朝夕の寒さを感じる季節なのですが、穂高あたりは突然寒気が入り、いつ初冠雪になってもおかしくない時期ではあります。2泊4日の山歩きから帰った翌日、ライブカメラで見る穂高の山々には白いものが写っていました(初冠雪10月27日)。「涸沢」あたりの小屋閉めは11月3日頃だそうです。
梓川沿いではまだ所々で紅葉していましたが、その下の小径は落ち葉のジュウタンです。上高地から一気に11km上流の「横尾」まで歩きます。平坦な道ですから疲れはしませんが、背中の荷物はやはりチト重い・・・

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From Kamikochi to Yokoo

スタートが遅かったので今日はここで野営しましょう。立派なキャンプ場(一部河川敷!)ではありますが、徳沢と比べるとネ・・・ でも岩ゴロゴロの「涸沢」よりはネ・・・などと呟きながら平らな場所を探します。斜面で寝るといつもテントの隅へ勝手に移動しています。このMSRスキニー・シングル用テントは天井部分だけメッシュの2枚構造で内側が結露しても顔にはポタポタ落ちてきませんが、サイドは濡れ放題・・・斜面でズレてしまった顔が濡れ、あげくの果て服までびっしょり。夏だったら我慢も出来ますが秋にはもう危険です。そして、その日の気温は氷点下!睡眠時間は2時間でした、あんなにビール飲んだのに、寒さには勝てません!

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初日の豪華な夕食と最近やたら早くなった撤収作業。

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太陽が昇り、その熱を少しテントの中で感じる頃、すぐ横の橋を渡って「涸沢」に向かう登山者の声が聞こえて来ます。
まだ6時・・・いやもう6時、寒くて熟睡できなかったので、もう1時間シュラフの中で・・・今日は快晴みたいです。最初の予定ではここでもう1日テントを張って、空荷で「涸沢」周遊ピストンの予定でしたが、昨夜の寒さは尋常じゃありません!ここを撤収して今夜は素泊まり小屋泊と決めました。ゆっくり登っても最低3つの小屋にはたどり着けます、大丈夫・大丈夫・・・だからもう一度寝ます。

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20101020t  From Yokoo to Karasawa       

「涸沢」の紅葉はすっかり終わっていました、それと引き替えに静けさは取り戻していました。「涸沢ヒュッテ」は既に小屋閉めの準備に入っていましたからテラスの売店などは閉鎖、冬の10m近い雪の重圧に小屋が耐えられる様、この1週間で建物の外側をすべて板で覆い、室内は「筋交い」を入れます。

屏風岩近くの、ちょっと遅れて紅葉の木の下から「燃える様な赤」を・・・

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今度来る時は「釜トンネル」から歩いて真冬の上高地? そんな根性ボクには無いと思う・・・

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Barron Field Air Races 良い響きだ・・・・

2010-10-27 | PEANUT SCALE MODELS

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トム・ハルマンがコンテスト・ディレクターとなって多種目にわたる競技会を行っています。2日間でこれだけの種目をこなすのは大変だと思いますが、条件の良い会場と穏やかな天候さえ手に入れる事が出来れば可能なのでしょうか・・・
種目毎に計測の方法や条件を変え、ゴム重量の制限(機体重量の15%)を付けたりと、細かなルールを決めていますが、これもピーナッツだけと違って大型機中心の競技ですから飛び過ぎにも気を遣っています。
さて今年はどんなドラマが生まれたのかな?

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Chris Starleaf / Peanut Scale / Mitsubishi MU-2

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ところでChris Starleaf(クリス・スターリーフ)さんのピーナッツ三菱MU-2は飛んだのかしら・・・
製作の顛末はこちら
http://www.smallflyingartsforum.com/YaBB.pl?num=1234149927

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A century of flying wings 究極の無尾翼機サイト

2010-10-18 | PEANUT SCALE MODELS

やってくれるゼ!究極の無尾翼機サイト!

写真があってその上イラストなんかあったら、それはもう色の雰囲気とか読めて有り難いし・・・そして三面図なんか見つかったらもう完璧ダンゴ3姉妹!

このサイトで大量に描かれたイラストの色づけにどれ程の信憑性があるのか解りませんが、全くのデタラメでもなさそうでして、信じるものは・・・救われてみたい!
アーケオプテリクス・グランジャーのイラストもありますがその内容は・・・悲しいけどちょっと正確ではありませぬ クックッ!

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作ろうか迷っている時、後ろからそっと背中を押してくれる様な暖かさと優しさがありますヨ。いーえ、まだその気にはなってませんが!

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「こんな実機があったんだ!」なんて教えてくれるだけでも嬉しくなります。いくぞーっ・・・・って、まだその気にはなってませんが!

http://www.nuricom.de/10000/index.htm

http://www.nuricom.de/

Comments (2)
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Jodel the Knight ・・・Last chapter

2010-10-12 | PEANUT SCALE MODELS

Jodel the knight・・・Last chapter  ジョデル・最後の記憶

8月のワンデザイン・コンテスト終了後、ガン箱にずーっと居座ったヨーデルちゃんもそろそろ立ち退き、そこで安息の地(専用ボール箱)を作りました。これを機会にちょっと壁に当たって壊れたスピンナーとか、手を抜いた部分の修正作業を始めたらかなり大事。部品点数18!しかしその数ほどのインパクトは無し・・・まあ、ひっそり影に日向に、どこがどうなったのか解っても解らなくてもこの際細かいことはどうでも良し(愚痴)としましょう。胴体上面に小さなインテークとレバー、胴体下面にルーバーとオイル・クーラー、エンジンカバーの取付けボルトなどなどです。プロペラも木目模様は貼り直して毛羽立ち防止加工、スピンナーはパテ修正後に再塗装、もちろんエンジンカバーの黒も再塗装、黄色とのエッジは細い紙でシャープに、エンジンのインテーク・マニホールドは艶アリに、カム・カバーも磨き直し・・・

そこで、最後の記念写真を撮っておくことにしました。重心位置はちょっとノーズヘビーになったかも、でもゴムはまだどんどん長く出来ますから問題無しでしょう。垂直尾翼のタブはインドア飛行調整時のまま、これも実機にちょっと小さいものですが付いていましたのでそのままにしました(言い訳)・・・

まずはコンパクトカメラFuji 「FinePix F70EXR」 購入後、立て続けに山で3回落とす・・・それでも元気!

20101009c 20101009a FinePix F70EXR

続いてOlympus 「E-300 ED 14-42mm」 久しぶりの標準レンズ。使い始めは学習が必要・・・使い方、かなり忘れてます。

20101008a 20101008b Olympus E-300

続いてCanon 「EOS 40D  EF24-105 F4L IS USM」 光源が小さな蛍光灯1本ですからこの程度ですネ。

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20101007c Canon EOS 40D EF24-105 F4L IS USM 

最後にこの機体の会社名「JODEL」はスイス・アルプス地方の伝統的な音楽「ヨーデル」と同じなのですが、会社があるのはフランス・・・どーして? その謎が解けました。この会社名「JODEL」はヨーデル音楽とは全く関係なく、会社を興した2人の名前から取ったものです。「1946年に、エドゥアール・ジョリーとジーン・デルモンテスは、Challangesに「Jodel飛行機会社」を作る。名前は、JOLYの「JO」とDELEMONTEZの「DEL」から取って「JODEL」とする・・・
そのあたりの顛末はこちらに!

http://forum.pegase.tv/viewtopic.php?t=3884

そして日本語での「ヨーデル」もウイッキ先生によれば、英語では「Yodeling」、フランス語では「Yodel」、イタリア語では「Jodel」、オランダ語では「Jodelen」、と言うことは偶然イタリア語と日本語だけかぶってしまったの? 英語でYodeling Music of Switzerlandに出来なかったのは、ヨーデル発祥の地スイスでは人口の60パーセント以上がドイツ語を使うので「JODEL」となったのでしょうネ。

今頃になってこんな写真を見つけるともう1機作りたくなってしまいます・・・

20101010a

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Lattlesnake P51-D Mustang No.2

2010-10-06 | PEANUT SCALE MODELS

リブの順番さえ間違えなければ図面通りの主翼が完成します。主翼図面は半分だけしかありませんので、図面の上で組まないと落ち着かない性格の人はコピーで反転するか、透かしてトレースするか、くれぐれも同じ翼を2枚作らない様に・・・
各リブ後縁がかなり薄いので、このまま後縁材を接着してリブ形の「ながれ」でサンディングすると後縁材は強度不足になりかねない程の厚みとなってしまいます。対策としてはガセットで補強するか、あらかじめすべてのリブ後縁を2ミリ程カットしてしまうか、翼面積が!!!後縁材を2ミリ広くすれば?

後縁材を接着する時点でちょっと気にはなっていましたが、私の場合はそのままGO、最後にガセット追加です、これがないと紙貼りで神経使いそうでしたから。サンディング時にリブ後縁部分の数本は折れていました。後縁材の溝に入っているリブはへこんで段差が出来ていますが、紙を貼ってしまえば問題無しです。

20101003f 20101003b 

フィレット・パーツは後ろの部分だけがキットに入っています。これをそのまま削って接着するのも良し、ちょっと豪華にして接着するも良し、「胴体からフィレットを介して流れるように主翼へつながるラインこそ低翼機の見せ場」にはいつも悩みます。

20101003a 20101003c

ガラガラヘビは「Rattlesnake」・・・「Lattlesnake」って何か別の意味があるんでしょうか、今度聞いてみましょう。

チェスター・マックさんからの古い手紙の中にこんなモノが・・・

1974年12月23日、ロックウエル・インターナショナル社製のB1ボンバーが初飛行しました。彼は当時設計部門でコックピット・デザインを担当していました。その記念に送られた手紙と新聞の切り抜きです。新聞の裏側、「タワーリング・インフェルノ」の広告。ポール・ニューマン、ウイリアム・ホールデン、フェイ・ダナウェー・・・・・時を感じます。

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切手つながりで・・・C.E.R.V.I.A.のJacques CARTIGNYさんもクラブ・ニュースを送ってくれる時は、航空機関係の切手が貼ってあります。ちょっとした心遣いなんですが、こんなのが嬉しいんですね・・・

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「不吉な予感」はこの際しない!

2010-10-03 | PEANUT SCALE MODELS

現在製作中のマスタングつながりで・・・
久しぶりにグレン・キャンベルお兄さんから、タイミングを見計らったかのようなメールです。
今年のリノ・エアーレースでの出来事。
Pilot walks away from dramatic crash at Reno-Stead Airport
でもこれほどの事故にしてはパイロットが無事で良かったですネ。
ところで胴体・・・耐震強度偽装? 私の機体、いっそこの塗装にしようかしら・・・

http://www.mynews4.com/story.php?id=28178&n=122

20101002a 使用前

20101002b 20101002c

20101002d 20101002e 使用後

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