Peanut scale.....fly above the rest!

伝説のピーナッツ・スケール
原始的?もしかしてハイテク?な、ゴム動力スケールモデル

F21 Moustique ⅡFarman・・・・

2011-08-28 | PEANUT SCALE MODELS

ファルマン・・・って、模型には向かない?

フランス人の好きな機体、日本で初めて飛行した機体、所沢にはその名を付けた商店街まである・・・
1907年フランス航空界のパイオニア、ヴォアザン兄弟の機体を購入したのがきっかけで、後に多くの機体を弟モーリス・ファルマンと共にフランスの航空機産業が国有化される1936年迄に200種近い航空機を開発製作したファルマン。
ピーナッツ・スケールにも数多くのファルマンが図面化されていますが、ほとんどの機種において水平尾翼の面積が10~20%が大きく描かれています。これは実機が如何に小さな尾翼容積で作られているかを物語っていますが、よくまあこんな小さな尾翼で飛んでましたネ!って感じの機体が一般的です。

一組の図面、実機写真、三面図等がフランスのロジェ・エメさんから送られてきました。見たことあるような、無いような。いかにも飛びそうで、それでいて調整は難しそうな・・・

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ねぇねぇ見ました三面図の水平尾翼? 垂直が小さいことは言うまでもありませんが。くくっ・・・あの2年前ジャビれなかった「ファルマン・ジャビル」を嫌でも思い出しちゃいますネ。本人(本機)に自立安定の自覚が無く?、右旋回させたい製作者の欲望と、「俺は左へ飛ぶゼ!(たぶん)」という強引な機体の意地がぶつかり合って、結果ヘロヘロ飛行しか出来なかったあの機体は、特別清算事業団?行きの予定でしたが、製作者が折れて左旋回にすればもしかすると「日の目を見る」可能性もあることが解り、2年間放置後!現在細部の化粧直しに入りました。
話を戻します・・・今回の図面実は昨年末に届いていました。まだジャビル症候群が残っていたのか、「ファルマン?」そして「この尾翼?」を見た時、そーっと引き出しの中、それも奥の方へ引き込まれて行きました、ま、自分で引き込んだんですが。
しかし、最近になってもしですよ「アレ、どうなった?」ってロジェさんから聞かれたどうしよう!って小心な僕は恐怖心を持つようになってしまったのであります。

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図面は「ご指名」ですから名誉なことですし、やまびこナッツも終わった事ですし、今なら惰性で1機くらい作れそうですし、そろそろバルサに触りたくなって来た頃だから、アンザニ3気筒のエンジンもネットで何か良い写真でも見つかれば、スイスイと完成出来そうな予感・・・

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それなら、いざ! 軌道に乗って主翼、尾翼、胴体と進んだ3日目、ロジェさんからメール。

20110824i

「今、何作ってる?」
「セーーーーーフ!」でありました、フーッ。

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Anzani 3cyl Air cooled engine

2011-08-26 | PEANUT SCALE MODELS

アンザニ3気筒エンジン

ある日、次期戦闘機ファルマンに搭載のアンザニ・エンジンについて検索中・・・ベランカ・モノプレーンにヒット!かなりの写真がありそうな予感!

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ベランカも1911年当時はこんな機体作ってたんだ、何処かが何かに似ていそうで、何処も同じところが無い不思議。
そして肝心のエンジンは?

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アレッ・・・アレッ・・・何処かで見たような・・・

最近ですよこれ見たの・・・しかもやまびこドームでは20ヶ以上・・・うーん思い出せない・・・

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このCradle of Aviation Museum  http://www.williammaloney.com/Aviation/CradleOfAviationMuseum/index.htm 

には、このベランカの他にブレリオも展示されていますが、そちらは正真正銘のアンザニっぽい。そうなるとベランカの方はローレンスが代用となったのでしょうか・・・

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Fireworks display of Lake Suwa

2011-08-23 | SNAP SHOTS

The Lake Suwa Fireworks Display Festival held on August 15 every year is one of the major fireworks displays in Japan. It started in 1949 as the anniversary commemorating the end of World War II. The festival starts with silent prayer for the victims of the 2011 off the Pacific coast of Tohoku Earthquake at 7:00 PM. Over 40.000 fireworks are launched from the launching pads built on the lake including Hatsushima Islet. The spectator became nearly 500,000 people.

この迫力は何だ! その音響は周りの山に木霊し、巨大スピーカーと化した湖畔を時間差で揺るがす。地鳴りの様な振動と七色の光の競演、パーキングの車もその振動でセキュリティー・アラームが鳴り出す程。諏訪湖花火大会の臨場感をたっぷりと堪能することが出来ました。

この花火大会をまだご覧になっていない方、是非一度お出かけください。車、電車、徒歩、おそらくどんな手段でも混みます、しかし一度見る価値はありますネ ( 諏訪市役所観光案内)

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哀愁のボアザン・・・時間が欲しい!

2011-08-21 | PEANUT SCALE MODELS

掟破りの主翼組み立て法
時間が無い!そう思い始めたのは8月に入って未だ左右バラバラ4枚の主翼と、胴体への接合方法が決まっていない頃。
そんな難しく考えなくてもプレシュリンク、塗装済みの紙は既に貼り終わってシワも取ってあるから、後はサクサク左右の主翼を接合して適当に支柱を作ったら空中ジグで2枚の翼を複葉化すれば簡単。

しかし今回6機目となるボアザンには上反角は付けない、車内に置いておくと熱射病で主翼が反って来る症状を何とか防ぐ、何としても初飛行で1分飛ばす、壊さない・・・

悩んでいても進まない、時間的制約もありここは変則主翼組立法で済ます事にしました。そもそも複葉の場合上下の翼が迎角がどうの角差がどうの、という話になりますがここは素直に全部ゼロ!翼端捻り下げは上翼のエルロンで代用、左右別々に組み上げた翼を合体、その後上下翼の上下面を紙貼りして何事も無かった様にする・・・
ちと冒険気味ですが左右別々に仕事を始めました。

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マグネットを使って胴体の両側からこの主翼ユニットをサンドイッチする。収納箱の小型化は出来るけど無理、仕事が増えて重量も増える!この機体はかなり大柄なので、前々作はマグネットを使って主翼全体を取り外せる様にしたのですが、今回それをする時間的余裕も無いので、いざという時には胴体8カ所のバルサにカッターで切り込みを入れれば簡単に外せるよう中央支柱を胴体幅より少し広く接着しておきます。

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飛ばしやすい重心位置や、旋回させるための先尾翼ラダー角度や、翼端エルロンの跳ね上げ角度や、その左右の角差や、最近めっきり使わなくなってしまったヘビー級のゴム幅や、壊さない先尾翼の固定方法や、この機体に関する「飛ばすための色々な掟」はうっすら記憶に残っています。それを少しずつですが掘り起こして最初に手から離れる時、奈落の底方向へ飛ばないよう「やまびこドーム」で一発勝負をかけます。

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それにしてもこの重さを見た時興奮しましたが・・・最後に10グラムを越えてしまうとは!

8グラムだったら2分コースでしょ?

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Art of Peanut Alco from Israel

2011-08-07 | PEANUT SCALE MODELS

デーブ・ストットさんのメモリアルだからどんなことをしても参加したい・・・ってことでイスラエルのエンリケ・マルツさんのアルコ・スポーツが日本に到着しました。もしあの3月11日の悲劇が起こらなければ、彼はこの夏日本に2週間居座って「半仕半遊」の楽しい時間を過ごす予定でした。しかし彼の体調を考えると現在の日本の状況はあまりにも危険が大きく、医者からの忠告もあり来日を断念せざるを得なくなりました。自国でのんびりバケーションを過ごす事しか出来なくなった彼にとっては悔しい結末となってしまいましたが、松本ドームでの飛行を想像しながら機体だけが日本へ届いた訳です。

一応最初の「ツカミ」は合格ですネ!

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しかしです、私のイメージではちょっと小さいゾ、箱・・・

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箱の角が少しつぶれていましたから、おそらくその衝撃で尾翼がはずれたのではと思われます。

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どんな修理も、十年以上昔、あのマイアミからの集団移送「モスボックス事件」、あの時は確か4機程機体が入っていて3機はつぶれていました、その中の1機は紙貼り途中・・・「時間が無かった、スマン、あとはお願い!」状態でした。大会前日の早朝までかかって紙貼りした事を覚えています。あの時と比べればこれは修理のうちに入らない程度です。

ローレンスのエンジンはかなり精巧に作られていました。プロペラ・ブレードのセッティングはパイプに竹ひごを押し込む可変仕様になっいましたが、ブレード自体の強度が無いんです・・・

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そこでブレードは後縁直線仕様の物に変更する事にしました、勝手に!

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そして何事も無かった様に修復完成です。

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Final assembly of Voisin Hydro

2011-08-05 | PEANUT SCALE MODELS

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「小さな努力で大きな効果」なんてものは期待しちゃいけない!
たった0.05gのために爆発の危険を顧みず、命をかけて立ち向かう事が軽量化につながる・・・って、たいそうな文章だナ。シリンダーの裏側をリューターでグリグリしただけですが・・・

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どうやってエンジンをプロペラ後方に接着したか?

ゴム系接着剤でエンジンを仮付けしたら、中央部分に乗せてシャフトを手で回しながら微妙に位置をずらして、シリンダーのフィンの1枚1枚が真円に見えるようになったら、プロペラハブとの接点を瞬間で接着します。実にローテクで目も回りますが治具を作ってまでする程の仕事じゃありませんネ。すべてのパーツを組み上げてみました。とっても迫力あります、重量もあります!

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The deadline to Shonai contest!

2011-08-03 | PEANUT SCALE MODELS

この先、日本は一体どーなるんだろう・・・って沈んでいた4月、いつも程真剣に遊べなかった様な気がする連休の5月、知らないうちに過ぎた6月、嘘だろもう梅雨明け!の7月、そしていつの間にか8月・・・
この機に及んでもエンジンやパイロットや小物を作る毎日、そろそろ合体しないとカタチにならないけど何かを忘れているようで、その勇気が無いまま「墜落大破状態」で散乱しています。でもタイムリミットが迫ってますネ・・・
のんびりエンジンなんか作ってるバヤイか、ん?
半分乾燥してしまった紙粘土を再度溶解させて「型どり」する午前2時、朝まで放っておけば良いものを冷凍室に入れて待つ事30分、インスタントのシリンダーは夜が明けるまでに14個完成。それから剃刀で整形したら「2コイチ」作業を繰り返し、ニワトリが鳴く頃眠りにつく・・・ でも最近やかましいのはカラスだよネ。

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そして今朝、イスラエルからアルコが到着。

仕事が増えた・・・

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Nostalgic cover art of Harold Stevenson

2011-08-01 | PEANUT SCALE MODELS

僕らは模型雑誌の表紙に心ときめかせた・・・・

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毎月本屋に並ぶ模型雑誌、少年時代にはかなり買い込んで読みふけっていました。学校の教科書もコレくらい熟読していれば、成績もよろしかったのでしょうが、残念ながらそれは次元の違うお話でして、今は触れないことに・・・
それから数十年、何でもとは言わないけれど欲しい物がそれなりに自由に手に入る様になって、当時発売されたアメリカの模型雑誌やキットにもピーナッツ・スケールの原点があるような気がして興味を持ちました。それらの表紙はその頃の日本とは国力の差がはっきり見て取れる物もあったのですが、模型マニアにとってそれはそれは心ときめくものでした。1950年代からの10年間、アメリカの模型界は一番華やかで良い時代だったかもしれません。そんな時代に雑誌の表紙を描いていた一人の画家がハロルド・スティーブンソンです。彼の絵は模型マニアの心をしっかりとらえ、その心情も良く理解しユーモラスに描かれたものが多くあります。その理由として自らが有名なコントロール・ライン(Uコン機)の選手であった事です。もちろん模型図面やイラストなども多く残っています。そんな彼の表紙からどこかノーマン・ロックウエルを思い起しませんか?これも至極当然、最近になってハロルドは彼に師事していたことを知りました。

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ここに発表されたハロルドの記述はSFA(Small Flying Arts)のフォーラムから引用したもので、彼の多くの表紙画を見ることが出来ます。写真はアンドレ・ペティトさんがAMAの模型ミュージアムで撮影したものを使いました。

http://www.smallflyingartsforum.com/YaBB.pl?num=1304392946/0

ハロルド・ランサム・スティーブンソン 1924-1985

ハロルドは1924 年にニューヨークのブルックリンに生まれ。彼は第二次大戦中、アメリカ海軍の広範囲にわたる行動を見て育ちました。1948 年ニューヨークの芸術専攻学生リーグに入学します。そこでの指導者の一人がノーマン ・ ロックウェルだったのです。彼はノーマンに師事し有能な5人の学生の一人に選ばれ、そのグループはノーマンと一緒にバーモント州ウエスト・アーリントンで勉強、そしてハロルドが家に帰ることを余儀なくされる迄の数ヶ月間ノーマンから学習を受けました。この時代、彼は雑誌「フライング・モデルズ」「エアー・トレイルズ」「ホビーズ・フォー・ヤングマン」「アメリカン・モデラー」「エアー・プログレス」等の表紙を40以上描いています。彼はコントロールラインの機体を飛ばしていましたが、彼のデザインした10機の図面も雑誌「フライング・モデルズ」と「アメリカン・モデラー」に発表されました。
1960年にハロルドは彼の持つ時間の全てを絵画に使う目的でイラストを描く世界から去りました。この時点でロングアイランド州シークリフにある自宅に、伝統的な絵画のスティーブンソン・アカデミーを設立しました。1965年、仲間のアルマ・ガラノスと結婚、そして1985年彼が亡くなる迄ここで美術を教え続けました。その学生の中にアッティラ・ヘジャがいました。彼は後にこの「スティーブンソン アカデミー オブ ファイン アーツ」のデレクターとなります。彼は2007年亡くなる迄、NASA(アメリカ航空宇宙局)やアメリカ空軍の公式画家でもありました。

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http://www.antonnews.com/oysterbayenterprisepilot/2007/09/07/obituaries/

http://www.chipana.com/attila_hejja.html

http://www.artrenewal.org/pages/atelier.php?atelierid=103

どこかで飛行機つながり・・・広くて狭い世界・・・

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竹ひごを曲げる時、ロウソクを入れた空き缶の曲面にあてる事を知らなかった時代。エンヤ09エンジンのプラグNo.3がいくつも買えなかった時代。コンプレッサーも無く、ハケ塗りでがんばった時代。みんな僕の中ではあの頃のまま輝いている・・・

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