Peanut scale.....fly above the rest!

伝説のピーナッツ・スケール
原始的?もしかしてハイテク?な、ゴム動力スケールモデル

真面目にLederlin 380L"Flying Flea" 再開編 No.11

2017-05-28 | PEANUT SCALE MODELS



 「ガラスのサイズを決めないと決まらない、黒のダッシュ・ボード・・・」(経験値ではムリ!)






薄々予想はしてましたよ、だってマイアミからでしょ? 
ジョージさんとFBで知り合いにならなかったら、ずっとフロリダの太陽の下で余生を過ごすことができたのに・・・とか、もう一度で修理してもらって大空に羽ばたくんだ! とか、色々思いは尽きないんでしょうが。


ええっ!だれっ君?





てっきりドルニエちゃんかな?とか考えていました。でも彼女は確かコンデンサー仕様だった記憶がありますから残っていたとしても骨だけかもしれません。同時期に作った同じ機体はもう10年以上前にコンデンサー・ペーパーを貼った糊が虫に食われてしまい生地完?になってましたので処分いたしました。





フォーカーツSK-3ですね、1枚の手紙が添えられていました。

「あなたの飛行がFB上で見ることが出来て幸せです、そしてFBは世界を知るのにすばらしい方法です。これはあなたのフォーカーツです。長い間返却しなくてごめんなさい。ドクター・マーチンさんが亡くなられた後に私が保管していました。この箱に入っていましたがノーズ・ソケットが無くなっていたので私の父親がノーズとプロペラを作ってくれました。しかし、これで飛行はさせていませんので、もう一度あなたのお手で飛ばしてあげてください。ジョージ・ヌニェス マイアミ」

ふーーん・・・わざわざ送り返してくれるなんて良い人や。それにしてもこのフォーカーツ君、見た目かなり荒れていますが骨太なのか骨折などの形跡はなくお元気そうです。いつごろ作った物なのかはっきりしませんので、彼にこの機体の競技参加データが残っているか問い合わせてみましたところ、送られてきた会報ハンガー・パイロットの表紙と競技結果を見ると恐らく1987-8年ごろだと思われます。

















この国際競技は1984年頃から始まっていますので、その1年後位にマイアミに送った機体と思われます。ドルニエちゃんはそれ以前に送ってあり、現在使用中のガン箱に当時のプレートが貼り付けてあります。








二度と会うことなどなかったかもしれないフォーカーツ君ですが、折角ですから一度体力測定しなくちゃいけませんね。






と、一件落着したら今度はチェコのグレゴブスキーさんから「住所教えてくれっ!」って、次は何、何、なにっ????


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真面目にLederlin 380L"Flying Flea" 再開編 No.10

2017-05-25 | PEANUT SCALE MODELS




 嗚呼 一日を何処へ運ぼうか
 未だ知らぬ先の日へ暦を先取るため







コピー紙で作る型紙は出来上がった機体に合わせて調整しながら何枚も作らないと。
よく図面上に展開図なんか出てますが、あれは参考になる程度でそのまま切り抜いて一発で決まることなんかありましぇーん!(経験談)



今から30年前と言えば今年が2017年ですから1987年、みんなキャピキャピ(死語)の頃です。
で、もうそのころピーナッツは始めてました、思えば一番楽しくて怖いもの知らずで何でも出来た時代です。

今年Facebookで友人となったフロリダ在住のジョージ・ヌニェス(George Nunez)さん。実はさかのぼる事30年前お付き合いがありました。もうそんな古い話、記憶もさだかじゃないしどうでもよい事なんですが、フロリダ州マイアミのインドア・ピーナッツ・グループで歯医者さんのドクター・マーチンさん率いるM.I.A.M.A(マイアミ・インドア・エアークラフト・モデル・アソシエーション)のメンバーでした。
クラブの会報「ハンガー・パイロット」はこの頃地味に有名でして、マイアミのピーナッツやピスタチオの活動を世界に発信していました。当時の競技参加方法で、実際に機体を送って代理飛行してもらうコンテストなんかすると色々なところから参加があり、かなり賑やかでした。ですからその勢いはルール(競技規定)にも反映されて「マイアミ・ルール」なる特別な規定を作ってしまったほどです。それをやっちゃうくらいパワーがあったんでしょうね・・・


で、話は戻ってジョージさんですが、ビル・ハンナンさんの雑誌のコラムに彼の機体が時々登場していました。マイアミのインドア・グループの機体としてはスケール感がハンナじゃなく、どちらかと言うとこってり系の手の込んだ機体が多かった記憶です。当時個人的にブラシを吹くときのマスキングには何を使っているか?という話になり、絵画用の幅広マスク・シートを紹介されて使ったことがあります。しかしこれは接着力が強すぎて紙を痛める恐れがあるので、一般的な模造紙(30kg)に薄くスプレーボンド(3M55)を吹いたものを好きなサイズに切りとって使っていました。サンプルとして当時使っていたその紙を彼に送ったことがあります。自動車好きで古いアルファ・ロメオやポルシェなど数台をガレージに並べた写真なども探せば出てきます。


そのジョージさんから、「現在のあなたの住所を教えて欲しい・・・」というメールが来たのは4月のはじめ、今も続いている車の趣味で不要になったポルシェなんか送られてきたら? ないか、それは。


で、話はマイアミに戻って、あれだけ隆盛を極めていたM.I.A.M.Aでしたが、ジョン・マーチンさんが亡くなられてからはガタガタと崩れるように活動は止まってしまいました。会報を一人で作り、コンテストを仕切ってきたドクターの存在はとても大きかったのだと思います。その後を引き受けるメンバーも無く、親友のリンちゃん(デーブ・リンストラム)もフロリダからラスベガスに女性がらみで移住しちゃうし、後が続きませんでした。しかしドクターが一番元気だった1980年代は国際競技として毎年代理飛行コンテストが行われ、今思えば良き時代だったと思います。当時私も数機の機体を日本からマイアミに送りましたが、彼の死後それらはどうなってしまったのか? 返送料も馬鹿にならなかった時代ですから、競技終了後に機体返還は不要としておきましたから、まあそれが何処にあろうが気にもせずいたのです・・・


で、やっと本題!
彼から来てしまったのです!何かが・・・・







(続く)
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真面目にLederlin 380L"Flying Flea" 再開編 No.9

2017-05-23 | PEANUT SCALE MODELS



嗚呼 一日を何処へ運ぼうか
過ぎ去りし過去の日へ暦を直すため


近頃「真面目に・・・」なんて言えなくなってしまいました、連休のせいで、連休のせいですか?
4月からGWにかけてはそれなりに仕事も遊びも飽和状態、気候が良くなるとどうしてもお外で遊ぶのが楽しくなってしまいます、でもGWは自重しておりましたよ。
休みが明けたらパアーッと弾ける予定がちょっと仕事で足止めをくらい、それが済んだらと思った矢先に最悪の風邪・・・(それも誰でも引ける風邪、しかも極悪)
永い人生こんな年もあるんでしょう、2017年後半は色々良い事ありますように・・・・ってことはもう今年も半分過ぎてしまうのね!





くそレダーリン、いやプーちゃんも忘れた頃に少しづつですが進んでいます。最近ドカッと進展することは皆無、この細切れ加減がとても体調にに宜しくて。何処が宜しいのかと申しますと、先ずいつでもブレーキかけるのが簡単。そんなに進んでいませんから今夜上手く行かなかったら始めたところまで戻して後片付けし、何も無かったことにします。明日になればもっと良い方法が見つかることもあります。たとえ見つからなくても一度練習したことになりますから前夜より少しはマシになることもあります。それにたとえ少し進んだとしてもパーツを作った時点で終了とし、翌日それで満足なら取り付ける作業に進みます。
フロント・ウインドウが付かないのは訳がありまして、前翼の取り付け角度を調整するリンク機構を思案中なのであります。もう固まってはいますが材料で苦戦かな?
まあ、そんな作り方してますから枯葉マークのドライバー並にスローペースが自慢?です。でも突然スイッチが入ると追い越しかけます、ハイ。

4月って記念すべきことが色々ありました。
30年もピーナッツ作ってると色々な物や記憶や残像が蓄積されて、どうでもいいことがそれでは済まなくなったり、かなり貴重だと思っていることが記憶の彼方へ飛んでいって戻ってこなかったり、10年周期で作り方や調整の良し悪しが微妙にずれていったり、1年目のピーナッツ屋さんと比べればそれ相応にゴミも貯まれば在庫も貯まる。1年目で自分にこの趣味は向かないと結論が出たら、きれいさっぱり洗い流すのに時間も苦痛もあまりございませんが、それが30年を超えるといろいな物(材料とか、工具とか、資料とかその他もろもろ)に根が張ってきましてね、かなりのパワーを使わないと動かすことができなくなってきます。根が張ってその上に塗料染み込ませた状態になってしまっている場合もあります、かなり強力で手強いことになります。

世界最大の会員数を持つFacebookは色々面倒な問題もありますが、旧知の友に引き合わせてくれることもあります。30年前と比べれば信じられないくらいの速度でコミュニケーションが可能となった今、昔の友人であった人の中にも文通が途絶えてしまい、いつしか忘れ去られてしまった人も多くいます。そんな人達との出会いがあったりして当時を思い出すこともあります。

伝説のレーシーM10を最初にピーナッツの世界に持ち込んだブッチ・ハッドランドさんの息子さんマイク・ハッドランドさん。
マイアミ・ハンガー・パイロット孤高の画家ミラード・ウエルズさんの息子さんのロバート・ウエルズさん。
ピーナッツ・プロフェッサー、ウオルト・ムーニーさんの息子さん、ダグラス・ムーニーさんとカーチス・ムーニーさん。
初代ペック・ポリマー女番長、いろいろお世話になったサンディー・ペックさん。
FACの大型機では一世を風靡したマラソン・マンで航空管制官のクリス・スターリーフさん。
細いけど確かなライン、絵心のあるパイロット、一味違うピーナッツ図面「Contester」、なんと本業は画家ですか!のデューク・ホーンさん。
サンタフェの怪人、私設航空関係の図書館作りに情熱を燃やすデビット・ワグナーさん。
庄内創生期からのお付き合い、昔はシカゴ、今香港、弥生ちゃんいくつになったんだろ・・・のグレン・キャンベルさん。
もう一人アデレードからピスタチオ機を送ってきてくれた現在オーストラリアF1D代表のティム・ヘイワード・ブラウンさん。
名古屋で一緒に食べた寿司が忘れられないフランク・ローサムさん。
パソコン図面がまだ珍しかった頃、矢継ぎ早に新作図面をFACクラブ・ニュースに登場させたデビィット・リブセイさん。
何してたんだ!チェコの星、自転車友達みたいなロバート・パジャスさん。
ポルトガルからダクトMIG15を作ったプロ・カメラマン、ルイス・フローレンティーノさん。





いやいやまだまだ一杯出てきそうですが、そんな旧知の友人だけではなくピーナッツを通じてまったく新しい出会いも生まれます。
4月のある日、FBを通じて「今度名古屋に行くから会って頂けますか?」スエーデンからの使者ヨハン(Johan Myhrman)さんは、昔名古屋に住んでいたことがあるスエーデン人。彼の友人で同じくピーナッツを始めたジョン(John O'Reilly)さんと一緒に行きますとのこと。
そして歓談となりましたが、1回聴いただけで理解できる程甘くない複雑な関係?





名古屋に住んでいたスエーデン人ヨハンさんと、岐阜県に住むオーストラリア人のジョンさんは十数年前、名古屋市名東区の模型店で知り合います。お二人ともプラモデル・マニアでした。その後、ヨハンさんは母国スエーデンに帰り、その後もお二人の文通は続いたそうです。現在ではネット環境がありますから便利ですが、昔はかなり根性必要です。ところがある日プラモデルからピーナッツに変身する日が訪れます。ヨハンさんはソニー・エリクソンの社員で年数回本社のある日本に出張。今回も家族同伴での来日が決まり、久しぶりに岐阜県人のジョンさんと一緒に会うことになったわけでございます。ピーナッツを始めたばかりのJohan Myhrmanさん(左)とJohn O'Reillyさん(右)。

小さなプラモデル・キットの箱を介してスカンジナビアとオーストラリアの人が繋がって、そこに日本人が紙とバルサで割り込むともう場所がどうとか、国がどうとかなんてどうでも良くなります。


(続く)





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