んとに、またも何を今更・・
やっとユニクロに行ってきました。
さすがに先週は混んでいると思いましたのでね。
その代わり売れ筋のもので色など品薄もあったのでは?
目的はヒートテックの靴下。
どげなもんじゃろう?と。
はは、暖かい。
ウワサは本当じゃった。
冷え性には助かりそうです。
○
で、ここ数回、いつもどおり何を言いたいんだか、
「何を言うかはっきりさせることが肝心」という文で
これですからねえ。
さっさと切り上げましょう。
99年出版、かの有名な『分数が出来ない大学生』から。
浪川幸彦教授が「最近の学生は」と嘆いておられます。
大学一年生への授業を久しぶりに担当し、張り切って
開始したところ突然一人の学生が手をあげ
「先生、この授業何をしてるか分かりません」
こんな趣旨のことを叫んだというのですね。
それが92年春。
この頃すでに学生の学力劣化が目立っていたということ
です。
同じ本で、岡部恒治教授は大学側の問題として
91年の「大学設置基準の大綱化」による教育体制の
無責任化を指摘されていますが、もちろんそれだけが
原因ではありません。
学生や社会の変化が行政にバイアスをかけているという
面があるのですから。
○
このころの大学生は、小学校以来どういう教育を受けて
いたか。
文部省の学習指導要領の劇的な改正があったのが80年
いわゆる「ゆとり教育」が始まったのです。
その子達がどんどん大学にやってきはじめていた。
大学の先生方はまずそれを疑ったでしょう。
もちろん大きな原因の一つであったことに間違いは
ありません。
でも、それだけで劣化したのではないハズです。
○
強引ですが料理の世界。
フジテレビで『料理の鉄人』が始まったのが93年
(当初、素人が何十人も出てという頃はダメでしたが
陳、石鍋、道場はすごかった。
そのうち看板にいつわりあり、というか事前の準備
が目立つようになって熱が冷めました)
あのころはまだ景気が良かった。
グルメ全盛でしたね。
ただし、料理本は写真と丁寧なレシピで埋まり
辰巳さんの名著など読まれなくなった。。。
同じころ大人がすでに変わっていたのです。
教育でも(・・強引だね)
先生がすでに変わっていた。
指導要領変更だけではなかろう、と実感する次第です。
○
変わるのは悪いことばかりではありません。
機器の進歩。
ガリ版→リソグラフ→pc→ウェブ
どんどんと便利になりました。
利用しないテはありません。
それは良いのです。
勉強システムも新しいものが浮かんでは消え
流行っては捨たり・・
全体としてマニュアル化がすすみ、そのとおりに
しておけば上手になると。
見方を変えれば受身の指示待ち教師増産です。
自分で考えることが出来なくなっちゃった。
結局誰が儲け、誰が被害を受けたんだか。
こちらが問題。
数千年かけての検証を耐えて完成した勉学の姿勢を
もういちど評価しなければなりません。
いま自然発生的に全国で「教えないこと」が
増えている理由ですね。
○
教えない、とか寺子屋とかいうとすぐに漢文の
素読などの古臭いイメージを抱かれます。
そうではなくて、相手を見ながら不要なものを削って
対応してゆくと「教えない」に行き着くのです。
◎
ユニクロに頼るだけでなく運動しなくちゃ。
やっとユニクロに行ってきました。
さすがに先週は混んでいると思いましたのでね。
その代わり売れ筋のもので色など品薄もあったのでは?
目的はヒートテックの靴下。
どげなもんじゃろう?と。
はは、暖かい。
ウワサは本当じゃった。
冷え性には助かりそうです。
○
で、ここ数回、いつもどおり何を言いたいんだか、
「何を言うかはっきりさせることが肝心」という文で
これですからねえ。
さっさと切り上げましょう。
99年出版、かの有名な『分数が出来ない大学生』から。
浪川幸彦教授が「最近の学生は」と嘆いておられます。
大学一年生への授業を久しぶりに担当し、張り切って
開始したところ突然一人の学生が手をあげ
「先生、この授業何をしてるか分かりません」
こんな趣旨のことを叫んだというのですね。
それが92年春。
この頃すでに学生の学力劣化が目立っていたということ
です。
同じ本で、岡部恒治教授は大学側の問題として
91年の「大学設置基準の大綱化」による教育体制の
無責任化を指摘されていますが、もちろんそれだけが
原因ではありません。
学生や社会の変化が行政にバイアスをかけているという
面があるのですから。
○
このころの大学生は、小学校以来どういう教育を受けて
いたか。
文部省の学習指導要領の劇的な改正があったのが80年
いわゆる「ゆとり教育」が始まったのです。
その子達がどんどん大学にやってきはじめていた。
大学の先生方はまずそれを疑ったでしょう。
もちろん大きな原因の一つであったことに間違いは
ありません。
でも、それだけで劣化したのではないハズです。
○
強引ですが料理の世界。
フジテレビで『料理の鉄人』が始まったのが93年
(当初、素人が何十人も出てという頃はダメでしたが
陳、石鍋、道場はすごかった。
そのうち看板にいつわりあり、というか事前の準備
が目立つようになって熱が冷めました)
あのころはまだ景気が良かった。
グルメ全盛でしたね。
ただし、料理本は写真と丁寧なレシピで埋まり
辰巳さんの名著など読まれなくなった。。。
同じころ大人がすでに変わっていたのです。
教育でも(・・強引だね)
先生がすでに変わっていた。
指導要領変更だけではなかろう、と実感する次第です。
○
変わるのは悪いことばかりではありません。
機器の進歩。
ガリ版→リソグラフ→pc→ウェブ
どんどんと便利になりました。
利用しないテはありません。
それは良いのです。
勉強システムも新しいものが浮かんでは消え
流行っては捨たり・・
全体としてマニュアル化がすすみ、そのとおりに
しておけば上手になると。
見方を変えれば受身の指示待ち教師増産です。
自分で考えることが出来なくなっちゃった。
結局誰が儲け、誰が被害を受けたんだか。
こちらが問題。
数千年かけての検証を耐えて完成した勉学の姿勢を
もういちど評価しなければなりません。
いま自然発生的に全国で「教えないこと」が
増えている理由ですね。
○
教えない、とか寺子屋とかいうとすぐに漢文の
素読などの古臭いイメージを抱かれます。
そうではなくて、相手を見ながら不要なものを削って
対応してゆくと「教えない」に行き着くのです。
◎
ユニクロに頼るだけでなく運動しなくちゃ。