尾道ラーメン

2009-08-22 11:03:45 | 塾あれこれ
尾道といえばラーメン。。。
らしいが、ここ十年くらいでしょうかねえ。
今は町中に赤いノボリが目立ちます。

写真は分りづらいですが有名な朱華園に並ぶ行列です。
お盆のカンカン照りの中じっと待っておられますが
この後、熱いラーメンを食べるのでしょうか。
グルメとしては冷たいのは頼みにくいでしょうね。

実は私いまひとつ朱華園は評価できません。
母もそう言ってました。

まだ「つたふじ」でしょう。
ただしオヤジは感じ悪い=あの、尾道特有の。

このところ頂いていませんが味は変わっていない
でしょうねえ、ね、オヤジ!

何で尾道まで来てラーメン?
全国どこでも旨いラーメンはあるでしょうに。
折角旅行したのならその土地らしいものを食べたい
とは思わないのでしょうか。

とはいえ宮徳のぬく寿司じゃ夏は暑いしね。

ラーメンだって土地の味がある、瀬戸内の小魚で出汁
と言いますが、よくわからんのですよ。
味にどれほど効いているか。
サンマ節の方が大きかったりしてねえ。


土地の味はそこに住んで気候風土が身に沁みて
初めて分るものです。
ふらりと味の旅、では本当のところは分からない。

人生とは自分ひとりだけのもので他人には分らない
のとよく似ています。
実は自分が住むところの味しか分らないようです。

どちらがよい悪いという話じゃありません。

ところが都会から来た人には勘違いをする人が
結構おられるようです。
私だって広島より田舎へ行けば似たようなもの
でしょうけれど。

評論家専門家の類がご自分の味覚は絶対だと思い込ん
でいるのは仕方ありません。
そう思わなきゃ出来ない仕事で、神経が太いから
そんなことが出来ているのですから。

一般の人はもう少し相対的な認識を持って欲しいね。

都会には旨い店が沢山あるぞ、食ってるぞ
全国いろいろ歩いたぞ、よく知ってるぞ
・・っていう人が多いのですね。

朱華園を評価するのは知識の行列効果に気づかないのです。


もちろん誰だって養殖のハマチより天然ハマチが旨い
そういうレベルの話ではありません。

名物に旨いものなし、ともよく言います。

ナイショ話ですが、広島の名物もね。

仙台駅でホヤを売ってましたがちょっと手が出なかった。

石巻の隠れ家みたいな食事どころで飛っ切りを頂いた
あとだったしね。

あの若い料理人には、名物だって本当は美味い!と
思い知らされました。
(それにしても、あのころはリッチだった・・)


尾道ラーメンなら、阿藻珍のを家で作られることを
お勧めします。
お店の味とまではいきませんが、家庭としたらなかなか。
もう少し安いともっと良いけど。

『クラッシュ』

2009-08-21 09:55:09 | 本の話
佐野眞一の本は面白いですね。
いまごろ私が言うまでもありませんか。

新潮文庫『クラッシュ』は2005年のJR福知山線での
脱線事故を初め近年いくつかの事件事故を取り上げて
佐野の視線で描きつつ、大きなテーマを説きます。

鋭い指摘と丁寧な仕事は変わりません。
(あまり好きな文体じゃないけど)

厳しい話、暗い話ばかりです。
ただし、涙が出るような記述がいくつもあります。
是非ともお勧めの一冊ですね。


事件事故の中に神戸の大震災も取り上げ、かつボリューム
があるのはなぜ、と思っていましたが、なるほど
よく分ります。

この本のテーマである「この国はどうかしている」
ということが神戸の極限状態でむき出しの形で見えてくる
のです。(良いことも含め)

今更神戸、という感を持っていた私はバカです。
今改めて振り返るべきことでした。

政治家、官僚、マスメディア、大会社に始まり
国民の一人ひとりまでが抱える深刻な病巣を描きます。


2000年の雪印食中毒事件の章から少し長いですが
引用します。
驚くべき事件の実態を明らかにした後でこう書きます。

「先人の遺産を次代へつなぐ、それが企業人のみならず
 閉塞したこの国を打破するすべての日本人のつとめで
 ある。それにもかかわらず、ほとんどの日本人が
 過去を未来につなぐ歴史的使命と希望を失い、目先の
 利益だけ追って日々惰性で生きている」

この指摘、教育の世界ではどうでしょうか。

たとえば塾として目先の受験を請け負うだけで精一杯
この国のありようを考え提言し実行の努力をしている
ところがどれほど存在しているか。

(こういう大きな話は、ではあなたは?と言われるので
 書きづらいことです)

しかし雪印の章を読みながらあの事件は教育が生んだと
も言える、と考えざるを得ないのです。

上記の引用に続きこう書いてあります。
「雪印食中毒事件を生んだ裾野には、とめどなく劣化
 する日本人の姿がびっしりと張りついている」

官僚主義、責任転嫁、仕方ないさの繰り返し。

(一人で頑張って何が変わる)という「賢い」現実主義

けれども一人ひとりが変わらずして何を変えられると
いうのでしょう。
変わらなくてよい、と多くの人が居直っているようです。

リーダーシップを待望する人も多いですが、
これも責任転嫁の一種なのです。

一人ひとりが変わろうとして、それで何かが変わる確率は
おそろしく低いでしょう。
それを百も承知で(賢さ)を棚上げにしないと。

シンドイ話です。

しかし先人もそういう状況の中で遺産を残してくれている
のです。
それを相続した以上、我々にも義務があるのです。

竹富島のねこ

2009-08-20 18:07:50 | 塾あれこれ
竹富のネコから話を始めるのですが
上の写真は私が撮った尾道のネコです。


塾の教室に掛けているカレンダーは毎年、岩合光昭さんの
猫のカレンダーです。
以前は旧暦が乗っていたので便利でした。

そのカレンダーの八月が竹富のネコです。
凛々しい。
眼光鋭く何かを見据えています。
自然が一杯の中で生きるネコは違いますね。
ネコ嫌いには受けない写真でしょうけれども。


学生で沖縄に旅行したとき、竹富島に五泊しました。
その竹富でネコを見たかどうか、記憶がありません。
というより島で何をしていたかの記憶が少ないのです。

とにかく天国のような島でした。

古きよき日本がそこに残っていました。


田んぼの中に見晴らしのきく十字路がありました。
私ともう一人民宿にいた人とその道を東から西に
歩いていると、北のほうから交差地点に歩いて
こられるご婦人がおられました。
かなりご高齢です。

我々は何気なしに歩いていたのですが、その婦人は
十字路の手前数メートルで立ち止まり会釈する感じで
我々が通り過ぎるまで歩みを控えておられたのです。

外から島へ来た「お客」さまに対する礼儀でした。
我々とは一面識もない方が、です。

団塊の世代である我々若者が及びもつかない心です。

そんな例はいくつもありました。
風景も鮮明です。
それなのに日々何をしていたのか。。。

夜は8時くらいに全島の電気が消えます。
ランプをつけて話をつづけ、島歌を聞き・・


今も昔と余り変わっていないようなTVでの映像が
流れます。
でも怖くてもういけませんね。
万一、昔と違っていたら。

あんなご婦人の文化はもう残っていないでしょうし。
今を悪く言うのではありません。
変わって当然だから。


沖縄へのリピーターにはなれませんでした。
心のリピーターのつもりですが、何の役にもたち
ませんね。

ただ、文化で一番大切なものは心のありようだ
ということを教えられました。

常々、発信できていないところが情けないけれど。

高校野球ねえ

2009-08-19 15:54:01 | 塾あれこれ
高校野球は、ほぼ見ません。
いや私が見ないというだけの話でイチャモンではない
・・つもりですが。

真面目に通してみないというだけで、チラと映っている
なんてことはあります。
NHKが大相撲と高校野球は一生懸命に放送されるので
病院の待合でムリヤリ見されたりねえ。


対戦する二つのチームが並んだときに、モウレツに体格
が違うことがあります。

レトリバーとチワワくらいに違いますね。
多くはチワワが必死になって頑張ってもレトリバーの
ガンと一発で勝負がつくようなイメージです。
(もちろん判官びいきに応えてくれる場合もあり)

その基礎体力の差は明らかに不公平です。
一試合を通して観戦などアホラシクなります。

プロ野球と変わらぬ体格をどうやって並べるのでしょう。
結局、投資の差と思うとさらに面白くないですねえ。
(私が子供の頃広島へPL高の勧誘がきた、なんて話が
 ありました。どんどん広まったのでしょうね)


先頃、こういう高校野球を改革するチャンスがあったよう
でしたがウヤムヤになってしまったのですね。

選手を集める自由が勝ったのでしょう。
なにせ自由競争、自己責任、の日本ですから
勝つものが強い!
プロ野球のY軍と変わりません。

結局、経済がベースになるのです。


高校野球ですから選手はまだ純粋。
心をうつシーンも多いでしょう。
彼らの夢を広げ野球の世界を発展させるという意味
でも競争は必要なのですが。

目を次第に上に向けると
指導者、学校経営者、マスメディア、連盟など業界人
何だか(少年の夢)で食ってる大人の多いこと。

ガチンコ勝負の少ないスポーツ界では
高校野球は数少ない面白さを与えるものでしたが、
今はあれだけ選手に差ができたので、しらけます。

それらを承知で楽しめる、判官びいきをする人は
大人なんでしょうね。
私には到達できない世界です。

とはいえ相撲を体重別にできないように
野球を体格別にするとか
公立高と私立高をセパのように別途に行うとか
通える地域限定を厳密にするとか
こんなことは出来ないのでしょう。

それでは、やはり面白くないか。。。

『事典の語る日本の歴史』

2009-08-18 15:05:05 | 本の話
私は頭が固い。
いや格闘技ではない。
ノーミソの機能である。

自分で言うのも変だが折り紙が附けられる。

近年プラスの語感を持つようになった「こだわる」
同じ頭が固いなら「こだわる」何かを始めればよいが
そこまでの信念はないのである。

あの人たちはなぜ「こだわる」ことが可能なのか?
根拠は?

と思うと、フラフラしてしまうのである。
こだわり派がまことにうらやましい。


頭が固い話でしたね。

先ごろ大隈和雄著『事典の語る日本の歴史』を
読んでいて「固いなあ」とまた思い当たりました。

名前くらいしか知らない事典を時代を追って解説され
まことに勉強になる本です。
というか、自分の日ごろの勉強不足を痛感しますね。

私は往来物というと寺子屋の教科書ということで
せいぜい室町末期ころからだろうと勝手に
イメージしていたのですが、大間違いでしたね。
(恥ずかしい話ですがネタギレでもあり白状します)

往来物に関しては平安時代後期の『明衡往来』が
この本には挙げられています。
ただの手紙形式の教科書風からさまざまに発展する
様子も書かれていますね。

『類聚国史』『和漢三才図会』『群書類従』
『波留麻和解』などなど教科書に出ていた記憶の
ある労作を通して見えてくる日本文化。
改めて歴史に込められた人々の働きや時間の流れを
思わずにはいられません。

ということはこの本も良くできているという事です。

(今更、細かく勉強するには時間も体力もないので
 とりあえず知識の整理をする私でした)

それにしても今までも平安時代と目に触れる機会は
あったはずなのに、思い込みがすぐにあとから
「上書き」をして正しい知識を消し去っていたとは。

wikipediaなどにも「平安時代から」ときちんと
書いてあるのにねえ・・

「何か特別な作戦があるらしいです」

2009-08-17 09:47:49 | 塾あれこれ
悪い予感はしたんですよ。
こんなセリフが紹介されると結果がヒドイって。

いえね、昨日の世界陸上。
日本も頑張ってますね。
トップとは差がありますがこれでも近年は以前より
いろいろな種目でレベルが上がってきています。


NHKのドラマを見てチャンネルを変えていたら
TBS系でLIVEをしているではありませんか。
LIVEってのに弱いからね
「ああ、あの顔ぶれで・・」とは思いましたが。

さて予選3組

「日本期待の I 選手が登場します」という口ぶりが
期待が持てそうなんです。
めったに見ないこちらが乗せられたわけですが。

「今回は何か特別な作戦があるらしいですね」

といってレースへ。
これはLIVEじゃなかった。
(つまりオダユージは結果を知っていた)

日本選手は最初一番うしろにつけます。
まあ競馬でもありますよね。
様子を見ながら途中から(まくる)作戦?

レースが半分以上たって初めて一人抜きました。
それからアナウンスが煩いのなんの。

「また一人抜きました。」

「・・抜き返されています」

また定位置の予選3組ドベに戻っています。

この種目で現在日本一の選手でしょうから悪口は
いけませんが、特別な作戦って???

結局、最後まで殆ど変わらずに予選敗退です。
終わりごろは「この組で7位に入れば・・」と
叫んでおられましたが結局遠く及びませんでした。

以前の日本と変わりません。

日本陸上も最近は頑張っているらしい、のにねえ。


特別な作戦があると言い、ドベから一人抜いたら
大騒ぎしたのはTBSさん「大本営発表」ってやつ?

どうしようもない負け戦のときにやった手です。
ひっぱればよい、という。
それにノセられた私も恥ずかしい。

TBSさん、大本営ってのもご存じないかもねえ。。。

オダユージさん、軍令部の軍人に似てる気がするなあ。

墓参

2009-08-16 14:20:00 | 塾あれこれ
西条から尾道と墓参のハシゴをしました。

夏の尾道は緑が少ない町だけにしっかり暑い。

たびたび昼食を頂く「保広」に顔をのぞけると
断られちゃった。
ちょうど一番忙しい時間(11:30)に行ったみたい。

愛想が悪いのは尾道標準だからしかたありません。

ここは、ちらし寿司がお勧めです。
昔ながらの尾道の味が残っています。

ただ観光地風アレンジもすこしありますがね。

昔ながらの尾道の味というと「宮徳」のぬく寿司
ですが、夏はさすがに暑い
冬でも汗かくのに。

この二軒はエビソボロがきちんとできています。
私たちはソボロとかデンブとか言わずオボロと
言っておりましたが。


昔ながらの味は別にという人には若い人の味とか
東京などの資本でも入っていそうな
それなりに満足できる店も多そうです。

お土産には少し前に写真を載せた紅茶が良いですね。
もっとも輸入品ではありますが仕方ない。
飲みやすいのがヨロシイ。

渋くてヘビーなのがお好きな方には軽いといわれる
かもしれません。


写真は天寧寺坂。
ネコの家の少し上のほうです。

祖母も母も年を取ってからこの坂での墓参はきつかった
でしょう。
昔はもっと道が悪かったしね。

夏バテ

2009-08-15 10:39:58 | 塾あれこれ
今年は例年ほどの暑さではないのですが湿度が高く
厳しい夏に変わりはないようです。

盆休みに一息いれる人も多いと思いますが
塾の先生方も私同様やっと辿り着いたという感想を
お持ちになるのではないでしょうか。

バテますよね。
個人的な感想では60を過ぎ体力がなくなりました。
夜のお仕事はどこか無理があるのでしょう。

それでも倒れるわけにはいきません。
まず、食べなければ。


今年6/29に簡単に書きましたソーメンのレシピは
基本中の基本。
アレンジしたり他の食べ方をしたり夏はこれに限り
ますね。

大体、週一回ソーメンツユを作りますが今回は何か
もの足りません。

よおーっく考えたら梅干の種が自家製のそれでは
なかったのです。
何かについてた出来合いの梅干の種を使いました。

こういうものはいったん味を抜き去ってのち改めて
「まろやかに」味つけするので種などはカスみたい
な状況になってしまってるものなんですねえ。

糠漬けと梅干は自家製にかぎります。
(自宅で精米すると糠もとれます)

07年の7/15にもソウメンについて書いています。
タイ風カレーで食べると旨いと記しています。
他にもチャンプルとかラーメン風とか・・


CMでソウメンも食べられないくらい食欲がない
というのがありますね。

そのとき映るバテた猫にも滋養強壮の○○酒を
舐めさせてやりましょう。
人間だけ元気になっていてはいけません。

いや、やはりネコにならって夏は夏バテが自然
という考えもなりたつでしょう。

普段、のんびりとしている塾の先生だけは
なんとかの節句働きで頑張っていただくとして。

九月の行事案内が学校からやってきます。
正直な話、小さな塾はキツイですねえ。


サム・クックを聞きながら

虫、食べる?

2009-08-14 16:06:08 | 本の話
食堂のテーブルに土産を置いてた独身寮でした。
皆で頂戴しなさい、ということです。

あるとき菓子箱のようなものにイナゴの佃煮が
入ったお土産が供されていました。
姿のままきれいに並べてあります。
顔を近づけてぎょっとしたのを覚えています。

ちょっと手が出ませんでした。
誰も手をつけなかったかもしれません。


NHKブックス、野中健一著『虫食む人々の暮らし』
を読もうとして、あの時のイナゴを思い出しました。

蜂の子がごちそうであるとは知識で聞いています。
イナゴも高価な土産と頭では分っていましたが。

外国でも虫を食べるところがある、という簡単な
知識もありました。
大発生したハエか何かを団子状にして食べる、そんな
ニュースもつい最近ありましたね。

エビは食べられてイナゴがダメ、といのは変な話と
頭で思っても、気持ちが拒否します。

その延長で、虫を食べる外国の文化というと飢餓とか
食料不足を思い浮かべ、仕方なく食べているのだ、と
思ってしまいます。
無意識のうちの排外主義、優越感があります。

上記の本を手にして、世界中には変わった食物もある
という内容だろうと読みはじめました。

なんてモノを知らなかった私であることか、
頭が毒されていたことか、
蒙をひらくとはこのことです。


蜂の子、イモムシ、カメムシ!・・
たしかゴキブリも食べる国がありましたよね。

植物でも食べられるものと食べられないもの、
まずいものと美味しいものがあるように
虫にもまったく同様のことがあるようです。
もちろん人による好き嫌いもね。

当然ですが調理法も大切です。

虫によってはその国で大変に人気があり
肉よりも高い値段で取引されているそうです。
食べるものがないから、なんてトンデモない。

仕方がないからタンパク源にしている、なんて
発想がどこからくるのでしょう。
心にしみついた差別感・・・

自分の頭でモノを考えることは基本中の基本ですが
その基本の部分はとある文化がしっかりとこびりつき
出発点からゆがんでいる場合があるのに気づかない。
頭だけではダメなのだと教えられます。

心も体もときどきは洗いなおさねばなりません。

人間ってやっかいですね。


でもそうしないと核武装論みたいなリクツを別の
理論で検証してもしきれないところが残ります。

心も体も持つ一人ひとりの人間の立場を維持する
ためには頭もリフレッシュが必要なのですね。

アチラがいかに『人間』から遊離しているかを
見抜くために、ね。

古文は不要?

2009-08-13 10:47:00 | 塾あれこれ
いつもながら身の程知らぬ生意気な話でスミマセン。

先のNHKTVで驚いたことがあるのです。

解説委員の一人が学校教育に関して
「古文や漢文が社会に出て何の役に立ちますか。
 そんなもの教えないで中国語でも勉強させなさい。
 よほど社会で役立ちますから」

問題は2点
社会に出て役立つことを勉強するだけでよいのだろうか。
古文や漢文は勉強しなくてよいのだろうか。

会社で事務をやった経験からはルートを使った記憶が
ありません。
会社で(社会で?)使わない√は勉強しなくてよい
ということらしいですね。
中3数学程度から不要になれば喜ぶ生徒もいるでしょう
けれども。

「役立つ勉強」とはいかにも乱暴で粗雑な意見ですね。

それより、日本語を大切にしない姿勢にもっと驚きます。
古文や漢文は教養というだけでなく、日本語をより深く
身につける基本です。

それは韻文につながり、俳句などの短詩の基礎であり
ひいては『ケータイ大喜利』のような軽いものに到るまで
現在の言葉遣いに底流を与えているものです。

源氏物語は読まないでよいから古文は教えないでよい
なんて短絡は絶対にいけないのです。


第一、現在の初等中等教育で古文漢文にどれほどの
時間が割けているでしょう。
それを中国語に振り向けて何の勉強になるでしょう。

小学校の学習は念頭にないようですし。

件の解説委員は現場を知らず、教育の思想を学ばず、
個人的な思いつきを口走っていたのではないか
という疑念が浮かびますね。

番組は「日本の教育問題を考える」としてNHKの
解説委員から3名登場し持論を述べるものでした。
その折の発言ですから深刻です。

NHKも番組で流すのですから勇気がおありですな。

んとに、大丈夫なんでしょうかねえ。

報道機関の頭脳の部分がこういう状態で
世論をどう喚起しようというのでしょう。

きっと民放でも似た事情でしょう。

現場を知らないで、基本を考えようとしないで
皆が似た意見を発言しているのです。

情報は堂々巡りをし、井戸端会議や飲み屋談義で
意見を固めてゆくのでしょう。

識者、コメンテーター、大学の専門家、官僚
みんな似た情報を共有して「時代に沿った」
意見を述べられます。
少数意見はみんなで無視。

官僚も与野党の政治家も同じ情報源に頼ります。
たとえばNHKの特番で『北欧の教育は今』風の
ものを見て「勉強している」のです。
(貴重な情報)に基づいて国会で発言されたりする
のを見ると「ああ、あれか」と鼻白む思いです。

なぜってオヤジたちが酒場でクダまくのと同じレベル
だから。

学校教育や塾をどう評価しているかを聞くと分ります。
ステレオタイプな意見ばかりです。
思想も論理の一貫性もありません。

けれども自分達も教育現場を通り過ぎてきたし
子供の教育も見ているし、会社でも教育をするし、で
良く知っていると思いがちなのですね。

野球やサッカーの評論を皆がするように
教育の評論をしています。

いや、それは悪いことではありません。

そのレベルと識者や解説委員のレベルが同じようである
ことに驚くのです。


教育の現場ももっと自分の考えを持ち、上にあげるなり
意見を公にするなりしたいものです。

法律その他の規制、職業倫理、利害、その他、多くの
困難はあるでしょう。

しかしルーティンワークに流されるだけではいけません。
生徒一人ひとりの人生に関わる重い仕事であるからです。