表現の自由の範囲

2015-02-13 17:07:02 | 塾あれこれ
自由というものに細かな規制は似合いません。

また同時に「自由」と言っても気まま勝手、何でも許される
というものでもありません。

自由を行使したり、享受したりするには
大きな責任があります。

制限を受けやすい権利であるだけに尚更です。


今だにムハンマドの肖像、風刺画が話題に上ります。
私にはよく分からないことですね。

人が嫌がることをするか?

中国人に向かって「○那人」と言いますか?
髪が薄い人に「ハ○」と言いますか?


人によることもあるかもしれません。
「ハ○」なんだから平気という人もおられるでしょう。

けれども強く拒否される方も多いハズです。

表向き、平気と言いながら、心の奥深くでは厭がる場合、
あるいは無意識のレベルで拒否する場合・・

従って「いいよ」と言われても、怖くて言えるものでは
ありません。

一般的な言葉としては存在しえても、人にむけて言うもの
ではないですね。


ましてや宗教上の最重要事項。

個人的にはあまりピンとこないイスラム教ですが
(一神教ってのは神が強すぎますが、特に)
信じる方のことを考えると、いくら表現の自由とはいえ
限度がありますよね。

人のハートを無視することは喧嘩を売っているのと同じです。
揉めごとをあえてまねくこともどうなんでしょうか。

義理チョコ

2015-02-13 14:42:46 | 塾あれこれ
半世紀前、サラリーマンになりたてのころでも
ヴァレンタインデーにチョコというのは
言われていました。

会社では義理チョコが中心です。

女性の財布にもゆとりが出始めてたのか
たくさんの配りものができたようですね。


私は義理の、更に範囲外、
滅多に頂戴していませんでした。

今、思うに、偶に戴いたときは、配る側に予定外の
余りものがでて、私にまで回ってきたようです。

義理をたくさん戴くのもツライかもしれませんが
たまのポツンもひどく淋しいものです。

どう考えても「あいつより俺がマシだろう」に
負けていますからね。

どうせなら、ずっと圏外がまだ気楽かもしれません。


希少な、私へのチョコはお返しをしなければなりません。
たとえ余りが回ってきていたとしても。

買いもとめるのが嫌でしたね。

スーパーで探す、というのもセコくて
一応デパ地下に行きますね。

そこで一つ二つ、千円くらいの小さな箱を買うのです。

身なり、ルクスからみて全く似合わない買いもの。
「こいつ、ギリが2個かよ、ははは」でしょう・・・


広島に戻って、塾づとめ。

記憶では、塾でチョコを戴いたことがありません。
そんな空気の職場ではなかったのでしょう。

それとも私の知らない所では、あったのかな。

もうトシだから、関係無かったようです。


今はカミサンから頂戴できます。

それもお返しなしでよい。(・・かな?)