三原、だるま市

2015-02-05 15:22:08 | 塾あれこれ
だるま市の季節になりました。
昔は今よりもダルマさんの需要が多かったので
普通の家にも結構置いてありましたね。

ただ、それ相応の大きさのもの。


この時期になると祖父を思い出します。
(初代)幸兵衛

何度も書きましたが子供のころは大嫌いでした。

自分ひとりで問屋を成功させ、問屋組合の設立に尽力、
「仏のこうべえ」と言われたほど外面は良い人でした。

多くの明治人と変わらずウチ面は良くなかったですね。

色々なことがあったようですが、最後は大戦の経済混乱で
破綻してしまい、彼一代で天国と地獄を見ています。

その息子たちは揃って経済能力が無く、再興はおろか
蓄えだけが減って行くようでした。
辛かったでしょうね。

私もかなりの時期祖父母と暮らしており
後から振り返ると「没落」そのものの生活でした。

で、「初代(私が二代目)幸兵衛さん」は、こごとではなく
愚痴が多かった。
腹の底から絞りだすような愚痴を夕飯時に並べます。

真っ暗。

「ふうがわるい」と祖母が止めても徒歩で行商をしたり
もちろん赤字だった筈です。
長続きしなかったもの。
で、口からグチ。


あるとき祖母が激怒しました。

見ると家の目立つ所に立派なダルマさん。

騙されたとは言いませんが、話に乗せられたのでしょう。
「縁起ものだから」

いえね、ダルマが悪いとは言いません。
時と場合によります。

米びつの底が見えようという家計に、ご立派な高価な
ダルマさんは、つらすぎる光景です。
店が繁昌してたころは似合ってたでしょうに。

祖母の怒りは何日も続き、ダルマさんはモノ陰に追いやられ
そうしていつの間にか家からいなくなりました。


私が大人になって、ふいに浮かんできた光景があります。

三原から尾道まで海岸の道を天秤棒に大きなダルマをのせ
とことこと歩く老人。
いくら昭和30年代といえ、古めかしい姿です。

「縁起もんぢゃ。
 これでツキが変わりゃあせんかの」

血をひく私には、何故だか、分かる。。。