通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

西国街道(旧山陽道) その21

2014年05月12日 | 見て歩き
~四郎峠から専念寺(せんねんじ)まで~





「前回は、十郎原(じゅうろうばら)から四郎峠を紹介したんじゃけど…」

「今日は、四郎峠から専念寺まで」







「四郎峠を越えて下り坂になる」

「眺めがええね」

「正面に見えるのは、四季が丘(しきがおか)じゃの」

「それにしても、車が多いね。車に気をつけんと」

「ここは歩道がないけぇ、車に気をつけて歩かんといけんのじゃ」







「山陽自動車道下のトンネルに入る」

「…このトンネル、真っ暗じゃない」

「ほうなんよ。このトンネルの中は照明が点いとらんかったけぇ、怖かったで」







「トンネルを出ると、歩道があって一安心。畑口橋交差点の手前左側に石碑がある」

「なんの石碑?」

「夜泣き石の供養塔じゃそうな」

「夜泣き石?」

「江戸時代、このあたりに三角形の自然石があった。この石から、毎晩赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた」

「…で?」

「そこで、「南無阿弥陀仏」と彫った石塔を建てて供養したところ、その石から泣き声が聞こえんようになったということじゃ」







「わしゃ、夜泣き石の供養塔よりも、その後ろにあった注意書きの方が気になった」

「意注?」

「こりゃむかしのもんじゃけぇ、横書きでも右から左に書いてあるんじゃ」

「下に書いてある「逓信省」いうのは?」

「「ていしんしょう」は、戦前まで通信や電気を管轄しとった、日本郵政(JP)、日本電信電話(NTT)の前身となる組織じゃの」

「確かに、「本長距離電話「ケーブル」…」って書いてあるね」

「面白いのが、注意書きの内容。電柱やそれを支える物に登ったり、壊したり、動物を繋(つな)いだりしないこと、…ということが書いてあるんじゃ」

「むかしは、登ったりする人がおっちゃったんかね?」

「おっちゃったけぇ、こういう注意書きが置いてあるんじゃろうの」

「それにしても、なんでこんなもんが今も置いてあるんじゃろか?」







「畑口橋交差点を右に進む。ここを左に進むと、島根県津和野(つわの)につながる津和野街道になるそうじゃ」



↓津和野街道については、こちら↓

津和野街道【公式ページ】







「ここを左へ進むと…」







「佐原田権現社がある」







「ここで道路を横断して…」

「危ないよ! 横断歩道がないとこを渡っちゃ」

「もちろん、交通規則を守って横断歩道を渡っとる。ほいじゃが、写真で紹介するには、こうするしかないんじゃ」







「佐原田公園の前を通る」







「もう一度、ここで道路を横断して…」

「なんで、道をあっちこっち、何度も渡らにゃいけんの?」

「「七曲り」いう言葉があるように、むかしは右へ曲がったり左へ曲がったりしながら坂道を上っていきよったんじゃの」

「その道の上に、まっすぐな新しい道ができたけぇ、こういう曲がりくねったようなコースに感じるんじゃね」







「宮内工業団地入口の横断歩道を渡って…」







「ここを右へ進む」







「六本松団地入口の横断歩道を渡って…」









「三原石材の前を通る」



↓三原石材については、こちら↓

三原石材株式会社







「ここは真ん中の道を進んで…」







「御手洗川(みたらいかわ)に架かる砂原大橋(すなはらおおはし)を渡って、右に進む」







「廿日市FC?」

「廿日市FC(フットボールクラブ)は広島県社会人リーグ1部のチームで、J3入りを目指しとってんじゃそうな」

「JリーグはJ3まであるん?」

「わしも、JリーグはJ1とJ2しか知らんかった。ほいで調べてみたら、今年度(2014年度)から新設されたそうじゃ」

「そのJ3入りを目指しとってんじゃね」

「元サンフレッチェ広島におられた久保竜彦(くぼ たつひこ)選手も、昨年(2013年)3月に現役復帰して、廿日市FCに参加しとってんじゃそうな」



↓廿日市FCについては、こちら↓

廿日市FCオフィシャルサイト 地域とともにJ3を目指す







「廿日市警察署宮内交番の前を通って…」







「宮内交番交差点越しに専念寺(せんねんじ)が見える」





訪問日:2014年4月26日





【参考文献】

梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年

下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』平凡社 1982年






「今日は、四郎峠から専念寺について話をさせてもらいました」

「次回は、専念寺から広島電鉄・廿日市市(はつかいちし)市役所前までを紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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西国街道(旧山陽道) その20

2014年05月11日 | 見て歩き
~十郎原(じゅうろうばら)から四郎峠まで~





「前回は、高庭駅家跡(たかにわのうまやあと)・濃唹駅跡(のおえきあと)から十郎原(じゅうろうばら)を紹介したんじゃけど…」

「今日は、十郎原から四郎峠まで。坂を上って行きますけぇの」







「十郎原からしばらく行くと、他の道路と合流する。これは振り返って見たところ」

「お父さんはどっちから来たん?」

「右側の道から来たんじゃ」










「これは?」

「「お墓の大旺」の看板が出とるプレハブ前に飾ってあった、墓石のサンプル見本なんじゃ」







「しばらくの間、うぐいすの鳴く静かな道を歩く」

「おっ、ハチさん見っけ!」











「道路の右側に、一里塚と塚の松跡があった」

「街道の脇には、松並木が植えられとったんよね」

「松並木が日陰を作ってくれて、休憩の場所にもなったんじゃの」







「このあたりから上り坂になる」







「これは振り返って見たところ。向かって左側、中山集会所の脇の道から出てきて…」







「戸石川橋(といしかわばし)を渡ると…」







「手前に今川貞世(いまがわ さだよ。了俊(しょうしゅん))の歌碑と、奥に疣(いぼ)観音堂がある」









「今川貞世の歌碑は3つめじゃね」

「しかも、このあたりの地名、中山に関する歌が2首紹介されとるんじゃ」







「ここから、上り坂が一段とキツくなる」

「ここは歩道が狭そうなね」

「すぐそばを車がスピードを出して走っていくけぇ、気をつけんといけんの」







「広島岩国道路の高架下をくぐって行く」









「これは?」

「NTTの廿日市四郎峠基地局。基地局は聞くことはあるんじゃが、じっくりと見る機会がなかい。ほいじゃけぇ、写真に撮ってみたんじゃ」

「四郎峠いうことは、前にも出てきた大野の五人兄弟の四郎と関係があるんかね?」

「そのむかし、大野に五人の兄弟がやって来て田畑を開いて農業を始めた、というアレじゃの」

「それそれ」

「参考文献にもあげとる『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!』には、次のように書いてあるんじゃ」



弟四郎は是より一里上中山という処に住めり。
中山の大歳明神というは即ち四郎の霊神なり。
今上の境を四郎峠といえり。

(大頭神社の縁起書より)




↓NTTの基地局については、こちら↓

「基地局ができるまで - エリア」NTTドコモ







「四郎峠が大野と宮内の境になるんじゃね」







「こっちが今まで上ってきた大野側で…」







「こっちが今から下って行く宮内側じゃの」





訪問日:2014年4月26日





【参考文献】

梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年

下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』平凡社 1982年

「廿日市市大野の史跡・名所・歴史」カキナビ






「今日は、十郎原(じゅうろうばら)から四郎峠について話をさせてもらいました」

「次回は、四郎峠から専念寺(せんねんじ)までを紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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西国街道(旧山陽道) その19

2014年05月10日 | 見て歩き
~高庭駅家跡(たかにわのうまやあと)・濃唹駅跡(のおえきあと)から十郎原(じゅうろうばら)まで~





「前回は、大頭神社(おおがしらじんじゃ)から高庭駅家跡・濃唹駅家跡を紹介したんじゃけど…」

「今日は、高庭駅家跡・濃唹駅跡から十郎原」







「高庭駅家跡・濃唹駅跡から道を進むと…」







「右手に宮島が見える」











「「大野五郎」の五人兄弟って?」

「推古天皇(すいこてんのう)のころいうけぇ、6世紀の後半から7世紀の初めにかけてのころかの。天皇から命令を受けた、太郎・次郎・三郎・四郎・十郎の五人兄弟が、ここ大野村にやって来て田畑を開き、農業を始めた…という伝説があるそうじゃ」

「この新宮神社では次郎さんを祀っとってんじゃね」







「またまた貝塚跡が出てきた」







「しばらく行くと…」











「三槍社(みやりしゃ)がある」

「葉山祇命って?」

「「はやまずみのみこと」と読む。大頭神社(おおがしらじんじゃ)のとき、大山祇命(おおやまつみ)の話をしたのを覚えとるかいの?」

「えーっと、…伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が火之迦具土神(ひのかぐづち)を斬った時、その首が大山祇命になったんよね」

「その大山祇命を祀っとるのが大頭神社」

「ということは、葉山祇命は体のどの部分になるん?」

「手になるそうじゃ」









「これは?」

「三槍社のすぐ近くに、小さな庭園が設けられとって、風流な感じがしてえかった」







「さらに進むと…」















「稲荷神社がある」









「矢印が右を指しとったけぇ、橋を渡らずに右へ行ったんじゃが、…なにもない」

「なにもない?」

「尋ねてみたら、橋を渡って行くのが正解じゃそうな」









「しばらく行くと、十郎原(じゅうろうばら)があった」

「ここは、大野五郎の兄弟の十郎が開墾したところなんじゃね」





訪問日:2014年4月26日





【参考文献】

梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年

下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』平凡社 1982年

大頭神社パンフレット

「廿日市市大野の史跡・名所・歴史」カキナビ






「今日は、高庭駅家跡(たかにわのうまやあと)・濃唹駅跡(のおえきあと)から十郎原について話をさせてもらいました」

「次回は、十郎原から四郎峠までを紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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西国街道(旧山陽道) その18

2014年05月09日 | 見て歩き
~大頭神社(おおがしらじんじゃ)から高庭駅家跡(たかにわのうまやあと)・濃唹駅跡(のおえきあと)まで~





「前回は、大頭神社と妹背の滝を紹介したんじゃけど…」

「今日は、大頭神社から高庭駅家跡・濃唹駅跡。本来の西国街道に戻って進みますけぇの」







「大野インター南交差点まで戻って道を進むと、右側に稲荷神社がある」







「新幹線の高架下をくぐって、新幹線の高架を右手に見ながら進む」







「中津岡川に架かる橋を渡ると…」









「道の左側に碑がある」

「新幹線と広島岩国道路が通るんで、集団移転されちゃったじゃね」

「こうやって何かの形で残しとかんと、忘れ去られてしまうんじゃろうの」

「仕方ないよ、人間は忘れる動物じゃもん」

「わしが歩きよる西国街道も、保存したり手入れしたりされた方がおってじゃけぇ、今こうして歩くことができるんじゃのう」







「筏津(いかだつ)のバス停あたりから山へ上る道があるので、矢印に沿って進む」







「長州戦争のほかにも、長州征伐いう言い方があるん?」

「幕府側から見ると、幕府に従わん長州藩を「征伐」するという意味なんじゃろうの」

「征伐って、桃太郎の鬼退治みたい」

「反対に、長州藩では四境戦争(しきょうせんそう)と呼んどるんじゃ」

「四境戦争?」

「幕府は長州を、次の4つの方向から攻めたんじゃの」


芸州口(げいしゅうくち。山陽方面)

石州口(せきしゅうくち。山陰方面)

小倉口(こくらくち。九州方面)

大島口(おおしまくち。瀬戸内海方面)


「今まで長州戦争の跡とか出てきたけど、芸州口での戦いじゃったんじゃね」

「このほかにも、日本海に面する萩(はぎ)からも攻めようとしたんじゃが、ここを担当する薩摩藩が出兵を断ったので、実際の戦闘はなかったじゃ」

「薩摩藩は長州藩と薩長同盟(さっちょうどうめい)を結んだ後じゃったん?」

「ほうじゃの。薩長同盟が慶応2年(1866年)3月で、第2次長州戦争は同じ年の6月じゃけぇの」







「むかしは、このあたりまで海じゃったんじゃね」







「舗装道路が終わって、山道に入って行く。ここは右側の道を進む」







「ええ感じの道じゃね」







「左手にいきなりため池が」







「しばらく行くと、案内板があった」

「大野で一番古いため池なんじゃね」

「インターネットの地図で見たら、この奥に、もっと大きなため池があった。それも含めて高畑溜池と呼ぶんかの?」







「貝塚跡があるんじゃね」

「このあたりには、貝塚跡が何カ所か残されとるんじゃ」







「むかしの旅人になったような気分がするよ」









「舗装道路に出たところ、すぐ左手の角に、ふたたび貝塚跡が」

「このあたりは案内板が整備されとるね」

「道も歩きやすいようになっとるしの」













「しばらく行くと、高庭駅家跡(たかにわのうまやあと)と濃唹駅跡(のおえきあと)がある」

「なんで2つ名前があるんかね?」

「高庭駅家が廃止された後、同じ場所に濃唹駅が建てられた。ほいじゃけぇ、2つ名前があるんじゃの」

「山上憶良(やまのうえおくら)が詠んだ歌いうのは?」



出でて行きし 日を数へつつ 今日今日と

 吾を待たすらむ 父母らはも

(旅立ってからの日数をかぞえながら、今日か今日かと、
  私の帰りを待っている父さん母さんよ)




↓山上憶良の歌については、こちら↓

「山上憶良・和歌」ひろしま文化大百科

「山上憶良 千人万首」ASAHIネット






訪問日:2014年4月26日





【参考文献】

梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年

下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』平凡社 1982年

「廿日市市大野の史跡・名所・歴史」カキナビ






「今日は、大頭神社から高庭駅家跡(たかにわのうまやあと)・濃唹駅跡(のおえきあと)について話をさせてもらいました」

「次回は、高庭駅家跡・濃唹駅跡から十郎原(じゅうろうばら)までを紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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西国街道(旧山陽道) その17

2014年05月08日 | 見て歩き
~大頭神社(おおがしらじんじゃ)・妹背の滝(いもせのたき)~





「前回は、一里塚跡・今川貞世(了俊)の歌碑から大頭神社を紹介したんじゃけど…」

「今日は、大頭神社と妹背の滝。西国街道からは外れるんじゃが、立ち寄ってみることにした」







「大頭神社の入り口には、妹背の滝を紹介した石碑が建ててあるんじゃの」

「夫婦滝、雌雄滝といろんな呼び方があるんじゃね」

「古くはそう書かれとって、1913年(大正2年)ころから妹背の滝と呼ばれるようになったそうじゃ」

「へぇ」

「「妹背」いうのも、「妹(いも)」と「背(せ=夫)」、つまり「夫婦」という意味なんじゃの」

「なるほどね」









「神社の中には、報国神社がある」







「別鴉橋(べつあばし)を渡って拝殿(はいでん)へ」

「「鴉」って何?」

「「鴉」いうのは「烏(カラス)」のことじゃの」

「「別鴉」ってことは、ここで烏が別れるっていう意味?」

「烏はもともと神の使いと考えられとって、厳島神社(いつくしまじんじゃ)の姫神様が鎮座する場所を探して厳島の浦をまわったとき、先導したのが神烏(ごがらす)じゃったんじゃ」

「厳島の弥山(みせん)には神烏が住んどるんじゃったよね」

「大頭神社では、「烏喰祭(とぐいさい)」いう特別な神事をされよった。弥山におられる神烏が4羽、この大頭神社にやって来た後、子どもの2羽は弥山に残り、親の2羽は紀州熊野旅立つというものじゃそうな」

「それで「別鴉」っていうんじゃね」









「大頭神社は、厳島神社の摂社(せっしゃ)として、推古天皇11年(603年)によって建てられたんじゃの」

「ということは、…1411年の歴史があるんか」

「もともとは、今より海側の郷桑原というところにあったんじゃが、1913(大正2)年に今の場所に遷座(せんざ)されたそうじゃ」

「大頭(おおがしら)いう名前は?」

「伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が火之迦具土神(ひのかぐづち)を斬った時、その首が大山祇命(おおやまつみ)になり、その大山祇命を祀っとるところから「大頭」いう名前になったということじゃそうな」

「大頭神社では、ほかにどんな神様を祀っとられるん?」

「大山祇命のほかに、国常立命(くにのとこたちのみこと)、佐伯鞍職命(さえきのくらもとのみこと)の3柱じゃの」

「佐伯鞍職って、どっかで聞いたような名前じゃけど?」

「推古元年(593年)に厳島神社を創建し、初代神主になった方じゃ」







「拝殿正面には、全国でも珍しい3体の龍の彫刻がある」









「ここの狛犬(こまいぬ)は筋肉質でメリハリがついて、ええ感じじゃった」

「吽(うん)像は角が生えとるんじゃね」







「阿(あ)像の後ろには雌滝(めんだき)が見える」







「妹背の滝には、雄滝(おんだき)と雌滝(めんだき)の2つがあるんじゃの」

「雄滝は高さ30メートルで、雌滝は高さ50メートルあるんじゃね」







「これが雌滝(めんだき)か」

「高さ50メートルいうたら、ゴジラの身長と同じじゃの」

「はぁ?」

「あと、ウルトラマン80(エイティ)、ウルトラマンレオの弟アストラの身長と同じなんじゃ」

「もののたとえとはいえ、滝の高さとゴジラを比べるのはどうじゃろか?」






「神社の裏手にまわって、右手に見える幾千代橋(いくちよばし)を渡って行くと…」







「雄滝(おんだき)がある」

「おぉーっ、迫力あるねぇ」







「ここで昼食をとることにした」

「滝の近くにはマイナスイオンもたくさんあるし、ええんじゃない」





↓大頭神社については、こちら↓

大頭神社 公式サイト  広島県廿日市市 妹背の滝鎮座





訪問日:2014年4月26日





【参考文献】

梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年

下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』平凡社 1982年

三浦正幸/監修、藤井由美『ひろしまのパワースポット社寺&ご利益巡り』南々社 2012年

大頭神社パンフレット

「廿日市市大野の史跡・名所・歴史」カキナビ






「今日は、大頭神社(おおがしらじんじゃ)と妹背の滝(いもせのたき)について話をさせてもらいました」

「次回は、大頭神社から高庭駅家跡(たかにわのうまやあと)・濃唹駅跡(のおえきあと)までを紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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