通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

西国街道(旧山陽道) その19

2014年05月10日 | 見て歩き
~高庭駅家跡(たかにわのうまやあと)・濃唹駅跡(のおえきあと)から十郎原(じゅうろうばら)まで~





「前回は、大頭神社(おおがしらじんじゃ)から高庭駅家跡・濃唹駅家跡を紹介したんじゃけど…」

「今日は、高庭駅家跡・濃唹駅跡から十郎原」







「高庭駅家跡・濃唹駅跡から道を進むと…」







「右手に宮島が見える」











「「大野五郎」の五人兄弟って?」

「推古天皇(すいこてんのう)のころいうけぇ、6世紀の後半から7世紀の初めにかけてのころかの。天皇から命令を受けた、太郎・次郎・三郎・四郎・十郎の五人兄弟が、ここ大野村にやって来て田畑を開き、農業を始めた…という伝説があるそうじゃ」

「この新宮神社では次郎さんを祀っとってんじゃね」







「またまた貝塚跡が出てきた」







「しばらく行くと…」











「三槍社(みやりしゃ)がある」

「葉山祇命って?」

「「はやまずみのみこと」と読む。大頭神社(おおがしらじんじゃ)のとき、大山祇命(おおやまつみ)の話をしたのを覚えとるかいの?」

「えーっと、…伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が火之迦具土神(ひのかぐづち)を斬った時、その首が大山祇命になったんよね」

「その大山祇命を祀っとるのが大頭神社」

「ということは、葉山祇命は体のどの部分になるん?」

「手になるそうじゃ」









「これは?」

「三槍社のすぐ近くに、小さな庭園が設けられとって、風流な感じがしてえかった」







「さらに進むと…」















「稲荷神社がある」









「矢印が右を指しとったけぇ、橋を渡らずに右へ行ったんじゃが、…なにもない」

「なにもない?」

「尋ねてみたら、橋を渡って行くのが正解じゃそうな」









「しばらく行くと、十郎原(じゅうろうばら)があった」

「ここは、大野五郎の兄弟の十郎が開墾したところなんじゃね」





訪問日:2014年4月26日





【参考文献】

梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年

下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』平凡社 1982年

大頭神社パンフレット

「廿日市市大野の史跡・名所・歴史」カキナビ






「今日は、高庭駅家跡(たかにわのうまやあと)・濃唹駅跡(のおえきあと)から十郎原について話をさせてもらいました」

「次回は、十郎原から四郎峠までを紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
コメント
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