通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

西国街道(旧山陽道) その20

2014年05月11日 | 見て歩き
~十郎原(じゅうろうばら)から四郎峠まで~





「前回は、高庭駅家跡(たかにわのうまやあと)・濃唹駅跡(のおえきあと)から十郎原(じゅうろうばら)を紹介したんじゃけど…」

「今日は、十郎原から四郎峠まで。坂を上って行きますけぇの」







「十郎原からしばらく行くと、他の道路と合流する。これは振り返って見たところ」

「お父さんはどっちから来たん?」

「右側の道から来たんじゃ」










「これは?」

「「お墓の大旺」の看板が出とるプレハブ前に飾ってあった、墓石のサンプル見本なんじゃ」







「しばらくの間、うぐいすの鳴く静かな道を歩く」

「おっ、ハチさん見っけ!」











「道路の右側に、一里塚と塚の松跡があった」

「街道の脇には、松並木が植えられとったんよね」

「松並木が日陰を作ってくれて、休憩の場所にもなったんじゃの」







「このあたりから上り坂になる」







「これは振り返って見たところ。向かって左側、中山集会所の脇の道から出てきて…」







「戸石川橋(といしかわばし)を渡ると…」







「手前に今川貞世(いまがわ さだよ。了俊(しょうしゅん))の歌碑と、奥に疣(いぼ)観音堂がある」









「今川貞世の歌碑は3つめじゃね」

「しかも、このあたりの地名、中山に関する歌が2首紹介されとるんじゃ」







「ここから、上り坂が一段とキツくなる」

「ここは歩道が狭そうなね」

「すぐそばを車がスピードを出して走っていくけぇ、気をつけんといけんの」







「広島岩国道路の高架下をくぐって行く」









「これは?」

「NTTの廿日市四郎峠基地局。基地局は聞くことはあるんじゃが、じっくりと見る機会がなかい。ほいじゃけぇ、写真に撮ってみたんじゃ」

「四郎峠いうことは、前にも出てきた大野の五人兄弟の四郎と関係があるんかね?」

「そのむかし、大野に五人の兄弟がやって来て田畑を開いて農業を始めた、というアレじゃの」

「それそれ」

「参考文献にもあげとる『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!』には、次のように書いてあるんじゃ」



弟四郎は是より一里上中山という処に住めり。
中山の大歳明神というは即ち四郎の霊神なり。
今上の境を四郎峠といえり。

(大頭神社の縁起書より)




↓NTTの基地局については、こちら↓

「基地局ができるまで - エリア」NTTドコモ







「四郎峠が大野と宮内の境になるんじゃね」







「こっちが今まで上ってきた大野側で…」







「こっちが今から下って行く宮内側じゃの」





訪問日:2014年4月26日





【参考文献】

梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年

下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』平凡社 1982年

「廿日市市大野の史跡・名所・歴史」カキナビ






「今日は、十郎原(じゅうろうばら)から四郎峠について話をさせてもらいました」

「次回は、四郎峠から専念寺(せんねんじ)までを紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
コメント
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