~十郎原(じゅうろうばら)から四郎峠まで~
「前回は、高庭駅家跡(たかにわのうまやあと)・濃唹駅跡(のおえきあと)から十郎原(じゅうろうばら)を紹介したんじゃけど…」
「今日は、十郎原から四郎峠まで。坂を上って行きますけぇの」
「十郎原からしばらく行くと、他の道路と合流する。これは振り返って見たところ」
「お父さんはどっちから来たん?」
「右側の道から来たんじゃ」
「これは?」
「「お墓の大旺」の看板が出とるプレハブ前に飾ってあった、墓石のサンプル見本なんじゃ」
「しばらくの間、うぐいすの鳴く静かな道を歩く」
「おっ、ハチさん見っけ!」
「道路の右側に、一里塚と塚の松跡があった」
「街道の脇には、松並木が植えられとったんよね」
「松並木が日陰を作ってくれて、休憩の場所にもなったんじゃの」
「このあたりから上り坂になる」
「これは振り返って見たところ。向かって左側、中山集会所の脇の道から出てきて…」
「戸石川橋(といしかわばし)を渡ると…」
「手前に今川貞世(いまがわ さだよ。了俊(しょうしゅん))の歌碑と、奥に疣(いぼ)観音堂がある」
「今川貞世の歌碑は3つめじゃね」
「しかも、このあたりの地名、中山に関する歌が2首紹介されとるんじゃ」
「ここから、上り坂が一段とキツくなる」
「ここは歩道が狭そうなね」
「すぐそばを車がスピードを出して走っていくけぇ、気をつけんといけんの」
「広島岩国道路の高架下をくぐって行く」
「これは?」
「NTTの廿日市四郎峠基地局。基地局は聞くことはあるんじゃが、じっくりと見る機会がなかい。ほいじゃけぇ、写真に撮ってみたんじゃ」
「四郎峠いうことは、前にも出てきた大野の五人兄弟の四郎と関係があるんかね?」
「そのむかし、大野に五人の兄弟がやって来て田畑を開いて農業を始めた、というアレじゃの」
「それそれ」
「参考文献にもあげとる『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!』には、次のように書いてあるんじゃ」
弟四郎は是より一里上中山という処に住めり。
中山の大歳明神というは即ち四郎の霊神なり。
今上の境を四郎峠といえり。
(大頭神社の縁起書より)
↓NTTの基地局については、こちら↓
「基地局ができるまで - エリア」NTTドコモ
「四郎峠が大野と宮内の境になるんじゃね」
「こっちが今まで上ってきた大野側で…」
「こっちが今から下って行く宮内側じゃの」
訪問日:2014年4月26日
【参考文献】
梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年
下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』平凡社 1982年
「廿日市市大野の史跡・名所・歴史」カキナビ
「今日は、十郎原(じゅうろうばら)から四郎峠について話をさせてもらいました」
「次回は、四郎峠から専念寺(せんねんじ)までを紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
「前回は、高庭駅家跡(たかにわのうまやあと)・濃唹駅跡(のおえきあと)から十郎原(じゅうろうばら)を紹介したんじゃけど…」
「今日は、十郎原から四郎峠まで。坂を上って行きますけぇの」
「十郎原からしばらく行くと、他の道路と合流する。これは振り返って見たところ」
「お父さんはどっちから来たん?」
「右側の道から来たんじゃ」
「これは?」
「「お墓の大旺」の看板が出とるプレハブ前に飾ってあった、墓石のサンプル見本なんじゃ」
「しばらくの間、うぐいすの鳴く静かな道を歩く」
「おっ、ハチさん見っけ!」
「道路の右側に、一里塚と塚の松跡があった」
「街道の脇には、松並木が植えられとったんよね」
「松並木が日陰を作ってくれて、休憩の場所にもなったんじゃの」
「このあたりから上り坂になる」
「これは振り返って見たところ。向かって左側、中山集会所の脇の道から出てきて…」
「戸石川橋(といしかわばし)を渡ると…」
「手前に今川貞世(いまがわ さだよ。了俊(しょうしゅん))の歌碑と、奥に疣(いぼ)観音堂がある」
「今川貞世の歌碑は3つめじゃね」
「しかも、このあたりの地名、中山に関する歌が2首紹介されとるんじゃ」
「ここから、上り坂が一段とキツくなる」
「ここは歩道が狭そうなね」
「すぐそばを車がスピードを出して走っていくけぇ、気をつけんといけんの」
「広島岩国道路の高架下をくぐって行く」
「これは?」
「NTTの廿日市四郎峠基地局。基地局は聞くことはあるんじゃが、じっくりと見る機会がなかい。ほいじゃけぇ、写真に撮ってみたんじゃ」
「四郎峠いうことは、前にも出てきた大野の五人兄弟の四郎と関係があるんかね?」
「そのむかし、大野に五人の兄弟がやって来て田畑を開いて農業を始めた、というアレじゃの」
「それそれ」
「参考文献にもあげとる『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!』には、次のように書いてあるんじゃ」
弟四郎は是より一里上中山という処に住めり。
中山の大歳明神というは即ち四郎の霊神なり。
今上の境を四郎峠といえり。
(大頭神社の縁起書より)
↓NTTの基地局については、こちら↓
「基地局ができるまで - エリア」NTTドコモ
「四郎峠が大野と宮内の境になるんじゃね」
「こっちが今まで上ってきた大野側で…」
「こっちが今から下って行く宮内側じゃの」
訪問日:2014年4月26日
【参考文献】
梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年
下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』平凡社 1982年
「廿日市市大野の史跡・名所・歴史」カキナビ
「今日は、十郎原(じゅうろうばら)から四郎峠について話をさせてもらいました」
「次回は、四郎峠から専念寺(せんねんじ)までを紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」