(中国新聞 2014年5月21日)
「昨日の中国新聞に出とったんじゃが、広島市中区・タカノ橋商店街にある映画館「サロンシネマ」が、今年(2014年)8月末で閉館することになったそうじゃ」
「映画館がまたひとつ、のうなる(=なくなる)んじゃね」
「いうてもの、タカノ橋商店街にあるサロンシネマは閉館になるんじゃが、年内には新しい映画館を広島市内に移転オープンする予定なんじゃそうな」
「タカノ橋のは、なんで閉館してんかね?」
「入居しとるビルの老朽化して、雨漏りがしたり、外壁の一部が落ちたりしとるんじゃと」
「うちも行ったことがあるけど、確かに歴史のありそうなビルじゃもんね。そういや、いつごろから営業されとってん?」
「サロンシネマとしては1972年(昭和47年)からなんじゃが、もともとは、1955年(昭和30年)から映画館として運営されとってんじゃそうな」
「…ということは、サロンシネマは42年の歴史があるんじゃね」
「わしがサロンシネマに通うようになったのは、入社した会社がサロンシネマまで歩いて5分で行ける場所にあったこともあるかの」
「サロンシネマいうたら、ゆったりしたシート(座席)とテーブルがあるんよ」
「今のシネコンができ始めてからかの、ゆったりしたシートが設置されるようになったが、それまでは、前後左右ともゆとりのない座席の映画館が多かったもんの」
「人が通るたびに、立って人を通してあげにゃいけんかったりしたよね」
「あと、カップホルダーもなかったよのう」
「そうそう。ジュースなんか、映画が上映される間、ずっと手に持っとかにゃいけんかったもん」
「足元に置いたりとかの。その点、サロンシネマにはテーブルがあって、飲み物や食べ物を置くことができた」
「あと、むかしから座布団やひざ掛けが常備してあったのもここくらいじゃないかね?」
(エンドマーク 1989年5月 No.49)
「サロンシネマといえば、毎月発行される「エンドマーク」。調べてみたら、記念すべき第1号は1983年12月・1月号じゃそうな」
「こっちは、30年の歴史があるんじゃね」
「すごいのは、サロンシネマ単館で運営されとるときから、この小冊子を発行されとるということじゃ」
「くわしいことはよう分からんけど、やっぱりお金もかかるじゃろうしね」
「サロンシネマといえば、「サロンシネマ2」に触れんわけにはいかんのう」
「なんで?」
「前身は「タカノ橋日劇」という成人映画館じゃったんじゃ」
「…成人映画館って、お父さん通いよったん?」
「はい。大変お世話になりました」
「なんじゃ、そりゃ」
「最後のころには割引スタンプいうのがあって、3回押してもらうと、4回目は無料で観れるというものじゃった。あれで2回ほど無料で観たことがあるかの」
「よー、覚えとるねぇ…」
「あのころはアダルトビデオ(AV)が上映され始めたころで、まだまだポルノ映画が数多く上映されとったころじゃ」
「うちゃ理解できんのじゃけど、なにが違うん?」
「AVは、性行為さえあればOKで、ストーリーは不要。ポルノ映画は、曲がりなりにも「映画」いうくらいで、時々、裸やエロチックな場面さえあれば、あとはちゃんとしたストーリーがある。ほいじゃけぇ、成人映画出身の監督には、こういう方々がおられてんじゃの」
石井 隆(いしい たかし)
和泉 聖治(いずみ せいじ)
金子 修介(かねこ しゅうすけ)
崔 洋一(チェ・ヤンイル)
周防 正行(すお まさゆき)
相米 慎二(そうまい しんじ)
滝田 洋二郎(たきた ようじろう)
中原 俊(なかはら しゅん)
那須 博之(なす ひろゆき)
根岸 吉太郎(ねぎし きちたろう)
森田 芳光(もりた よしみつ)
(以上、敬称略)
↓サロンシネマについては、こちら↓
広島の映画館サロンシネマ、シネツイン、八丁座の広島地場劇場運営会社【序破急】
「今日は、「サロンシネマ 閉館、移転へ」ということで、サロンシネマについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」