通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

西国街道(旧山陽道) その24

2014年05月20日 | 見て歩き
~廿日市天満宮 その1~





「前回は、広島電鉄・廿日市市市役所前から廿日市天満宮を紹介したんじゃけど…」

「今日は、廿日市天満宮 その1じゃ」





↓廿日市天満宮については、こちら↓

「廿日市天満宮」はつかいち旅ナビ







「天満宮の前に本陣が建てられたくらいじゃけぇ、由緒正しい神社なんじゃろうね」

「鎌倉時代、藤原親実(ふじわら ちかざね)は、厳島神社の神主に任命され、天満宮のある場所より西にある桜尾城(さくらおじょう)にやって来た。その親実が天福元年(1233年)、鎌倉にある荏柄(えがら)天満宮をこの地に勧請(かんじょう)したのが始まりじゃそうな」

「ということは…、800年くらいの歴史があるんかぁ」

「親実は、厳島神社を造営するために鎌倉から大工、瓦師、鍛冶鋳物師などを招いて、これが廿日市という町や港が繁栄する基となったそうじゃ」

「へぇ」

「藤原氏は親実から15代続いたんじゃが、300年後の天文2年(1533年)、周防(すおう。現:山口県)の大内義隆(おおうち よしたか)に滅ぼされ、社殿も荒れ放題になったそうじゃ」

「…で?」

「で、別当寺(べっとうじ。神社を管理するために置かれた寺)を設けて社殿を管理するようになった。それが今も山の上にある真言宗の正覚院(しょうかくいん)じゃそうな」







「天満宮には、寄進者名を彫った玉垣(たまがき)がある。よう(=良く)見ると、大坂(おおさか)はもとより、遠く越中(えっちゅう)高岡、今の富山県高岡市の方の名前が彫られとるんじゃの」

「そんな遠くから、なんで?」

「江戸時代の中期から北前船(きたまえぶね)が出入りしよった廿日市は、港町として栄えとったんじゃ」

「北前船いうたら、日本海沿岸の港から下関・瀬戸内海を経由して大坂に向かう航路を走りよった船じゃね」

「その関係もあって、各地の回船問屋から寄進されたものが残っとるんじゃろうの」







「天満宮といえば、神の使いである「撫で牛(なでうし)」」

「頭を撫でると頭がよう(=良く)なるし、自分の体の悪いところを撫でると、病(やまい)が治るいうていわれとるよね」







「鳥居をくぐって行くと…」







「天満宮には、境内社が5つある。これはそのひとつで、商売繁盛、大漁の神様である事代主神(ことしろぬしのかみ)を祀った胡子(えびす)神社」







「階段の横には、やはり寄進された石柱がある」

「「○」に「か」?」

「「掛屋儀助」とあるけぇ、商売をされよった方が寄進されて、屋号も一緒に彫ってあるんじゃろうの」







「食物・五穀豊穣の神様である豊受大神(とようけのおおかみ)を祀った豊受(とようけ)神社に…」







「五穀豊穣、商売繁盛の神様である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀った稲荷神社もある」







「これは稲荷神社の裏側、蓮教寺側からの参道じゃの」







「結構、きつい坂を上って行くんじゃね」







「崩壊防止工事?」

「この写真を見てもらやぁ、分かると思うんじゃが…」







「山全体がコンクリートで覆(おお)われとるんじゃね」

「1971年(昭和46年)から1975年(昭和50年)にかけて工事が行われたそうじゃ」

「いうことは、ここからの眺めはええんじゃろうね」







「西には折敷畑山(おしきばたやま)などの山々、南には瀬戸内海に宮島が見える」







「東に目をやると、広島はつかいち大橋も見える」

「広島はつかいち大橋いうたら、「ベタ踏み坂」かいね?」

「ほうじゃの。ダイハツの軽自動車タントのコマーシャルでやりよるのは、島根県にある江島大橋(えしまおおはし)で、最大傾斜が6%ある。広島はつかいち大橋も、傾斜はほぼ同じじゃそうな」



↓広島はつかいち大橋については、こちら↓

「広島はつかいち大橋(ひろしまはつかいちおおはし)」広島県ホームページ



↓江島大橋については、こちら↓

「江島大橋ーベタ踏み坂ー」鳥取県観光案内 とっとり旅の生情報/観光情報







「本殿」






「篠尾城跡(ささおじょうあと)?」

「ここには、桜尾城の支城のひとつである篠尾城があった。天満宮があるこの山は、もともと篠尾山いう名前じゃったんじゃが、天満宮が勧進されたときに天神山と呼ばれるようになったそうじゃ」

「この枯れた木は?」

「天狗(てんぐ)松と呼ばれる松の木。1951年(昭和26年)10月のルース台風で傷つき、平成になって枯れてしもうたそうじゃ」



↓ルース台風については、こちら↓

「ルース台風」広島県防災Web







「おみくじを結びつけてある木を見てみると…」

「…梅の実がなっとるよ」

「天満宮いうたら、梅を愛した菅原道真(すがわらのみちざね)を祀る神社」

「九州・太宰府(だざいふ)に左遷(させん)された道真を慕う梅の木が、一夜のうちに都から大宰府の道真の元へ飛んでいったいう「飛梅伝説」があるよね」







「安産・子授けの神様・少彦名神(すくなひこなのかみ)を祀った淡島(あわしま)神社に…」







「海上交通の神様・大物主神(おおものぬしのかみ)を祀った金毘羅(ことひら)神社もある」





訪問日:2014年5月2日





【参考文献】

梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年

下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』平凡社 1982年

三浦正幸/監修、藤井由美『ひろしまのパワースポット社寺&ご利益巡り』南々社 2012年

廿日市天満宮 案内書






「今日は、廿日市天満宮について話をさせてもらいました」

「次回は、廿日市天満宮の狛犬を紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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西国街道(旧山陽道) その23

2014年05月19日 | 見て歩き
~広島電鉄・廿日市市(はつかいちし)市役所前から廿日市天満宮まで~





「前回は、専念寺(せんねんじ)から広島電鉄・廿日市市市役所前を紹介したんじゃけど…」

「今日は、広島電鉄・廿日市市市役所前から廿日市天満宮まで。当分は神社やお寺巡りが主になりますけぇの」







「広電(ひろでん。広島電鉄)廿日市市市役所前(平良)停留所から北に向かって進み、可愛川(かわいがわ)踏切を渡ると…」







「可愛川に出る」







「可愛川に架かる可愛橋を渡ると…」







「道の左側に石柱が立っとる」

「奥に鳥居が見えるね」

「この道を進むと、突き当りに福佐売神社(ふくさめじんじゃ)がある」









「縁起書を読むと、榎本連福佐売(えのもとむらじふくさめ)という節婦(せっぷ。節操をかたく守る女性)を祀った神社ということじゃ」

「へぇ、そういういわれがある神社もあるんじゃね」
















「街道沿いには、古い街並みが残っとるよ」









「街道を道なりの沿って進むと、左手に真宗本願寺派の常念寺があって、立派な鐘楼門(しょうろうもん)があったのう」

「鐘楼門?」

「鐘楼門いうのは、鐘楼、つまり鐘をつくところが門の上にあるんじゃの」







「道なりに沿って進む」







「街道から1本北側にある道には、浄土真宗本願寺派の光明寺や」






「日蓮宗の蓮教寺などがある」







「昔懐かしの、こんなホーロー看板を見つけたぞ。オロナミンCは小さな巨人です!」

「大村崑(おおむら こん)さん、お若い」



↓大村崑氏については、こちら↓

ようこそ!崑の村へ







「この交差点を真っ直ぐに進むと…」







「廿日市市中央市民センターの前に、芸州廿日市御本陣旧趾の石碑がある」

「廿日市の本陣って、広島城下からいうと(西側にある)最初の宿になるん?」





「ほうじゃの。写真中央あたり、市民センターの左側(東側)に、間口13間(約35.4メートル)、奥行き45間(約81メートル)の広さの宿があったそうじゃ」

「広いねぇ」

「奥行きが80メートルくらいあるいうことは、画面上側に見える廿日市の港に面するように建てられとったんじゃないんかのう。江戸時代、廿日市の港には北前船(きたまえぶね)が出入りして栄とったいう話じゃし」

「そういや、廿日市の宿から西(山口県側)にある玖波(くば)宿は、長州戦争のときに本陣が焼けてしもうたけど…」

「ここ廿日市の宿も、長州戦争のときに本陣が焼けてしもうたそうじゃ」







「振り返ると、廿日市天満宮がある」





訪問日:2014年5月2日





【参考文献】

梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年

下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』平凡社 1982年






「今日は、広島電鉄・廿日市市市役所前から廿日市天満宮について話をさせてもらいました」

「次回は、廿日市天満宮を紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」

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西国街道(旧山陽道)おまけ旅 その02

2014年05月18日 | 見て歩き
新宮(しんぐう)中央公園





「西国街道おまけ旅ということで、今回は廿日市市(はつかいちし)にある新宮中央公園を紹介してみようと思う」

「新宮中央公園?」

「通称「けん玉公園」と呼ばれとって、広島電鉄の廿日市市市役所前(平良)駅から、東南方向へ徒歩5分くらいの場所にあるんじゃ」









けん玉(日月(にちげつ)ボール)発祥の地

廿日市は、江戸時代以前から木材の集積地として栄え、ろくろ細工の技術が発展してきました。江戸時代には、その技術で傘の部品やそろばん、明治時代には木工玩具の製造が行われました。

現在、私たちが見慣れている「けん玉」は、広島県呉市の江草濱次氏が、剣と玉だけだった明治期のけん玉に鼓状の皿を取り付ることを考案したもので、その形から日月ボールと名づけられました。江草氏が廿日市を訪れ、けん玉づくりが廿日市で始まったのです。

その後、けん玉(日月ボール)の全国的なブームも起こり、廿日市のけん玉は日本全国へと広がっていきました。

けん玉が最初に生産された地は廿日市なのです。

(碑文より)










「巨大遊具の上には…」

「ここにも、女の子のけん玉キャラがおるんじゃね」

「けん玉のゆるキャラで、「たまちゃん」という名前じゃそうな」







「水遊びができるんじゃの」

「子どもが小(こ)まいころじゃったら、大喜びじゃったろうね」







「この日は消防車写生大会をやっとったのう」







「新宮中央公園は、地震などの大規模災害が発生した時の避難場所でもあり、防災機能を備えた「防災公園」とのしての役割があるそうじゃ」







「廿日市市の木がサクラで…」







「花はツバキになるんじゃ」





↓新宮中央公園については、こちら↓

「新宮中央公園」なっちゃんの遊び場ネット





訪問日:2014年5月17日





「今日は、廿日市市にある新宮(しんぐう)中央公園について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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西国街道(旧山陽道)おまけ旅 その01

2014年05月14日 | 見て歩き
広電 廿日市市市役所前(平良)



「西国街道おまけ旅ということで、今回は広電(=広島電鉄)廿日市市(はつかいちし)市役所前を紹介してみようと思う」

「おまけ旅?」

「西国街道とは直接関係ないんじゃが、今の時代で「ここは紹介しときたいのう」と思うところを紹介してこうと思うとるんじゃ」



↓広電については、こちら↓

ひろでんアベニュー







「駅名に「廿日市市市役所前(平良)」ってあるけど、元の駅名は「平良(へら)」じゃったん?」

「平良いうたら、そりゃ歴史のある名前での。律令制実施後に整備された古代山陽道じゃ、このあたりには「種箆(へら)」と「濃唹(おおの。現在の廿日市市大野高畑)」の2カ所に駅家が置かれたいうくらい歴史がある場所なんじゃ」

「へぇ~」

「今でも、平良、上平良(かみへら)、下平良(しもへら)という地名が残っとるんじゃの」









神鴉(おがらす)

推古(すいこ)天皇元年(593年)厳島の神・市杵島姫命(いちきのしまひめのみこと)は、地元の豪族・佐伯鞍職(さえきのくらもと)とともに神社を建てる場所を探し、雌雄(しゆう)二羽の鴉(からす)の先導によって厳島(宮島)を一周し、現在の地に厳島神社ができたと伝えられています。
立ち寄った浦々には神社が祭られ、この鴉の子孫は神鴉(おがらす)と呼ばれ毎年一番(ひとつがい)の雛鳥(ひなどり)を育てながら弥山(みせん)山中に今も生き続けているといわれています。厳島神社の御島巡式(おしまめぐりしき)と御烏喰式(おとぐいしき)はこの故事に由来するものです。
秋になると親子四羽の神鴉は対岸の大野に渡り、大頭神社(おおがしらじんじゃ)で親子の別れ(四鳥(しちょう)の別れ)を行います。二羽の子鴉は厳島に帰り、親鴉二羽は廿日市の速谷神社(はやたにじんじゃ)で羽根を休めた後、紀伊国(きいのくに。和歌山県)の熊野を目指して飛んで行くと語り継がれています。
新生廿日市市も神鴉に導かれ今後益々発展することを心より祈ります。

  平成19年10月27日 廿日市ライオンズクラブ

(案内板より)




「南口の駅前ロータリーには、神鴉(おがらす)が設置してあった」

「大頭神社には、親子の神鴉が別れを告げる場所ということで、別鴉橋(べつあばし)という名前の橋があったね」

「親の神鴉が、速谷神社で羽根を休めた後に熊野を目指して飛んで行く、いうのは初めて聞いたのう。そういや、速谷神社があるところは、上平良になるんじゃ」

「速谷神社いうたら、交通安全祈願の神社で、車を買(こ)うたら速谷神社でお祓いしてもらう人も多いよね」



↓大頭神社については、こちら↓

大頭神社 公式サイト|広島県廿日市市 妹背の滝鎮座



↓速谷神社については、こちら↓

速谷神社【交通安全の守護神|車のお祓い(おはらい)|広島県廿日市市鎮座】









【写真下は駅前通り商店街のもの】


「足元にはけん玉が…」

「廿日市市といえば、けん玉発祥の地じゃもんね」

「その廿日市市で今年(2014年)の7月、国内外の演技者が腕前を競う「けん玉ワールドカップ」が初めて開催されるそうじゃ」



↓けん玉については、こちら↓

「廿日市× GLOKEN」GLOKENグローバルけん玉ネットワーク

「けん玉」はつかいち旅ナビ








「ロータリーにはさくらバスが停まっとった」

「廿日市市の木は、さくらじゃけぇね」



↓さくらバスについては、こちら↓

「自主運行バス」廿日市市









「地産地製戦隊ヒロデンジャー!?」

「広電もついに戦隊物に手を出したか? と思うて調べてみたら、広電の子会社・広電ストアは、地元産の生鮮食品を中心としたプライベートブランドに「地産地製戦隊ヒロデンジャー」という名前をつけとってじゃそうな」

「へぇ~」

「あと、昨年(2013年)夏ごろから「ヒロデンジャー号」なるものを走らせとるそうじゃ」

「ヒロデンジャー号? ヒロデンジャー(食品)を運ぶためのトラックのこと?」

「…じゃのうて、団地向けの移動販売用の大型バスなんじゃそうな」

「ふ~ん。いろいろなことをやりよってじゃね」








「広島電鉄3900形電車、愛称「ぐりーんらいなー」に乗って広島まで帰る」





訪問日:2014年4月26日、5月2日





【参考資料】

中国新聞 2013年5月27日

中国新聞 2014年4月24日






「今日は、西国街道おまけ旅ということで、広電の廿日市市市役所前について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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西国街道(旧山陽道) その22

2014年05月13日 | 見て歩き
~専念寺(せんねんじ)から広島電鉄・廿日市市(はつかいちし)市役所前まで~





「前回は、四郎峠から専念寺を紹介したんじゃけど…」

「今日は、専念寺から広島電鉄・廿日市市市役所前まで」







「浄土真宗本願寺派の専念寺の境内には、街道を行き来する人のためのお茶屋があったそうじゃ」

「旅人の休憩場所になっとったんじゃね」







「専念寺から道路を隔てて反対側、御手洗川(みたらいかわ)沿いに一里塚がある」

「けっこう大きいね」

「この一里塚は、広島市内を流れる元安川(もとやすがわ)に架かる元安橋(もとやすばし)のたもとにある元標から4里になるんじゃの」

「4里ということは、…16キロメートルか」







「ここを左に進んで…」







「新幹線高架下と…」







「西広島バイパスの下をくぐって、御手洗川を右手に見ながら進む」







「この角を右へ曲がると…」







「御手洗川に架かる御手洗橋がある」

「この橋になにかあるん?」

「ここは地御前(じごぜん)参道になるんじゃと」

「ということは、宮島へお参りするための道?」

「ほうじゃの。厳島神社(いつくしまじんじゃ)と、その外宮社の地御前神社へお参りする人でにぎわったということじゃ」



↓厳島神社については、こちら↓

「嚴島神社」一般社団法人宮島観光協会



↓地御前神社については、こちら↓

「地御前神社」はつかいち旅ナビ









「元の道に戻って、踏切の手前の道を左へ進む」







「JR宮内串戸(みやうちくしど)駅前を通り抜けて…」







「真っ直ぐに進む」







「ここで道路の下を通らず、右へ曲がると…」







「うわ~、坂道じゃね」







「道の左側にお地蔵さまが祀(まつ)ってある。「おんばざらたらまきりくそわか」と書いてあったけぇ、千手観音(せんじゅかんのん)が祀ってあると思うんじゃがの」







「坂を上ったあと、そのまま下る」







「右にある細い道を通って…」







「JR山陽本線の上を通る」







「団地の中を通って進む」







「これは振り返って見たところ。右側でなく、真っ直ぐの道を歩いて来たんじゃの」







「しばらく行くと、広島電鉄・廿日市市(はつかいちし)市役所前に着く。今日はここまで」

「お疲れさまでした」





訪問日:2014年4月26日





【参考文献】

梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年

下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』平凡社 1982年






「今日は、専念寺から広島電鉄・廿日市市市役所前について話をさせてもらいました」

「次回は、広島電鉄・廿日市市市役所前から廿日市天満宮までを紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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