~古代山陽道の石畳から一里塚跡・今川貞世(いまがわ さだよ。了俊(りょうしゅん))の歌碑まで~
「前回は、残念社(ざんねんしゃ)入り口から古代山陽道の石畳を紹介したんじゃけど…」
「今日は、古代山陽道の石畳から一里塚跡・今川貞世(了俊)の歌碑まで」
「古代山陽道の石畳から、道路を渡って…」
「道を下る」
「対岸に宮島が見えるね」
「ふと、道端に目をやると…」
「おぉ、石垣の間から根性たけのこが生えとるよ」
「この舗装道路の下に、石畳の道が保存されとるそうじゃ」
「広い道路に出ると…」
「うわ~、でっかい岩があるんじゃね」
「なんで、こがぁな(=こんな)大きな岩が、こがぁなところにあるんじゃろか???」
「右に曲がって道を下って行くと、交差点に出る」
「交差点を右に曲がって、本覚院裏の細い道をさらに下って行く」
「道の左側におじぞうさんが祀ってあった」
「大きな道路に出る。これは振り返って見たところ」
「真ん中の道から出てきて、右側に進むんじゃね」
「この道を進むと…」
「JR大野浦駅に着く。駅北口の向かって左側(西側)に、一里塚跡と今川貞世(いまがわ さだよ。了俊(りょうしゅん))の歌碑がある」
「今川貞世の碑は2つ目じゃね」
「この詩に「おおのうら」と詠まれとるところから、「大野浦」という地名がついたそうじゃ」
「これは、駅構内の案内板」
「へぇ、通路に案内が書いてあるよ」
「…というわけで、今日はここからJRに乗って帰った」
「はい。お疲れさまでした」
訪問日:2014年4月19日
【参考文献】
梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年
下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』平凡社 1982年
「廿日市市大野の史跡・名所・歴史」カキナビ
「今日は、古代山陽道の石畳から一里塚跡・今川貞世(了俊)の歌碑について話をさせてもらいました」
「次回は、一里塚跡・今川貞世(了俊)の歌碑から大頭神社(おおがしらじんじゃ)を紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
「前回は、残念社(ざんねんしゃ)入り口から古代山陽道の石畳を紹介したんじゃけど…」
「今日は、古代山陽道の石畳から一里塚跡・今川貞世(了俊)の歌碑まで」
「古代山陽道の石畳から、道路を渡って…」
「道を下る」
「対岸に宮島が見えるね」
「ふと、道端に目をやると…」
「おぉ、石垣の間から根性たけのこが生えとるよ」
「この舗装道路の下に、石畳の道が保存されとるそうじゃ」
「広い道路に出ると…」
「うわ~、でっかい岩があるんじゃね」
「なんで、こがぁな(=こんな)大きな岩が、こがぁなところにあるんじゃろか???」
「右に曲がって道を下って行くと、交差点に出る」
「交差点を右に曲がって、本覚院裏の細い道をさらに下って行く」
「道の左側におじぞうさんが祀ってあった」
「大きな道路に出る。これは振り返って見たところ」
「真ん中の道から出てきて、右側に進むんじゃね」
「この道を進むと…」
「JR大野浦駅に着く。駅北口の向かって左側(西側)に、一里塚跡と今川貞世(いまがわ さだよ。了俊(りょうしゅん))の歌碑がある」
「今川貞世の碑は2つ目じゃね」
「この詩に「おおのうら」と詠まれとるところから、「大野浦」という地名がついたそうじゃ」
「これは、駅構内の案内板」
「へぇ、通路に案内が書いてあるよ」
「…というわけで、今日はここからJRに乗って帰った」
「はい。お疲れさまでした」
訪問日:2014年4月19日
【参考文献】
梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年
下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』平凡社 1982年
「廿日市市大野の史跡・名所・歴史」カキナビ
「今日は、古代山陽道の石畳から一里塚跡・今川貞世(了俊)の歌碑について話をさせてもらいました」
「次回は、一里塚跡・今川貞世(了俊)の歌碑から大頭神社(おおがしらじんじゃ)を紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」