「今日(2014年5月3日)の午後2時から、アニメーション監督・片渕須直氏のトークライブが、広島市にある旧日本銀行広島支店であるんじゃ」
「お父さん、行きたいんじゃろ?」
「行きたい! 行って話を聞きたいんじゃが…」
「すいませんね。その時間は娘がフラワーフェスティバルに参加するもんで」
↓片渕須直監督トークライブについては、こちら↓
「広島メディア芸術振興プロジェクト「アニメーション・まんがアート展」を開催します」広島市ホームページ
「5月5日(月)まで、旧日本銀行広島支店で、「調べて描くアニメーション映画『この世界の片隅に』の世界展」が開かれとるんじゃ」
「調べて描くって、漫画とかアニメは、関係する資料を集めて、それを絵にするんじゃないん?」
「そうなんじゃが、片渕氏の場合、それが半端じゃないんじゃの」
「半端じゃないというのは?」
「たとえば、『この世界の片隅に』では、昭和9年から戦後、昭和21年までの広島と呉が描かれとるんじゃが、「戦前」「戦時中」という漠然としたものでのうて、「昭和何年の何月ごろのどこどこ(具体的な地名)」を描こうとしとられるんじゃ」
「ほぉ」
「原作者のこうの史代(こうの ふみよ)さんも、資料の写真を見て、現地に足を運んで漫画を描かれとってんじゃ」
「へぇ、そうじゃったんじゃ」
「会場にはレイアウトが展示してあって、それをもとに解説が加えてあるんじゃが…」
「たとえば、このレイアウト」
「第1話の冒頭シーン(漫画では「昭和9年1月」。アニメでは「昭和8年12月」)じゃね」
「主人公のすずが、江波(えば)から中島本町(なかじまほんまち)にある店まで海苔(のり)を届けに行く場面じゃの」
「すごい数の海苔が干してあるんじゃね」
「江波で海苔の養殖が始まったのが明和4年(1767年)で、昭和8年ころも冬には海苔づくりが盛んで、こんな具合に天日干しをしよったそうじゃ」
「江波で海苔を作りよったなんて、いっそ(=全然)知らんかったよ」
「そりゃそうじゃ。戦前までの話じゃけぇの。太平洋戦争が始まったころから、江波山の南側が埋め立てられて工場が建てられた。ほいで、海苔の養殖場のほとんどがなくなってしもうたそうじゃけぇの」
「三菱重工はそのときに作られたんじゃね」
「それが1943年(昭和18年)のこと。昭和8年の江波は、まだ海苔づくりが盛んじゃった。で、画面左側には江波山が見えるんじゃ」
「江波山といえば、気象台(現:広島市江波山気象館)があるよ」
「ほいじゃけぇ、江波山には建設中の気象台も描かれとるんじゃ」
「建設中?」
「江波山の気象台は1934年(昭和9年)に建てられて、翌35年(昭和10年)に国泰寺村(現:国泰寺町)から移転してきて、観測を開始したそうじゃ。ちなみに、このころは「気象台」じゃのうて、「測候所」と呼びよったらしいがの」
↓広島と海苔については、こちら↓
「広島と海苔の歴史」味付海苔・焼海苔製造元 山城屋
↓江波山の気象台については、こちら↓
広島市江波山気象館公式ホームページ
「主人公のすずが、江波から中島本町へ着く」
「中島本町といえば、当時の広島市の繁華街のひとつ。今の広島平和記念公園の中で、原爆の子の像や平和の灯があるあたりじゃね」
「このあたりは戦後、公園に整備したもんで、当時は商店はもとより、映画館やカフェーなんかがある町でもあったんじゃ」
「その中島本町に唯一残った建物が、今のレストハウス(爆心地から170メートル)。昭和8年ごろは大正屋呉服店という店じゃったんよ」
「そのころ、ショーウィンドーには、大きな金色の手すりが取り付けてあったそうじゃ」
「へぇ」
「しかも、その取り付けられた跡を確かめられたそうじゃ」
「すごいねぇ」
「ショーウィンドーはガラスじゃけぇ、そこに店の反対側にあるものが映り込む」
「そうじゃね」
「となると、それも描かんといけん」
「うーん。そこまでするか」
「圧巻なのは、その大正屋呉服店前のレイアウト。実際に住んでおられた方からの情報をもとに、なんと6度も描き直されとってんじゃ」
「へへー、参りました」
「これは実際に会場でご覧ください。その他にも「調べて描」かれたレイアウトが多数展示してありますけぇの」
けれど、まだまだ至らないところがあるかもしれません。
映画が出来上がらない今ならまだ描き直せます。
こうの史代さんが、原作漫画のあとがきで述べられているとおり、
「間違っていたなら教えてください 今のうちに」
(「今回の展示にあたって」監督 片渕須直)
↓片渕須直については、こちら↓
「1300日の記録[片渕須直]」WEBアニメスタイル
↓中島本町については、こちら↓
「平和記念公園マップ」広島平和記念資料館
訪問日:2014年4月30日
【参考文献】
『広島県大百科事典』(中国新聞社 1982年)
「今日は、旧日本銀行広島支店で開催中の「調べて描くアニメーション映画『この世界の片隅に』の世界展」について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
「お父さん、行きたいんじゃろ?」
「行きたい! 行って話を聞きたいんじゃが…」
「すいませんね。その時間は娘がフラワーフェスティバルに参加するもんで」
↓片渕須直監督トークライブについては、こちら↓
「広島メディア芸術振興プロジェクト「アニメーション・まんがアート展」を開催します」広島市ホームページ
「5月5日(月)まで、旧日本銀行広島支店で、「調べて描くアニメーション映画『この世界の片隅に』の世界展」が開かれとるんじゃ」
「調べて描くって、漫画とかアニメは、関係する資料を集めて、それを絵にするんじゃないん?」
「そうなんじゃが、片渕氏の場合、それが半端じゃないんじゃの」
「半端じゃないというのは?」
「たとえば、『この世界の片隅に』では、昭和9年から戦後、昭和21年までの広島と呉が描かれとるんじゃが、「戦前」「戦時中」という漠然としたものでのうて、「昭和何年の何月ごろのどこどこ(具体的な地名)」を描こうとしとられるんじゃ」
「ほぉ」
「原作者のこうの史代(こうの ふみよ)さんも、資料の写真を見て、現地に足を運んで漫画を描かれとってんじゃ」
「へぇ、そうじゃったんじゃ」
「会場にはレイアウトが展示してあって、それをもとに解説が加えてあるんじゃが…」
「たとえば、このレイアウト」
「第1話の冒頭シーン(漫画では「昭和9年1月」。アニメでは「昭和8年12月」)じゃね」
「主人公のすずが、江波(えば)から中島本町(なかじまほんまち)にある店まで海苔(のり)を届けに行く場面じゃの」
「すごい数の海苔が干してあるんじゃね」
「江波で海苔の養殖が始まったのが明和4年(1767年)で、昭和8年ころも冬には海苔づくりが盛んで、こんな具合に天日干しをしよったそうじゃ」
「江波で海苔を作りよったなんて、いっそ(=全然)知らんかったよ」
「そりゃそうじゃ。戦前までの話じゃけぇの。太平洋戦争が始まったころから、江波山の南側が埋め立てられて工場が建てられた。ほいで、海苔の養殖場のほとんどがなくなってしもうたそうじゃけぇの」
「三菱重工はそのときに作られたんじゃね」
「それが1943年(昭和18年)のこと。昭和8年の江波は、まだ海苔づくりが盛んじゃった。で、画面左側には江波山が見えるんじゃ」
「江波山といえば、気象台(現:広島市江波山気象館)があるよ」
「ほいじゃけぇ、江波山には建設中の気象台も描かれとるんじゃ」
「建設中?」
「江波山の気象台は1934年(昭和9年)に建てられて、翌35年(昭和10年)に国泰寺村(現:国泰寺町)から移転してきて、観測を開始したそうじゃ。ちなみに、このころは「気象台」じゃのうて、「測候所」と呼びよったらしいがの」
↓広島と海苔については、こちら↓
「広島と海苔の歴史」味付海苔・焼海苔製造元 山城屋
↓江波山の気象台については、こちら↓
広島市江波山気象館公式ホームページ
「主人公のすずが、江波から中島本町へ着く」
「中島本町といえば、当時の広島市の繁華街のひとつ。今の広島平和記念公園の中で、原爆の子の像や平和の灯があるあたりじゃね」
「このあたりは戦後、公園に整備したもんで、当時は商店はもとより、映画館やカフェーなんかがある町でもあったんじゃ」
「その中島本町に唯一残った建物が、今のレストハウス(爆心地から170メートル)。昭和8年ごろは大正屋呉服店という店じゃったんよ」
「そのころ、ショーウィンドーには、大きな金色の手すりが取り付けてあったそうじゃ」
「へぇ」
「しかも、その取り付けられた跡を確かめられたそうじゃ」
「すごいねぇ」
「ショーウィンドーはガラスじゃけぇ、そこに店の反対側にあるものが映り込む」
「そうじゃね」
「となると、それも描かんといけん」
「うーん。そこまでするか」
「圧巻なのは、その大正屋呉服店前のレイアウト。実際に住んでおられた方からの情報をもとに、なんと6度も描き直されとってんじゃ」
「へへー、参りました」
「これは実際に会場でご覧ください。その他にも「調べて描」かれたレイアウトが多数展示してありますけぇの」
けれど、まだまだ至らないところがあるかもしれません。
映画が出来上がらない今ならまだ描き直せます。
こうの史代さんが、原作漫画のあとがきで述べられているとおり、
「間違っていたなら教えてください 今のうちに」
(「今回の展示にあたって」監督 片渕須直)
↓片渕須直については、こちら↓
「1300日の記録[片渕須直]」WEBアニメスタイル
↓中島本町については、こちら↓
「平和記念公園マップ」広島平和記念資料館
訪問日:2014年4月30日
【参考文献】
『広島県大百科事典』(中国新聞社 1982年)
「今日は、旧日本銀行広島支店で開催中の「調べて描くアニメーション映画『この世界の片隅に』の世界展」について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」