通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

出会いは、パタリロ!

2014年05月02日 | 音楽


『サックス&ブラス・マガジン Volume27』(リットーミュージック)



「今日、5月2日は、わしが尊敬するミュージシャン・新田一郎(にった いちろう)氏の誕生日じゃ」

「おめでとうございます」

「今年で、60歳」

「還暦(かんれき)かぁ…。うちらが若いころに聞きよったミュージシャンが還暦(かんれき)になってもおかしゅうないんよね」

「1945年(昭和29年)生まれのミュージシャンを、ウィキペディアで調べてみると…」



因幡 晃(いなば あきら)

坂崎 幸之助(さかざき こうのすけ。THE ALFEE)

庄野 真代(しょうの まよ)

鈴木 博文(すずき ひろぶみ。ムーンライダーズ)

高見沢 俊彦(たかみざわ としひこ。THE ALFEE)

野沢 秀行(のざわ ひでゆき。サザンオールスターズ)

BORO(ボロ)

松任谷 由実(まつとうや ゆみ)

水越けいこ(みずこし けいこ)

(五十音順)




↓サックス&ブラス・マガジンについては、こちら↓

「サックス&ブラス・マガジン」リットーミュージック





「新田さんといえば、スペクトラム(1979年~1981年)というバンドのリーダーじゃったんよね」

「わしゃ、スペクトラムを知らんかったんじゃ」

「そうじゃったん?」

「なんせ、大学1年(1982年)のときの学園祭に「トマトイッパツ」という名前のバンド(ホーンは入っとらんかった)を見て、「なんちゅうバンド名じゃ?」と思うたくらいじゃけぇの」

「へぇ」

「最初に新田氏の音楽に触れたのが、スペクトラム解散後、ソロになった新田氏の最初の仕事『パタリロ! オリジナルアルバム』(キングレコード。以下、『パタリロ!』と表記)。1982年(昭和57年)春のことじゃけぇ、今から32年前のことか…」

「漫画の『パタリロ!』(作:魔夜 峰央(まや みねお))を読んどったけぇ?」

「読んだいうても、病院の待合室とかで読んだことがあるくらいかの」

「連載されとったんが少女漫画誌の『花とゆめ』(白泉社)じゃったけぇ、男子は買いづらかったかもね」

「レコード屋で『パタリロ!』のレコードジャケットを見て、なんでか分からんが、衝動買いをしてしもうたんじゃ」

「そうか、このころはまだレコードじゃったね」

「レコードに「新田パタイチロー」と表記されとるのを見て、レコードの内容からして、「この人はギャグの分かる人じゃのう」と勝手に想像したんじゃの」



↓漫画『パタリロ!』については、こちら↓

「パタリロ!.com」白泉社





「で、その年の夏に、ミッチこと堀江美都子(ほりえ みつこ)さんのオリジナル・アルバム『レディ・マドンナ』を買(こ)うた」

「堀江さんいうたら、『キャンディ・キャンディ』『魔法のマコちゃん』なんかのアニメソングを歌いよってんよ」

「新田氏は、このアルバムのプロデュースをされとったんじゃ」

「『パタリロ!』『レディ・マドンナ』と、たまたまじゃけど新田さんが手がけたアルバムを続けて聞いたんじゃね」

「で、レンタル屋、確か「黎紅堂(れいこうどう)」という店じゃったと記憶しとるんじゃが、そこで新田氏のファーストアルバム『新田一郎・一番 クールが熱い』を借りて聞いたみたんじゃが…」

「…じゃが?」

「あの裏声(ファルセット)についていけず、途中で断念!」



↓堀江美都子については、こちら↓

堀江美都子・ミッチネット





「『パタリロ!』に続く、『パタリロ! オリジナルアルバム PART-Ⅱ』(1982年)、『パタリロ! オリジナルアルバム PART-Ⅲ』(1983年)の三部作。そしてテレビアニメ『ななこSOS』(1983年)と、いつの間にか新田サウンドにどっぷり浸かってしもうとった。そんなころに聞いたのが、セカンドアルバム『新田一郎・二番 残像~アフター・イマージュ』(1983年)」

「これでハマってしもうたと」

「というわけで、わしにとっての新田一郎は、氏のアルバムと『パタリロ!』、そして『エリア88』(キングレコード。1985年~)なんじゃの」





↓スペクトラム・新田一郎のCDについては、こちら↓

「スペクトラムと新田一郎のアルバム計5タイトルをタワレコ限定再発」TOWER RECORDS ONLINE

「スペクトラム新田一郎 ソロ作品5タイトル一挙再発」HMV ONLINE






「今日は、60歳の誕生日を迎える新田一郎さんについて話をさせてもらいました」

「新田氏に関しては、これからも取り上げていくつもりじゃ。ほいじゃあ、またの」
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西国街道(旧山陽道) その12

2014年05月02日 | 見て歩き
~鳴川(なるかわ)の石畳から松陰(しょういん)腰掛の石まで~





「前回は、西国街道にある角屋釣井から鳴川の石畳を紹介したんじゃけど…」

「今日は、鳴川の石畳から松陰腰掛の石まで。坂道を上ったり下ったりするんじゃが、眺めはええですけぇの」







「鳴川の石畳から下りて鳴川川を渡ると、そこから廿日市市(はつかいちし)になるんじゃ」

「「廿日市」と書いて、「はつかいち」と読むんよね」

「「廿」の字が読みづらいというのもあるんじゃが、「廿」じゃのうて「甘」と書いてしまいがちじゃの」

「それを逆手にとって、「大好き!甘~い!廿日市♪」いうキャンペーンをやりよってんよ」



↓廿日市市については、こちら↓

はつかいち旅ナビ







「道が2手に分かれとるが、ここは左へ進む。右へ進むと、JRの踏切がある」







「広い道に出ると、おおのハートバスの鳴川バス停があるんじゃ」

「イスが並べてあるんじゃね」

「4つとも違うイスというのが、ええ味出しとるよのう」



↓おおのハートバスについては、こちら↓

株式会社 ささき観光







「ここから急な坂道になるんじゃ」

「しかも長いし…」







「右手に鳴川保育園があって、園庭にはこいのぼりが吊るしてあった」

「シーズンじゃもんね」







「振り返ると、遠くに大竹・岩国の工場群が見える」



↓大竹の工場については、こちら↓

大竹市の工場夜景







「坂を上って、広島岩国道路の高架下をくぐり…」







「狭くなった道を、さらに上ると…」









「目の前に、宮島が見える」

「おぉ、ええ眺めじゃねぇ」

「これで天気がえかったら、もっと遠くまで見えるんじゃがのう…。残念じゃ」







「坂を上ったり下ったりしながら進むと…」







「八坂墓苑のほとりを通る。場所が場所だけに、昼間でもちょっと怖かったのう」







「さらに坂を上って…」







「このあたりから山道に入っていくんじゃが、歩きやすいように整備してあるんじゃの」

「看板がたくさん出とるね」







「鳥居があるよ」

「この奥には依田(よだ)神社があって、その鳥居じゃと思うんじゃが、依田神社については次回説明するけぇの」









「左奥にある大きな石が、江戸へ護送される途中、吉田松陰(よしだ しょういん)が腰掛けたといわれる石じゃ」





「「三県一望の地」ってあるけど、な~んも見えんじゃん」

「むかしは、ここからの眺めがえかったん(=良かったの)かもしれん。ここから少し登ると、今でも絶景を楽しめるんじゃがの」

「三県って、広島と山口と、四国の愛媛(えひめ)かね?」

「そうじゃろうの。安芸(=広島)の宮島、周防(すおう。=山口)の周防大島(すおうおおしま)をはじめとする、瀬戸内に浮かぶ島々。そして、遠く伊予(いよ。=愛媛)の山々が一望るんじゃろうの」

「これで天気がえけりゃあ(=良かったら)ねぇ…」





訪問日:2014年4月19日





【参考文献】

梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年

下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』平凡社 1982年






「今日は、西国街道にある鳴川(なるかわ)の石畳から松陰(しょういん)腰掛の石について話をさせてもらいました」

「次回は、松陰腰掛の石から残念社入り口を紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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