~廿日市天満宮 その1~
「前回は、広島電鉄・廿日市市市役所前から廿日市天満宮を紹介したんじゃけど…」
「今日は、廿日市天満宮 その1じゃ」
↓廿日市天満宮については、こちら↓
「廿日市天満宮」はつかいち旅ナビ
「天満宮の前に本陣が建てられたくらいじゃけぇ、由緒正しい神社なんじゃろうね」
「鎌倉時代、藤原親実(ふじわら ちかざね)は、厳島神社の神主に任命され、天満宮のある場所より西にある桜尾城(さくらおじょう)にやって来た。その親実が天福元年(1233年)、鎌倉にある荏柄(えがら)天満宮をこの地に勧請(かんじょう)したのが始まりじゃそうな」
「ということは…、800年くらいの歴史があるんかぁ」
「親実は、厳島神社を造営するために鎌倉から大工、瓦師、鍛冶鋳物師などを招いて、これが廿日市という町や港が繁栄する基となったそうじゃ」
「へぇ」
「藤原氏は親実から15代続いたんじゃが、300年後の天文2年(1533年)、周防(すおう。現:山口県)の大内義隆(おおうち よしたか)に滅ぼされ、社殿も荒れ放題になったそうじゃ」
「…で?」
「で、別当寺(べっとうじ。神社を管理するために置かれた寺)を設けて社殿を管理するようになった。それが今も山の上にある真言宗の正覚院(しょうかくいん)じゃそうな」
「天満宮には、寄進者名を彫った玉垣(たまがき)がある。よう(=良く)見ると、大坂(おおさか)はもとより、遠く越中(えっちゅう)高岡、今の富山県高岡市の方の名前が彫られとるんじゃの」
「そんな遠くから、なんで?」
「江戸時代の中期から北前船(きたまえぶね)が出入りしよった廿日市は、港町として栄えとったんじゃ」
「北前船いうたら、日本海沿岸の港から下関・瀬戸内海を経由して大坂に向かう航路を走りよった船じゃね」
「その関係もあって、各地の回船問屋から寄進されたものが残っとるんじゃろうの」
「天満宮といえば、神の使いである「撫で牛(なでうし)」」
「頭を撫でると頭がよう(=良く)なるし、自分の体の悪いところを撫でると、病(やまい)が治るいうていわれとるよね」
「鳥居をくぐって行くと…」
「天満宮には、境内社が5つある。これはそのひとつで、商売繁盛、大漁の神様である事代主神(ことしろぬしのかみ)を祀った胡子(えびす)神社」
「階段の横には、やはり寄進された石柱がある」
「「○」に「か」?」
「「掛屋儀助」とあるけぇ、商売をされよった方が寄進されて、屋号も一緒に彫ってあるんじゃろうの」
「食物・五穀豊穣の神様である豊受大神(とようけのおおかみ)を祀った豊受(とようけ)神社に…」
「五穀豊穣、商売繁盛の神様である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀った稲荷神社もある」
「これは稲荷神社の裏側、蓮教寺側からの参道じゃの」
「結構、きつい坂を上って行くんじゃね」
「崩壊防止工事?」
「この写真を見てもらやぁ、分かると思うんじゃが…」
「山全体がコンクリートで覆(おお)われとるんじゃね」
「1971年(昭和46年)から1975年(昭和50年)にかけて工事が行われたそうじゃ」
「いうことは、ここからの眺めはええんじゃろうね」
「西には折敷畑山(おしきばたやま)などの山々、南には瀬戸内海に宮島が見える」
「東に目をやると、広島はつかいち大橋も見える」
「広島はつかいち大橋いうたら、「ベタ踏み坂」かいね?」
「ほうじゃの。ダイハツの軽自動車タントのコマーシャルでやりよるのは、島根県にある江島大橋(えしまおおはし)で、最大傾斜が6%ある。広島はつかいち大橋も、傾斜はほぼ同じじゃそうな」
↓広島はつかいち大橋については、こちら↓
「広島はつかいち大橋(ひろしまはつかいちおおはし)」広島県ホームページ
↓江島大橋については、こちら↓
「江島大橋ーベタ踏み坂ー」鳥取県観光案内 とっとり旅の生情報/観光情報
「本殿」
「篠尾城跡(ささおじょうあと)?」
「ここには、桜尾城の支城のひとつである篠尾城があった。天満宮があるこの山は、もともと篠尾山いう名前じゃったんじゃが、天満宮が勧進されたときに天神山と呼ばれるようになったそうじゃ」
「この枯れた木は?」
「天狗(てんぐ)松と呼ばれる松の木。1951年(昭和26年)10月のルース台風で傷つき、平成になって枯れてしもうたそうじゃ」
↓ルース台風については、こちら↓
「ルース台風」広島県防災Web
「おみくじを結びつけてある木を見てみると…」
「…梅の実がなっとるよ」
「天満宮いうたら、梅を愛した菅原道真(すがわらのみちざね)を祀る神社」
「九州・太宰府(だざいふ)に左遷(させん)された道真を慕う梅の木が、一夜のうちに都から大宰府の道真の元へ飛んでいったいう「飛梅伝説」があるよね」
「安産・子授けの神様・少彦名神(すくなひこなのかみ)を祀った淡島(あわしま)神社に…」
「海上交通の神様・大物主神(おおものぬしのかみ)を祀った金毘羅(ことひら)神社もある」
訪問日:2014年5月2日
【参考文献】
梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年
下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』平凡社 1982年
三浦正幸/監修、藤井由美『ひろしまのパワースポット社寺&ご利益巡り』南々社 2012年
廿日市天満宮 案内書
「今日は、廿日市天満宮について話をさせてもらいました」
「次回は、廿日市天満宮の狛犬を紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
「前回は、広島電鉄・廿日市市市役所前から廿日市天満宮を紹介したんじゃけど…」
「今日は、廿日市天満宮 その1じゃ」
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「廿日市天満宮」はつかいち旅ナビ
「天満宮の前に本陣が建てられたくらいじゃけぇ、由緒正しい神社なんじゃろうね」
「鎌倉時代、藤原親実(ふじわら ちかざね)は、厳島神社の神主に任命され、天満宮のある場所より西にある桜尾城(さくらおじょう)にやって来た。その親実が天福元年(1233年)、鎌倉にある荏柄(えがら)天満宮をこの地に勧請(かんじょう)したのが始まりじゃそうな」
「ということは…、800年くらいの歴史があるんかぁ」
「親実は、厳島神社を造営するために鎌倉から大工、瓦師、鍛冶鋳物師などを招いて、これが廿日市という町や港が繁栄する基となったそうじゃ」
「へぇ」
「藤原氏は親実から15代続いたんじゃが、300年後の天文2年(1533年)、周防(すおう。現:山口県)の大内義隆(おおうち よしたか)に滅ぼされ、社殿も荒れ放題になったそうじゃ」
「…で?」
「で、別当寺(べっとうじ。神社を管理するために置かれた寺)を設けて社殿を管理するようになった。それが今も山の上にある真言宗の正覚院(しょうかくいん)じゃそうな」
「天満宮には、寄進者名を彫った玉垣(たまがき)がある。よう(=良く)見ると、大坂(おおさか)はもとより、遠く越中(えっちゅう)高岡、今の富山県高岡市の方の名前が彫られとるんじゃの」
「そんな遠くから、なんで?」
「江戸時代の中期から北前船(きたまえぶね)が出入りしよった廿日市は、港町として栄えとったんじゃ」
「北前船いうたら、日本海沿岸の港から下関・瀬戸内海を経由して大坂に向かう航路を走りよった船じゃね」
「その関係もあって、各地の回船問屋から寄進されたものが残っとるんじゃろうの」
「天満宮といえば、神の使いである「撫で牛(なでうし)」」
「頭を撫でると頭がよう(=良く)なるし、自分の体の悪いところを撫でると、病(やまい)が治るいうていわれとるよね」
「鳥居をくぐって行くと…」
「天満宮には、境内社が5つある。これはそのひとつで、商売繁盛、大漁の神様である事代主神(ことしろぬしのかみ)を祀った胡子(えびす)神社」
「階段の横には、やはり寄進された石柱がある」
「「○」に「か」?」
「「掛屋儀助」とあるけぇ、商売をされよった方が寄進されて、屋号も一緒に彫ってあるんじゃろうの」
「食物・五穀豊穣の神様である豊受大神(とようけのおおかみ)を祀った豊受(とようけ)神社に…」
「五穀豊穣、商売繁盛の神様である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀った稲荷神社もある」
「これは稲荷神社の裏側、蓮教寺側からの参道じゃの」
「結構、きつい坂を上って行くんじゃね」
「崩壊防止工事?」
「この写真を見てもらやぁ、分かると思うんじゃが…」
「山全体がコンクリートで覆(おお)われとるんじゃね」
「1971年(昭和46年)から1975年(昭和50年)にかけて工事が行われたそうじゃ」
「いうことは、ここからの眺めはええんじゃろうね」
「西には折敷畑山(おしきばたやま)などの山々、南には瀬戸内海に宮島が見える」
「東に目をやると、広島はつかいち大橋も見える」
「広島はつかいち大橋いうたら、「ベタ踏み坂」かいね?」
「ほうじゃの。ダイハツの軽自動車タントのコマーシャルでやりよるのは、島根県にある江島大橋(えしまおおはし)で、最大傾斜が6%ある。広島はつかいち大橋も、傾斜はほぼ同じじゃそうな」
↓広島はつかいち大橋については、こちら↓
「広島はつかいち大橋(ひろしまはつかいちおおはし)」広島県ホームページ
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「江島大橋ーベタ踏み坂ー」鳥取県観光案内 とっとり旅の生情報/観光情報
「本殿」
「篠尾城跡(ささおじょうあと)?」
「ここには、桜尾城の支城のひとつである篠尾城があった。天満宮があるこの山は、もともと篠尾山いう名前じゃったんじゃが、天満宮が勧進されたときに天神山と呼ばれるようになったそうじゃ」
「この枯れた木は?」
「天狗(てんぐ)松と呼ばれる松の木。1951年(昭和26年)10月のルース台風で傷つき、平成になって枯れてしもうたそうじゃ」
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「ルース台風」広島県防災Web
「おみくじを結びつけてある木を見てみると…」
「…梅の実がなっとるよ」
「天満宮いうたら、梅を愛した菅原道真(すがわらのみちざね)を祀る神社」
「九州・太宰府(だざいふ)に左遷(させん)された道真を慕う梅の木が、一夜のうちに都から大宰府の道真の元へ飛んでいったいう「飛梅伝説」があるよね」
「安産・子授けの神様・少彦名神(すくなひこなのかみ)を祀った淡島(あわしま)神社に…」
「海上交通の神様・大物主神(おおものぬしのかみ)を祀った金毘羅(ことひら)神社もある」
訪問日:2014年5月2日
【参考文献】
梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年
下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』平凡社 1982年
三浦正幸/監修、藤井由美『ひろしまのパワースポット社寺&ご利益巡り』南々社 2012年
廿日市天満宮 案内書
「今日は、廿日市天満宮について話をさせてもらいました」
「次回は、廿日市天満宮の狛犬を紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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