はなバルーンblog

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大山版「ドラえもんだらけ」「オモイデコロン」感想

2005-06-11 15:51:47 | 大山ドラ
 押し入れにしまっていたビデオテープを引っ張り出して、昨日書いたとおり、大山版ドラで放映された「オモイデコロン」(「ココロコロン」リメイク版)と、ついでに「ドラえもんだらけ」を久しぶりに観てみた。以下に、昨日放映されたリニューアル版との比較を交えつつ、感想を書いてみる。



「ドラえもんだらけ」(1991年9月6日放送:脚本/水出弘一、コンテ・演出/平井峰太郎、作画監督/中村英一)

 原作との相違点は

・冒頭、学校帰りののび太たちの会話シーンを追加
・のび太が寝ている場面はカット
・「ついにくるった」→ドラがのび太を襲う場面はカット

原作と明らかに異なる点は、以上の通り。
 一番目の学校帰りのシーンは、その後に続く、のび太がドラえもんのドラ焼きをあげるのが、宿題を頼むためという事をばらしてしまっているので、余計な場面だと思う。のび太が寝ている場面については、あまり細かく描きすぎると、後の展開を予想される事にもなるので、思い切って丸々カットしたのは悪くない。「ついにくるった」が無いのは、もったいないところだ。大山版ドラのイメージでは、のび太に乱暴しようとするのがまずかったのだろうか。
 そして、「ついにくるった」と並んで、原作では強烈な場面である「ぶっころしてやる」については、セリフこそカットされていたものの、スパナを持ってドラがドラを追いかけ回す場面はそのまま映像化されていたので、この点はよかった。
 また、ドラえもん達の様子を観ているのび太に説明ゼリフが多かった点は、ちょっと気になった。5人のドラえもんが出てきて視聴者が混乱する事を避けるための措置だろうが、わざわざ状況を説明しなければ理解できないような、分かりづらい話ではないのだ。

 全体的には、原作の初アニメ化として決して悪い出来ではないが、ドラのセリフなどからは原作初期特有のノリが失われていたため、「ドラえもんだらけ」という作品としては、少々おとなしすぎる印象を受けた。ただ、先に述べたように、大山版ならではのよい部分もあるので、一概に昨日の放送とは比べられない。



「オモイデコロン」(1988年7月22日放送:脚本/丸尾みほ、コンテ・演出/安藤敏彦、作画監督/中村英一)

 タイトルが「ココロコロン」ではなく「オモイデコロン」なのは、リメイク版であるため。基本的に、大山版ドラで同じ原作が2度アニメ化された場合は、タイトルは変えられている。
 本話は、7ページの原作を12分43秒もの長さの作品にしたため、アニメオリジナルシーンが追加されている。まず、冒頭では部屋でゴロゴロしているのび太と、片づけをしなさいと言うママとのやりとりがあり、人形の家を探す部分は、夜まで探し回ってやっと持ち主の家を見つける展開となった。ここでは、しずかが人形にこだわる理由付けとして、小さい頃に、自分も同様に人形を無くした経験があると語らせるシーンが追加されている。この展開で、しずかの行動の動機がはっきりしたし、日が暮れるシーンの追加など、ささいな日常的な場面が印象深かった。
 さらに、原作のラストシーンの後には、本編冒頭の、のび太とママのやりとりにつながる場面として、ママが勝手にのび太の部屋の押し入れを片付けて、クマのぬいぐるみを捨ててしまうエピソードが追加されており、これには、実はママがボロボロになったぬいぐるみを直していたと言うオチがつけられて、全体が「ものを大切にしましょう」と言うメッセージで締めくくられている。このメッセージは昨日のリニューアル版も同じなのだが、「スネ夫のおもちゃの反乱」と比べると、「クマのぬいぐるみ」と言う、のび太のおばあちゃんにもつながるエピソードを出してこられては、大山版に軍配をあげざるを得ない。アニメオリジナルシーンが単なるひきのばしにとどまらず、上手く原作と融合していて、いい話だった。


 さて、今回久しぶりに1990年前後の大山版ドラを観て、改めて気づいたのは「小さい子供に優しい作品」になっているという事だ。これは決して幼稚であるという意味ではなく、原作をあまりストレートにアニメ化すると分かりづらくなるような部分は、かみくだいて理解しやすいような作りになっていると言う事だ。「言葉遣いは丁寧に」という大山さんの考えも、一役買っていたと思う。
 この方針で原作を映像化するのだから、もともと感動的な話である「ココロコロン」がより感動的になり、逆に原作がドタバタものだった「ドラえもんだらけ」が、少々毒気を抜かれてしまうのも当然と言えよう。いずれにせよ、現在放映中のリニューアル版とも異なる、一定の決めごとが存在していたのは確かだろう。
 ただ、このルールが、原作のストックがほぼ尽きた後の1990年代後半以降にも残ってしまったため、大山ドラの末期は「小さい子供にわかりやすく」はあっても、「原作並みの面白い脚本」が滅多に出てこなかったため、私の主観としてはイマイチな作品が増えてしまったのだろう。そう言った意味では、大山版ドラは功罪合わせ持った存在であると、あらためて思ってしまった。