手塚治虫原作の歌劇を鑑賞

 1月9日は、名古屋へ行っていた。
 目的は、河井質店さん(@kawai_shichiten)が出演される名古屋二期会ニューイヤーコンサートを鑑賞することだった。

 このコンサートは全3部の歌劇より成っており、第1部が「再生」で歌劇「ブラック・ジャック」抜粋、第2部が「道」で歌劇「仏陀」抜粋、そして第3部が「復活」で歌劇「火の鳥[ヤマト編]」抜粋となっていた。
 第1部と第3部は手塚治虫作品を原作としているが、第2部はあくまでも「仏陀」であり、手塚作品の「ブッダ」ではない。それでも、話としては「ブッダ」でも描かれたシッダルタの出家と悟りを描いており、手塚版「ブッダ」の読者にはなじみ深い内容だった。
 第1部の「ブラック・ジャック」はさらに三つのエピソードから構成されており、それは「あるスターの死」「ミユキとベン」「おばあちゃん」の三編だった。それぞれ今回は、「87歳の反逆」「お前の中の俺」「母と子のカノン」という題になっていた。

 河井質店さんは、「ブラック・ジャック」の中の「母と子のカノン」に出演されており、息子・猪一と言う重要な役だった。
 原作の「おばあちゃん」を読むとわかるが、おばあちゃんと妻の板挟みとなって苦悩しつつも、最後は母親であるおばあちゃんを助けるために、ある決意をするという役だ。
 今回の歌劇では、原作の名場面や名台詞がちりばめられており、河井質店さんが「払いますとも、一生かかっても」と歌い上げるクライマックスは感動的な場面だった。ブラック・ジャックの請求する手術代が原作の三千万円から一千五百万円になぜか引き下げられていたのは不思議だったが。「さんぜんまんえん」の方が歌いやすそうな気もする。

 第2部の「仏陀」は、シッダルタが王子の地位を捨てて出家して、苦行林で修業をして、ついには悪魔マーラの誘惑にも打ち勝って悟りを開くまでの物語。手塚治虫『ブッダ』で言えば、第2部から第3部の物語にあたる。ストーリーとしてはよく知った展開であり、わかりやすかった。

 第3部は「火の鳥 ヤマト編」が原作だ。
 ヤマト編は、『火の鳥』全シリーズの中でも、もっともギャグ色が強いエピソードであり、今回の歌劇でも大王をコミカルな人物として描いており、十分に原作を尊重した作りになっていたのはよかった。角川が作ったアニメ版「ヤマト編」は、大王が普通の権力者でつまらなかったからなあ。
 今回は、特に原作で歌われた「十万馬力だ、鉄腕大王」という大王のテーマソングが実際に大王役の演者によって歌われたのは、ちょっと感動した。もちろん、メロディーはよく知られている「鉄腕アトム」そのまんまだ。

 このように全3部、色々と見どころのある歌劇だった。しかし、個人的に、歌劇というものを鑑賞するのが生まれて初めてと言うこともあり、正直に言うとやや戸惑うこともあった。
 最大の問題は、特に女性の演者が高らかに歌い上げている時、なんと言っているかなかなか聞き取りにくかった点だ。それを補うためか、舞台上には歌詞が映し出される装置もあったのだが、最初に座った位置からでは、角度が悪くてその装置が全く見えなかったのだ。2階の自由席だったので、第2部が始まる前に席を動いて、ようやく歌詞が読めるようになった。
 とは言え、今回は全てストーリーがわかっている状態で鑑賞したので、付いていくことはできた。しかし、手塚マンガを全然読んでいない人が今回のを初めて鑑賞したら、ちょっときつかったかもしれない。
 また、今回は「抜粋」と付いているように、名場面集に近いもので、場面場面のあいだはナレーションで展開が説明されるようになっており、第3部では敵対していたはずのオグナとカジカが唐突に愛し合って結婚しようとするなど、やや急展開過ぎる部分はあった。

 ともあれ、「手塚マンガを原作として、こんな風に歌劇にするのか」と、実際に鑑賞して非常に興味深かったし、名場面や名台詞の使い方など、原作のツボは押さえられた作りで、悪くはなかったと思う。
 また、機会があれば他の歌劇も鑑賞してみたい。
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『どろろ』新作アニメがスタート

『どろろ』原作および旧作アニメの展開と結末を明かしていますので、ご注意下さい

 当ブログ、新年一回目の更新だ。

 年が明けて、テレビアニメの新番組が次々と始まったが、その中の一つに手塚治虫原作『どろろ』がある。
 『どろろ』は、1969年にも虫プロダクションによって一度アニメ化されており、だから今回の新作は厳密に言えば「第2作」ということになる。

 その新作『どろろ』だが、今のところ放映された第2話までを観た限りでは、なかなかいい感じだ。
 本作の主人公の一人・百鬼丸は父・醍醐景光と魔物との契約によって体の四十八カ所を奪われた状態で生まれてきたという過酷な運命を背負っており、それ故に非常にインパクトがあるのだが、この設定は今の時代に再アニメ化は難しいのではないかと思っていた。
 しかし、本作では、醍醐景光と魔物との契約から百鬼丸の誕生までをしっかりと描いており、スタッフの本気度が伝わってくる第1話であった。もちろん、現代で『どろろ』をやる以上、多くの制約があろう事は容易に推察できるが、少なくとも観ている間はそういったことを感じさせないような話作りになっていたと思う。

 この『どろろ』という作品、主人公の一人は百鬼丸だが、もう一人の「どろろ」を忘れてはならない。
 百鬼丸とは違った意味で、どろろも過酷な人生を送っているが、これまで放映された第2話まででは、まだそれは語られてはいない。オープニングアニメではどろろの両親も登場しているので、いずれは触れられるのであろう。

 と、いった感じにいい具合に始まった『どろろ』だが、私が一番注目しているのは、締めくくりをはたしてどうするのかだ。

 『どろろ』は元々、週刊少年サンデーで連載された漫画だが、同誌では妖怪退治から宝探しに路線変更(伏線はあったが)したあげくに、宝は見つからず百鬼丸の体も完全には戻らないという中途半端な状態で連載終了してしまっている。
 その後、虫プロによる旧作アニメの放映に合わせて、「冒険王」で再び連載されることになるが、アニメとのタイアップ連載であるため、半年間で終了。現在、単行本で最終話として収録されているのはこの「冒険王」版の最終話である「ぬえの巻」と言うことになる。
 だが、この「ぬえの巻」でも、一揆は成功して醍醐景光は追放されるものの、百鬼丸の体は不完全なままでどろろとの別れを選ぶことになる。結局、『どろろ』は未完の作品なのだ。

 それに対して、旧作アニメは最終話のサブタイトルが「最後の妖怪」であり、四十八匹の魔物全てを最終話で倒したことになっている。
 「最後の妖怪」は、原作の「ぬえの巻」をベースに制作されたと思われる半アニメオリジナルのストーリーで、父・醍醐景光こそが最後の魔物となっていたという皮肉な展開となっている。
 いずれにしても最後は百鬼丸とどろろの別れで締めくくられるが、原作よりは旧作アニメの方がしっかり完結している。
 なお、旧作アニメは原作のうちで路線変更して宝探しがメインになった「週刊少年サンデー」掲載の後半分はアニメ化しておらず、最後まで妖怪退治メインの物語を貫いている。その点でも、一貫性のある作品と言えるだろう。
 と言っても、旧作アニメは第1クールはほぼ原作そのままのアニメ化(脚本なしで直接コンテを切る手法で制作)であったが、第2クールは『どろろと百鬼丸』とタイトルが変更されて1話完結となり、アニメオリジナルのストーリーも増えるなど、スタッフの苦労がうかがえる路線変更はあったのだが。

 ちなみに、「冒険王」掲載の最初の2回は「週刊少年サンデー」掲載文を改訂・再構成した内容であったが、そこでは「どろろは、百鬼丸から奪った体を使って作られた」という驚きの設定が追加されている。つまり、四十八匹の魔物をいちいち倒さなくても、どろろを殺せば百鬼丸の体は元に戻るのだ。
 これは、百鬼丸とどろろの関係に緊張感を持たせるための設定変更だと思われるが、単行本ではカットされているし、旧作アニメでも使われていない。今回の新作がどうするかは注目点だが、さすがにこんなマイナーなところからネタは拾わないだろう。第一、魔物を倒して百鬼丸の体の一部が元に戻っても、それでどろろの体がどうにかなるわけではないので、無理がありすぎる。

 今回、旧作アニメについて色々と言及したが、旧作アニメはDVD-BOXがリーズナブルな価格で発売されている(実売6,000円台くらい)ので、新作を観て興味を持たれた方は、ぜひご覧になるといいと思う。
 DVD-BOXだけでなく、各種アニメ配信でも観ることは出来るが、DVD-BOXは解説書が非常に充実しており、特にエンディング・クレジットはこれを読まないとわからないので、個人的にはDVD-BOXの方をお薦めしたい。

 さらに、せっかくだから原作についても言及しておこう。
 『どろろ』の原作はこれまで何度も単行本化されているが、初代の単行本である秋田書店のサンデーコミックス版がまだ現役だ。だから、そちらを読んでもいいのだが、サンデー・コミックスは一部のエピソードの順番が入れ替えられている(理由は不明)ので、初出順通りに読みたいのであれば、手塚治虫漫画全集か手塚治虫文庫全集(現在は、後者の方が手に入りやすいか)を選んだ方がいいだろう。
 原作を初出版で読みたい場合は、国書刊行会から「手塚治虫トレジャー・ボックス」と言うシリーズで『どろろ』も出ているが、気軽に手を出せるような価格ではない。せめて、セリフだけでも初出に近い状態で読みたい場合は、サンデーコミックスの古い版を探すといい。現在では「差別用語」とされて変更されているようなセリフが普通に載っている。こちらなら、古書価も初版でない限りはそんなに高くはなっていないはずだ。

 ともかく、新作アニメ『どろろ』は、まだ始まったばかりだ。
 これから、原作のどの要素が拾われて、どのように構成されるか。また、はたしてアニメオリジナルの妖怪は出てくるのか、など興味は尽きない。1クールで終わるのはもったいない気はするが、3ヶ月間注目して観ていきたい。
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『三つ目がとおる』《オリジナル版》大全集、完結

 三ヶ月も、このブログの更新をお休みしてしまった。
 基本的に、このブログは一ヶ月に一度の更新を目安にしているのだが、最近は体調を崩したり忙しかったりと色々と重なったために、10月・11月は更新できなかったのだ。
 そんなわけで、三ヶ月ぶりの更新ではあるが、ネタは10月に用意していたものなので、若干旧聞に属する感はあるかもしれない。その点は、ご了承ください。

 さて、10月に『三つ目がとおる』《オリジナル版》大全集の第8巻が刊行されて、これで全8巻が揃うこととなった。
 刊行が開始されたのが昨年8月なので、足かけ1年と2ヶ月に及んだわけだが、無事に全巻が揃って非常に喜ばしい。

 この《オリジナル版》大全集は、なんと言っても『週刊少年マガジン』掲載時の状態で作品が読めるというのが最大の売りであったわけだが、連載の前半はやたらと雑誌→単行本で修正が多かったのに対して、後半になるとそうでもなくなり、雑誌と単行本の差異はせいぜい扉絵と広告の有無くらいになっていった。
 『三つ目がとおる』は7本の長編エピソードが存在するが、連載順にそれらを並べて雑誌→単行本の改変度を私の主観で示すと、


・「三つ目族の謎編」◎
・「グリーブの秘密編」○
・「怪植物ボルボック編」△
・「イースター島航海編」○
・「古代王子ゴダル編」△
・「地下の都編」△
・「怪鳥モア編」△


と、なる。◎が一番改変の度合いが激しく、次に○、そして△が一番改変が少ないという具合だ。
 一番最初の長編「三つ目族の謎編」は、週刊連載の最初期にも当たるためか、実にダイナミックな改変が行われており、続く「グリーブの秘密編」もそれに準じるので、「手塚治虫の編集癖」目当てで読むには、この《オリジナル版》大全集の1~3巻が一番面白いだろう。
 逆に言えば、4巻以降はそれほど改変が激しくないので、単に作品を楽しみたいだけなら既発の単行本でも十分だ。「イースター島航海編」はけっこう変わっているが、これに関しても《オリジナル版》大全集以前にKCDXで単発で雑誌掲載版が出ているので、そちらを読むという選択肢もある。
 ただ、この《オリジナル版》大全集は原稿+雑誌復刻の「コラージュ方式」を採用しているので、雑誌サイズできれいな絵で見られるというのは利点なのかもしれない。

 『三つ目がとおる』は長編だけでなく1話完結の短編エピソードも描かれているが、こちらに関しては雑誌→単行本での改変は、あまりない。目を引かれるのは「キャンプに蛇がやってきた」と、最終話「スマッシュでさよなら」くらいだろうか。
 特に「スマッシュでさよなら」は、最終話ならではの趣向がいくつかあるにもかかわらず、単行本ではそれらを外した形に改変されており、今回の《オリジナル版》大全集で、ようやく最終回らしい最終回として読むことができるようになったと言っていいだろう。
 なぜそんなことになっているのかと考えると、最初に「スマッシュでさよなら」が収録された手塚治虫漫画全集版の第13巻では、なぜか巻末ではなく全7話中の第5話という中途半端な位置に収録されており、そのため最終回らしさを消すことになったのだと思われる。
 しかし、そんな収録位置を決めたのも手塚先生であろうし、なぜそんなことをしたのかはもはや永遠の謎と言うほかない。

 と、言うわけで全8巻が揃った『三つ目がとおる』《オリジナル版》大全集。読み応えのある本であることは間違いない。今後も、面白い手塚作品雑誌連載版の復刻が続けばいいなあと思っているのだが、最近の復刊ドットコムは『奇子』『MW』『人間昆虫記』『I・L』と、大人向けの比較的単行本での修正が少ない作品ばかり出しており、これらにはあまり惹かれない。
 そんな中で、立東舎は『ダスト18』『アラバスター』と、手塚治虫の悩める時期の問題作を立て続けに雑誌連載版で刊行しており、非常に頼もしい。この流れだと『サンダーマスク』とか『ブルンガ一世』あたりも出るんだろうか。
 個人的には『マグマ大使』のサイクロップス編も含めた雑誌連載完全版をぜひ出してほしいが、代筆が多いと言うことで難しいんだろう。もし実現したら、どの出版社でも間違いなく買うのだが。
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『ダスト18』ついに刊行

 先日、手塚治虫『ダスト18』が、立東舎から刊行された。





 と言っても、「『ダスト18』って?」と言う人も多いのではないだろうか。数多くある手塚作品の中でもマイナーな部類に入ると思う。
 しかも、これまで『ダスト18』というタイトルで単行本が出たことはない。今までに出た単行本では全て『ダスト8』となっており、タイトルだけではなく内容にも大きな違いがある。

 この作品は、元々『ダスト18』のタイトルで週刊少年サンデーに連載された。内容としては、「生命の石」を手に入れた18人の生と死のドラマを描く…はずであった。本来は。
 しかし、不人気だったのか、連載は「ダストNo.6」、つまり6人目までが描かれたところで終了してしまう。それを、「手塚治虫漫画全集」に収録するにあたって、「8人の生と死のドラマ」に改めたのが『ダスト8』というわけなのだ。
 18人の話を8人にするにあたって、当然のごとく多くの改変がなされているし、そもそも連載では6人までしか描かれていないため、「手塚治虫漫画全集」版では「ダストNo.7」が描き下ろされたほか、連載の「ダストNo.4」を二つの話に分割することによって、「ダストNo.1」~「ダストNo.8」の8つのエピソードとしている。
 そこまでしてなぜ「8」にこだわったのかは、よくわからない。連載版に近い内容で単行本化して『ダスト6』というタイトルにしてしまうという手もあっただろう。そうせずにあえて『ダスト8』にしたのは、手塚先生なりの何らかのこだわりがあったからなのだろう。

 私は、全集で『ダスト8』を読んで、元の『ダスト18』にも興味を持って、図書館で初出誌を読んだことがある。
 だから、『ダスト18』を今回初めて読むというわけではないのだが、それでも「コラージュ方式」で最大限、原稿を活かした編集方針により、綺麗な状態でこの作品を読めるのは、実にありがたい。

 『ダスト8』と『ダスト18』を読み比べると、狂言回しである二匹のキキモラの行動、特にオスの「ムー」(『ダスト8』版では名前なし)については、『ダスト18』の方が一貫性がある気がする。『ダスト8』版では、メスと「夫婦だから」という理由で何となく付いてきて何となくつかず離れずの行動をしているように見えるのだ。
 やはり、『ダスト18』→『ダスト8』に組み立て直す上で、無理が生じたのではなかろうか。
 結末に関しても、『ダスト18』版は確かに12人も石を残していて尻切れトンボなのだが、「時間を戻して何もかもなかったことにする」と言う『ダスト8』のオチも、あんまりな気もする。8人目まで石を取ったところで、他に結末の付けようはなかったのだろうか。

 とは言え、これはあくまで私の感想だ。今や、誰もが『ダスト8』と『ダスト18』を読み比べられるようになった。
 「手塚治虫の編集癖」を、非常にわかりやすい形で知ることが出来る作品なので、ぜひ多くの人に『ダスト18』を読んでいただきたい。
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『カラー完全版 ふしぎな少年』発売

 先日、『カラー完全版 ふしぎな少年』が、発売された。






 『ふしぎな少年』と言えば、手塚治虫の「少年クラブ」最後の連載作品であり、NHKテレビドラマの原作としても知られた作品だ。と言っても、テレビドラマが放送していたのは私が生まれるよりもずっと前なので、観たことはまったくない。また、テレビドラマ版は小説家・脚本家として知られる辻真先氏が演出として関わったことでも有名だ。
 手塚先生曰く「フワフワしたシャボン玉のような作品」(「手塚治虫漫画全集」版のあとがきより)である本作が、どのようにドラマ化されたのか一度観てみたい気持ちはあるが、テレビ黎明期の作品であり、現在映像が残っているという話は聞かないので、まあ観るのは不可能なのだろう。

 今回発売された「カラー完全版」は、これまで刊行されていた単行本バージョン(底本は小学館ゴールデン・コミックス「手塚治虫全集」版)とは異なり、「少年クラブ」の連載初出版を元に復刻しており、今まで単行本未収録だった300ページほどが単行本初収録されているのが最大の特徴と言っていいだろう。
 未収録300ページの大半は、「時限爆弾」「鬼が島」の二つのエピソードであり、これは従来の単行本の「おまえが放火犯人だ」と「人間の皮を着た人間」の間に挟まっている。それ以外に、主に別冊付録の巻頭で、四次元や時間についての解説が多く描かれている。それらの一部は単行本では第一章の「そもそも神かくしとは」として収録されているが、大部分は単行本でカットされていたものだ。これを読むと、手塚先生が時間や四次元と言ったとっつきにくい題材をどうやって読者に伝えるか、苦心していたのがうかがえる。

 もう一つ、この本の大きな特徴としては、いわゆる「差別用語」を初出のまま(だと思う。初出誌は未確認なので断言はしないが)で復刻している点があげられる。これまで、小学館クリエイティブから多くの手塚作品が復刻されているが、私の知る限りでは、このような方針で出された本は、他にはない。
 なにしろ、『ジャングル大帝』の漫画少年版ですら、「土人」を「住人」に変えるということをやっているのだ。これがあったから、私は『ジャングル大帝』の復刻は小学館版だけでなく同人誌として出たヒョウタンツギタイムス版も全巻揃えている。他の本でも、「色盲」を「色弱」に変えたり、「気が狂った」を「気がふれた」に変えたりと、不自然な言葉の置き換えは多かったので、今回の方針は大歓迎だ。

 それにしても、なぜ今までの方針を覆して「差別用語」をそのまま復刻したのだろうか。想像するに、講談社から刊行中の「水木しげる漫画大全集」の影響ではないだろうか。水木全集では、「著者に差別的な意図がまったくない」などの理由から、「差別用語」はほぼ初出のままで収録しており、それは『貸本版 墓場鬼太郎』における鬼太郎の父親(目玉になる前)の病気の名(ここではあえて伏せる)にまで及んでいるのだ。
 これを見て、「水木作品でできることが手塚作品ではなぜできないのか」と言った意見が小学館に届いたとしても、不思議はない。これが直接の影響とは断言できないが、一つの要因ではあると思う。その結果として、「差別用語」を残すこととなったのではないか。巻末の断り書きでも「あえてこれらの表記を残すことで、差別の実態を明らかにし、今も残る差別を克服する一助にしたい」と書かれている。
 この方針が、別の出版社や別の漫画家の作品にも広がることを期待したい。復刊ドットコムの『三つ目がとおる』《オリジナル版》大全集は従来の方針のままなので、「生きがいじゃなくてキチガイだ」と言ったセリフが変更されてしまっており、残念だからなあ。

 また、先ほども書いたように、今回の本では「時限爆弾」「鬼が島」の2編が単行本初収録されている。特に注目したいのはこの2編のつなぎとなる部分で、なんと「時間ループ」のアイディアが使われているのだ。今でこそ時間ループもののSFは多くの作品が発表されているが、当時としては非常に珍しいことだったのではないかと思う。この作品で描かれていても、確かに不思議はないが。
 このようなことが発見できるのも、完全収録版ならではだろう。何しろ、全体約1000ページのうち300ページが未収録だったのだから、結構な割合だ。単行本2冊に納めるためだったとはいえ、これが「手塚治虫漫画全集」版でも復活させられなかったのは不思議でもある。

 ともかく、読みどころ満載の本であり、はっきり言って高額ではあるが、買ってよかったと思う。こういう本は発売時に勢いで買ってしまわないと、なかなか後からでは買いにくいので。
 万人に勧められる価格ではないが、手塚作品の単行本バージョンで読める本は一通り読んでしまった、と言う人には是非お勧めしたい。そんな人が、果たして何人いるのかはわからないが。
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『三つ目がとおる』4種類のグリーブ編

 先日、『三つ目がとおる』《オリジナル版》大全集の第2巻が刊行された。






 『三つ目がとおる』を、「週刊少年マガジン」掲載時のスタイルで収録するシリーズだが、今回は第1巻から続く「三つ目族の謎編」および、「グリーブの秘密編」の全編が収録された(サブタイトルは、いずれも単行本版による。初出時にはサブタイトルなし)。
 現在流通している単行本版ではカットされた、初収録となるページを多数読めるのは非常に嬉しいのだが、個人的に思うのは「これで、グリーブ編がさらにややこしくなってしまった」と言うことだ。

 なぜかというと、「グリーブの秘密編」は単行本だけで、すでに3種類のバージョン違いが存在するからだ。これに、今回刊行のオリジナル版を加えると、4種類存在することになる。
 今回は、この4種類の「グリーブの秘密編」について、簡単に紹介しておこう。その4種類とは、


(1)講談社コミックス(KC)版

(2)手塚治虫漫画全集版

(3)手塚治虫文庫全集版

(4)《オリジナル版》大全集


と、なる。

 このうち、(4)は雑誌初出にほぼ同じと言うことで、実際に《オリジナル版》大全集を読んでいただくのが一番わかりやすいだろう。

 (1)~(3)は何が違うかというと、冒頭部分および結末部分である。
 (1)では、おそらく200ページほどに収めなければならないというページ数制限があったためと思われるが、CIA本部に写楽たちが連れて行かれて、そこで謎の装置(実は、水を出すだけ)を作るという展開がばっさりカットされて、グリーブの暴走後すぐに潜水艇で日本に逃げるようになっている。CIA部長ポーク・ストロガノフは登場しない。
 (2)は全集と言うことでページ数制限が緩くなったのか、(1)ではカットされた展開が復活しており、30ページほど全体のページ数が増えている。

 (3)はと言うと、これがちょっとややこしい。手塚治虫文庫全集版は全話収録となっているため、それまでの単行本には入っていなかった「文福登場」というエピソードも収録されている。それにより、「文福登場」の前半と「グリーブの秘密編」の冒頭部分が内容的に重複してしまうため、文庫全集版「グリーブの秘密編」は、その重複分がばっさりカットされたのだ。
 これは手塚先生の死後の改変であり、好ましくないと個人的には思う。これにより、写楽がオーラでテストの答案用紙に記入するエピソードは消滅してしまうなど、弊害も生じている。しかし、『三つ目がとおる』の単行本が全話を収録するようになってからは、この形が基本になってしまい、続くGAMANGA BOOKS版も、同様の編集となっている。

 (1)~(3)を比べると、個人的には上底先生が助かる(1)の結末が好みだ。(2)(3)では上底先生は作者にすら存在を無視されてしまい、グリーブ跡地に置き去りになったのか、はたまた死んでいるのかすら示されてはいない。
 ちなみに、(4)の雑誌初出版では和登サンが「ここに上底先生が死んでる!!」と、死体を発見するコマが存在する。初出では死亡していた上底先生がKC版で復活した理由は定かではないが、話としてはまとまりがよいような気がする。


 と、言った感じで、4種類の展開が存在する「グリーブの秘密編」。現在、KC版は少々入手が難しいかもしれないが、全バージョンを集めて読んでみるのも一興だろう。
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『三つ目がとおる』《オリジナル版》大全集と単行本史

 先月、復刊ドットコムより『三つ目がとおる』《オリジナル版》大全集の刊行が開始された。





 これは、今まで単行本として刊行されてきたものとは違い、『週刊少年マガジン』掲載時の状態を、一部セリフ(自主規制しているもの)を除いて再現したものであり、個人的にも以前から待ち望んできた本だ。
 今回、刊行された第1巻は週刊連載になる前の読み切りシリーズ6話と、週刊連載になったあとの第7回~第16回が収録されている。
 読み切りシリーズに関しては単行本版との差異はあまりないが、週刊連載分については、はやくもかなり構成が異なっており、今後の刊行分にも期待が出来る出だしとなっている。どう違うのかは、ここでは触れないでおく。気になる方は、このオリジナル版を読んでみましょう。

 この『三つ目がとおる』《オリジナル版》大全集は、これまで復刊ドットコムで出されてきた『火の鳥』や『ブッダ』などの《オリジナル版》大全集とは違い、原稿が現存している部分は原稿を使い、残念ながら原稿が失われている部分のみ雑誌から復刻するというコラージュ方式を採用している。これは、別に珍しい方式ではなく、たとえば講談社文庫の『ゲゲゲの鬼太郎』などの雑誌掲載オリジナル版(と銘打っているが、実際にはちょっと違う部分もある)でも採用されているが、サイズの大きい復刊ドットコムのシリーズなので、より効果的にきれいな線が出ている。
 実際に読んでみると、過去に単行本収録されている部分だけでなく、単行本化でカットされた部分も原稿から復元したとおぼしききれいな線になっているコマが多く、なかなかいい感じだ。


 さて、『三つ目がとおる』は、人気作であるので、これまで幾度となく単行本化されている。
 『週刊少年マガジン』連載作品なので、最初の単行本は講談社コミックス(KC)だ。このKCですべてが刊行されれば話は簡単だったのだが、そうはいかなかった。



KC版・全6巻


 KCの刊行は、ほぼ連載順に「怪植物ボルボック編」までが刊行されたが、ボルボック編の第6巻で止まってしまった。
 何故かというと、このタイミングで手塚治虫漫画全集が刊行開始となり、『三つ目がとおる』も第1弾のラインナップに入ったためだ。普通に考えれば、KCと同じ内容で第1巻から出したのだろうが、そこは「(手塚)先生独自の考えに基づく一種の読者サービス」(故・森晴路氏)が発揮されて、なんと第1巻にはKCの続きとなる「イースター島航海編」から収録されたのだ。



全集版・全13巻


 その後、第6巻まで「怪鳥モア編」「古代王子ゴダル編」「地下の都編」と、連載後期のエピソードが収録されたあと、第7巻になってようやくKC版第1巻にあたる三つ目登場のエピソードが収録されて、その後は第12巻まで「グリーブの秘密編」「三つ目族の謎編」「怪植物ボルボック編」と収録されて、短編集となる第13巻で完結したのだった。
 この変則的な収録順によって、「新書判を持っている読者がつづきだと思って全集の七巻から十三巻を買ったら、ほとんどがダブっていた」(故・森晴路氏)という事態になった人もいたそうだ。全集を全巻揃えるような手塚マニアには影響はないかもしれないが、世の中、そう言う人ばかりではないのだ。

 このように、全集で妙な収録順になってしまった『三つ目がとおる』だが、その次に出たKCSP版・全8巻では収録内容は全集版と同一だが、ほぼ発表順の収録に改められている。それでも、連載時の最終話である「スマッシュでさよなら」が第7巻に収録され、第8巻が「怪鳥モア編」になっているという問題点はあるが。KCSP版には、全集と同様にあとがきも収録されている。
 その後、ハードカバー版や文庫版も刊行されたが、基本的にこのKCSP版が底本となっている。

 そして、『三つ目がとおる』には、単行本未収録のエピソードも存在した。
 以前にも触れたことがあるが、この未収録話が初めて単行本化されたのは、意外にもコンビニコミックスだった。全14巻が刊行されたKPCのシリーズで、ようやく『三つ目がとおる』は全話収録されたのであった。





 個人的には、未収録分だけが欲しかったので、このKPCは5冊のみ購入した。コンビニコミックスなのでいつも同じ店に入るとは限らず、入手に苦労した記憶がある。もっとも、その後講談社文庫にて未収録話だけを集めた『三つ目がとおる 秘蔵短編集』が刊行されたので、KPCはいらなくなってしまったのだが。

 さらに、手塚治虫文庫全集にも未収録話は入ったほか、小学館より刊行されたGAMANGA BOOKSのシリーズでも、全話が発表順に収録されており、最近は「未収録」はなくなったと言っていいだろう。少々値段は張るが、カラーページも収録されているGAMANGA BOOKSが、単行本版『三つ目がとおる』の決定版と言えるのではないだろうか。私は、持っていないが。


 くどくどと書いてきたが、これまで色々と出た『三つ目がとおる』は、あくまで単行本に収めるために色々と再編集と描き足し・描き換えを施された単行本バージョンであり、連載版である《オリジナル版》大全集は、別物と言える内容となっている。もう一つの『三つ目がとおる』を楽しめると言っていいのだ。『三つ目』ファンとしては、ぜひ読んでおきたい本だ。お値段はかなり高いけど。
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『魔神ガロン』の代筆について

 手塚治虫に『魔神ガロン』と言う作品がある。現在は、手塚治虫文庫全集で全2巻として刊行されている。

 元々は、手塚治虫漫画全集(B6全集)で全5巻として刊行されていたのだが、これが一読者の立場としては色々と謎の多い作品だ。その「謎」の最たるものは、手塚先生ご自身が描いていない部分があるのではないかという、「代筆」についてだ。
 「謎」と書いたが、謎どころではなくはっきりわかる部分がある。それが、B6全集の第3巻136ページ~155ページの合計20ページで、これは誰が見ても手塚先生の絵とは思えないだろう。明らかな代筆だ。

 そもそも、B6全集の第3巻は、その始まりからしておかしい。
 第1ページはガロンとピックが海岸に打ち上げられている絵なのに、その次がガロンが海を歩くコマ、そして「リクヘツイタ」と言うコマが続き、そのあとがガロンに乗っていたはずのピックがなぜか濡れているコマと続く。
 実は、ここまでのコマは以前に描いたコマを流用したものであり、それ故に流れがおかしくなっているのだ。こんな事になったのは、想像するにちゃんと描いている時間がなかったために、一種のコラージュでごまかすしかなかったのだろう。

 雑誌掲載時はそれで仕方がなかったかもしれないが、単行本化で直すべきだと思われた方もいるかもしれない。だが、それは不可能だった。B6全集の第1~2巻は手塚先生の生前に出た第3期に刊行されたが、第3~5巻収録部分については、手塚先生の死後に出た第4期ではじめて単行本化されたからだ。
 いくら流れがおかしいからと言って、第三者が手を加えるわけにも行かず、初出のままで収録せざるを得なかったのだろう。先ほど触れた明らかな代筆部分についても、同様だ。

 逆に言えば、第3巻以降については代筆を含むが故に、手塚先生の生前は第2巻までで止めたと考えられる。
 『魔神ガロン』の単行本は、B6全集以前に秋田書店のサンデーコミックスで刊行されているが、その内容はほぼB5全集の第2巻までと同一だ。
 唯一違うのは、サンデーコミックスのラストの海に消えたガロンとピックの再登場をにおわせて完となるページはB5全集には収録されておらず、B6全集の第2巻では大渦巻に巻き込まれてピンチとなる場面で終わっており、これは明らかな第3巻への「引き」になっている。
 だから、B6全集第3期では第2巻で終わってしまったが、それはおそらく手塚先生の多忙により第3巻以降の代筆部分を描き直す時間がなかったためで、将来的にB6全集の第4期を刊行する際には、続きを刊行するつもりがあったのだろうと推察できる。
 それを、裏付ける証言として、B6全集第4期完結の際に手塚プロ・森資料室長が書いた「手塚治虫漫画全集の刊行を終えて」と言う文章では、「未完のものや一部代筆の作品は、先生が存命であれば、当然つづきが描き下ろされたり描き直されたりしたものである」とされている。そうならなかったのは、残念だ。

 それにしても、第3巻以降には一体どれだけの代筆があるのか。前述の誰にでもわかる部分は言うまでもないとしても、細かく見ていくと、ここはちょっと手塚タッチとは違うのじゃないかなと言う部分が散見されるので、他にも代筆部分は存在するのだろう。もしかしたら、初出の雑誌や付録では代筆者がクレジットされていたのかもしれない。
 代筆でもレベルの高いものは簡単には見分けが付かないので、絵のタッチだけでここが代筆と指摘するのは難しいが、絵はともかくとして、話は手塚先生が考えたものなのだろう。
 その裏付けとして、第4巻に収録されているブッド博士のエピソードが白黒版のアニメ『鉄腕アトム』にアレンジされて原作として使われているのだ。おそらく、代筆部分についても最低限のあらすじなどは存在したのだと思われる。

 しかし、前述の明らかな代筆に関しては、もっとましな代筆者がいなかったのかと、不思議でならない。
 手塚作品の代筆にも色々あって、たとえば『鉄腕アトムクラブ』に掲載された「チータンの巻」の第2回などは、かなり手塚絵に近い代筆である。そう言ったいい代筆者を『冒険王』編集部が用意できなかったという事なんだろうか。


 とにかく、『魔神ガロン』の第3巻以降は、色々な意味で見どころが満載だ。
 この時代の「代筆」を含めた連載事情の一端をうかがい知る事が出来る。そう言う点は、没後の刊行になったおかげなのだろう。このレベルの代筆が刊行できるのなら、『マグマ大使』のサイクロップス編もなんとかしてほしい。
 そんな事を、考えてしまうのだった。
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手塚治虫記念館の一日

 3月11日は、久しぶりに宝塚の手塚治虫記念館へ行ってきた。





 目的は、この日開催された手塚るみ子さんとつのがいさんのサイン会だ。
 当日、それぞれの著書を購入することで、先着50名にサイン会の整理券がもらえるというシステムだったので、念のため開館時間よりも前の午前9時には記念館に到着するようにした。サイン会とは別にトークショーも予定されていたのだが、こちらはすでに事前に参加申し込みを締め切っており、私はそれに間に合わなかったので、参加できなかった。
 記念館に到着すると、すでに20人ほどの人が並んでいた。その中には、先週名古屋のドラえもん映画鑑賞会でご一緒した藤子ファン仲間の方のお姿も。藤子ファンとは言え、藤子以外の趣味で一緒になることもあるのだ。

 開館時間の9時30分になったので、さっそく手塚るみ子さんとつのがいさんの本を購入して、整理券をゲット。結果的には、結構遅くまで整理券は残っていたので、9時に来る必要は無かったのだが、「はたして、まだ残っているのだろうか」と思いつつ記念館に向かうのは精神衛生上よくないので、9時に来てよかったと思う。









 その後は、一階から順番に展示を観て回った。
 特に、一階はもうすでに何度も観ている展示だが、複数人で回ると色々としゃべりながら観られて、なかなか楽しかった。





 二階の企画展示室は「アトム ザ・ビギニング展」を開催中。4月からNHK総合でテレビアニメも始まる作品だが、私は未読。
 今回、展示を見て、手塚漫画のオマージュという点で色々と興味を惹かれたが、はたして漫画の方から読むべきか、それともアニメを先に観るか。漫画の方は、まだ単行本が4巻までしか出ていないようだが、アニメは1クールなんだろうか。


 その後、一度外へ出て食事を済ませたあと、再び記念館へ。
 13時からトークショー、14時10分からサイン会という予定だったので、私はサイン会が始まるまでは二階の「手塚治虫ライブラリー」コーナーで本を読んで、時間をつぶした。
 手塚治虫漫画全集をはじめとして、これまでに出た主な手塚単行本が揃っているコーナーだが、さりげなく貴重な本もあった。どう貴重なのをか書くと、盗むようなバカが現れないとも限らないので詳細は伏せるが、現在あまり容易には読めない作品が収録された単行本が、置かれていたのだ。
 あとは、「情報・アニメ検索機」で手塚アニメを鑑賞。ここでは、主だった手塚アニメの好きなエピソードを選んで観られるのだが、今更ながらそのラインナップの中に『ふしぎなメルモ』(オリジナル版)があることに気がついた。1998年に音声をリニューアルした『ふしぎなメルモ リニューアル』が制作されてからは容易には観られなくなってしまったオリジナル版だが、記念館に来れば全話鑑賞することが出来るのだ。
 個人的な思い入れから言っても、やはり『ふしぎなメルモ』はオリジナル版の方が好きなので、これは嬉しいところだ。できれば、自宅で普通に観られれば、一番いいのだが。


 そんな感じで14時過ぎまで時間をつぶして、その後サイン会に参加。つのがいさん、手塚るみ子さんの順に、著書にサインをいただいた。










 手塚るみ子さんの著書『定本 オサムシに伝えて』には、手塚るみ子さんのサインの他に幼いるみ子さんの絵も入っているが、これはカバーイラストを担当された桐木憲一先生がいらしたので、「とくにたのんで」(スネ夫の自慢風)描いていただいたもの。おかげで、いっそう貴重な本になった。

 サイン会終了後も記念館でだべっていたのだが、驚いたことに16時を過ぎた頃、富野由悠季監督と高橋良輔監督が、記念館に現れた。
 お二人は、翌日3月12日に宝塚でトークショーをされる予定だったので、それで前日に宝塚入りされたのだろう。超ベテランアニメ監督の出現に、妙に焦ってしまったが、おそれおおくて話しかけることも出来ない(と言うか、お付きの人がいたので話しかけられない)。
 しかし、レジェンドとも言うべきお二人を、初めて生で拝見することが出来たのは、いい体験だった。世の中、何があるかわからないものだ。


 記念館は17時で閉館し、その後は宝塚駅前で飲み会。私などが参加するのがおそれおおいような、すごいメンバーだった。
 そのすごいメンバーで『けものフレンズ』について語り合ったりしているのが、妙に可笑しかった。『けものフレンズ』が、本当に今注目されているのだということが実感できる時間であった。それにしても、ケモナー的には『きりひと讃歌』ってどうなんだろうな。気になる。


 と、言った感じで、朝から晩まで宝塚にいた一日だった。手塚治虫づくしの一日を過ごすことが出来た。トークショーに参加できなかったことだけは残念だったが。ご一緒していただいた皆さん、ありがとうございました。
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『三つ目がとおる』少年マガジン復刻版・発売!

 待ちに待っていた『週刊少年マガジン完全復刻版 三つ目がとおる イースター島航海』が、ようやく昨日、発売された。
 これは書名の通り、これまでに出版されてきた単行本バージョンではなく、初出誌『週刊少年マガジン』に掲載されたそのままの内容を誌面から復刻したもの。手塚ファンならご存じの通り、特に長編連載の手塚作品は単行本化にあたっていろいろと編集が加えられる事が多く、作品によっては別物と言ってもいいものもある(例:『ダスト8』と『ダスト18』など)。

 今回出版された『三つ目がとおる』の「イースター島航海編」も、別物とまではいかないものの、比較的大きな修正が加えられていることを知っていたので、近年の手塚作品の「オリジナル版」流行りのなかで、これも出ないかなと以前から思っていた。
 思い返せば、最初に「イースター島航海編」の初出版を、部分的にではあるが読んだのは大学生の時だった。当時たまに行っていた古書店(今はなき、春日井の勝川古書センター!)に1970年代中頃の『週刊少年マガジン』が大量に入荷していて、中をチェックしたら『三つ目がとおる』でバン・ドンならぬ出杉が登場している場面があったのだ。
 当時、『三つ目』の未収録はまだ特にチェックしていなかったので、これが「猪鹿中学」「長耳族」に登場した猪鹿中学の番長だと言うことは知らなかった。だからこそ、「なんでバン・ドンじゃないんだ?」と、余計に不思議だったのを覚えている。この辺の事情については今回の『完全復刻版』巻末の解説に書いてあるので、そちらを参照されたい。
 その後、社会人になってから、図書館で初出誌を体系的にチェックするようになり、『三つ目がとおる』は、古い方から順番に初出誌を読んでいったが、「イースター島航海編」まではたどり着かなかったように覚えている。それに、いくら描き換えがあるからと言って、連載ものをいちいちコピーしていると非常に金がかかるので、コピーはほとんどとっていない。そんな状態だったので、今回の『完全復刻版』刊行は、非常にありがたい。

 それにしても、『完全復刻版』が出るまで、本当に長い間待った。
 『三つ目がとおる』は、これまで何度も単行本化されており、近年だけでも『手塚治虫文庫全集』版全7巻と『GAMANGA BOOKS』版全10巻の2回も刊行されている。このうち、後者のGAMANGA BOOKS版については、「連載順に収録し、カラーもすべて再現」と言う事だったので、「もしや初出版での収録なのでは」と期待したのだが、ふたを開けてみると、単に収録順が初出の順なだけで中身は今まで通りの単行本版だったので、がっかりしたのだった。
 そんなことがあったし、また復刊ドットコムの復刻シリーズも『ブッダ』が始まったので、もう『三つ目』の初出版はもう出ないんじゃないかとすら思ったこともあったが、それがこうやって刊行されたのだから、生きてさえいればいいこともあるものだ。
 なお、未収録についてもちょっと触れておくと、『手塚治虫漫画全集』以降に出された単行本では9話の未収録があった。これらを最初に収録した単行本シリーズは、なんとコンビニコミックだった。KPCと言うシリーズで、単行本未収録作品を含めて全作品をほぼ初出順に収録した、画期的な内容だった。その後、講談社漫画文庫で『三つ目がとおる 秘蔵短編集』として未収録だけで一冊にまとめられたほか、手塚治虫文庫全集もKPCと似た編集内容で全話が収録されている。

 さて、こうなると次に気になるのは、この『完全復刻版』に「次」はあるのかと言うことだ。
 『三つ目』では、長編だけでも「三つ目族の謎編」「グリーブの秘密編」「怪植物ボルボック編」「古代王子ゴダル編」「地下の都編」「怪鳥モア編」と、6編もある。中でも、個人的に初出版を出してほしいのはグリーブ編だ。
 このシリーズは、単行本だけでもKCマガジン版、手塚治虫漫画全集版、手塚治虫文庫全集版で異同が認められる。それぞれ、始まり方もしくは終わり方が違うのだ。また、初出版では上底先生の属する組織が単行本とは異なる(「全ピキ連」ではない)など、バージョン違いが非常に多い。だからこそ、ぜひ全ての始まりである初出版を単行本化してほしい。
 もちろん、グリーブ編以外のシリーズも、せっかくだから全て出してほしい。ここまで長い間待ったのだから、そう焦ることはない。落ち着いて待ちます。

 最後に書いておきたいのは、この本の価格について。本体価格1,900円とは、夢のような安さだ。
 普通の漫画単行本と比べると、高いと言えば高いのだが、最近は手塚作品の復刻というと小学館クリエイティブや復刊ドットコムの価格ばかり目に付くようになっていたので、それらと比べると本当に今回の本はお買い得だ。A5判というのも、F全集や水木全集と一緒なのでおなじみなのでいい感じだ。この調子で続けて行ってくれれば、本当に言うことはない。
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