藤子・F・不二雄大全集 第4期 『ユリシーズ』 感想

 発売から2ヶ月が経ってしまって、かなり今更感の漂う話題だが、ようやく刊行開始された藤子・F・不二雄大全集 第4期の第1回配本である『ユリシーズ』について、感想を書いておきたい。

 第4期で刊行が予定されているのは、ほとんどが初単行本化となる作品だが、唯一「ユリシーズ」だけは、国書刊行会の『付録漫画傑作選』と、藤子不二雄ランド『UTOPIA 最後の世界大戦』と、藤本先生の生前に2度も復刻されており、第4期のトップバッターを務めるのにふさわしいタイトルと言える。
 などと、知った風なことを書いたが、恥ずかしながらうち明けると、私は『付録漫画傑作選』のことは知らず、それゆえに藤本先生による自作解説「ユリシーズの頃」が「あとがきにかえて」として収録されたのは、「この時期の作品を語ったエッセイがあったのか」と、非常に意外に感じた。


 さて、それでは各収録作品の感想を書いておくとするか。
 まずは、書名にもなっている「ユリシーズ」。藤子不二雄ランドで既読の作品だが、今回はカラーの表紙絵も収録されたのは嬉しい。本編も、久しぶりに読み通したが、ユリシーズの波瀾万丈の冒険は何度読んでも面白くて、藤本先生が生前に二度も復刻を許したことも納得できる。一つ目巨人に人が食べられたりと言った残酷な場面もあるが、この当時の藤本先生の非常に丸っこい線で描かれると、それすらコミカルに見えてきてしまう。

 次に、「しょうねんリンカーン」。平たく言えばダイジェスト版・リンカーン伝記。タイトルに「しょうねん」と付いているだけあって、青年期以降に割かれているページは非常に少なく、あっという間にリンカーンが大統領になってしまうのには驚かされる。
 子供向けにマイルドにはされているが、奴隷売買についてはしっかり描かれており、奴隷売買の章は心に残る。それにしても、「にんげん売ります」と言う章題はやけに軽い感じな気はするが、そこも子供向け故のことだろうか。

 さらに次は「名犬クルーソー」。この作品では、第3期までならまず間違いなく自主規制されていたとおぼしき、いわゆる「差別用語」が何度も出てきて、驚いてしまった。もしかしたら、「第4期はどうせマニアしか読まないから」と開き直っているのだろうか。まあ、いいことには違いないが、3期までの自主規制がひどかったので、どうもうがった見方をしてしまう。
 そう言えば、インデアンの酋長の顔が手塚治虫作品のキャラクター「フランケンシュタイン」にやけに似ているのが気になる。藤本先生がフランケンシュタインを知らないはずはないし、何か意図があってわざと似せたのだろうか。

 最後は「少年船長」なのだが、この作品に関してはどうも書くべき事を思いつかない。なにかないかと何度も読み返したのだが。えーと、スペインの総督とシルビオの顔は、丸と角で好対照ですな。


 と、言ったところで『ユリシーズ』感想はおしまい。
 第4期は月に一冊と、読む方にとってはいいペースなので、出来れば毎回感想を書きたいところだが、第1回配本からして2ヶ月以上遅れてしまっているので、今後どうなるかは全くわからない。期待せずに、お待ち下さい。
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『愛…しりそめし頃に…』完結

 昨日発売のビッグコミックオリジナル増刊号にて、藤子不二雄A先生の連載『愛…しりそめし頃に…』が、ついに完結を迎えた。
 実は、名古屋では11日にはすでにオリジナル増刊号が出回っていたのだが、全国的にはどうなのかは知らないし、少なくとも公式では発売日は「4月12日ごろ発売」となっていたので、一応昨日は自重していた。だが、12日を過ぎたので、ここでは遠慮なくネタバレ全開の感想を書かせていただく。


 『まんが道』の第1章である「あすなろ編」が少年チャンピオンに連載されたのが1970年なので、それから数えるともう43年にもなる。私が「あすなろ編」を読んだのは小学五年生の頃で、友人から秋田書店版のハードカバー単行本を借りたのだった。この「あすなろ編」が非常に気に入って、一時期は毎日のように読んでいたほどだった。
 そして、すぐ次の「立志編」に手を出した…と言うことはなく、それどころかしばらくは「立志編」以降の展開があることすら知らなかった。当時から藤子作品を愛読していたとは言え、しょせんは小学生で、藤子作品について持っている知識や情報は微々たるものだった。非常に恥ずかしいことに、書店に並ぶ藤子不二雄ランド版『まんが道』を見て、「『まんが道』は全1巻のはずなのに、なぜこんなに多くの巻が出ているのだろう?」と思ったほどだった。そこに「続編がある」という考えは浮かばなかった。
 「立志編」「青雲編」の存在を知ったのは中学生になってからで、図書館で中公愛蔵版の単行本を見つけての事だった。その後、この中公愛蔵版をむさぼり読んだのは言うまでもないし、藤子不二雄ランド版を集めるきっかけにもなった。FFランド版は巻数が多くてかさばるのだが、中学生だった私にとって一番集めやすい版だったのだ。結局、未だに私が揃えている『まんが道』単行本は、FFランド版全23巻+FFランドスペシャル(春雷編)全2巻で、中公愛蔵版は一冊も持っていないし、最近出たGAMANGA BOOKS版も1・2巻しか持っていない。これは、表紙を開けばセル画が付いている藤子不二雄ランドにこだわっているわけではなく、『まんが道』クラスのボリュームのある作品を、複数の版で所有する場所的余裕がないだけのことだ。
 とにかく、『まんが道』は、私にとって特別な作品だ。中学生は、世間一般では藤子作品を「卒業」する時期と見られているようだが、私が藤子作品を好きなままでいられたのは、F作品では『モジャ公』、A作品では『まんが道』(「立志編」以降)との出会いがあったからだ。


 さて、肝心の『愛…しりそめし頃に…』最終回の感想だが、あのラストシーンは予想できなかった。A先生に、完全にやられたと言わざるを得ない。ラストシーンをカラーでと言う趣向は、A先生にとっては少年画報版『怪物くん』以来だろうか。滅多にみられない手法なのは間違いない。そして、物語の締めくくりは手塚先生の言葉だった。「あすなろ編」から『愛…しりそめし頃に…』に至るまで、ずっと偉大な存在として描かれてきた手塚先生からライバルと認められたことは、この長い物語の着地点としてはふさわしいが、その締め方はいささか唐突にも思えるものだった。
 しかし、考えてみれば『まんが道』「青雲編」のラストも、空飛ぶ円盤(あえて、こう書かせていただく)の唐突な出現によるものだし、今回もA作品としてはさほど突出して変な終わり方でもないような気もする。
 気になったのは『オバケのQ太郎』の扱いで、今回の描かれ方だと、いつからアイディアを温めていたのかがいまいちわからず、完全にぽっと出のように見えてしまう。この部分を本格的に描いていくと「スタジオ・ボロ物語」とネタがかぶってしまうからまずいのかもしれないが。それはともかく、最終回で『海の王子』『オバケのQ太郎』と、満賀と才野(=安孫子先生と藤本先生)の合作作品が登場して、二人で描いている場面が出てきたのは、うれしかった。『愛…しりそめし頃に…』になってから、二人が別々に作品を描いていることが多かっただけに、最終話で「二人で一人の満才茂道(=藤子不二雄)」をはっきり示す場面が入れられたのはよかった。
 後半、脈略なく東京タワーにいくあたりは、いかにもA作品らしい展開だ。「あの人物」まで出てくるのは、いささか悪のりかなと思ったが。
 今回、増刊号の発売まで2ヶ月間、一体どんな最終回だろうと考えを巡らせてきたが、そんな予想など軽く飛び越える、予想できない締め方だったのには感動した。さすが、A先生だと言わずにはいられない。


 雑誌の表紙に書かれているように、『愛…しりそめし頃に…』だけでも連載期間は24年。軽く24年と言うが、これだけの期間で年5回刊行というペースを守って描き続けられたのは、凄いことだと思う。きっちり休まずに描いて完結させたA先生も凄いし、「増刊号」と言う不安定そうな雑誌を24年間出し続けた小学館も偉い。
 もうこれで『まんが道』全編の完結かと思うと非常に寂しい気持ちが強いが、A先生のご年齢を考えると、お元気なうちに完結させて正解だったと思う。A先生、これまで本当にお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。
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