名古屋テレビの『ジャングル黒べえ』再放送事情

 前回、藤子・F・不二雄大全集『ジャングル黒べえ』の感想を書いたが、アニメ版の放送事情について、もう少し突っ込んで書いておきたい。


 1980年代の名古屋テレビは、シンエイ藤子アニメに加えて東京ムービー制作の『新 オバケのQ太郎』『ジャングル黒べえ』も頻繁に再放送しており、おかげでアニメ版『ジャングル黒べえ』は本放送世代でなくても何度も観ることが出来たのだが、オープニングと本編はかなり強烈に記憶に残っているものの、エンディングの印象が驚くほど薄い。なぜだろうと考えてみて思い当たった。『ジャングル黒べえ』は15分枠で再放送されることが多かったのだ。17時台後半に海外アニメや実写ミニ番組と組み合わせて30分にした「子ども劇場」的な枠で放送されることが多く、東海地区で最後の放送となった1987年の再放送も、この形式だった。他に、18時から『ジャングル黒べえ』(再)、18時15分からローカルニュース、18時47分から『ドラえもん』(帯番組の遅れ放送)と続き、平日18時台は毎日ドラとジャン黒が観られると言う、今となっては夢のような編成が組まれていた時もあった。
 いずれにせよ、本来30分番組のアニメが15分枠で再放送される場合、CMの量との関係から放送されるのはオープニングと本編のみで、エンディングはカットされることが多い。
 当時、ジャン黒で本当にカットされていたかどうかは断言できないが、エンディングの記憶の薄さから考えてもほぼ間違いないと思う。だから、個人的にジャン黒エンディング曲の「ウラウラ・タムタム・ベッカンコ?」はフルコーラス版の印象が強く、テレビサイズ版を聴くと「無理して編集しているな」と感じてしまう。逆に、オープニングはイントロの「ウラウラウラウラベッカンコー」を繰り返さないフルコーラス版は、ちょっと物足りないのだが。

 それはともかく、このように東海地区の1980年代は東京ムービー制作のカラー藤子アニメ2作品も再放送の機会に恵まれていたのだが、まず先に『新 オバケのQ太郎』が再放送されなくなった。1985年に放送が始まったシンエイ動画版『オバケのQ太郎』に取って代わられたからだ。それまで何度となく再放送されてきたのに、1985年を境に全く放送されなくなった。
 次に、『ジャングル黒べえ』も姿を消した。その原因が黒人差別にかかわる回収問題(思い出すと不愉快な話題なので詳述はしない。興味のある方はご自分で調べて下さい)なのも、今やよく知られている事だろう。原作の回収に伴ってアニメ版も1988年以降は再放送されなくなったが、先ほど書いたように名古屋テレビでの最後の再放送は1987年で、これは全国的にみてもかなり遅いほうだったと思う。今さら言っても仕方がないことだが、もし1988年にあの問題が起きなければ、もう何回かは再放送されていてもおかしくなかったと思う。


 このような経緯をたどって『新オバQ』と『ジャン黒』がテレビから姿を消してから、もう20年以上も経った。
 両作品とも、原作は藤子・F・不二雄大全集でめでたく復活を遂げたが、アニメ版についてはまだ音沙汰がない。私だけでなく、この2作品の復活を願っている人は多いはずだ。昨今、地上波でのアニメ再放送は関東の独立局を除いてすっかり少なくなってしまったが、DVD化なり、CS等での再放送なり、まだ色々と手段はある。近いうちに、『新オバQ』や『ジャン黒』のアニメに再会できることを願って、この文を終わる。
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藤子・F・不二雄大全集 第1期 第11回配本 感想

 今月のF全集は普段より少ない二冊だが、『海の王子』第3巻は全編初単行本化、そして『ジャングル黒べえ』は22年ぶりの復活&完全収録と非常に豪華な内容だ。今月は特に発売が楽しみで待ち遠しかった。
 おかげで、もう二冊とも読み終わってしまったので、いつになく早く感想が書けた。



・『海の王子』第3巻

 第3巻は「小学三年生」「小学四年生」掲載分を収録。学年誌版『海の王子』はこれまで一度も単行本化されておらず、一冊丸々初単行本化だ。

 未読の作品が読める!…という点はもちろん嬉しかったのだが、実際に読んでみると学年誌版はちょっと微妙な作品に感じた。
 まず、コスチュームが新しく替わっているが、これがちょっとイマイチ。何より、チマの髪をヘルメットに全て入れてしまっているのはいただけない。これに関しては、「少年サンデー」版のデザインになじんでいたせいもあるのかも知れないが、チマの髪を隠しちゃあいかんだろう。
 また、チマが海の王子を「おにいさま」でなく「おにいさん」と読んでいる場面があり、これにはかなりの違和感を覚えた。チマには「おにいさま」で通して欲しかった。

 本編も、ちょっと微妙な出来の作品が多かった。何より、終わり方が唐突な話が多いのが気になった。最初のうちはページ数の制約のせいかと思ったが、たっぷりページのある別冊付録掲載分まであっけない終わり方の話が続いているのはどういう訳なのだろう。
 最終話も同様で、最終コマだけを見ればいかにも終わりという感じだが、その直前のページまで戦闘しているのだから余韻が感じられない。

 と言うわけで、初単行本化の一冊だったが、単行本化されない作品にはそれなりの理由があるのだなと思った。



・『ジャングル黒べえ』

 黒人差別問題の煽りを受けて1988年より22年間の長きにわたり、いわゆる「封印」状態にされて幻となっていた作品が、ようやく復活した。
 この『ジャングル黒べえ』は、全集第1期の「目玉」と言って差し支えないだろう。個人的にも、第1回配本を別にすれば『ジャングル黒べえ』刊行が一番待ち遠しかった。
 既存の単行本としては藤子不二雄ランド版全1巻があったが、書店には半年ほどしか並ばず「事情により発売中止」となってしまったため、これまで古書店では高額で売られていた。覚えている範囲で、最も高い時には3万円台まで行っていた。また、てんコミ版『バケルくん』第2巻の巻末にも収録されていたが、これは10話しか入っていなかった。

 今回の全集で全作品を読んでの感想を述べると、1話ごとに見てみると藤子・F作品として水準に達していると思うのだが、連載全体を一つの作品として考えると、ちょっと物足りない感じだった。
 たとえば、黒べえの弟・赤べえは途中から登場するキャラクターだが、きちんとした登場話もなく扉ページで紹介されているのみ。テレビアニメ版では登場エピソードがあったことから推測するに、F先生がこの作品はテレビアニメが主で漫画連載が従と考えて、ある程度割り切ってキャラの登場編は省いたのかもしれない。かろうじて登場話のあったパオパオは恵まれていた方だろう。
 また、低学年向けに限らずページ数が少ない作品が多いのも特徴の一つで、「小学五年生」以外はどの学年もページ数が固定されておらず、唐突に2ページの話が出てくるので、読んでいて呆気にとられることもしばしば。『ドラえもん』で例えれば、「ボールにのって」のような話が頻繁に収録されているようなもので、何とも言い難い不思議な読後感がある。
 結局、先にテレビアニメの企画ありきの作品では、いくら「原作 藤子不二雄」とクレジットされていても、アニメの展開を無視するわけにも行かず、F先生としても描きづらい部分があったのではないだろうか。結果としてできあがった作品が、独立した漫画としては中途半端な物になってしまったのだろう。


 テレビアニメとの関係についてもう少し突っ込むと、黒べえのライバルキャラ・ガックについて触れておかなければなるまい。
 ガックはアニメ版第20話で、おそらくテコ入れとして登場したキャラクターで、「~的」という口癖と「シャラバーイ」の呪文を使うイヤミな奴だった。これまでは完全なアニメオリジナルキャラと思われてきたが、「毎日新聞夕方版」に掲載された4コマの最終話「金のなる木」ではF先生の描いたガックが登場していた。これは、「ネオ・ユートピア」の会誌37号で発掘されたものだ。
 今回の全集版にもこの4コマは収録されているが、ガックについてはある程度の解説を入れるべきではないかと、読んでいて気になった。
 4コマ1本のみの登場で名前すら出ていないのだから、予備知識のない人には「どうやらこいつは黒べえのライバルらしい」くらいしかわからないだろう。4コマのネタも、ガックがトオリャンセコイヤの木から珍獣を呼び出す能力があると知らないと、何をやっているのかいまいち分かりにくいのではないか。
 アニメ版を観ていた人にはガックは説明不要なキャラだが、今の20代より下はまともに『ジャングル黒べえ』のアニメを観る機会はなかったと思う。そういった人への配慮が必要だったのではないか。肝付さんの解説ではガックにも触れられていたが、4コマの彼=ガックという説明はなかったし。

 アニメ版の本放送は私の生まれる前だっが、東海地区では名古屋テレビが夕方に頻繁に再放送をしており、私にとっては『ドラえもん』以降のシンエイ藤子アニメと同じくらいになじみのある作品だ。それだけに、アニメ版が未だに陽の目を見ない状況なのは残念だ。
 原作が堂々と復活したのだから、もうアニメ版のソフト化に当たっての問題はないはずだ。ぜひ、DVDを出して欲しい。とは言っても、秋のシンエイ版『怪物くん』と時期が被ると、主に金銭的な問題でちょっと困る。出すなら、来年以降でお願いします。一ファンの勝手な意見ですが。


 ともかく、『ジャングル黒べえ』が全話まとめて単行本で読めると言うこと自体が、ちょっと前までは夢のまた夢だったのだ。それが、こうして現実の物となった。読んでいると、言葉に表しがたい、何とも言えないうれしさが込み上げてくる。
 『ジャングル黒べえ』と『オバケのQ太郎』(特に「国際オバケ連合」)の復活は、全集第1期の大きな収穫だ。第2期以降でも、このような幸せな気分が味わえるかと思うと、今から楽しみだ。
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藤子・F・不二雄大全集 第1期 第10回配本 感想

 月日の経つのは早いもので、藤子・F・不二雄大全集第1期もこの第10回配本を含めてもあと3回の配本で完結となる。昨年の今頃は、徐々に全集の詳細が明らかになって、期待と不安で刊行を待っていた。それが、今は毎月の恒例行事となった。
 今回も発売からかなり遅くなってしまったが、とりあえず第1期の最後までは感想をキッチリと続けたい。



・『ドラえもん』第7巻

 今回は1967年生まれ編。巻頭の「どうぶつごヘッドホン」は単行本初収録。「小学一年生」の3月号に予告編的な位置づけで掲載された話で、最後のコマはドラえもんが道具を出そうとするところで終わる。短編ドラで次回への引きがあるのは珍しいが、それ故に今まで単行本未収録だったのだろう。
 そして、次の「桃太郎印のきびだんご」は、ちゃんと前話を踏まえてジャイアン・スネ夫が怒ってのび太を探すところから始まっている。こういう風に話が始まるのはよくある事なので、続き物になっているとは今まで気が付かなかった。学年繰り上がり式の編集だと、色々と「連載」ならではの仕掛けが分かって面白い。

 この巻の最終話は「チューシン倉でかたきうち」で、「小学六年生」3月号に掲載されたが、特に卒業を意識した作品ではない。巻頭の口絵として収録されたカラーイラストが、その代わりなのだろう。
 このような描き下ろしの卒業記念イラストがあったのは、この年のみ。この年度にリアルタイムで読んでいた人が羨ましい。自分の年度など、F先生ご病気のために途中で再録になってしまったからなあ。

 ところで、帯に「ドラの笑顔とともに6年間!!」と書かれているが、「小学一年生」は3月号の一回しか載っていないのだから「5年間」とすべきだと思う。さすがに5年と1ヶ月を「6年間」と言うのは無理があるだろう。



・『パーマン』第7巻

 本巻より新作に突入。てんとう虫コミックスの新作(5巻以降)はリアルタイムで買っており、『ドラえもん』ともども小学生の時に読みまくった作品だ。それだけに、あらためてどうこうと言うのがなんとなく書きにくいが、あえて新作の好きな点を挙げるとしたら、それは全悪連の連中だ。魔土博士も含めて、パーマンを倒すために頑張る姿を見ていると、いじらしくなってくる。今回の7巻では「全○連からプレゼント」「宝物見つけた」あたりがいい。
 全悪連絡みで一番好きな話は「全日本悪者連盟の選挙」だが、これは学年誌掲載だったので第8巻への収録となる。てんコミ未収録なので未読の方も結構いるかも知れないが、非常に面白くて、てんコミに入らなかったのが不思議に思える。

 また、今回「タマより弱く」が収録されたことには触れておかなければなるまい。この話は、F先生のご都合で途中からアシスタントの代筆になってしまっている。全集のページ数で言うと、213ページからだ。これまでの単行本より大きなサイズで読むと、代筆絵の拙さがよりはっきりとわかって、読んでいて複雑な気分になってしまう。
 しかも、代筆ページの中にも単行本収録時の描き足しでF先生が描いたコマが混じっているからややこしい。線が明らかに異なるので、描き足しのコマは読めば一目瞭然だろう。『ドラえもん』の「サカユメンでいい夢見よう」にも言えることだが、F絵になったり代筆になったりで、読んでいて落ち着かない。
 今さらながら、代筆コマは全て描き直して欲しかったと思ってしまうが、もうどうしようもない。『パーマン』はこれ1本で済んでいるが、『ドラえもん』には「ヤメサセロボット」「空中つりセット」「さかさカメラ」など全ページ代筆の作品もある。それらも全集に収録されるだろうから、観るのが今からつらい。



・『エスパー魔美』第4巻

 本巻より「少年ビッグコミック」不定期掲載分。カラーページのある作品は「魔美が主演女優!?」の1話だけ。再開第1話目だから2色カラーだったのだろう。同時発売の『パーマン』7巻では「てれびくん」掲載分のがカラー作品をモノクロで収録しているだけに、こっちは逆に非常に贅沢に感じてしまう。
 この巻は、黒沢の鬱陶しさが印象に残る。魔美の秘密がばれそうになる展開は以前に陰木さんの件があったが、今回は2話も使って描いているだけに余計に鬱陶しく感じる。ちなみに、アニメでは原作の2本に加えてオリジナルの「嘘つきフィルム」と言うエピソードがあり、黒沢絡みの話は三部作となっている。アニメスタッフにとっても、使い勝手のいいキャラだったのだろうか。

 また、「学園暗黒地帯」の後日談に当たる「まいもどった赤太郎」は色々と考えさせられる話だ。「学園暗黒地帯」では魔美の超能力も含めて、結局力だけで問題を全て解決することは出来ないまま、話が終わっている。
 この事に対するF先生の答えが、この「まいもどった赤太郎」なのだろう。適材適所と言うか、「力」をふさわしい方向で活かすと言う結末は、なるほどと思わさせられた。「学園暗黒地帯」と「まいもどった赤太郎」は、両方合わせて読んだ方が読後感がいい。もっとも、最近は大相撲に色々と問題があるせいで、今読むと「赤太郎は大丈夫か」と思ってしまうのだが。

 そう言えば、この巻の「スター志願」と『パーマン』の「きみをスターに」は基本的に同じ筋だ。インチキ芸能プロの話を『魔美』で先に使って単行本にも入れていたから、「きみをスターに」は今まで新作で唯一単行本未収録だったのか。今回『魔美』『パーマン』が同時刊行されてやっと気が付いた。他にも、こういうネタ被りはありそうだ。その点で、全集第2期で初単行本化される『手ぶくろてっちゃん』は楽しみだ。


(追記)

 『魔美』のカラーページは「グランロボが飛んだ」にもあった。黒沢も登場して「マミ・ウォッチング」への前振りにもなっている。こんな重要な回を、なぜ見落としていたのだろう。お恥ずかしい。

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『ガムガムパンチ』とベトナム戦争

 前回のエントリで予告したとおり、今回は『ガムガムパンチ』全50話通して読んで、思うところを書いてみる。


 まず、触れておくべきは話の多彩さだろう。作中で登場する特殊能力は「何でも作れる魔法のガム」のみだが、にもかかわらず実に多彩な話が描かれている。
 ガムで欲しいものを作るという一番分かりやすいパターンの話はもちろんのこと、動物や乗り物を作ったり、さらに人間の替え玉まで作れるし、あげくの果てにはガムで「便利な道具」まで作ってしまう。ある意味では『ドラえもん』に通じる作品とも言える。
 実際、『ドラえもん』では「イメージガム」と言う『ガムガムパンチ』の魔法のガムに非常によく似た道具が登場している。この話はF先生の生前には単行本未収録だった。F先生も『ガムガムパンチ』とのアイディアの一致を気にされていたのだろうか。

 さらに、『ガムガムパンチ』は低学年向けの作品にもかかわらず、重いテーマも扱っている。
 今回、文民社版作品集で初めて読んだ全集未収録作品の中に、ベトナム戦争を描いた作品まであってびっくりした。それも直球ど真ん中な話で、パンチとピンコが戦争中のベトナムに行ってしまうのだ。
 そして、ガムの力で戦争を引っかき回したはてに、子供たちに「なにがほしい?」と聞くと「平和がほしいの」と返事が返ってきて、最後のコマは戦争の続く村を見ながら「これはガムでは作れないね ごめんね」で終わり。ガムを使う場面がコミカルに描かれているだけに、結局それが無力だった事を示す最後のコマは非常に重く感じられる。
 これを「小学二年生」に描いてしまう手塚治虫も、載せた編集者もえらいもんだ。


 ところで、「漫画の主人公がベトナム戦争を引っかき回す」作品と言えば、『鬼太郎のベトナム戦記』(「宝石」1968年7月号~12月号)が思い出される。
 いや、引っかき回していたのは主に仲間の妖怪で、鬼太郎は余りやる気がなかったようだが、それはともかくとして、アニメ(第1作)放映中の時期に連載していたのだからこちらも凄い。しかも、掲載誌が大人向けだからやりたい放題だし。
 『ガムガムパンチ』と『鬼太郎のベトナム戦記』、どちらが先に描かれたのだろうと調べてみたら、『ガムガムパンチ』のこのエピソードが掲載されたのが「小学二年生」1968年2月号なので、こちらの方が半年ほど早い。とは言え、別に『鬼太郎のベトナム戦記』がアイディアを盗用したとか、そう言う事には当たらないだろう。1968年当時に戦争をテーマにタイムリーな作品を描くとなれば、ベトナム戦争が題材に選ばれるのは当然の事だ。
 むしろ、どちらが先と言う事は抜きにして、同じ年に手塚治虫・水木しげると言う漫画界の巨匠二人が、同じテーマで作品を描いた事自体が、非常に興味深いと思う。


 と、『ガムガムパンチ』全50話を非常に面白く読ませてもらった。
 手塚作品では、アニメのタイアップではなく純粋にオリジナルの学年誌連載もそれなりの作品数が描かれているが、手塚先生が児童漫画専門の漫画家でなかったせいかちょっと埋もれがちのような気がする。
 それらの児童漫画の中でも『ガムガムパンチ』はトップクラスの作品だと思う。これを講談社版全集で全話収録しされなかったのは本当にもったいない。文民社版作品集は漫画専門古書店などでたまに見かけるので、興味があればこれを買って読んでいただきたいものだ。カラーもほぼ完全収録で「ホタルの巻」などは綺麗に読めるし。
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文民社版「手塚治虫作品集」に手を出した

 先日、「手塚治虫作品集」(文民社)の第6巻(児童まんが1)を買ってしまった。
 今まで集めていなかったこのシリーズに手を出したのは、『ガムガムパンチ』全50話が一挙に収録されていると某所で聞いたから。さらに、カラー原稿はほぼ全てカラーのまま収録されており、ほとんど文句のつけようがない本だ。

 『ガムガムパンチ』は、講談社版全集でも刊行されているが、こちらは全50話のうち22話しか収録されていない。過半数のエピソードが未収録なのだからひどいものだ。全集第3期の終盤に刊行されたので、数合わせのため1巻のみにしたのではないかと勘ぐりたくなる。実際、第3期開始時に出た刊行予定では、2巻まで出ると書かれていたのだ。
 中途半端な全1巻といえば、藤子不二雄ランド版の『ビリ犬』を思い出すなあ。こちらも末期の刊行(全301巻中の第300巻)で、不十分な収録内容だった。というか、『ビリ犬』はまともに作品を網羅した単行本が一回も出ていないから、扱いはもっと悪い。せめて旧作の完全収録版が欲しいところだ。


 話がそれてしまったが、手塚作品の中での『ガムガムパンチ』の知名度はどの程度の物だろうか。
 掲載誌は「小学一年生」「小学二年生」で、1967年4月号から1969年9月号まで連載された幼年まんがだ。何でも作る事が出来る魔法のガムによる騒動の数々を描いた作品で、全集あとがきによるとアニメ化も視野に入れていたそうだ。アニメ化は実現することなく終わったので、それほど広く知られてはいないと思う。その割には何度も単行本化されており、一番最近では「ぴっかぴかコミックス」でもカラーで2巻まで刊行された。ぴっかぴか版は第1巻が丸々全集未収録分なので手軽に読みたい人にはお薦めだ。もっとも、もうすでにぴっかぴかコミックス自体が手軽には手に入らなくなりかけている気もするが。
 私は『ガムガムパンチ』の単行本は講談社全集、文民社作品集、そしてぴっかぴかコミックスを持っているが、三種類とも収録内容が異なるのだからややこしい。いずれ「手塚治虫文庫全集」でも刊行されるのだろうが、こちらはどうなる事やら。

 この作品は、学年誌の掲載にも関わらず読者に合わせて掲載誌が進級する事がなかった(「小一」→「小二」はあり。「小三」以上には上がらなかったと言う事)ので、ストーリーの流れに三つの系統が存在する。
 読者が入れ替わる4月号で話がリセットされるので、ガムの神様(または博士)が魔法のガムをパンチにあげる場面が繰り返し描かれている。文民社版作品集では、異なる年度の連載をまたぐ話で設定の矛盾がないようにセリフが改変されており、全話収録のための苦労が偲ばれる。三系統で区切って収録すれば、読者も別に気にしなかったと思うのだが、単行本は単行本として一つにまとめることに手塚先生のこだわりがあったのだろう。

 今回、初めて全50話を読んで、全集未収録の中には結構異色と言えるエピソードもあって驚いたのだが、これについて書いてみたら思ったより長くなったので、いずれまた別のエントリで紹介したい。
 ともかく、『ガムガムパンチ』を読むのなら、文民社版作品集がサイズ・カラー・収録話数のいずれについても決定版と言っていいだろう。講談社版全集もこの仕様だったらもっと素晴らしい全集になったのではないだろうか。まあ、文民社版は全8巻しか出さなかったからこそ、一冊一冊の内容にこだわって作る事が出来たのかも知れないが。


 さて、冒頭でも書いたように、今まで文民社版作品集は一冊も持っていなかった。
 その理由は、一冊でも買ってしまうと、結局全部欲しくなってしまう恐れがあると思ったからだ。実際に一冊買ってみたら、思った通りで残りの巻も欲しくなってしまった。他の巻も全集未収録作品やカラー収録がたくさんあるようなのだ。とりあえず、後半の第5巻「少女まんが」、第7巻「児童まんが2」、第8巻「カラー作品集」の三冊が欲しい。いずれも、カラーが映えそうなのに全集ではモノクロで残念だった作品群だ。
 と、こうなってしまう事が分かっているから今まで手を出さなかったのだが、もう手遅れだ。『ガムガムパンチ』全話収録と聞いては我慢できなかった。サイズの大きい文民社版作品集は、全8巻とは言え結構な場所をとってしまう。また、収納スペースを確保するための苦難の道が続くのか。
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ドラマ版『怪物くん』感想

 先月からドラマ版『怪物くん』の放送が始まったが、2話まで観て視聴をやめてしまった。

 このドラマの出来は、決して悪くないと思う。
 怪物くんが人間界でヒロシたちと交流して、大王として必要なものを学んでいくという設定はオリジナルだが、異種の存在である人間と怪物の交流を描く上では効果的だと思う。これは、物語の一つの「芯」となるものだろう。
 悪魔界の手先が人間界で悪事を働くというのもよくある展開だが、人間側の愚かさや心の弱さが丁寧に描かれており、こちらも怪物くんの行動の動機付けとしては悪くない。
 少なくとも、スタッフは原作に真摯に向き合って作られている作品だと思う。


 では、なぜ観なくなったかというと、原因は大野智の演じる怪物くんだ。
 放送が始まる前から心配だったのだが、やはり怪物くんを大人が演じるのは無理がある。大野智が怪物くんのコスプレをしているようにしか見えない。それだけならまだいいのだが、このドラマ版怪物くんは見ていて、行動の一つ一つが不快だ。
 原作漫画やアニメでは怪物くんはヒロシよりも背の低い子供に描かれているので、短気で怒りっぽい性格であってもかえってそれが可愛らしく見えるのだが、同じ事を大人がやると小物のチンピラにしか見えてしまい、不快でどうにも我慢できない。ドラマ版怪物くんは町を歩いていて肩がぶつかったら、因縁をつけてきそうだ。

 とは言え、全体的に見て配役は悪くないと思う。どうなるかと危惧していた怪物三人組や怪物大王も、実際に観てみると結構はまっていてしっくりくる。デモキンは原作の面影が全然ないが、回想でしかまともに動いていないのでそれほど気にならない。
 なのに、肝心の主役・怪物くんが私にはダメだ。これさえなければ「原作とは別物」として割り切って観られただろう。実に残念だが、おそらく大人であれば誰が怪物くんを演じても大差はないのではなかろうか。


 そんな訳で、私はドラマ『怪物くん』は2話で脱落してしまった。今も一応録画は続けているがHDDの肥やしになりそうだ。
 ドラマ版の感想としてはこんなところだが、おそらくドラマ放映のおかげでシンエイ版『怪物くん』のDVD-BOXが出る事になったし、ドラマをきっかけにして原作の『怪物くん』を読んでみようと言う人も出てくるだろう。藤子A作品に注目が集まる事自体は、ファンとして素直に嬉しい。
 だからこそ、ドラマ版をこれ以上「観よう」という気になれないのは残念だ。
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