『スーパーサラリーマン 左江内氏』感想

※ドラマ『スーパーサラリーマン 左江内氏』の内容に触れています


 昨日、藤子・F・不二雄作品『中年スーパーマン左江内氏』を原作としたドラマ『スーパーサラリーマン 左江内氏』が、最終回を迎えた。

 思えば、藤子不二雄両先生の作品は、いままでアニメ化のみならず、何度もドラマ化されてきた。それらを振り返ってみると、


 『エスパー魔美』(連続ドラマ)→一応、全話完走。原作とは「超能力」の解釈が大きく違っていた点に引っかかったのを覚えている。後半のストーリーはほとんど記憶にない。原作から大きくかけ離れていたことだけは覚えている。

 「キテレツ」(単発ドラマ)→特番の一回きりだったこともあって、無難にまとめたなという印象。コロ助役が初代アニメ版の小山茉美さんだった点は好印象。オチは、「帰ってきたドラえもん」を連想した。

 『笑ゥせぇるすまん』(連続ドラマ)→全話完走。原作ありきの作品だったので、ストレス無く観ることが出来た。ただ、1時間枠だったために、どうしても間延びする印象は否めなかったが。伊東四朗の喪黒は、アニメ版を意識していた節もあり。

 『怪物くん』(連続ドラマ)→1話のみ視聴して脱落。怪物くんのキャラクターがあまりにも原作の印象とかけ離れていて、ダメだった。あれはミスキャストだろう。

 「未来ドロボウ」(単発ドラマ。『世にも奇妙な物語』枠内で放映)→主人公の年齢が上がっていたが、基本的には原作通り。これも、無難にまとめた感じか。



 と、言った感じ。上記以外にも藤子ドラマはあるが、観ていないのでここでは触れない。「山寺グラフティ」のドラマ版「逢いたい」なんかは、結構原作に忠実だと聞くので観てみたいのだが、関西ローカルのドラマでソフト化もされていないとあっては、どうしようもない。『夢カメラ』あたりは、今観るとどうなんだろうな。

 さて、それでは今回の『左江内氏』はどうだったか。

 正直言って、最初の方は相当に強い違和感を持って観ていた。左江内氏の「責任を取りたくない」という性格付けや、鬼嫁など家族のキャラ付け、小池刑事などドラマ独自の設定が原作からかけ離れているように感じて、また本筋のストーリーもオリジナルのものばかりで、これなら別に『左江内氏』ではなくてもいいのではないかと思ったためだ。

 しかし、中盤以降は基本的に楽しんで観ることが出来た。
 私が福田雄一監督の独特の演出に慣れたというのもあるだろうし、コピーロボットを登場させたりと言ったF作品を意識したお遊びがあったり、原作をモチーフとしたストーリーが展開されるようになってきて、藤子・F・不二雄作品のドラマ化としての意義が見出せるようになってきた事も大きかったと思う。
 今挙げたほかにも、悪人のスーパーマン化や、左江内氏以外のスーパーウーマン(女性なので「スーパーさん」を意識しているのか?)を登場させるなどの展開は、面白く感じた。

 最終回では、原作と違ってパーやんは登場しなかったが、その代わりにバードマンをモチーフにしたと思われる「キャプテンマン」が登場して、忘却光線ネタを絡めつつ、それまでの伏線が回収された。
 正直なところ、パーやんは出さないだろうなとは思っていたが、それでもパーマンっぽい人を出してくれたことは素直に嬉しい。それにしても、役者の顔がでかいせいもあるのだろうが、実写でパーマン(っぽい)マスクを被ると、非常にマヌケに見えると言うことをあらためて確認できた。
 最後には、原作でも触れられたスーパーマンの条件が挙げられて、ある意味では原作1話につなげる感じで終了。まあ、きれいにまとまったと思う。

 このドラマに不満があるとすれば、前半は色々と雑な部分が目に付いた点だろうか。特に、第1話で左江内氏がスーパーマンになっているところをテレビ中継されていたのにはびっくりした。
 F作品では『T・Pぼん』でも触れられていたが、いくら忘却光線があっても映像として残ってしまってはどうしようもないはずで、それで押し通すなら押し通すで、何らかの説明が欲しかったところだ。そういう細かい設定の部分のきまりごとをしっかり守るのが藤子・Fテイストだと思うのだが、その点については無頓着な部分が観られたのは残念だった。そういう所も含めての、福田監督の作風だったのかもしれないが。


 とは言え、2017年と言うこの年に『中年スーパーマン左江内氏』がドラマ化された意義は大きい。
 原作は新しい単行本が出て脚光が当たった。『ドラえもん』だけでなく、藤子・F・不二雄作品は他にも色々とあるのだということが、少しでも多くの人に伝わったとしたら、非常に嬉しい。それだけでなく、地上波テレビのゴールデンタイムで堂々と『左江内氏』が放送されているというのは、観ていて妙に可笑しいというか、愉快なことだった。
 と、言うわけで、このドラマを観てよかったと思う。4月からはアニメ『笑ゥせぇるすまんNEW』がスタート。こちらも、楽しみだ。2~3月に放映されたインド版『忍者ハットリくん』第4期も含めて、藤子作品の映像化という点で今年は非常に恵まれた年になりそうだ。
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手塚治虫記念館の一日

 3月11日は、久しぶりに宝塚の手塚治虫記念館へ行ってきた。





 目的は、この日開催された手塚るみ子さんとつのがいさんのサイン会だ。
 当日、それぞれの著書を購入することで、先着50名にサイン会の整理券がもらえるというシステムだったので、念のため開館時間よりも前の午前9時には記念館に到着するようにした。サイン会とは別にトークショーも予定されていたのだが、こちらはすでに事前に参加申し込みを締め切っており、私はそれに間に合わなかったので、参加できなかった。
 記念館に到着すると、すでに20人ほどの人が並んでいた。その中には、先週名古屋のドラえもん映画鑑賞会でご一緒した藤子ファン仲間の方のお姿も。藤子ファンとは言え、藤子以外の趣味で一緒になることもあるのだ。

 開館時間の9時30分になったので、さっそく手塚るみ子さんとつのがいさんの本を購入して、整理券をゲット。結果的には、結構遅くまで整理券は残っていたので、9時に来る必要は無かったのだが、「はたして、まだ残っているのだろうか」と思いつつ記念館に向かうのは精神衛生上よくないので、9時に来てよかったと思う。









 その後は、一階から順番に展示を観て回った。
 特に、一階はもうすでに何度も観ている展示だが、複数人で回ると色々としゃべりながら観られて、なかなか楽しかった。





 二階の企画展示室は「アトム ザ・ビギニング展」を開催中。4月からNHK総合でテレビアニメも始まる作品だが、私は未読。
 今回、展示を見て、手塚漫画のオマージュという点で色々と興味を惹かれたが、はたして漫画の方から読むべきか、それともアニメを先に観るか。漫画の方は、まだ単行本が4巻までしか出ていないようだが、アニメは1クールなんだろうか。


 その後、一度外へ出て食事を済ませたあと、再び記念館へ。
 13時からトークショー、14時10分からサイン会という予定だったので、私はサイン会が始まるまでは二階の「手塚治虫ライブラリー」コーナーで本を読んで、時間をつぶした。
 手塚治虫漫画全集をはじめとして、これまでに出た主な手塚単行本が揃っているコーナーだが、さりげなく貴重な本もあった。どう貴重なのをか書くと、盗むようなバカが現れないとも限らないので詳細は伏せるが、現在あまり容易には読めない作品が収録された単行本が、置かれていたのだ。
 あとは、「情報・アニメ検索機」で手塚アニメを鑑賞。ここでは、主だった手塚アニメの好きなエピソードを選んで観られるのだが、今更ながらそのラインナップの中に『ふしぎなメルモ』(オリジナル版)があることに気がついた。1998年に音声をリニューアルした『ふしぎなメルモ リニューアル』が制作されてからは容易には観られなくなってしまったオリジナル版だが、記念館に来れば全話鑑賞することが出来るのだ。
 個人的な思い入れから言っても、やはり『ふしぎなメルモ』はオリジナル版の方が好きなので、これは嬉しいところだ。できれば、自宅で普通に観られれば、一番いいのだが。


 そんな感じで14時過ぎまで時間をつぶして、その後サイン会に参加。つのがいさん、手塚るみ子さんの順に、著書にサインをいただいた。










 手塚るみ子さんの著書『定本 オサムシに伝えて』には、手塚るみ子さんのサインの他に幼いるみ子さんの絵も入っているが、これはカバーイラストを担当された桐木憲一先生がいらしたので、「とくにたのんで」(スネ夫の自慢風)描いていただいたもの。おかげで、いっそう貴重な本になった。

 サイン会終了後も記念館でだべっていたのだが、驚いたことに16時を過ぎた頃、富野由悠季監督と高橋良輔監督が、記念館に現れた。
 お二人は、翌日3月12日に宝塚でトークショーをされる予定だったので、それで前日に宝塚入りされたのだろう。超ベテランアニメ監督の出現に、妙に焦ってしまったが、おそれおおくて話しかけることも出来ない(と言うか、お付きの人がいたので話しかけられない)。
 しかし、レジェンドとも言うべきお二人を、初めて生で拝見することが出来たのは、いい体験だった。世の中、何があるかわからないものだ。


 記念館は17時で閉館し、その後は宝塚駅前で飲み会。私などが参加するのがおそれおおいような、すごいメンバーだった。
 そのすごいメンバーで『けものフレンズ』について語り合ったりしているのが、妙に可笑しかった。『けものフレンズ』が、本当に今注目されているのだということが実感できる時間であった。それにしても、ケモナー的には『きりひと讃歌』ってどうなんだろうな。気になる。


 と、言った感じで、朝から晩まで宝塚にいた一日だった。手塚治虫づくしの一日を過ごすことが出来た。トークショーに参加できなかったことだけは残念だったが。ご一緒していただいた皆さん、ありがとうございました。
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『映画ドラえもん のび太の 南極カチコチ大冒険』感想

 3月5日に、今年のドラえもん映画『映画ドラえもん のび太の 南極カチコチ大冒険』を観てきたので、今年も例年通りに感想を書いておく。例によって、思いっきり筋やネタを明かしている部分があるので、その点はご注意下さい




 と言うわけで、本題に入る。
 今年の映画は、劇場用オリジナル作品だったわけだが、全体の感想から書いてしまうと、かなりよかった。今までのオリジナル作品の中では『のび太のひみつ道具博物館』が一番よかったが、今作は『ひみつ道具博物館』に並ぶレベルの出来だったと思う。
 しかも、『ひみつ道具博物館』とは、違う方向性で勝負している点で非常に大きな意味がある。『ひみつ道具博物館』は、事件がすべて博物館という閉じた世界の中で起きる作品だったが、今作は南極という大きな世界で起きる世界の危機を描いた物語であり、スケールの大きさという点で見応えがあった。

 今作でよかった点を挙げていくと、まずは「かなり藤子・Fらしさが出ていた」と言う点がある。
 『ひみつ道具博物館』は面白かったのは確かだが、レアメタルの設定をはじめとして、従来の原作や大長編ドラでは存在しなかった新設定をたくさん取り入れており、どちらかというと「ドラえもん百科」的な面白さだった。
 それに対して、今作は物語の芯となるタイムパラドックスの手法をはじめとして、道具の使い方やゲストキャラの設定などが、かなりF作品っぽいのだ。特に、タイムパラドックスをここまで本格的に扱ったのは、映画オリジナルのドラえもん映画では初めてのことであり、大いに評価できる。正直なところ、幼児層にはわかりにくいのではないかと心配すらしてしまった。いや、それは幼児を見下しすぎなのかもしれないが。

 話はそれるが、私は幼児の頃に旧作の『のび太の恐竜』からドラえもん映画を観ているが、ストーリーが難しいと思ったことは一度もない。その理由は、映画だけでなく公開と同時に発売されたカラーコミックスの大長編原作(「映画まんがドラえもん」と表記)を何十回、いや何百回と読み返していたせいなのだろう。映画自体はテレビ放送を入れても2回観たら終わりだったから、私にとっての映画ドラえもん幼児体験は「カラーコミックスの大長編原作」であると言える。
 それに対して、仕方がないのだが今作は映画オリジナル作であり、原作がない。いくら面白い作品でも、気軽に読み返せるマンガ媒体がないと、作品世界に浸れないのではないかと、勝手に心配してしまう。考えすぎかな。

 少し脱線してしまったが、今作のいいところは他にもある。特に印象的だったのは、「ひみつ道具の楽しさ」だ。氷ざいくごてを使う時の氷の動きの面白さ、ここほれワイヤーをこすった時の反応、ピーヒョロロープを犬ぞりの犬にするという意表を突いた使い方など、観ていて「この道具を自分も使ってみたい」と思わされる場面が実に多かった。個人的には、一本で何でも出来るようになっていた氷ざいくごてが特に面白かった。ビョーンと氷が動くのが見せられるのは、アニメーションならではの面白さだろう。

 さらに、今作でよかったのは、盛り上がる場面が一つではなかったため、観ていてだれることがなかったという点もある。
 具体的にいえば、偽ドラえもんとの対決と、ブリザーガとの最終決戦と、2回クライマックスがあったと言える展開であり、両方とも一つの映画のクライマックスとして使える展開であることを考えると、実に贅沢な作りだった。
 そう言えば、あの偽ドラえもん、声を大山のぶ代がやっていればある意味でさらに盛り上がったのではと言っていた人もいたなあ。大山さんが現在やれる状態かどうかは別にして、個人的にはそれはやり過ぎだと思うが。それに、声を富田さんがとか、野沢さんがとか言い出すと『ドラえもん』の場合はきりがないからなあ。


 と、よい点の多かった今作だが、気になった点もないではなかった。そういうところについても、書いておこう。

 まずは、冒険の導入が少し弱く感じた点。「リングを持ち主に返す+幻の先住民(アトランティス人?)を探す」と言う動機付けはあるが、いきなり南極で大冒険するにしては、いささか弱いのではないかと思ってしまった。もう一つ、のび太たちの背中を押す「何か」が欲しかったところだ。

 そして、ゲストキャラの印象も若干薄い。カーラもヒャッコイ博士(作中で名前が出なかったような)も悪いキャラではないのだが、やや類型的なキャラになってしまった感はある。かと言って、あまり博士をエキセントリックにしすぎると『ひみつ道具博物館』のペプラー博士みたいになってしまうだろうから、難しいところではあるのだが。
 パオパオについては、十分可愛らしく描けていたと思う。個人的には、アニメ『ジャングル黒べえ』での水鳥鉄夫氏の演技が印象的なので、最初はおっさん声でないパオパオにはちょっと違和感があったが。
 また、今作にパオパオが登場したことで、コーヤコーヤ星とヒョーガヒョーガ星の関係とか、色々と気になる点が出来てきた。おそらく、お互い生物が行き来している星とかの裏設定がありそうだ。ともかく、パオパオが単なるゲストマスコットキャラにとどまらない活躍をした点は、オールド藤子ファンとしてもうれしいことだった。モフスケ=ユカタンについては、色が変わった理由をちゃんと用意しておいてほしかったかな。「10万年の冬眠で色が変わってしまったのだろう」だけでは、ちょっとなあ。声も変わっているし。

 気になった点を挙げると、こんな所か。まあ、私の中では「よかったところ>気になったところ」なので、作品としては全体的に楽しめたのは間違いない。オリジナル作品と言うことで敬遠している人もいるかもしれないが、『ひみつ道具博物館』を気に入った人であれば、今作は観ても損はない作品だと思うので、ここでお薦めしておく。


 ところで、ちょっと気が早いが、来年の映画ドラえもんについても触れずにはいられない。
 おまけ映像を観た人なら、百人中の百人が来年の映画は『のび太の南海大冒険』のリメイクだと思ったことだろう。もちろん、私もそう思った。そう見せかけての別の何か(オリジナル作品?)と言う展開も全くないとは言い切れないが、『海底鬼岩城』『南海大冒険』『人魚大海戦』と、海を舞台にした作品がこれだけある中で、リメイクではなくまたしても海の冒険をテーマにするとは考えにくい。それに、ドラえもんが海賊風の格好をしていたし。

 来年が『南海大冒険』のリメイクであるという前提で話をすると、「どん底からの出発」である分、ある意味やりやすいかもしれないし、またスタッフの手腕が本当の意味で問われる作品にもなりそうだ。リメイクで面白くなって当然の作品を、どこまで面白く出来るかというのは、腕の見せ所だろう。
 来年の監督はスタッフクレジットから判断して今井一暁氏か。これまでは、テレビシリーズの演出家として活動しており、もちろん映画ドラえもんは初監督だ。はたして、どのような『南海大冒険』を見せてくれるのか、ある意味では非常に楽しみだ。

 と、ここまで書いておいて、来年が『南海大冒険』のリメイクではなかったらどうしよう。その時はその時で、やはり出がらしになった感のある「海の冒険」をどうするか、という点での楽しみはある。いずれにせよ、特報の第一報を待ちますか。
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