今年の映画ドラえもんは、これまででいちばん公開日が早く、3月1日の公開だった。翌日の2日には、公開された『映画ドラえもん のび太の 月面探査記』を観てきたので、例年通りこのブログに感想を書いておく。ここからの文章には映画の内容に触れる箇所があるので、未見の方はご注意ください。
まず、先に書いておくと、今年の映画は非常によかった。
昨年の『のび太の宝島』は、個人的に「ストーリーがあまりに王道すぎた」ためにひねりがなくて、その点であまり楽しめなかったのだが、今作はちゃんと「ひねり」の展開が入っていたので後半に意外な展開で驚くことができて、非常に楽しめた。私がドラえもん映画に求めているのは、これなのだ。
思い返せば、原作大長編ありのドラえもん映画でも、『のび太の大魔境』の「十人の外国人」や、『のび太と竜の騎士』の「聖域はドラえもんが作った」などの、結末であっと言わされる展開が好きだった。ここで挙げていない作品でも、藤子・F・不二雄先生は何らかの「おどろき」をストーリーに仕込んでいたように思う。
で、今年の「ひねり」として面白かったのが何かと言えば、やはり「定説バッジ」の存在だろう。
この定説バッジについては、まじめに考え始めると非常に謎の多い存在だと思う。そもそも、異説クラブメンバーズバッジ(とマイク)の存在によって成り立っているはずのノビットが作ったものなのだから、当然定説バッジ自体の存在も異説クラブメンバーズバッジがなくては成り立たないのか、とか、定説バッジと異説クラブメンバーズバッジの二重使用をしたらどうなるのか、とか、疑問は色々とわいてくる。
それを、小さな子供にもわかりやすく見せようとして、今作ではノビットの作るものは「あべこべ」であることを何度も描いて強調しているのだ。脚本・演出ともに非常に入念な積み重ねがなされており、本来ドラえもん映画が子供のためのものであることをきちんとわかった上で作っているという点で、今作のスタッフは非常に信頼できる。
さて、物語の要となる仕掛けについて先に触れてしまったが、全体のストーリーもよくできていた。
短編「異説クラブメンバーズバッジ」をベースとしながら、カグヤ星の物語を織りまぜることで、見事に長編映画として成り立っていた。観ていて、どのようにカグヤ星が話に関わってくるのかあまり予想が付かなかったので、終盤までハラハラして楽しんで観ることができた。
また、ストーリーもさることながら、今作では画面の隅にまでスタッフの遊び心が現れており、その点でも楽しめた。序盤は、映画ドラえもんとしては珍しく、学校が主な舞台となっていたので、のび太のクラスメートたちも勢揃いと言っていいほどたくさん登場しており、その中でも短編原作では一度しか登場していない「クラスでいちばんエッチなやつ」(本名不明)が、やけに存在感を発揮していたのが特に印象的だった。他にも、多目くんやクラスで二番のガリベンくん、あばら谷くんなどのび太のクラスメートに関しては、誰が出ているか探す楽しみもあると言えよう。早くも、映像ソフトの発売が楽しみな理由のひとつでもある。
そして、本作のゲストとしてはルカをはじめとするエスパル11人とカメのモゾ、ノビットを含むムービットたちがいる。
エスパルに関しては、ルカ・ルナ・アル以外の8人に関しては正直あまり印象にないのだが、これは11人もいれば仕方のないところだろう。それよりも、ともにマスコット的キャラとして描かれているノビットとモゾが、それぞれを食いあうこともなく、ちゃんと二人とも存在意義のあるキャラとして描かれていた点には感心させられた。
それでいて、ノビットもモゾも、物語の終盤には単なるマスコットの枠を超えた活躍をするのだから、非常に周到なキャラクター配置だと思う。
それに対して、敵キャラクターの親玉として登場するディアボロは、カグヤ星の破壊兵器そのものが意思を持った機械だった。これは、ドラえもんたちにカグヤ星人とはいえ生身の人間を倒させるわけには行かないという事情もあるのかもしれない。なんにせよ、最後の最後までしぶとい悪役として、印象には残るキャラクターだった。
ちょっと残念だったのは、ゴダートの部下の扱いだ。ゴダートを裏切ったタラバなど、結局どうなったのかは描かれずじまいだった。まあ、どうせ「わすれろ草」で全てわすれさせられるだけだったのだろうが。
ところで、映画前作の『のび太の宝島』あたりから際立ってきたように思うのだが、「ドラえもんの道具についていちいち説明しない」という点は、今回ちょっと気になった。
はっきり言うと「地平線テープ作戦」だ。もちろん、原作の「地平線テープ」を読んでいれば、どんな作戦なのかはわかるのだが、これを全く説明なしで流してしまったのは、ちょっとひっかかった。とは言え、いちいち地平線テープの説明を入れるわけには行かない展開であるのもわかるし、難しいところではある。
ついでに言っておけば、この映画に突っ込みどころがないわけではない。定説バッジをどうやって短期間で大量生産したのか、ドラえもんがなぜ宇宙船を気球型に改造したのか、ルカはどうやって転校してきたのか(これに関しては、小説版で言及あり)など。ただ、これらの突っ込みどころすら、スタッフが意図的に用意したもののような気もしてくるのだ。今作のスタッフならそれくらいはやりかねない、そんな気もする。
ともかく、今作が映画ドラえもんのオリジナル作品ではひとつの頂点となった、そんな作品だと思う。来年の映画がどんな作品になるのか、それはまだわからない(おまけ映像を見ても、本当に予想が難しいのだ。「竜の騎士」リメイクなのか、「恐竜」再リメイクか、それともオリジナル?)が、もしオリジナル作品だとしたら、今作を超えるのはなかなか難しいだろう。
なお、今作は小説版も読んだが、実際の映画との差異はあまりなかった。この小説版が、映画からさらにフィードバックされているのかどうかはわからないが、元の脚本の完成度が高かったのは間違いないだろう。ルカとのび太の最後のかけっこは、映画でも観たかった気はするが。
と、言ったところで本稿は終わる。今作は、誰にでも勧められる「ドラえもん映画」だった、と最後に言っておこう。
まず、先に書いておくと、今年の映画は非常によかった。
昨年の『のび太の宝島』は、個人的に「ストーリーがあまりに王道すぎた」ためにひねりがなくて、その点であまり楽しめなかったのだが、今作はちゃんと「ひねり」の展開が入っていたので後半に意外な展開で驚くことができて、非常に楽しめた。私がドラえもん映画に求めているのは、これなのだ。
思い返せば、原作大長編ありのドラえもん映画でも、『のび太の大魔境』の「十人の外国人」や、『のび太と竜の騎士』の「聖域はドラえもんが作った」などの、結末であっと言わされる展開が好きだった。ここで挙げていない作品でも、藤子・F・不二雄先生は何らかの「おどろき」をストーリーに仕込んでいたように思う。
で、今年の「ひねり」として面白かったのが何かと言えば、やはり「定説バッジ」の存在だろう。
この定説バッジについては、まじめに考え始めると非常に謎の多い存在だと思う。そもそも、異説クラブメンバーズバッジ(とマイク)の存在によって成り立っているはずのノビットが作ったものなのだから、当然定説バッジ自体の存在も異説クラブメンバーズバッジがなくては成り立たないのか、とか、定説バッジと異説クラブメンバーズバッジの二重使用をしたらどうなるのか、とか、疑問は色々とわいてくる。
それを、小さな子供にもわかりやすく見せようとして、今作ではノビットの作るものは「あべこべ」であることを何度も描いて強調しているのだ。脚本・演出ともに非常に入念な積み重ねがなされており、本来ドラえもん映画が子供のためのものであることをきちんとわかった上で作っているという点で、今作のスタッフは非常に信頼できる。
さて、物語の要となる仕掛けについて先に触れてしまったが、全体のストーリーもよくできていた。
短編「異説クラブメンバーズバッジ」をベースとしながら、カグヤ星の物語を織りまぜることで、見事に長編映画として成り立っていた。観ていて、どのようにカグヤ星が話に関わってくるのかあまり予想が付かなかったので、終盤までハラハラして楽しんで観ることができた。
また、ストーリーもさることながら、今作では画面の隅にまでスタッフの遊び心が現れており、その点でも楽しめた。序盤は、映画ドラえもんとしては珍しく、学校が主な舞台となっていたので、のび太のクラスメートたちも勢揃いと言っていいほどたくさん登場しており、その中でも短編原作では一度しか登場していない「クラスでいちばんエッチなやつ」(本名不明)が、やけに存在感を発揮していたのが特に印象的だった。他にも、多目くんやクラスで二番のガリベンくん、あばら谷くんなどのび太のクラスメートに関しては、誰が出ているか探す楽しみもあると言えよう。早くも、映像ソフトの発売が楽しみな理由のひとつでもある。
そして、本作のゲストとしてはルカをはじめとするエスパル11人とカメのモゾ、ノビットを含むムービットたちがいる。
エスパルに関しては、ルカ・ルナ・アル以外の8人に関しては正直あまり印象にないのだが、これは11人もいれば仕方のないところだろう。それよりも、ともにマスコット的キャラとして描かれているノビットとモゾが、それぞれを食いあうこともなく、ちゃんと二人とも存在意義のあるキャラとして描かれていた点には感心させられた。
それでいて、ノビットもモゾも、物語の終盤には単なるマスコットの枠を超えた活躍をするのだから、非常に周到なキャラクター配置だと思う。
それに対して、敵キャラクターの親玉として登場するディアボロは、カグヤ星の破壊兵器そのものが意思を持った機械だった。これは、ドラえもんたちにカグヤ星人とはいえ生身の人間を倒させるわけには行かないという事情もあるのかもしれない。なんにせよ、最後の最後までしぶとい悪役として、印象には残るキャラクターだった。
ちょっと残念だったのは、ゴダートの部下の扱いだ。ゴダートを裏切ったタラバなど、結局どうなったのかは描かれずじまいだった。まあ、どうせ「わすれろ草」で全てわすれさせられるだけだったのだろうが。
ところで、映画前作の『のび太の宝島』あたりから際立ってきたように思うのだが、「ドラえもんの道具についていちいち説明しない」という点は、今回ちょっと気になった。
はっきり言うと「地平線テープ作戦」だ。もちろん、原作の「地平線テープ」を読んでいれば、どんな作戦なのかはわかるのだが、これを全く説明なしで流してしまったのは、ちょっとひっかかった。とは言え、いちいち地平線テープの説明を入れるわけには行かない展開であるのもわかるし、難しいところではある。
ついでに言っておけば、この映画に突っ込みどころがないわけではない。定説バッジをどうやって短期間で大量生産したのか、ドラえもんがなぜ宇宙船を気球型に改造したのか、ルカはどうやって転校してきたのか(これに関しては、小説版で言及あり)など。ただ、これらの突っ込みどころすら、スタッフが意図的に用意したもののような気もしてくるのだ。今作のスタッフならそれくらいはやりかねない、そんな気もする。
ともかく、今作が映画ドラえもんのオリジナル作品ではひとつの頂点となった、そんな作品だと思う。来年の映画がどんな作品になるのか、それはまだわからない(おまけ映像を見ても、本当に予想が難しいのだ。「竜の騎士」リメイクなのか、「恐竜」再リメイクか、それともオリジナル?)が、もしオリジナル作品だとしたら、今作を超えるのはなかなか難しいだろう。
なお、今作は小説版も読んだが、実際の映画との差異はあまりなかった。この小説版が、映画からさらにフィードバックされているのかどうかはわからないが、元の脚本の完成度が高かったのは間違いないだろう。ルカとのび太の最後のかけっこは、映画でも観たかった気はするが。
と、言ったところで本稿は終わる。今作は、誰にでも勧められる「ドラえもん映画」だった、と最後に言っておこう。