『映画ドラえもん のび太の 新恐竜』感想

 8月7日、「映画ドラえもん のび太の 新恐竜」が公開された。
 本来の予定ならば、3月に公開されているはずであったが、新型コロナウィルスの影響で延期となっていた。それが、ようやく公開されたのだ。例年であれば、名古屋で藤子ファン仲間が集まって映画鑑賞&感想会が開かれるのだが、さすがに今回は開催することができず、今年は一人での映画鑑賞となった。一人でドラえもん映画を鑑賞したのは、「ドラえもん のび太の ワンニャン時空伝」の時以来、16年ぶりのことだ。ちょっと寂しい映画公開日であった。

 そんなわけで、公開初日に映画を観てきたので、例年通りにここで感想を書いておく。
 いつものことだが、ここから先は映画の内容に思いっきり触れているので、未見の方はご注意いただきたい。



 さて、さっそく映画の感想だが、一言で言うと、もやもやの残るすっきりしない作品だった。
 導入+中盤までは「のび太の恐竜」、結末部分は「のび太と竜の騎士」を想起させられる過去の映画のツギハギ的展開の中に、のび太&キューの成長という話の芯があったわけだが、この「のび太&キューの成長」という部分に共感できなかったのだ。
 のび太がキューをなんとかして飛ばせようとする展開が、観ていて非常につらかった。「ミューや他のみんなは飛べるんだ、だからキューにも飛べるはず」と、飛ぶことを強要していたが、それを観ていて、もしかしたらキューが「飛べない変種」なんじゃないのか、そうだったらどれだけ残酷なことをさせているんだと言う思いが頭をよぎってしまった。
 もちろん、キューは最後に飛べるようになるし、その「飛べるようになること」が、話の肝である「ミッシングリンク」につながるという仕掛けになっているのだが、そこまでの話の持って行き方が、私には合わなかったのだ。
 そもそも、のび太は山登りするときに「平らな山ならいいんだけど」と言うようなやつだ。しなくてもいい努力はしたくない性格なのだ。それが、自分がまだ逆上がりができてもいないのに、それを棚に上げてキューに飛ぶことを強要する姿には、非常に違和感を覚えた。のび太の危機→キューが飛べるようになるという流れは全くおかしくないが、そこまでの過程がダメだ。

 また、本作におけるタイムパトロールの位置づけも、気になったところだ。
 単に最後にドラえもんたちを助けてくれるという、これまでの立ち位置ではなかったのは新鮮味はあった。しかし、恐竜の絶滅という超大イベントについて、タイムパトロールたちまでが「ミッシングリンク」と言う言葉を使って何も知らない状態なのは、はっきり言って不思議だ。あのタイムパトロールが何世紀の存在なのかはわからないが、タイムマシンを持っている時代なのは間違いないのだから、恐竜絶滅の真相などそれで見てくれば一発でわかるではないか。現代の恐竜博士(彼はいいキャラだった)とは、訳が違う。
 そして、飼育用ジオラマセットで作った「ノビサウルスランド」が、恐竜たちを絶滅から救う場所となったと言う展開についても、「これでいいのか」と思ってしまった。「のび太と竜の騎士」の「聖域はドラえもんが作ったのか」的な展開を狙ったものだろうが、地底世界にある聖域とは違い、地上に存在する場所に恐竜を集めて生かしてしまったら、それが永遠に全く知られないままでいるのはずいぶん無理があるのではないだろうか。

 今作は、新型コロナウィルスの影響で公開が5ヶ月遅れた。
 基本的に、オリジナルのドラえもん映画を観るときは、なるべく情報を事前に頭に入れないようにしているのだが、この5ヶ月間に色々と断片的な情報が入ってきていた。それを元に内容を想像して、どんな映画になっているかと楽しみにしていたのだが、正直言って期待外れだった。
 監督・今井一暁&脚本・川村元気のコンビによるドラえもん映画は、「のび太の 宝島」に続いて2作目となったが、どうやらこのコンビは私の好みには合わないようだというのが、今作であらためてよくわかった。『ドラえもん』という作品のとらえ方、考え方が、私とはかなり異なるようだ。
 あと、この際だから言っておくが、ピー助を出してしまったのは、作品の独立性を考えると失敗だったのではないか。「ピー助っぽい首長竜」ならまだいいとは思うが、エンディング・クレジットではっきりと「ピー助」と名前を出してしまっているので、言い逃れはできない。するつもりもないだろうが。
 以前に、ある人が「映画ドラえもんは、一作ごとにパラレルワールドだと思う」と言っていたのを聞いたことがあって、なるほどそれなら納得できることが多いなと思ったが、そのように今作が「のび太の恐竜」(2006含む)とは独立した一個の作品だとするなら、余計にピー助を出すべきではなかったと思う。

 と、言ったところで感想は終わり。なんだか、否定的なことばかり書いてしまって恐縮だが、いいと思ったことも書いておこうと思っても、これはと思いつかないのだ。何しろ、話の芯になる部分に共感できなかったのだから。ああ、ひみつ道具の「ともチョコ」はよかったんじゃないか。ネーミング含めて。
 おまけ映像の内容から推察して、来年の映画(公開時期は今のところ不明)は、「あれ」でおそらく間違いないだろう。来年には期待したい。
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映画ドラえもん18作を観終えて(後編)

 前回の続き。

・のび太の日本誕生

 はじめて藤本先生が「制作総指揮」としてクレジットされた10周年記念作品。「日本の誕生」というスケールの大きさと、7万年前の雄大な自然描写が心地よい。原作にない映画オリジナルの演出で、やけに「ラーメンのおつゆ」への拘りが見られるが、これは芝山監督の拘りなんだろうか。
 なお、原作の最終ページでは、ククルがウンバホとなったことが語られるが、これは単行本化時の描き足しであり、連載時にはない。だから、映画では触れられておらず、別れのシーンで終わることになる。描き足しによって、この作品が『チンプイ』とつながったわけだ。
 ギガゾンビは原作だけだと、そんなに印象の強い敵ではないのだが、映画では永井一郎氏の好演によって、原作よりアクの強い敵役になったと思う。山田博士本人もノリノリで「ギガゾンビ」というキャラを演じている感が伝わってくる。
 そう言えば、タイムマシンがしゃべるようになったのは、前作「パラレル西遊記」からだった。映画オリジナルで生まれた設定を、逆輸入したと言うことか。そのあたり、藤本先生は妙に律儀だ。


・のび太とアニマル惑星

 ママが自然環境保護に目覚める話。今までになく、メッセージ性の強い作品となっている。原作と比べると、映画は最後の戦闘での絶望感が弱い感じがする。もっと、徹底的にニムゲに攻めさせても良かったのではないか。
 原作にないアニメオリジナルの描写に、裏山のゴルフ場開発が中止になったと最後に触れている点がある。原作では、最後にママは登場していないが、ここははっきりさせておきたかったんだろう。
 なお、「アニマル惑星」よりも後に描かれた短編エピソード「ドラえもんがいなくてもだいじょうぶ!?」にて、10年後の世界が登場しており、自然環境がいい方向に向かったことが描かれている。藤本先生も、自然保護のテーマについては気になっていたのかな。
 本作には、前年の「のび太の日本誕生」でククルを演じた松岡洋子さんがまた出演しているが、その役が「豚の少年」という端役なのが、何とも言えない。映画ドラえもんで、メインのゲストキャラの翌年に端役を演じた例は、他にはないのでは。


・のび太のドラビアンナイト

 本作の導入となる、絵本入りこみぐつで入ったアラビアンナイトの世界が現実とつながっていると言う設定は少し苦しい気もするが、そんなこともあるかもと思った方が、夢があっていいのかもしれない。
 敵役として登場するアブジルとカシムは、これまでの映画ドラえもんの敵と比べると小者だが、シンドバットが自力で倒せる相手と言うことで設定されたのだろう。強大な敵が出てきそうな世界観でもない気もするが。
 シンドバットについては『T・Pぼん』でも描かれているし、藤本先生がいかにも好きそうなテーマだ。そう言えば、のび太役の小原乃梨子さんは以前にテレビアニメ『アラビアンナイト シンドバットの冒険』で主役のシンドバットをやっていた。いろいろとアラビアンナイトに縁があるのだなあ。


・のび太と雲の王国

 「のび太とアニマル惑星」に続いて自然保護をテーマにしており、過去の短編エピソードのキャラも登場するなど、『ドラえもん』におけるこのテーマの集大成的作品となっている。作中では天上人や密猟者たちと対立はするが、明確な敵という感じではない。
 本作では、「さらばキー坊」に登場したキー坊や、「ドンジャラ村のホイ」に登場したホイ達小人族が再登場している。ホイの声は、テレビ版と同じ松尾佳子さんだが、キー坊は成長して大人になっているため、テレビ版と声優は異なる(テレビ版では島本須美さん)。
 フィルムコミックのあとがきによると、「正義は天上人にあり、悪いのは地上人」なので、描きにくかったと藤本先生は語っている。それはそうなのだが、個人的には天上人はジャイアンやスネ夫が感じたように「お高くとまっていていやな感じ」という印象だ。正しければ何をしてもいいというわけじゃないんだよな。
 そんな天上人に対抗するためにドラえもんは「雲もどしガス」を用意して、それを密猟者たちに悪用されたため、エネルギー州は消滅した。じゃあ密猟者が悪役なのかというと、そんな感じもしない。悪役としては小者過ぎるのと、あくまで地上人の論理(悪人ではあるが)で動いているのに過ぎないせいだろう。
 原作の最終ページで、天上人達は植物星へと旅立ち、天上世界は「からっぽ」になってしまう。大長編ドラえもんでいちばん寂寥感の漂うエンディングだ。この最終ページがあったからこそ、原作としての独自性が出たように思う。石頭のドラ特攻は、映画版からの逆輸入なので。
 原作も映画も、ガスタンクの破壊はドラの石頭特攻だが、「ぼくには石頭という、最後の武器があった!!」というドラのセリフは原作のみ。芝山監督は、「何であれに気付かなかったのだろう」と、このセリフを映画の時点で入れられなかったことを悔やんでいた(「ネオ・ユートピア」会誌19号より)。


・のび太とブリキの迷宮

 高度に発達した文明社会で人間がロボットに取って代わられるという展開は、藤子先生のデビュー単行本「UTOPIA 最後の世界大戦」を思わせる。ある意味、そのリメイクと言える。メルヘンチックな世界観であるが、内容は重いものがある。
 本作では、ナポギストラーの渋すぎる声が印象に残る。さすがは森山周一郎氏だ。あの声での「イートーマキマキ」は実に笑える。声と言えば、ミニドラはエンディングクレジットになかったが、おそらく佐久間レイさんが二役をやっていたんだろう。
 フィルムコミックのあとがきは、ひたすらアイディアを生み出す苦しみについて書かれていて、この時の藤本先生の心境を想像すると、実に興味深い。映画ドラえもんも14作目になって、本気で次はどうしようと悩んでいたんだろうな、きっと。


・のび太と夢幻三剣士

 短編ドラえもんでさんざん描かれた「夢」ものの集大成。「かくしボタン」によって夢と現実の逆転が起こり、今までの異世界とは一風変わったムードのある冒険が描かれている。どこまでが夢カセットによるもので、どこからがのび太たちの意思によるものなのか、はっきりしないのが怖い。
 フィルムコミックあとがきによると、当初の構想では「夢の暴走」を描く予定だったとの事で、トリホーが現実世界に出てくるあたりは確かにそれを想定して描かれていたのだろう。結局、夢は夢と言うことで話がまとまったが、それでも映画版ラストでのみ描かれているお城のような学校は、「現実世界への夢の影響」を表したものと言える。
 本作は声優が豪華だ。妖霊大帝オドロームに家弓家正さん、龍に石丸博也さん、スパイドル将軍に屋良有作さん、等々。個人的には、神山卓三さん声の熊が「そうでがんす」と言ってくれるだけで、もう感涙だ。


・のび太の創世日記

 この作品では、のび太達は「神様」として、一歩引いた立場で新世界の歴史を眺めてゆく。時代ごとのエピソードが描かれていくので、大長編と言うよりは短編のオムニバス形式に近く、映画ドラえもんとしては他にない味わいを持った作品だ。各時代ごとのエピソードがつながっていく作品なので、長編作品としての盛り上がりにはやや欠ける感がある。のび太の作った地球なので、変な方向に進化してしまったというのは、ドラえもんらしくて好きな展開ではあるのだが。
 本作にも、色々なドラえもんの道具が登場するが、個人的に好きなのが「伝書バット」だ。バットに羽を付けただけの安直なデザインとネーミングセンスがすばらしい。こういうバカバカしい(褒め言葉です)道具は、大好きだ。


・のび太と銀河超特急

 藤本先生が「制作総指揮」として完成させた最後の作品。ドリーマーズランドのアトラクションに多く時間が割かれており、特に最初のダーク・ブラック・シャドウ団(この安直なネーミングもいい味だ)の襲撃にまつわるエピソードは、「映画になるとかっこいい」のび太の存在など、映画ドラえもん自体のパロディみたいになっていて面白い。
 本作では、西部劇の星での活躍や最後のヤドリ天帝との対決など、のび太の格好良さがクローズアップされている。前作ではほぼ神様として歴史を見守るだけだったのび太を、その反動のように思いっきり活躍させたと言うことだろうか。特に、最後の対決はのび太らしからぬ落ち着き様で、やけに頼もしさがある。
 原作は、最後「巻き」で終わらせたような印象がある。映画ではちゃんと描かれたアストン達との和解のシーンがないのは、残念なところだ。そこは当然、単行本で加筆されるものと思っていたが、実際にはその部分の加筆はなかった。それだけ、藤本先生の体調が悪かったのだろう。てんとう虫コミックスのカバーイラストも藤子プロの作画になってしまったし、加筆も少なかった(ヤドリ天帝との対決シーンが少し変わっただけ)。藤本先生が亡くなる直前に出た単行本だけに、仕方がないところか。


・のび太のねじ巻き都市冒険記

 藤本先生の遺作となった作品。本作に登場する「ホクロ」の存在は、どんな悪人にも良心はあると言うことを表していたのだろう。結果的に大長編ドラえもんの最終作となったが、造物主とも言える「種まく者」の登場により、最終作らしい作品になった。
 原作は、連載第3回までが藤本先生の下絵より描かれて、第4回以降は遺されたアイディアノートなどより藤子プロによって描かれた。はたして、どこまで藤本先生の意図していた展開となったかはわからないが、作品をまとめ上げた方々には敬意を表したい。
 連載が始まった時は、第1回を読んで「なんだ、これは」と思ったものだった。明らかにそれまでの藤本先生の絵とは違うタッチで、何事が起きたのかと思った。実際には、カラーページのペン入れはされており、よく見ればそれは確かに藤本先生の絵であったのだが。当時は、藤子プロによる作画になったことまでには頭が回らず、何か漠然といやな予感がしていたのだが、残念なことにそれは現実となった。連載第3回の下絵を遺して、藤本先生が亡くなられたのだ。当時の衝撃は、本当に大きなものだった。
 遺されたアイディアノートは色々なところで紹介されているが、それを見る限りは雑多なアイディアの断片を書き留めた感じで、良く話がまとまったと思わずにはいられない。芝山監督が展開について話を聞いていたそうなので、そちらも合わせてまとめられたのだろうが。



 以上、「のび太のねじ巻き都市冒険記」までの18作の感想をまとめた。
 今回、約一ヶ月間という短い期間の中で18作を立て続けに観たことで、どのように映画ドラえもんが作られていき、そしてどのように変わっていったかがよくわかったように思う。貴重な体験だった。
 願わくば、WOWOWには次は同時上映作品のHDリマスター版をやって欲しい。もちろん、A先生の作品も含めてだ。高画質でよみがえる「怪物ランドへの招待」なんて、考えただけでわくわくしてくる。
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映画ドラえもん18作を観終えて(前編)

 WOWOWで2月から放映されてきた映画ドラえもんだが、とうとう「のび太のねじ巻き都市冒険記」までの原作大長編ありの作品をすべて観終わってしまった。
 思えば、映画ドラえもんをまとめて集中的に観たのは久々のことだ。もしかしたら、今はなき名古屋の「シバタ劇場」で、当時の全作品(「ねじ巻き都市冒険記」まで)が上映されたとき以来ではなかろうか。もっとも、その時も全作観たわけではなかったが。
 ツイッターで、各作品を観るたびに感想を投稿していたので、ここではその投稿を元にして、全18作の感想をまとめておく。
 なお、ツイッターからのそのままの転載ではなく、ブログ用に加筆訂正と編集を行ったものであることを、おことわりしておく。



・のび太の恐竜

 今観ると、作画などから素朴な味わいを感じるが、そんな中でも決して手は抜かれておらず、恐竜の動きなど今でも見応えがある。今観返すと、原作の名シーンで映画にないのがけっこうある事がどうしても気になってしまうが、原作と映画が同時進行だった上に、本作は後から描き足された場面も特に多いので、仕方のないところだろう。


・のび太の宇宙開拓史

 個人的にいちばん思い入れの強い作品なので、いい画質でじっくりと観られてよかった。もう何度となく観ているのだが、それでも特に別れのシーンは見入ってしまう。「心をゆらして」の流れるタイミングが完璧で、ここだけ何度も観返してしまった。クレムがあやとりを見せるところなど、すばらしい。
 いかにも大河原邦男メカなブルトレインは、下手をしたら作中で浮いてしまうところだろうが、そうはならずにいいアクセントになっていると思う。


・のび太の大魔境

 本編中で挿入歌として流れる「だからみんなで」が、本来のバージョンになっている。DVDではフルコーラス版を1コーラス流しただけだったが、それとは演奏も歌唱も微妙に異なる。これが聴けて、よかった。
 本作で、西牧秀夫監督が降板となった。これは、藤本先生からの申し出によるものだと言うことが、楠部三吉郎氏の「「ドラえもん」への感謝状」で書かれているが、この映画で藤本先生が気に入らなかった点は、なんだったのだろう。あえて想像してみると、クライマックスの戦闘で兵士に犠牲者が多数出ているように見える描写だろうか。原作ではそこまで詳細に戦闘を描いていないが、映画ではどう見ても死んでいるように見える。
 おそらく、藤本先生の考えでは、兵士たちはダブランダーには仕方なく従っており、それをクンタック王子もわかっているから、兵士を殺すような行動には出ないと言うことだったのではなかろうか。あくまで私の想像だし、もう今となっては確かめようのないことではあるが。
 思えば、わさドラのリメイク版「新 のび太の大魔境 ペコと5人の探検隊」では、巨神像が攻撃を加えるときに、いちいち兵士が脱出する描写があったが、このように極力死者が出ない展開の方が、藤本先生の世界に近いと言うことなのかもしれない。あれはあれで、いちいち兵士が逃げるのはくどく感じたが。


・のび太の海底鬼岩城

 芝山努監督になってからの1作目だ。海のキャンプの楽しさが存分に描写されていて、ついついあこがれてしまうが、さすがにこれを真似することは不可能だ。ポセイドン役は富田耕生さん。初代ドラえもんに悪役をオファーしたのは、どういう経緯だったのだろう。富田さんがお元気なうちに、初代ドラえもんの思い出と一緒にインタビューしておくべきではなかろうか。


・のび太の魔界大冒険

 あらためて観ると、劇中でけっこうな頻度で「風のマジカル」アレンジBGMがかかっている。と、なるとやはりエンディングで流れるべきは「風のマジカル」なのだ。このバージョンが普通に観られるようになったのは、喜ばしいことだ。
 この作品だけではないが、プロデューサーの菅野哲夫氏の名前は特に消されずそのまま残っている。一時期、テレ朝チャンネルの再放送や『怪物くん』のDVD-BOXなどで、菅野氏の名前は消されていたものだが。「原作・脚本 藤子不二雄」もそのままだし、スタッフクレジットは基本的にオリジナルのままと考えてよさそうだ。


・のび太の宇宙小戦争

 本作は、ドラコルルの悪役っぷりがいい。屋良有作氏の好演も相まって、憎々しさが増している。また、ドラコルルの部下の声が中尾隆聖氏なので、何か腹に一物ありそうな感じがして、観ていて困る。実際には、単なる部下なので、どうということはないのだが。
 忘れてはいけないのが、しずかちゃんの牛乳風呂シーンだ。この場面、あえて少しぼかしているように見える。


・のび太と鉄人兵団

 説明不要の名作。映画ドラえもんの、一つのピークと言ってもいい。藤本先生ご自身は、フィルムコミックのあとがきで解決にタイムマシンを使ったことを「ちょっとイージーでした」と言っておられるが、それでも、クライマックスの盛り上がりはすばらしい。
 また、主題歌「わたしが不思議」も、すばらしい名曲だ。リルルの揺れ動き変わっていく「心」を見事に歌で描いている。ロボットものだからと言って、単純なヒーローソングにしなかった武田鉄矢氏のセンスが良かったのだろう。
 それにしても、初期の映画ドラえもんでの三ツ矢雄二さんの活躍は特筆すべきものだ。水中バギー、ロコロコ、ミクロスと、作品のマスコット的存在でありながらそれだけではない重要なキャラを続けて演じていて存在感は大きい。特に水中バギーはあのラストがあるのでインパクトは強い。


・のび太と竜の騎士

 本作は、藤本先生の恐竜への愛情がたっぷり詰まった作品。はじめて明確な敵が登場しない作品でもあり、ある意味では映画ドラえもんの転換点とも言える。なお、制作進行に水島努氏がいる。ちょうど『劇場版 SHIROBAKO』を観たばかりだから、タイムリーだった。
 主題歌「友達だから」のアレンジBGMがかなり多用されているが、サウンドトラックヒストリーに収録されていないのは「菊池俊輔作曲」ではないからなんだろうな。一作ごとにサントラが出ていれば主題歌アレンジの曲も当然入っただろうが、あの「組曲」形式では入れられまい。


・のび太のパラレル西遊記

 初の映画オリジナル作品だが、タイムパラドックスとパラレルワールドの組み合わせは、なかなか面白い。本作が他の作品と違うのは、「どれだけ大きな出来事が起こっても、のび太の街には影響を及ぼさない」という映画ドラえもんの原則が破られている点だ。
 本作では、のび太の町に妖怪世界が入り込み、人々は妖怪と化す。先生は、はっきり妖怪への変身を描かれているし、のび太のママにも(ギャグ的表現ではなく)角が生えている。この変貌したのび太の町を見ていると、どうにも居心地の悪い感じがする。スタッフとしてもこの描写は冒険だったのではないか。
 主題歌「君がいるから」もいい曲なのだが、どちらかというと挿入歌向けの感じがする。エンディングで心沸き立つ感じになるのは、ちょっと違う。いっそのこと、「のび太と夢幻三剣士」のように、エンディングは別の曲でもよかったのでは。



 以上、今回はここまで。
 最初は、全18作の感想を一挙に載せようと思ったが、さすがに長くなりすぎるので、半分の9作目までで一区切りとしておく。続きは、また近いうちに更新します。
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『映画ドラえもん のび太の 月面探査記』感想

 今年の映画ドラえもんは、これまででいちばん公開日が早く、3月1日の公開だった。翌日の2日には、公開された『映画ドラえもん のび太の 月面探査記』を観てきたので、例年通りこのブログに感想を書いておく。ここからの文章には映画の内容に触れる箇所があるので、未見の方はご注意ください


 まず、先に書いておくと、今年の映画は非常によかった。
 昨年の『のび太の宝島』は、個人的に「ストーリーがあまりに王道すぎた」ためにひねりがなくて、その点であまり楽しめなかったのだが、今作はちゃんと「ひねり」の展開が入っていたので後半に意外な展開で驚くことができて、非常に楽しめた。私がドラえもん映画に求めているのは、これなのだ。
 思い返せば、原作大長編ありのドラえもん映画でも、『のび太の大魔境』の「十人の外国人」や、『のび太と竜の騎士』の「聖域はドラえもんが作った」などの、結末であっと言わされる展開が好きだった。ここで挙げていない作品でも、藤子・F・不二雄先生は何らかの「おどろき」をストーリーに仕込んでいたように思う。

 で、今年の「ひねり」として面白かったのが何かと言えば、やはり「定説バッジ」の存在だろう。
 この定説バッジについては、まじめに考え始めると非常に謎の多い存在だと思う。そもそも、異説クラブメンバーズバッジ(とマイク)の存在によって成り立っているはずのノビットが作ったものなのだから、当然定説バッジ自体の存在も異説クラブメンバーズバッジがなくては成り立たないのか、とか、定説バッジと異説クラブメンバーズバッジの二重使用をしたらどうなるのか、とか、疑問は色々とわいてくる。
 それを、小さな子供にもわかりやすく見せようとして、今作ではノビットの作るものは「あべこべ」であることを何度も描いて強調しているのだ。脚本・演出ともに非常に入念な積み重ねがなされており、本来ドラえもん映画が子供のためのものであることをきちんとわかった上で作っているという点で、今作のスタッフは非常に信頼できる。

 さて、物語の要となる仕掛けについて先に触れてしまったが、全体のストーリーもよくできていた。
 短編「異説クラブメンバーズバッジ」をベースとしながら、カグヤ星の物語を織りまぜることで、見事に長編映画として成り立っていた。観ていて、どのようにカグヤ星が話に関わってくるのかあまり予想が付かなかったので、終盤までハラハラして楽しんで観ることができた。
 また、ストーリーもさることながら、今作では画面の隅にまでスタッフの遊び心が現れており、その点でも楽しめた。序盤は、映画ドラえもんとしては珍しく、学校が主な舞台となっていたので、のび太のクラスメートたちも勢揃いと言っていいほどたくさん登場しており、その中でも短編原作では一度しか登場していない「クラスでいちばんエッチなやつ」(本名不明)が、やけに存在感を発揮していたのが特に印象的だった。他にも、多目くんやクラスで二番のガリベンくん、あばら谷くんなどのび太のクラスメートに関しては、誰が出ているか探す楽しみもあると言えよう。早くも、映像ソフトの発売が楽しみな理由のひとつでもある。

 そして、本作のゲストとしてはルカをはじめとするエスパル11人とカメのモゾ、ノビットを含むムービットたちがいる。
 エスパルに関しては、ルカ・ルナ・アル以外の8人に関しては正直あまり印象にないのだが、これは11人もいれば仕方のないところだろう。それよりも、ともにマスコット的キャラとして描かれているノビットとモゾが、それぞれを食いあうこともなく、ちゃんと二人とも存在意義のあるキャラとして描かれていた点には感心させられた。
 それでいて、ノビットもモゾも、物語の終盤には単なるマスコットの枠を超えた活躍をするのだから、非常に周到なキャラクター配置だと思う。

 それに対して、敵キャラクターの親玉として登場するディアボロは、カグヤ星の破壊兵器そのものが意思を持った機械だった。これは、ドラえもんたちにカグヤ星人とはいえ生身の人間を倒させるわけには行かないという事情もあるのかもしれない。なんにせよ、最後の最後までしぶとい悪役として、印象には残るキャラクターだった。
 ちょっと残念だったのは、ゴダートの部下の扱いだ。ゴダートを裏切ったタラバなど、結局どうなったのかは描かれずじまいだった。まあ、どうせ「わすれろ草」で全てわすれさせられるだけだったのだろうが。

 ところで、映画前作の『のび太の宝島』あたりから際立ってきたように思うのだが、「ドラえもんの道具についていちいち説明しない」という点は、今回ちょっと気になった。
 はっきり言うと「地平線テープ作戦」だ。もちろん、原作の「地平線テープ」を読んでいれば、どんな作戦なのかはわかるのだが、これを全く説明なしで流してしまったのは、ちょっとひっかかった。とは言え、いちいち地平線テープの説明を入れるわけには行かない展開であるのもわかるし、難しいところではある。

 ついでに言っておけば、この映画に突っ込みどころがないわけではない。定説バッジをどうやって短期間で大量生産したのか、ドラえもんがなぜ宇宙船を気球型に改造したのか、ルカはどうやって転校してきたのか(これに関しては、小説版で言及あり)など。ただ、これらの突っ込みどころすら、スタッフが意図的に用意したもののような気もしてくるのだ。今作のスタッフならそれくらいはやりかねない、そんな気もする。

 ともかく、今作が映画ドラえもんのオリジナル作品ではひとつの頂点となった、そんな作品だと思う。来年の映画がどんな作品になるのか、それはまだわからない(おまけ映像を見ても、本当に予想が難しいのだ。「竜の騎士」リメイクなのか、「恐竜」再リメイクか、それともオリジナル?)が、もしオリジナル作品だとしたら、今作を超えるのはなかなか難しいだろう。
 なお、今作は小説版も読んだが、実際の映画との差異はあまりなかった。この小説版が、映画からさらにフィードバックされているのかどうかはわからないが、元の脚本の完成度が高かったのは間違いないだろう。ルカとのび太の最後のかけっこは、映画でも観たかった気はするが。
 と、言ったところで本稿は終わる。今作は、誰にでも勧められる「ドラえもん映画」だった、と最後に言っておこう。
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『映画ドラえもん のび太の 宝島』感想

 3月3日より、『映画ドラえもん のび太の 宝島』の公開が始まった。
 私は、3月4日に藤子ファン仲間と観てきたので、例年通りにこのブログに感想を書いておきたい。これまた例年通りだが、映画の内容に触れる箇所があるので、未見の方はご注意いただきたい



 さて、今回の映画の感想だが、一言で書いてしまうと、残念ながらあまりノリ切れなかった作品になった。
 だからと言って、作品の出来が悪いと思ったかというと、そうではない。ストーリーは王道の親子物で手堅く泣かせに来ているし、アニメーションとしてのアクションはなかなか見応えがあったと思う。
 それでは、何が物足りなかったかというと、それはストーリーがあまりに王道すぎたせいだ。

 序盤、のび太が船を手に入れて宝島に出発するまでの流れは、果たしてどのような冒険が待っているのだろうかとワクワクさせられた。
 しかし、しずかが取り違えでさらわれてしまって以降は、ああこれは親子愛で泣かせに来ているのだなとあからさまにわかる描写が続き、果たしてここからどうひねってくるのだろうと思って観ていたら、そのまんまストーリーが進んで終わってしまった。
 もちろん、王道であるからにはしっかり描写を重ねて泣かせようとはしているのはわかるのだが、それだけでは私には物足りなかったのだ。たとえば、昨年の『南極カチコチ大冒険』で、2体のパオパオが実は10万年眠った同一個体だったというのは意表を突いていて面白かったが、それくらいのひねりが物語に欲しかった。
 今年は、そういったひねりを求めるべき作品ではなかったのかもしれないが、「藤子・F・不二雄原作」を謳うからには、観る側としてそれを求めてしまうのだ。
 ストーリー上の不満としては、まだある。「宝島を求めての冒険」が、完全にメインのストーリーへの導入として使われるだけで終わってしまい、宝探しが本筋でなかったのも、個人的には残念だ。「のび太の宝島」とタイトルに付いているのに、宝はどこかへ行ってしまった。

 結論としては、私のドラえもん映画に対して求める物と、今回の映画とが合っていなかったということで、作品自体を否定する気は毛頭無い。
 毎年一作公開されているドラえもん映画であり、最近は一作ごとに監督や脚本家が変わっているのだから、今年のように出来はよくても個人的に合わないと言うことはあってもおかしくない。

 そう言えば、映画ドラえもんでオープニングの歌とアニメーションがなかったのは今回が初めてではないか。
 これには、驚かされた。と言うより、一体いつになったらオープニングが始まるのだろうと、最初のうちは話に集中できなかったくらいだ。これにどんな意図があるのかはわからないが、オープニングが無いと寂しいので、できれば来年以降は復活させて欲しいところだ。
 エンディング主題歌と挿入歌は、ともによかったと思う。エンディングは、映画の主題歌と言うよりは『ドラえもん』という作品全体の世界観を歌った歌になっているが、それが逆に新鮮ではあった。

 ここで、キャラクターデザインについても触れておこう。「大山ドラ風ではないか」と公開前から言われていた本作だが、「大山ドラ風」と言うか、「中村英一ドラ風」だなと感じたのは、ドラえもんの正面顔だ。口を閉じている正面顔は、テレビアニメの大山ドラ後期における中村氏の描くドラにかなり寄せている感じがした。
 だが、大山ドラを感じたのはそれくらいで、他のキャラクターについてはあまり大山ドラを感じることはなかった。

 それにしても、あの海賊団の面々は、どうなるんだろうな。どこでも働いていけそうな奴もいるが、とてもまともに更正できそうにない奴もいて、おそらく海賊団が解散となるだろうが、その後はどうやって生きていくのだろう。あんな組織を作ってしまったシルバーの責任は重大だと思う。
 あと、クイズはいちいちクイズを出題するので話のテンポがそがれる感があったなあ。『宇宙英雄記』のバーガー監督の時にも思ったが、今回は悠木碧の無駄遣いだったような気がする。テレビの方で、またいい役でもあればいいのだが。

 奇しくも、今年は『のび太の南海大冒険』公開から20年だ。藤子・F・不二雄先生亡き後はじめての映画ドラえもんだった『南海大冒険』は、正直なところ厳しい出来ではあったが、それから20年を経て、『南海大冒険』と同じ短編を元にして新たな映画が生まれたことは、映画ドラえもんがこの20年で大きく変わったことを象徴しているのではないか。その意味で、非常に記念すべき作品ではあると思う。

 と、言ったところで今年の感想は、終わる。来年は「異説クラブメンバーズバッジ」を元にしたオリジナルだろう。どんな異説世界を見せてくれるのか、今から楽しみだ。
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『映画ドラえもん のび太の 南極カチコチ大冒険』感想

 3月5日に、今年のドラえもん映画『映画ドラえもん のび太の 南極カチコチ大冒険』を観てきたので、今年も例年通りに感想を書いておく。例によって、思いっきり筋やネタを明かしている部分があるので、その点はご注意下さい




 と言うわけで、本題に入る。
 今年の映画は、劇場用オリジナル作品だったわけだが、全体の感想から書いてしまうと、かなりよかった。今までのオリジナル作品の中では『のび太のひみつ道具博物館』が一番よかったが、今作は『ひみつ道具博物館』に並ぶレベルの出来だったと思う。
 しかも、『ひみつ道具博物館』とは、違う方向性で勝負している点で非常に大きな意味がある。『ひみつ道具博物館』は、事件がすべて博物館という閉じた世界の中で起きる作品だったが、今作は南極という大きな世界で起きる世界の危機を描いた物語であり、スケールの大きさという点で見応えがあった。

 今作でよかった点を挙げていくと、まずは「かなり藤子・Fらしさが出ていた」と言う点がある。
 『ひみつ道具博物館』は面白かったのは確かだが、レアメタルの設定をはじめとして、従来の原作や大長編ドラでは存在しなかった新設定をたくさん取り入れており、どちらかというと「ドラえもん百科」的な面白さだった。
 それに対して、今作は物語の芯となるタイムパラドックスの手法をはじめとして、道具の使い方やゲストキャラの設定などが、かなりF作品っぽいのだ。特に、タイムパラドックスをここまで本格的に扱ったのは、映画オリジナルのドラえもん映画では初めてのことであり、大いに評価できる。正直なところ、幼児層にはわかりにくいのではないかと心配すらしてしまった。いや、それは幼児を見下しすぎなのかもしれないが。

 話はそれるが、私は幼児の頃に旧作の『のび太の恐竜』からドラえもん映画を観ているが、ストーリーが難しいと思ったことは一度もない。その理由は、映画だけでなく公開と同時に発売されたカラーコミックスの大長編原作(「映画まんがドラえもん」と表記)を何十回、いや何百回と読み返していたせいなのだろう。映画自体はテレビ放送を入れても2回観たら終わりだったから、私にとっての映画ドラえもん幼児体験は「カラーコミックスの大長編原作」であると言える。
 それに対して、仕方がないのだが今作は映画オリジナル作であり、原作がない。いくら面白い作品でも、気軽に読み返せるマンガ媒体がないと、作品世界に浸れないのではないかと、勝手に心配してしまう。考えすぎかな。

 少し脱線してしまったが、今作のいいところは他にもある。特に印象的だったのは、「ひみつ道具の楽しさ」だ。氷ざいくごてを使う時の氷の動きの面白さ、ここほれワイヤーをこすった時の反応、ピーヒョロロープを犬ぞりの犬にするという意表を突いた使い方など、観ていて「この道具を自分も使ってみたい」と思わされる場面が実に多かった。個人的には、一本で何でも出来るようになっていた氷ざいくごてが特に面白かった。ビョーンと氷が動くのが見せられるのは、アニメーションならではの面白さだろう。

 さらに、今作でよかったのは、盛り上がる場面が一つではなかったため、観ていてだれることがなかったという点もある。
 具体的にいえば、偽ドラえもんとの対決と、ブリザーガとの最終決戦と、2回クライマックスがあったと言える展開であり、両方とも一つの映画のクライマックスとして使える展開であることを考えると、実に贅沢な作りだった。
 そう言えば、あの偽ドラえもん、声を大山のぶ代がやっていればある意味でさらに盛り上がったのではと言っていた人もいたなあ。大山さんが現在やれる状態かどうかは別にして、個人的にはそれはやり過ぎだと思うが。それに、声を富田さんがとか、野沢さんがとか言い出すと『ドラえもん』の場合はきりがないからなあ。


 と、よい点の多かった今作だが、気になった点もないではなかった。そういうところについても、書いておこう。

 まずは、冒険の導入が少し弱く感じた点。「リングを持ち主に返す+幻の先住民(アトランティス人?)を探す」と言う動機付けはあるが、いきなり南極で大冒険するにしては、いささか弱いのではないかと思ってしまった。もう一つ、のび太たちの背中を押す「何か」が欲しかったところだ。

 そして、ゲストキャラの印象も若干薄い。カーラもヒャッコイ博士(作中で名前が出なかったような)も悪いキャラではないのだが、やや類型的なキャラになってしまった感はある。かと言って、あまり博士をエキセントリックにしすぎると『ひみつ道具博物館』のペプラー博士みたいになってしまうだろうから、難しいところではあるのだが。
 パオパオについては、十分可愛らしく描けていたと思う。個人的には、アニメ『ジャングル黒べえ』での水鳥鉄夫氏の演技が印象的なので、最初はおっさん声でないパオパオにはちょっと違和感があったが。
 また、今作にパオパオが登場したことで、コーヤコーヤ星とヒョーガヒョーガ星の関係とか、色々と気になる点が出来てきた。おそらく、お互い生物が行き来している星とかの裏設定がありそうだ。ともかく、パオパオが単なるゲストマスコットキャラにとどまらない活躍をした点は、オールド藤子ファンとしてもうれしいことだった。モフスケ=ユカタンについては、色が変わった理由をちゃんと用意しておいてほしかったかな。「10万年の冬眠で色が変わってしまったのだろう」だけでは、ちょっとなあ。声も変わっているし。

 気になった点を挙げると、こんな所か。まあ、私の中では「よかったところ>気になったところ」なので、作品としては全体的に楽しめたのは間違いない。オリジナル作品と言うことで敬遠している人もいるかもしれないが、『ひみつ道具博物館』を気に入った人であれば、今作は観ても損はない作品だと思うので、ここでお薦めしておく。


 ところで、ちょっと気が早いが、来年の映画ドラえもんについても触れずにはいられない。
 おまけ映像を観た人なら、百人中の百人が来年の映画は『のび太の南海大冒険』のリメイクだと思ったことだろう。もちろん、私もそう思った。そう見せかけての別の何か(オリジナル作品?)と言う展開も全くないとは言い切れないが、『海底鬼岩城』『南海大冒険』『人魚大海戦』と、海を舞台にした作品がこれだけある中で、リメイクではなくまたしても海の冒険をテーマにするとは考えにくい。それに、ドラえもんが海賊風の格好をしていたし。

 来年が『南海大冒険』のリメイクであるという前提で話をすると、「どん底からの出発」である分、ある意味やりやすいかもしれないし、またスタッフの手腕が本当の意味で問われる作品にもなりそうだ。リメイクで面白くなって当然の作品を、どこまで面白く出来るかというのは、腕の見せ所だろう。
 来年の監督はスタッフクレジットから判断して今井一暁氏か。これまでは、テレビシリーズの演出家として活動しており、もちろん映画ドラえもんは初監督だ。はたして、どのような『南海大冒険』を見せてくれるのか、ある意味では非常に楽しみだ。

 と、ここまで書いておいて、来年が『南海大冒険』のリメイクではなかったらどうしよう。その時はその時で、やはり出がらしになった感のある「海の冒険」をどうするか、という点での楽しみはある。いずれにせよ、特報の第一報を待ちますか。
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『映画ドラえもん 新・のび太の 日本誕生』感想

 遅ればせながら、今年のドラえもん映画『映画ドラえもん 新・のび太の 日本誕生』を昨日、観てきた。
 今年も、例年通りに感想を書いておきたい。いつも通り、思いっきりネタを割っている部分があるので、その点はご注意下さい


 今年の映画は『ドラえもん のび太の日本誕生』のリメイク版。なので、まずは元祖『日本誕生』について、触れておきたい。
 正直に書いてしまうと、オリジナルの『日本誕生』については、私はあまり思い入れが無い。『ドラえもん』映画10周年として、はじめて藤子・F・不二雄先生が「制作総指揮」としてクレジットされた作品であり、力が入っていることは観ていて伝わってきたのだが、内容的には特に初期の7作品(『のび太と鉄人兵団』までの作品)と比べると、冒険の動機やゲストキャラとの友情描写についてはやや弱く、結末もタイム・パトロールが助けておしまい、と言うことであっけなく、あまり印象に残らない作品だった。
 これは、別に『日本誕生』だけに言えることではなく、残念ながら私にとってはこれ以降の作品は、たとえ藤本先生の原作があったとしても、私にとっては似たり寄ったりの印象だったのだ。小学生の時にリアルタイムで映画館で観た初期7作への思い入れの強さは別格的な者であり、これらに比肩する作品は、今後も無いのだろうと思う。
 もちろん、これはあくまで私個人の思い入れであり、世間的にどうと言う評価とは全く関係が無い。私より少し下の年齢層の方々には、この作品が大好きな人も多いようで、やはりファーストインパクトによる思い入れの強さというのはあるのだなと思う。

 長々と、旧作について語ってしまったが、それでは今回の『新・日本誕生』はどうだったか。これが、なんと先ほど挙げた旧作の気になる点の多くが改善されており、非常に見ごたえのある作品になっていたのだ。
 色々と良かった点はあるが、その中でも一番よかったのは、クライマックスのトコヤミの宮でのギガゾンビとの対決が、ククルたちヒカリ族も含めた総力戦であり、単にタイムパトロールが助けて終わり、ではなくなっていた点だ。この変更により、後半の展開は非常に見ごたえが生まれた。ククルの、ある意味超人的とも言える活躍には賛否両論あるかもしれないが、原始人と言うことを考えれば、あれくらいは描いてしまってもいいのかな、と思った。さらに、原作のラストページ1枚絵(単行本化時の描き足し)についても、エンディングアニメの中で映像化されていたのはよかった。旧作の制作時には存在しなかったラストシーンなだけに、その意義は大きい。

 と、ほめるだけでは何なので、残念だった点についても書いておくか。一番残念に思ったのは、ツチダマの「怖さ」が薄れてしまった点。これについては、旧作の方が不気味さが良く描かれていて、勝っていたように思う。今回は、ツチダマの種類を増やしたのはよかった(「ハート型土偶」がモチーフの奴までいたのには笑った)が、その反面一体一体の怖さについては薄れてしまったのでは無いだろうか。
 後半戦のボリュームがアップした反面、ドラえもんたちとヒカリ族との交流場面が一部カットされたのも、心暖まるシーンだっただけに残念と言えば残念。やはり、なにかを重視すれば、その分ほかの何かを切らざるを得ないと言うことか。

 毎年、気になるのはゲスト声優だが、ククル役の白石涼子、ギガゾンビ役の大塚芳忠、ともに好演していた。そう言えば、今回はギガゾンビの本名は明かされなかったな。旧作では「山田博士」で、ずっこけたものだったが。
 本業声優でない人の起用については、毎年ある意味バクチになるものだが、今回の「ウンタカ!ドラドラ団」の面々は、荒っぽくてそれほどセリフも多くないクラヤミ族役と言うことで、棒読み気味でもまあ問題なかったと思う。エヴァを出演させなかったのは英断。出していたら、『新・宇宙開拓史』のクレムの悲劇再びだったろうな。そう言えば、ツチダマが男性の声優というのは意外だったが、旧作と比較して、面白い配役と言える。


 以上、1回観ただけでの現状で、ざっと感想を書いてみたが、この映画はまた観返したいと思える作品だったので、時間があればもう一度、二度と劇場に足を運びたい。それで、再見すれば一度の鑑賞では気がつかなかった、スタッフの「こだわり」が見つけられそうな気もする。
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『映画ドラえもん のび太の 宇宙英雄記(スペースヒーローズ)』感想

 今年のドラえもん映画を観たのは3月8日。あっという間に二週間も経ってしまった。
 この二週間の間、今回の映画の感想をどう書こうかと悩んでいた。いっその事、今回はやめておこうかとも思ったのだが、これも大事な毎年の習慣だと思い直して、一応例年通りに書くことにした。
 と、言うわけで感想を書いていく。いつも通りに思いっきりネタを割っている部分があるので、ご注意願いたい



 まず、今回の映画は私にとって面白かったのかつまらなかったのか。こう聞かれたら、「どちらでもない」と答えるしかない。それだけ、「面白さ」という点では微妙だった。部分部分の映像は決してつまらない物ではないのだが、映画全体の印象として振り返ると、「ここが面白かった」挙げたいところがこれと言って思い浮かばないのだ。
 では、本作は出来が悪かったのか。これについては、決してそんなことはなかったと言っておく。映像は力が入っていたし、ストーリーとしてもいくつかの過去のオリジナル作品で見られたような構成の破綻もなく、しっかりと作られていた。

 じゃあ、なんで私には印象が薄いのだろう。この二週間、これについて色々と考えたが、要するに私が作品のターゲットではなかったと言うことではないか。つまり、本作はいい意味で徹底的に子ども向けに作った作品なのだと思う。
 振り返れば、ハッキリと子ども向けだとわかる要素は、たくさんあった。単純明快なストーリー、わかりやすい下のギャグ(のび太のパンツが脱げる)、しつこいくらいに繰り返された伏線(のび太のあやとり技)、などなど。これらの要素は、子どもの心をつかむためのものだろう。
 思えば、これまでの映画ドラえもんは、子ども向けで有りながら、大人も楽しめる作品に仕上がっているものが多かった。藤子・F・不二雄先生の原作があった作品は当然のことだが、F先生没後のオリジナル作品についても、出来はともかくとして、「子どもも大人もたのしめる」を意識したと思われる作品が大半だった。
 しかし、今回はそうではなかった。これは、映画ドラえもんにとって非常に大きな転換点なのかもしれない。もちろん、純粋な子ども向け作品だから手を抜いていると言う事は無く、子ども向けに徹するなら徹するで、それはまた非常に難しいことだと思う。来年以降の映画ドラえもんがどうなるのかは今はまだわからない。とりあえず、来年は『のび太の日本誕生』リメイクである可能性が高いので、今年とはまた違う路線の作品になりそうだ。

 と、言うわけで本作については、あまり書くことがない。とりあえず、のび太のあやとり技については、くどかった割には大したことが無くて拍子抜けだった。もう一回観れば視点が変わって楽しめるのかも知れないが、これについては正直なところ、ちょっとどうするか迷っている。つまらなくはないんだし、あと一回くらいは観ておいてもいいかなあ。


 さて、作品全体の感想とは別に、今回のゲスト声優についても書いておこう。
 とりあえず、バーガー監督は能登の無駄遣いだったと思う。せっかくの能登さんのテレビ・映画通じて初めての『ドラえもん』出演があのキャラだったのは、本当にもったいない。今度は、普通にセリフを喋るキャラで、またいつか出演していただきたいものだ。
 井上麻里奈のアロンは好演だった。こちらも『ドラえもん』は初出演だったはず。今度は女の子役での出演を希望。
 いわゆる「芸能人ゲスト」の三人については演技を危惧していたのだが、意外にも三人とも本職の声優に混じっても遜色のない演技だった。こう言う人たちが毎年選ばれるのなら、芸能人ゲストも気にならなくなるのだがなあ。昨年のスピアナ姫はひどかった。

 あと、気になったのはゲストキャラクターのデザイン。アロンが「流れ星ゆうどうがさ」の遭難宇宙人からというのは特に気にならなかったが、ハイドが「なくな!ゆうれい」のゆうれいと言うのはやめて欲しかった。人のいいゆうれいなだけに、ハイドとはキャラのギャップを感じてしまった。


 と、言ったところで今回の感想は終わりかな。あ、一つまだあった。エンディング主題歌の「360°」が、テレビでエンディングとして流れていた「映画ドラえもん35周年スペシャルバージョン」ではなかったのは、残念。ドラえもんやのび太たちの声が入って賑やかで楽しかっただけに、映画でも期待していたのだが。その点、オープニングがキャラクターバージョンだったのはよかった。
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『映画ドラえもん 新 のび太の大魔境 ペコと5人の探検隊』感想

 当エントリは、映画のネタばらしを含みます。未見の方はご注意下さい。



 今年の映画ドラえもんは『のび太の大魔境』のリメイク。久々の原作付き、それも初期の作品と言うことで、いったいどんな映画になるのか楽しみ半分、不安半分だった。過去のリメイク作の傾向からして、何かしらのアレンジ要素があるものと思っていたからだ。しかし、実際に観てみると、「原作」に対して非常に誠実な態度で作られた作品だと感じさせられた。
 だから、今回の映画で一つキーワードを挙げるとしたら、「原作通り」を推しておきたい。とにかく、原作に忠実な部分が多いと言うことが一番印象に残った。原作は大長編の中でも初期の作品なので何十回、下手したら何百回と読んでおり、セリフ回しは大部分が頭に入っている。今回の映画では、セリフを聞いていて頭の中で「次のセリフは○○だな」と思っていると、大部分はその通りだったので、観ていて非常に心地よかった。

 もちろん、全てが原作通りというわけではない。細かいところではいくつかアニメオリジナルの場面も見受けられた。個人的に一番驚いたのは、のび太たちが「変身ドリンク」でイモ(だよな)に変身したところ。まさか、あんな使い方が出来るとは、驚くほかない。他にも、偶然の要素があったとは言え、電光丸の力なしでのび太がサベールに勝ったのも意外だった。旧作映画同様にペコに花を持たせる展開になるのではと予想していたのだ。
 特に、犬の国に入ってからはオリジナルの場面がいくつかあった。だが、それらも主に原作を補強するものであり、まるで原作と関係なく付け加えられた場面ではなかった。それ故に、全体としての感想は「原作に忠実」と言うことになるのだ。

 また、ここで特に取り上げておきたいのは、終盤の挿入歌が流れたシーンだ。旧作を観ている人には言うまでもないことだが、旧作でもやはり挿入歌「だからみんなで」が流れた名場面だ。それだけに、今回はどのような演出になるのかと楽しみにしていたのだが、ここは旧作とほぼ同じ内容だった。違いを挙げるとしたら、歌が変わっていることくらいだろうか。原作もそうだが、セリフは一切なく、歌で盛り上げるという手法が受け継がれたことになる。
 この場面、原作大長編でも「だからみんなで」の歌詞が出てくるのだが、実は初出版では歌詞は出てこない。この場面の歌は、旧作映画での挿入歌使用が、てんコミでの描き足しで原作に逆輸入されたのだ。だからこそ、今作での演出に注目していたのだが、変わらなかったのはちょっと残念だ。それだけ、この場面は旧作映画の完成度が高いのだとも言えるが。今回の挿入歌「友達」は、なかなかいい歌だった。


 このあたりで、今作について気になった点も書いておこう。
 今作の上映時間は109分だが、それだけの時間を保たせるには、いささか演出に間延びしたところがあった。はっきりと、どこがそうだとは指摘しにくいのだが、メリハリが少し足りないというか。旧作の上映時間は92分とかなり短いが、それだけ中身が締まっていたように思う。
 原作に忠実であるが故に、先の展開までわかってしまってうこととなり、そのため特に終盤では観ていて少しだれてしまった。「もう少しアレンジがあればな」と思ってしまったのは、贅沢なことだろうか。事前の予想では、「10人の外国人」「のび太対サベール」あたりは大胆に変えるのではと思っていた。

 また、最近なくなっていた、アフレコ素人の重要な役へのキャスティングが復活してしまったのは、実に残念。いうまでもなく、スピアナ姫のことだ。それに対して、小栗旬のサベールは冷酷な剣の達人を見事に演じていて、よかった。ゲスト声優では、ペコ役の小林ゆうもさすがの演技だった。


 とにかく、今回は「原作に忠実」。それが記憶に残る作品だった。わさドラ9年の歴史で、ここまで原作通りだった映画は間違いなく初めてだ。それだけに、ある意味では新鮮でもあった。
 次回作は、おまけ映像を観る限りではアニメオリジナル作品のようだ。はたして、『ひみつ道具博物館』に続く快作となってくれるのか、来年も見逃せない。
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『映画ドラえもん のび太の ひみつ道具 博物館』感想

 今年のドラえもん映画、『映画ドラえもん のび太の ひみつ道具 博物館』の公開が始まって、十日が過ぎた。
 私は、藤子ファン仲間達と一緒に初日に観に行き、さらにメンバーが替わって二週目の3月17日には2回目を観てきた。と、この事でわかると思うが、私は今回の映画は気に入った。素直に「よかった」と言える出来だったと思う。「よかった」と言っても、「大ピンチ!スネ夫の答案」ののび太のように、「十点!」のよかったではない。どちらかというと、出木杉やしずちゃんの点に近いレベルでの「よかった」だ。少なくとも、大山時代を含めた映画オリジナル作品の中では、一番の出来だったと言い切れる。もっとも、これまでの映画とは作風がかなり違うので、単純な比較は難しいのだが。

 ここからは、具体的な感想に入るが、例年通り思いっきり映画のネタばらしをしており、特に今回は推理ものとしての側面もあるので、未見の方はご注意いただきたい




 まず、今作で一番よかったのは、一つの作品としてストーリーの骨格がしっかりしていた事だ。何を当たり前のことを、と思われるのかも知れないが、わさドラになってからの映画オリジナル作品で、一番致命的だったのがストーリーの意味不明さだった。詳しくは、当ブログの過去作品の感想(緑の巨人伝人魚大海戦奇跡の島)をお読みいただければ、おわかりいただけると思う。過去作とは違って、今回はひみつ道具博物館で怪盗DXと対決して、さらには太陽製造機の危機を救うと言う流れが自然に繋がっていた。
 基礎となるストーリーがしっかりと出来ている中で、見どころがたっぷり用意されており、105分の間、飽きない映画となっていた。

 そんな今作の一番の見どころは、何と言っても数多く登場するひみつ道具だろう。子供はもちろんのこと、いい年をした大人にとっても「こんなところにあの道具が!」という楽しみ方が出来るようになっており、私も二度の鑑賞で画面を可能な限り隅から隅まで観るようにしたが、それでも見逃している道具は多数あるだろう。個人的に好きな道具である「ばくはつこしょう」と「はなバルーン」を重点的に探してみたのだが、残念ながら見つからなかった。まあ、仮にばくはつこしょうが画面の隅にでも出ていたとして、「容器に入ったくすぐりノミ」と見分けが付かないような気もするが。
 それはともかく、道具に関しては、監督が『ドラえもん ひみつ道具大事典』を読み込んだと言うだけあって、非常にマニアックな道具も多く出てきて、マニア心をくすぐられた。そもそも、ポポンの元になったのが「ナカミスイトール」と言うのもかなりマニアックだ。
 二つ目の見どころは、怪盗DXとその正体を巡る推理ものとしての要素だ。『ドラえもん』で推理ものをやると知った時にはどのようなものになるのか不安があっったのだが、比較的フェアに伏線が張られており、推理ものとして納得できる出来だ。2回目の鑑賞時には、伏線描写を重点的に観直してしまった。コピーロボットを使うのはずるいという意見もあるかも知れないが、スネ夫とジャイアンがイケメンコピーロボットを使う描写を入れることで、「コピーロボットという道具が存在すること」はちゃんと描かれているので、問題はないと思う。
 三つ目の見どころは、アクションシーンだ。中盤に怪盗DXとの対決でひみつ道具軍団のアクションがあり、さらにクライマックスでは太陽製造機の制御とドラvsガードロボの戦いが並行して描かれており、特に後者は非常によく動いて実に見応えがあった。昨年のワーワー言って走り回っているだけの最終決戦とはえらい違いだ。監督が違うとこうも変わると言ういい例だ。

 さらに、今年はゲストキャラとの空々しい「友情」が無理に描かれていないものよい点だった。
 もちろん、ゲストキャラとの友情を育む過程がしっかり描かれているのであれば問題がないが、『人魚大海戦』や『奇跡の島』などは出会って一日か二日しか経っていない相手との間で、取って付けたかのような強い友情が描かれており、非常にわざとらしく感じた。
 それが、今回はゲストキャラではなくのび太とドラえもんの友情をあらためて描くと言う方向に持っていったのは、映画ドラえもんでは新鮮であり、ごく自然に描かれていたと思う。特に、ラストシーンの「ぼくのクツの中?」というのび太のセリフは、それだけでドラえもん(及び、映画の観客)には全てが伝わるように出来ており、非常にいいセリフだった。これに限らず、今作ではしゃべりすぎや無駄な描写は少なく、これが監督やスタッフのセンスを感じる作りとなっている。
 また、作画面では、これまで気になっていた不安定な線がほぼ無くなってスッキリして、テレビシリーズの作画に近くなったのもよかった。これは、テレビ版のキャラ設定・総作画監督を務める丸山宏一氏の参加に拠るところが大なのではないかと思うが、どうだろうか。


 ここまで、この作品のいいところについて述べてきたが、突っ込みどころが無いというわけではない。それを無視してはフェアではない気がするので、ここで挙げておく。
 まず、誰しも「それは無理だろう」と思うであろう点は、クライマックスでのポポンの活躍だろう。ソースカツ丼を吸い込んだだけで煙とネジを吐いていたのに、あのような巨大なエネルギーの固まりを処理しきれるとは、到底思えない。あえて、インパクト&勢い重視で押しきったのかも知れないが、個人的にはあそこでもうワンクッションおいて、納得できるような描写をして欲しかった。
 もう一つ、シャーロック・ホームズセットの効果が原作短編と異なるのも、気になるところではある。大長編原作でも『魔界大冒険』では「石ころぼうし」の効果が違っていたり言う例もあるし、今回は別に妥当な道具があるとも思えない(「連想式推理虫メガネ」は、まわりくどい)ので、仕方のないところかなとは思う。
 他には、ドラえもんの鈴が無くなると猫化する設定や、ジャイアンとスネ夫が小さくなったのはストーリー上あまり意味がなかったように思う。前者は、怪盗ドラックスになった時のアクションシーンあたりで使いどころがあったのではないかと思うのだが。後者は、単にドアを開けるだけでは活躍としては物足りない。

 さらに言ってしまうと、今回の映画は面白かったが、藤本先生の描いた大長編原作やその映画版とは明らかにテイストが異なる。あまり好きな言葉ではないが、「同人臭がする」映画になっていると思う。言ってみれば、方倉陽二先生の『ドラえもん百科』のように、『ドラえもん』という作品を元に、新たな世界観を作りだした作品とでも言うべきか。それがつまらなければ目も当てられないが、今作はキャラクターも話も魅力的に出来ていた。
 ひみつ道具博物館やフルメタル・ぺプラーメタルの設定、それにゲストキャラの性格やノリなどは、藤本先生が描きそうにないものではあるが、第三者の創り出した新たな設定・キャラとしては面白い。これらの設定や、全編ギャグに満ちたノリを受け容れられるかどうかに、この作品を好きになれるかどうかがかかっていると思う。


 と、ここまでダラダラと書き連ねてきたが、あらためて全体のまとめとして言えるのは、この映画が『ドラえもん』でなくては成立しない話であった点が何よりよかったと言うことだ。またもや過去のオリジナル大長編を例に挙げるが、昨年の『奇跡の島』は、『ドラえもん』でなくても作ろうと思えば出来る話で、それだけに観ていてつらいものがあった。それに対して、今回はひみつ道具のオンパレードで、どこからどう見ても『ドラえもん』の映画でしかあり得ない作品であり、それが故に観ていて心地よかった。
 また、今回は主題歌がストレートに主題歌らしい曲だったのもよかった。サビの「ミュージアム」の繰り返しは、聴いていて心地よい。子供にとっても、覚えやすい曲だろうと思う。昨年までと違って、ポップで楽しくなるような曲調も、作品によく合っていたと思う。



 今回の映画ドラえもんは、巨大な敵は登場せず、舞台はほぼずっと博物館の中と、これまでの作品の定型パターンを見事に壊した。
 はたして、今後もこのような楽しい作品が生み出されるのかどうかはわからないが、少なくともドラ映画の未来に対して希望を持てるようになった。それだけでも、本作の功績は大だ。
 とりあえず、来年は『のび太の大魔境』のリメイクのようなので、オリジナル作品の真価は再来年以降に問われることになるが、はたしてどんな作品が飛び出すのか、楽しみに待っていたい。




3/21追記

 昨日、書きたいことは書き尽くしたように思っていたが、この記事を読み返して、声優について触れていないことに気が付いた。
 結論から言うと、声優は皆よく演じていてまったく問題がなかった。それ故に、本文で触れるのを忘れていたのだと思う。松平健のマスタード警部は、テレビのミニコーナーでの演技に少したどたどしさを感じたのでちょっと不安はあったのだが、映画本編ではズッコケ警部を上手く演じていた。そう言えば、テレビ版で使われていた、語尾に「マスタード」と付ける警部の口癖は、映画本編では無かった。正直言って口癖にしては無理があると思っていたので、無くなってよかった。
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