東海中学・高校で開催された第15回「サタデー・プログラム」に行ってきた。
前回は「茅原実里の"めぐり逢い"」目当てだったが、今回はアニメ監督・原恵一氏の講座「定番アニメの作り方」を受講した。
原恵一監督はシンエイ動画で『ドラえもん』『チンプイ』の演出や『エスパー魔美』『21エモン』のチーフディレクターを務めた方で、藤子ファンの多くは何らかの形でその作品を観た事があるだろう。
その原監督から、これまで手がけた作品の話が聞けると楽しみにしていたが、期待に違わぬ充実した1時間半だった。
私が、講座の開かれる教室に着いたのが14時20分頃で、ちょうど席に座った頃に原監督も教室に姿を見せた。何気なく入ってきたので聴講者の一人かと思ったが、よくよく顔を見ればアニメ雑誌で見覚えのある原監督だった。あまりの自然さに、ちょっと驚いてしまった。
そして、14時30分に講座スタート。受講者は50人くらいか。中学生から私のようないい歳した大人まで、結構幅広い年齢層の人がいた。
今回は、原監督がアニメ業界に入ってから、最新作の『河童のクゥと夏休み』に至るまでに手がけてきた作品とその思い出について語られた。内容的には、すでに『アニメーション監督 原 恵一』や、アニメ雑誌のインタビューなどで触れられている事と重複する部分も多かったが、監督ご自身による話は活字を追うよりも感情がたっぷり込められていて、大変楽しく聞かせていただいた。
以下に、特に印象的だった部分を紹介しておく。
・「専門学校卒業後に進路を考えていなくて、とりあえずバイトをしていた。当時は今ほどアニメが多くなくて人が足りていたようで、大手の会社は募集がなかった。ごく小さい会社は募集もあったが、あんまり名前も聞いた事のないようなところは敬遠した。『ガンバの冒険』や『ど根性ガエル』が好きだったので、まずは東京ムービーに入りたいと思った」
・「東京ムービーに見学に行き、『ルパン三世』第2シリーズの監督(御厨恭輔氏)に「この会社に入りたいんです」と、直訴した。そうしたら「絵コンテを描いておいで」と、既に作業の終わった『ルパン三世』の脚本を渡された。自分はコンテを描くのが早くないが、この時ばかりはかなり早く描けた。それを監督に見せたら「本当に描いてくるとは思わなかった」と言われた。今なら自分も分かるが、いきなり素人に「会社に入れてくれ」と言われても迷惑だから、コンテを描けと言えば諦めると思ったのだろう」
・「監督から「自分はフリーなので東京ムービーへの口利きは出来ない。でも何かあれば連絡するから」と言われ、それがCM制作会社への就職につながった。監督だからてっきりムービーのえらい人なのだろうと思っていた」
・「『エスパー魔美』のOPの出来が気に入らず、何度も直しを入れられて無理に作っていたが、その最中にスタッフに「原くん、髪の毛が逆立っているよ」と言われた。イライラしている気持ちが髪に出たらしく、「怒髪天を突く」の言葉通りの事が本当にあったんだ、と思った」
・「もともと『クレヨンしんちゃん』はつなぎの企画で、監督の本郷(みつる)さんは「半年もたせてくれれば、君のやりたい企画をやっていいから」と上から言われていて、自分も含めて誰もヒットするとは思っていなかった。監督の方針で「わかりやすいアニメ」を作る事になったので、初期のしんちゃんは口数も動きも少ない。変わった事が出来ないので、演出家としてはやっていて楽しくなかった」
・「『クレヨンしんちゃん』は回を追うごとに視聴率を上げていき、スタッフもみんな驚いていた。『21エモン』は色々と工夫を凝らして作ったのにヒットせず、面白くないと思って作っていた『しんちゃん』が受けたので、割り切れない気持ちだった」
・「『しんちゃん』も、途中から演出家が少しずつ遊びを入れはじめた。みんな他の人の回もチェックしているので、「あいつはああしてきたか、それなら俺も」と、どんどんエスカレートしていった。『しんちゃん』は初期と今とでは全然違うけど、作風が変わっても視聴者に受け入れられたのでよかった」
・「前年の『嵐を呼ぶジャングル』は子供向けに徹して作ったので、『オトナ帝国』は逆に大人向けに自分のやりたいものを作った。試写で「出来てしまったものは仕方がない」「こんな不愉快な映画は初めて」との評もあったが、制作スタッフには評判がよかったし、自分でも手応えはあった」
・「最近の深夜アニメは大人向けやアニメファン向け作品が多いが、自分はこれまで子供向けの作品ばかり作ってきた。子供が面白がって、かつ大人も楽しめる作品を作らざるを得ない状況は大変だったが、今ではそれが自分の強味だと思っている。『オトナ帝国』も、大人向けに作りつつ子供も意識していた」
他にも面白いエピソードが色々とあったが、以上に挙げた話が、私には特に印象的だった。
なお、メモは取っておらず記憶だけで書いたので、細かい部分で微妙に違っているかも知れない。もちろん、実際には原監督は丁寧に話をしていて、中学生にも分かりやすいようにと言う配慮が見受けられた。
『ドラえもん』演出の話題が出た時に、原監督は「サブタイトルを言っても、みなさんわからないでしょう」とおっしゃっていたが、これも年齢層からの配慮だろう。個人的にはぜひサブタイトルも言っていただきたかったが。
講座の最後に質疑応答のコーナーがあったので、私も質問をさせていただいた。
その内容は「『ドラえもん』の演出最終作から間をあけずに『エスパー魔美』の放映が始まっていますが、両作品を並行して作っていた時期もあったのでしょうか」と言うもの。
それに対しての原監督の回答は、「『ドラえもん』はある時期できりを付けて、何ヶ月かは『魔美』の立ち上げに集中していました」との事だった。
『ドラえもん』での原監督の演出最終作「真夜中のお花見」が1987年3月27日放映で、『エスパー魔美』開始が同年4月7日。この間隔でも原監督が『魔美』に専念する期間があったのだから、当時の『ドラえもん』はかなり余裕を持ったスケジュールで作られていたのだろう。
個人的に、以前から気になっていた事なので、直接監督にお聞きする事が出来て、すっきりした。
さらに、講座が終わった後は突発的にサイン会が始まった。
まさかサインを貰えるとは思っていなかったので何も用意しておらず、手持ちの手帳に魔美の絵とサインをいただいた。こうと分かっていたら、『魔美』の映画パンフでも持っていったのだが。
原恵一監督直筆の魔美
サインの間には、少しだけだが『ドラえもん』の話も出来た。
「地球下車マシン」や「強いイシ」のタイトルを挙げたら、「ああ、やったねえ。あの頃は尺が長かったから、みんな好き勝手にやっていたんだ」とおっしゃっていた。
原監督の作品は『エスパー魔美』も大好きだが、自分にとってはファーストコンタクトだった『ドラえもん』の演出担当回の印象が一番強い。何しろ、一番『ドラえもん』を夢中になってみていた小学校中学年の時期
に放映されたのだ。
もちろん、本放送当時はスタッフまでチェックはしておらず、「原恵一」の名前をはじめて意識したのは『エスパー魔美』の何度目かの再放送だった。その後『ドラえもん』Bパートで原監督の演出回が再放送されるようになり、あらためて観たらやっぱり面白く、それで原監督のその後の作品も追うようになった。
今回、原監督の話を聞いて、この方が『ドラえもん』や『エスパー魔美』を手がけた事は、藤子ファンにとっても日本のアニメ界にとっても非常に幸福な出会いだったのだと、あらためて思った。
原監督の手がけた作品は基本的に原作のあるものばかりだが、原作に対して誠実な態度で作品作りを行ってきた事が、話の端々から感じられた。
その点でも、直接お話を聞く機会が得られて、非常に貴重な一日だった。
なお、気になる次回作にはもう取りかかっているそうで、作品タイトルは明かされなかったが、
・『河童のクゥ』よりもっと地味な話
・中学生の日常を描く
・原作は小説
・原作は意外と中学生、特に女子に読まれている
との事。
私には、このヒントだけで原作を特定する事は出来ないが、「そろそろタイトルも発表になる頃」だそうなので、それを楽しみに待つとしよう。
それにしても、サタデープログラムは呼ばれる人の顔ぶれが多彩で、魅力のある講座が多く、素晴らしい。一学校行事の域を完全に超えている。今回も、原監督の他にも気になる講座がいくつかあって、危うく浮気しそうになってしまった。
これでは、今後にも期待せざるを得ない。
前回は「茅原実里の"めぐり逢い"」目当てだったが、今回はアニメ監督・原恵一氏の講座「定番アニメの作り方」を受講した。
原恵一監督はシンエイ動画で『ドラえもん』『チンプイ』の演出や『エスパー魔美』『21エモン』のチーフディレクターを務めた方で、藤子ファンの多くは何らかの形でその作品を観た事があるだろう。
その原監督から、これまで手がけた作品の話が聞けると楽しみにしていたが、期待に違わぬ充実した1時間半だった。
私が、講座の開かれる教室に着いたのが14時20分頃で、ちょうど席に座った頃に原監督も教室に姿を見せた。何気なく入ってきたので聴講者の一人かと思ったが、よくよく顔を見ればアニメ雑誌で見覚えのある原監督だった。あまりの自然さに、ちょっと驚いてしまった。
そして、14時30分に講座スタート。受講者は50人くらいか。中学生から私のようないい歳した大人まで、結構幅広い年齢層の人がいた。
今回は、原監督がアニメ業界に入ってから、最新作の『河童のクゥと夏休み』に至るまでに手がけてきた作品とその思い出について語られた。内容的には、すでに『アニメーション監督 原 恵一』や、アニメ雑誌のインタビューなどで触れられている事と重複する部分も多かったが、監督ご自身による話は活字を追うよりも感情がたっぷり込められていて、大変楽しく聞かせていただいた。
以下に、特に印象的だった部分を紹介しておく。
・「専門学校卒業後に進路を考えていなくて、とりあえずバイトをしていた。当時は今ほどアニメが多くなくて人が足りていたようで、大手の会社は募集がなかった。ごく小さい会社は募集もあったが、あんまり名前も聞いた事のないようなところは敬遠した。『ガンバの冒険』や『ど根性ガエル』が好きだったので、まずは東京ムービーに入りたいと思った」
・「東京ムービーに見学に行き、『ルパン三世』第2シリーズの監督(御厨恭輔氏)に「この会社に入りたいんです」と、直訴した。そうしたら「絵コンテを描いておいで」と、既に作業の終わった『ルパン三世』の脚本を渡された。自分はコンテを描くのが早くないが、この時ばかりはかなり早く描けた。それを監督に見せたら「本当に描いてくるとは思わなかった」と言われた。今なら自分も分かるが、いきなり素人に「会社に入れてくれ」と言われても迷惑だから、コンテを描けと言えば諦めると思ったのだろう」
・「監督から「自分はフリーなので東京ムービーへの口利きは出来ない。でも何かあれば連絡するから」と言われ、それがCM制作会社への就職につながった。監督だからてっきりムービーのえらい人なのだろうと思っていた」
・「『エスパー魔美』のOPの出来が気に入らず、何度も直しを入れられて無理に作っていたが、その最中にスタッフに「原くん、髪の毛が逆立っているよ」と言われた。イライラしている気持ちが髪に出たらしく、「怒髪天を突く」の言葉通りの事が本当にあったんだ、と思った」
・「もともと『クレヨンしんちゃん』はつなぎの企画で、監督の本郷(みつる)さんは「半年もたせてくれれば、君のやりたい企画をやっていいから」と上から言われていて、自分も含めて誰もヒットするとは思っていなかった。監督の方針で「わかりやすいアニメ」を作る事になったので、初期のしんちゃんは口数も動きも少ない。変わった事が出来ないので、演出家としてはやっていて楽しくなかった」
・「『クレヨンしんちゃん』は回を追うごとに視聴率を上げていき、スタッフもみんな驚いていた。『21エモン』は色々と工夫を凝らして作ったのにヒットせず、面白くないと思って作っていた『しんちゃん』が受けたので、割り切れない気持ちだった」
・「『しんちゃん』も、途中から演出家が少しずつ遊びを入れはじめた。みんな他の人の回もチェックしているので、「あいつはああしてきたか、それなら俺も」と、どんどんエスカレートしていった。『しんちゃん』は初期と今とでは全然違うけど、作風が変わっても視聴者に受け入れられたのでよかった」
・「前年の『嵐を呼ぶジャングル』は子供向けに徹して作ったので、『オトナ帝国』は逆に大人向けに自分のやりたいものを作った。試写で「出来てしまったものは仕方がない」「こんな不愉快な映画は初めて」との評もあったが、制作スタッフには評判がよかったし、自分でも手応えはあった」
・「最近の深夜アニメは大人向けやアニメファン向け作品が多いが、自分はこれまで子供向けの作品ばかり作ってきた。子供が面白がって、かつ大人も楽しめる作品を作らざるを得ない状況は大変だったが、今ではそれが自分の強味だと思っている。『オトナ帝国』も、大人向けに作りつつ子供も意識していた」
他にも面白いエピソードが色々とあったが、以上に挙げた話が、私には特に印象的だった。
なお、メモは取っておらず記憶だけで書いたので、細かい部分で微妙に違っているかも知れない。もちろん、実際には原監督は丁寧に話をしていて、中学生にも分かりやすいようにと言う配慮が見受けられた。
『ドラえもん』演出の話題が出た時に、原監督は「サブタイトルを言っても、みなさんわからないでしょう」とおっしゃっていたが、これも年齢層からの配慮だろう。個人的にはぜひサブタイトルも言っていただきたかったが。
講座の最後に質疑応答のコーナーがあったので、私も質問をさせていただいた。
その内容は「『ドラえもん』の演出最終作から間をあけずに『エスパー魔美』の放映が始まっていますが、両作品を並行して作っていた時期もあったのでしょうか」と言うもの。
それに対しての原監督の回答は、「『ドラえもん』はある時期できりを付けて、何ヶ月かは『魔美』の立ち上げに集中していました」との事だった。
『ドラえもん』での原監督の演出最終作「真夜中のお花見」が1987年3月27日放映で、『エスパー魔美』開始が同年4月7日。この間隔でも原監督が『魔美』に専念する期間があったのだから、当時の『ドラえもん』はかなり余裕を持ったスケジュールで作られていたのだろう。
個人的に、以前から気になっていた事なので、直接監督にお聞きする事が出来て、すっきりした。
さらに、講座が終わった後は突発的にサイン会が始まった。
まさかサインを貰えるとは思っていなかったので何も用意しておらず、手持ちの手帳に魔美の絵とサインをいただいた。こうと分かっていたら、『魔美』の映画パンフでも持っていったのだが。
原恵一監督直筆の魔美
サインの間には、少しだけだが『ドラえもん』の話も出来た。
「地球下車マシン」や「強いイシ」のタイトルを挙げたら、「ああ、やったねえ。あの頃は尺が長かったから、みんな好き勝手にやっていたんだ」とおっしゃっていた。
原監督の作品は『エスパー魔美』も大好きだが、自分にとってはファーストコンタクトだった『ドラえもん』の演出担当回の印象が一番強い。何しろ、一番『ドラえもん』を夢中になってみていた小学校中学年の時期
に放映されたのだ。
もちろん、本放送当時はスタッフまでチェックはしておらず、「原恵一」の名前をはじめて意識したのは『エスパー魔美』の何度目かの再放送だった。その後『ドラえもん』Bパートで原監督の演出回が再放送されるようになり、あらためて観たらやっぱり面白く、それで原監督のその後の作品も追うようになった。
今回、原監督の話を聞いて、この方が『ドラえもん』や『エスパー魔美』を手がけた事は、藤子ファンにとっても日本のアニメ界にとっても非常に幸福な出会いだったのだと、あらためて思った。
原監督の手がけた作品は基本的に原作のあるものばかりだが、原作に対して誠実な態度で作品作りを行ってきた事が、話の端々から感じられた。
その点でも、直接お話を聞く機会が得られて、非常に貴重な一日だった。
なお、気になる次回作にはもう取りかかっているそうで、作品タイトルは明かされなかったが、
・『河童のクゥ』よりもっと地味な話
・中学生の日常を描く
・原作は小説
・原作は意外と中学生、特に女子に読まれている
との事。
私には、このヒントだけで原作を特定する事は出来ないが、「そろそろタイトルも発表になる頃」だそうなので、それを楽しみに待つとしよう。
それにしても、サタデープログラムは呼ばれる人の顔ぶれが多彩で、魅力のある講座が多く、素晴らしい。一学校行事の域を完全に超えている。今回も、原監督の他にも気になる講座がいくつかあって、危うく浮気しそうになってしまった。
これでは、今後にも期待せざるを得ない。