2015年を振り返って

 2015年もあと四日。実家に帰るとブログの更新が出来なくなってしまうので、少々早いが年末最後の更新をしておく。


 この一年を振り返ると、本当に色々とあった。
 中でも自分にとって一番大きな出来事だったのは、やはり5月~6月に一ヶ月も入院したことだ。何しろ下手をしたら命に関わるところだったのだから、これ以上のことは無い。
 この入院を通して、改めて健康の大切を思い知らされた。なお、この入院は一回で終わるものでは無く、来年二回目があるのだが、詳細についてはとりあえず伏せておく。二回目で終わりになるはずなので、これで色々と前に進むことが出来る。無事に終わればの話だが。
 とりあえず、次の入院時は持って行くものをちゃんと考えないと。読めもしないのに本ばかり持って行っても仕方がない。前回の入院で、病室にDVDプレイヤーがあることがわかったので、積んでいるDVD-BOXを持って行くのもいいだろう。もっとも、入院中にあまりヘビーなのを観る気はないので、軽めのものにするつもりだが。

 マンガ・アニメ関係では、年末になって水木しげる先生のご逝去という大きな出来事があった。他にも、藤子不二雄A先生のご入院など心配事はあったが、やはり水木先生の死が一番インパクトが大きい。
 人の死で特にショックだったと言えば、声優の松来未祐さんの38歳での早すぎる死にも大きな衝撃を受けた。4月期の『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』までは普通にレギュラー仕事を持っていたところでの急な死であったし、何より自分より若い人が亡くなるのはつらいものだ。松来さんには、『ひだまりスケッチ』シリーズの吉野屋先生をはじめ、いろいろな作品で楽しませていただいた。あらためて、ご冥福をお祈りします。

 アニメは今年も色々と観たが、そんな中で個人的ナンバー1は、昨年からの継続作品ではあるが『SHIROBAKO』を挙げたい。
 テレビアニメの制作現場を題材にして、これだけドラマチックで笑いあり涙ありの見ごたえ十分の作品が出来るとは思わなかった。正直、開始時点ではきわものとして終わるのでは無いか、と思っていたくらいだ。
 『SHIROBAKO』と言えば水島努監督、水島監督と言えば『ガールズ&パンツァー 劇場版』を忘れるわけにはいかない。2015年夏公開という予定を大幅に超過して、11月にようやく公開されたが、待たされただけのことはある映画だった。ストーリーは「テレビ版のちゃぶ台返し」であり突っ込みどころは多いのだが、戦車戦の迫力でそれが気にならなくなってしまう。特に、後半は観ていてトリップしてしまうかのような見どころの連続で、119分もあるとは感じさせられない面白さだ。結局、年内に3回観に行ってしまった。来年も、まだやっていたらまた観に行くかもしれない。
 ちなみに、他に今年観た劇場用作品は『映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記』『DRAGON BALL Z 復活の「F」』『ラブライブ! The School Idol Movie』『バケモノの子』『心が叫びたがってるんだ。』の5本。ガルパンを加えれば、2ヶ月に一本は観た計算ですな。私にしてはよく映画館に行った方だと思う。ドラえもんを入れて3本くらいしか観ない年もあるからな。


 さて、来年はどんな年になるか。
 個人的に、一大転換期が訪れるかもしれない。大げさな話では無く、色々と思うところがあるのだ。だが、まずは無事に手術を終えて退院することだ。まだ入院もしていないが。

 と、言うわけで当ブログの今年の更新はおしまい。今年一年、ありがとうございました。来年も、よろしくお願いします。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

レトロフリークを購入

 今月初めに、怪しげなゲーム機「レトロフリーク」を、迷いに迷った末に購入した。





 これは、「11種のゲーム機のゲームで遊べる」と言う触れ込みのエミュレーター搭載型ゲーム互換機だ。
 ゲームボーイカラーやPCエンジン スーパーグラフィックス、それに海外版ソフトもそれぞれ一機種にカウントしているので「11機種」と言うのは少々水増し気味なのだが、それを差し引いてもファミコン・スーパーファミコン・ゲームボーイ・ゲームボーイアドバンス・PCエンジン・メガドライブのソフトがこれ一台で遊べるのだから、少なくとも私にとっては十分な性能を持っている。

 とは言え、私に購入を決断させたのは「多機種で遊べる」点では無い。それだけなら、実機を買えばそれでいいのだ。
 私が重視したのは「インストール機能」、すなわちゲームソフトをmicroSDに読み込んで、それ以降はカートリッジなしで遊べるという機能だ。これは実際に使ってみるとよくわかるのだが、本当に便利だ。実機ですら、古いソフトは端子部分がおかしくなってなかなかゲームを読み込まないことは多い。そういう時は何度も抜き差ししてようやくゲームを始めることになるのだが、インストール機能はその手間を省いてくれるのだから素晴らしい。
 そして、インストール機能と並んで便利なのが、セーブ機能の存在だ。ファミコンのみならず、スーファミですらバッテリーバックアップがなくパスワードセーブ、もしくはセーブ機能自体が無いというソフトも少なくないので、独自にレトロフリークでステートセーブできるのは助かるし、普通にゲームをやめた場合も自動的に中断セーブ状態になってくれるので、非常に手軽にゲームを始めたり終わらせたり出来るのだ。10分だけあれをやって、次はこれをちょっとやって…と、これまでだと不可能だったプレイスタイルが可能になった。

 そんなわけで、せっせとインストールしたゲームの総数、現在は257。手元にあるゲームソフトのほとんどはインストールしたが、なぜかファミコンの「ドンキーコング」と「ボンバーマン」の2本は何度試しても読み込まない。接点復活剤を使ってもダメだった。





 ちなみに、ゲームボーイのソフトに関しては、1本ずつゲームボーイでの表示にするか、それともスーパーゲームボーイやゲームボーイカラーなどの表示にするかを選べるし、カラーパレットも実機並みに用意されているので色々といじると面白い。
 たとえば、「スーパーマリオランド」を、実機並みのモノクロで表示させると、こうだ。





 そして、「スーパーマリオランド2 6つの金貨」は、ゲームボーイカラーでの疑似カラー表示。個人的に、このゲームを始めてプレイしたのがゲームボーイカラーだったので、この色遣いが一番しっくりくる。ちゃんとキノコは赤く表示されるし。





 ゲームボーイカラーとスーパーゲームボーイの両方に対応しているソフトは、設定でどちらにも表示出来る。
 ただし、本編をゲームボーイカラーの配色でスーパーゲームボーイの枠を表示させるのは不可能。まあ、実機並みと言うことですな。






 画像を貼っていて思い出したが、レトロフリークのおかげでようやく「ポケモン金」をプレイできるようになった。
 「ポケモン金」は中古で購入したのだが、時計機能内蔵のせいでバックアップ電池がすでに尽きており、セーブできない状態になっていたのだ。残念ながら、レトロフリークは時計機能には対応していないが、セーブは普通にできる。

 さらに言えば、レトロフリークはカートリッジのセーブデータをコピーできるし、逆にカートリッジにセーブデータの書き込みも出来る(こちらはまだ、試していない)ので、これを使えば色々便利だ。セーブデータを保ったままでのバックアップ電池の交換も可能だろう。


 このように、レトロフリークはレトロゲーム好きには嬉しい機能を色々と備えているのだが、ファミコンのディスクシステムや、スーファミのSFメモリカセットなど、インストールに対応していないものもあるのは残念だ。SFメモリカセットには「スーパーマリオワールド」や「スーパーマリオコレクション」が入っているのだが、今のままではレトロフリークでは遊べない。裸カセットを安く買ってくるしかないか。
 「レトロフリークWiki」によると、ディスクシステムのソフトは自力で吸い出したものをmicroSDに入れれば動くようなのだが、残念ながら私はそのような機器は持っていないので、これに関しては諦めるしか無い。


 最後に、レトロフリークに関してよく目にするのが「そのようなことはPC上のエミュレータでも出来る」「だから2万も出してレトロフリークを買うのは無駄だ」と言う意見なのだが、私は逆に、だからこそレトロフリークは素晴らしいのだと思っている。特殊な吸い出し機を用意しなければならなかったエミュレータでのゲームプレイを、テレビで誰でも手軽に出来るようにしたのだから。
 もちろん、PC上のエミュレータであろうとレトロフリークであろうと、違法ダウンロードによるゲームのプレイは論外。自分でカートリッジを持っていてこその遊びだ。それは、言うまでも無い。

 現時点で、「ミシピッピー殺人事件」のように、レトロフリークでは動作しないソフトもあるが、そういうソフトも今後のアップデートで対応してくれることを期待して、私は当分の間はレトロフリークで遊び続けるだろう。しばらくは、中古ソフトを求めてゲーム屋やハードオフ通いも続きそうだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

水木しげる先生、死去

 11月30日、水木しげる先生が亡くなられた。享年93歳。

 人は、いや生き物はいつかは死ぬものだけど、水木先生に関しては、もういつまでも死なないのではないかと冗談半分で思っていた。少なくとも、御自身がおっしゃっていたとおりに100歳までは生きるものと思っていたので、訃報には非常に驚いた。
 亡くなられてから四日が経ったが、今でも水木先生の「死」については、確たる実感がない。なんと言っても「お化けは死なない」のだから。御自身が作品でも描かれているように、軽くちょっとあの世に行っているだけ、と言う印象がある。

 とは言え、亡くなられたことで、もう「水木しげる」名義の新作が発表されることはなくなったのは事実だ。これまでも、最近の作品はどれだけ関与されていたのか怪しい部分はあるが、それでも水木先生がご健在だったからこそ、「水木しげる作品」を発表することが出来ていたのだろう。そう考えると、寂しいことではある。
 また、残念な事ではあるが、これで刊行中の「水木しげる漫画大全集」も、全巻の編成のめどが立ったのではないだろうか。現在、第2期が刊行中だが、おそらく第3期あたりで全巻完結となるのではないだろうか。通巻では『神秘家水木しげる伝』が第101巻となっているが、はたしてこの後に何巻あるのかな。おそらく、藤子・F・不二雄大全集の巻数は超えない程度だろう。


 いい機会なので、私自身の水木しげる作品とのこれまでについても書いておくか。
 私が初めて水木しげる作品に触れたのは、アニメ版『ゲゲゲの鬼太郎』[第2作]の再放送だった。小学校に上がるかどうかという時期で、夕方やっていたのだと思う。個々のエピソードについて触れると、なんと言っても第43話「足跡の怪」の印象が強い。ゲストキャラ・山田の目が無くなるところから始まって、徐々に体のパーツが無くなっていき、最後に血の足跡だけが残るという描写は私の脳裏に強烈な印象を残したのだった。このエピソード、もう何十回観返したかわからないくらい何度も観ているが、何度観ても怖いのは、この幼児期の体験が影響しているせいもあるのだろう。
 とにかく、「足跡の怪」を観たせいで、私にとっては「鬼太郎=怖い」だったのだ。

 そして、それから数年後。フジテレビ系土曜18時30分からの枠で『ゲゲゲの鬼太郎』[第3作]が始まった。
 前述のように、私にとっての鬼太郎は怖いものという認識があったので、はじめはおそるおそる観たのだが、なんと今回の鬼太郎はそんなに怖くないではないか。エンディングラストのあれなどは、最初は不意打ちと言うこともあって結構怖かったりしたのだが、それでも「足跡の怪」の怖さとは質が違う。よく、第3作の鬼太郎はヒーロー然として怖さが無いと言われるが、だからこそ私にとっては安心して観られる鬼太郎でもあったのだ。
 シリーズ全108話(+「地獄編」7話)、はじめてリアルタイムで観た『鬼太郎』として、この第3作も私の心に強い印象を残したのだった。


 さて、ここまでアニメの鬼太郎についてばかり書いてきたが、原作の鬼太郎を初めて読んだのは、なぜか『鬼太郎の世界お化け旅行』だった。
 鬼太郎と言えば日本国内で日本の妖怪と戦う話の方が基本のフォーマットであり、『世界お化け旅行』はイレギュラーな存在なのだが、世界各地でおばけと戦うだけあって登場する妖怪のメンバーが豪華で、また一部で有名なあの妖怪「チンポ」も初登場するなど賑やかであったためか、今でも私は原作鬼太郎というとこのシリーズが一番好きだ。中でも最終話「ブードー」でねずみ男が溶ける様はこれまた夢に見そうな不気味さで、私の脳裏から離れてくれない。これが、貸本版『地獄の水』からの使い回しであることは、かなり後になって知った。
 原作鬼太郎に関しては、その後中央公論社から出ていた愛蔵版全5巻を入手して、マガジン版・サンデー版と、ひととおり読んだ。

 鬼太郎以外の水木作品については、講談社のKCSPと朝日ソノラマのサンワイドコミックスで出ていた短篇集をひととおり読んだくらいで、正直そんなに多くは読んではいないのだが、だからこそ現在刊行中の全集は、毎月楽しみにしている。
 せめて、この全集の刊行が終わるまでは水木先生にはお元気でいていただきたかった。そう考えると、やはり残念だ。
 しかし、全集が完結すれば、間違いなく水木しげる作品の集大成になるだろう。今から、全巻完結が楽しみだ。そうやって、作者は亡くなっても、作品は残っていくのだ。

 最後に、水木しげる先生のご冥福を心よりお祈りします。どうか、「あちら」の世界でもお元気で。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )