『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』感想

 本日、映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』が公開されたので、さっそく鑑賞してきた。
 鬼太郎の映画としては、前作の『ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!』が2008年12月公開だったので、実に15年ぶりと言うことになる。日本爆裂も初日に観て感想を書いたので、今回も書いておきたい。
 言うまでもなく、ここから先は内容におもいっきり触れることになるので、未鑑賞の方などはご注意を。







 まず、最初に感想を一言。「なんだか、すごいものを観たなあ」という感じだ。

 予告編やティザービジュアルを観て、「どうも水木作品と言うよりも横溝正史の世界っぽいんじゃないか」という声をよく聞いたが、そこについては正直よくわからなかった。お恥ずかしい話だが、未だ横溝正史作品を読んだことがないのだ。だから、比べようがない。
 ただ、哭倉村や龍賀家の人々を取り巻く雰囲気は、たしかに水木しげる作品ではあまり味わうことのなかった感じではある。いわゆる古くからの因習に囚われた村と一族というのは、非常にわかりやすかった。

 肝心のストーリーは、これまでよく知られていた「鬼太郎の誕生」の物語を、非常に大きくアレンジした内容。アレンジしすぎて、原作要素は鬼太郎が生まれることと血液銀行員の水木が関わることくらいしか残っていないんじゃないかと言う感じではあるが。
 さらに、水木が復員兵という設定で『総員玉砕せよ!』の要素まで入っているのには驚いた。たしかに、昭和31年という時代設定であれば無理のないことではある。

 今回、鬼太郎は主人公ではなく脇役で、メインを張るのは前述の水木と「ゲゲ郎」こと鬼太郎の父の二人。鬼太郎は冒頭と最後にちょっと登場するだけだ。
 鬼太郎の両親が病気にかかる前にどんな容姿をしていたかは、原作では一切描かれていない。だからこそ、映像化で補完できる部分でもあり、「まくら返しと
幻の夢」(テレビアニメ版第6作・第14話)のようなエピソードも生まれたわけだ。
 今回の「鬼太郎の父」は「まくら返しと幻の夢」で登場したものを元にしつつ、また新たにデザインされており、より鬼太郎に近いイメージとなっている。さらに、鬼太郎の母も第6作のねこ娘に似た感じの美女であったことになった。これには、けっこう驚かされた。最終的に鬼太郎の父の前に現れたときは、原作でもおなじみのあの顔に近い顔で描かれていたが。

 本作においてはアクション要素はあまりないんじゃないかと思っていたが、実際に観てみたらけっこうアクションシーンも描かれていた。
 狂骨や裏鬼道との戦いはなかなか見応えがあったし、BGMではおなじみの「ゲゲゲの鬼太郎」のメロディーが使われていた部分もあったので、鬼太郎ではなく鬼太郎の父が戦うとこんな感じなのかと、非常に新鮮味があった。

 ストーリー展開としては、何度か話が大きくひっくり返って、そのたびに驚かされた。
 ただ、龍賀家に隠された秘密のおぞましさに、そしてラスボスの時貞の醜悪さにと、かなり陰鬱とした気持ちになったのも否定できない。ここまでやるかという感じではあったが、映画でやるならと言うことで実際にここまでやってしまったんだろうなあ。
 観始めたときは、鬼太郎の父とこの一族がどうつながるのかと思っていたが、実際には幽霊族の宿敵みたいなやつらだったので、これにも驚いた。現代を舞台にしたら、ここまではできなかっただろう。その意味でも、昭和31年という時代設定には大いに意味があった。
 また、先ほども少し触れたが、ラスボスの時貞は醜悪さのかたまりというような人物。水木がそこに戦時中の上官を重ね合わせる描写は、特に印象的だった。

 まとめると、鬼太郎の誕生秘話としては非常に重く、しかしそれだからこそ見応えのある作品だった。
 なお、本作を観ている途中から、「エンディングに流れるのは「カランコロンの歌」しかないんじゃないか」と思っていたのだが、実際にエンディング曲には「カランコロンの歌」のワンフレーズが取り入れられており、まさに我が意を得たりという感じだった。やっぱり、この映画にはこの曲がぴったりだ。

 それにしても、本作と「日本爆裂!!」の両方を同じ古賀豪氏が監督しているというのも面白い。まるで方向性の違う2作、見比べるとより面白いかもしれない。
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『水木しげる漫画大全集』全113巻完結!!

 先月、『水木しげる漫画大全集』本巻としては最後の2冊が刊行されていたのだが、今月に入って第3期の全巻購入特典である別巻5「補遺/草案・備忘録抄」が届いた。
 これにて、本巻全103巻+補巻全5巻+別巻(非売品)全5巻の合わせて全113巻が揃ったことになる。

 思い返せば、この全集の刊行が開始されたのが2013年6月。その時のことはこのブログで書いているが、足かけ5年でようやく完結したことになる。
 「全ての水木しげる漫画作品を収録する」と言うのは、単純なことではあるが、非常に困難だったに違いない。しかも、この全集は単に全作品を収録するだけではなく、基本的に初出時の形に戻して(例外はあり)収録しているので、すべて初出の状態を確認した上で、原稿に修正が加えられたり原稿が失われている場合は部分的に復元をする必要もあり、余計に大変だったであろうことは想像に難くない。
 この「初出の状態で収録する」という方針は、藤子・F・不二雄大全集の「加筆した物を最終形として収録する」という方針とは好対照ではあるが、長編連載の比較的多い水木作品では、扉絵をその都度無理なく収録できるという点でも妥当な方針だったのではないかと思う。
 いつか、『藤子不二雄A大全集』が刊行されるとしたら、やはり水木全集と同様の方針にしていただきたいと思っている。藤子A先生も長編の連載が何作かあるので、この方針がはまるのではないだろうか。

 水木全集の方針として、もう一つカラーは全て再現するというものもあった。
 これについては、初出時のカラーだけではなく、後年に何らかの理由で着色されたものについてもカラーで収録されていたので、ちょっとひっかかる部分はあった。水木作品には、この「後から着色された」というのが意外と多いというのが分かったのは、面白いことだったが。
 さらに、『ゲゲゲの鬼太郎』の「死人列車」など、初出と単行本で大きな変化がある作品については、2バージョン両方が収録されているという場合もあり、単に初出状態で収録するだけではないこだわりを感じさせられた。

 また、この全集が完結したと言うことは、いわば『ゲゲゲの鬼太郎』のほぼ完全な単行本が初めて完結したと言うことでもある。
 「週刊少年マガジン」掲載の『墓場の鬼太郎』時代から、最終18巻巻末に収録された「ねずみ猫の巻」まで、鬼太郎作品が全て収録された様子は、壮観だ。なお、以前にこのエントリで、最後に水木先生が描かれた鬼太郎作品は、全集の別巻1「未発表作品/未完成作品・未定稿集」に収録された「墓場の鬼太郎 妖怪小学校」であると書いたが、どうやら発表時期的には「ねずみ猫の巻」の方が少し遅いようだ。恥ずかしながら、この作品の存在は全集収録まで知らなかった。ここに、訂正します。

 他に、この全集の特徴として、豪華な非売品の「別巻」についても触れておきたい。
 各期の全巻購入および1・2期と2・3期の連動購入特典として配布された物であるが、全集本巻と同じ体裁で一緒に並べられるようになっている。内容的にも別巻1が「未発表作品/未完成作品」、2が「初期妖怪画報集」、3が「挿画集成」、4が「デビュー前作品大成」、そして最後の5が「補遺/草案・備忘録抄」と、全集本巻を補完するような内容であり、この全集に欠かすことの出来ないものとなっている。
 この中でも、別巻4「デビュー前作品大成」が別巻の中では最も分厚いというのも面白い。それだけ、デビュー前の絵などが大量に残っていると言うことなのだから、ある意味では奇跡的なことでもあるだろう。これを、まとめて読むことが出来るのは非常にありがたいことだ。

 と、だらだらと書いてきたが、この『水木しげる漫画大全集』がすばらしい全集であるのは、今さらくどくどと述べるまでもないだろう。今後出るであろういろいろな漫画全集のお手本にして欲しいくらいだ。
 とは言え、これだけの全集を作るには、しっかりした知識と情熱を持ったスタッフの存在と、最後まできちんと刊行できる覚悟を持った出版社がなくては無理かと思う。この全集は、それらの条件が奇跡的に合致して生まれた物なのかもしれない。
 この全集に関しては、版元の講談社の覚悟も相当なものだっただろう。なにしろ、鬼太郎の父親(目玉になる前)のかかった病気の名前など、いまでは「差別的」だとしてこれまではことごとく変更されてきたセリフが、ほぼ初出時の内容に戻っているのだ。これは、出版社にも覚悟がなければ無理であっただろう。

 最後に、全巻揃えて記念写真を…と思ったが、全巻を並べるのは大変なので、特典の別巻全5巻で記念撮影。これが、全巻購入の証にもなるものだ。




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五種類の「幽霊電車」

 先週の『ゲゲゲの鬼太郎』は、「幽霊電車」のエピソードが放送された。

 「幽霊電車」と言えば、『鬼太郎』がアニメ化されるたびに放映されている超定番のエピソード。今回の鬼太郎は第6作なので、すでに「幽霊電車」は5回もアニメ化されていることになる(第2作は第1作の続編なので、「幽霊電車」は制作されず)。
 そこで、今回は全シリーズの「幽霊電車」を観返して、感想を書いてみることにした。これによって、各シリーズの特徴などが分かるかもしれない。



・第1作 第7話「ゆうれい電車」(脚本/鈴樹三千夫、演出/村山鎭雄、作画監督/羽根章悦)

 記念すべき初アニメ化。はじめてなので、特にアレンジはなく原作通り…かと思いきや、いきなりAパート丸々をアニメオリジナルの「妖怪ショー」の描写にあてるという大胆な構成。その妖怪ショーで妖怪がバカにされた後に、Bパートのゆうれい電車で仕返しをするという流れだ。
 第4作の後期エンディング「イヤンなっちゃう節」の歌詞に「遊園地でバイトする妖怪に愛をちょうだい」という下りがあるが、まさにそのような内容が第1作で既に描かれているのだから、ある意味ではすごい先見性だと言えるだろう。
 そんなわけで、原作パートはBパートのみであるため、肝心のゆうれい電車についてはテンポ良く話が進む。特筆すべきは、「骨壺」の駅員で、原作では正体不明の不気味な老婆(?)だが、ここでは砂かけ婆がその役を務めているのだ。ただし、砂かけ婆のキャラデザインは、おなじみの物とは大きく異なるが。
 オチは、原作通りに鬼太郎と同じコブを作って終わり。この回は、最後まで目玉親父が登場しないのも特徴の一つと言えよう。



・第3作 第6話「地獄行! 幽霊電車!!」(脚本/星山博之、演出/石田昌久、作画監督/柳瀬譲二)

 鬼太郎に懲らしめられた「先輩」の回想からスタートする点が特徴的だが、この構成が「回想から始めると、結局助かるのが分かってしまう」と水木しげる先生にダメ出しされたのは、一部では有名。
 今度はAパートから幽霊電車が走り始めており、じっくりとその怖さが描かれている。オチも基本的には原作と同じコブを作って終わりだが、二人が目的地の奥多摩霊園駅にいつの間にかたどり着いている点が、原作と異なる。
 この回も、目玉親父はラストに少し登場するのみ。話の構成的に、途中ではなかなか登場させにくいのだろう。



・第4作 第53話「霊園行・幽霊電車!」(脚本/大橋志吉、演出/宇田鋼之介、作画監督/直井正博)

 かなり原作に忠実に作られた「幽霊電車」の三作目。スタンダードな原作通りの「幽霊電車」としては、今のところ最終作となっている。
 演出は、同じく「人間懲らしめ」系のエピソードである第35話「鬼太郎の地獄流し」も担当した宇田鋼之介氏。暗い画面作りで、じっくりと妖怪の「怖さ」を描くことに成功している。第64話からデジタル制作に移行した本作だが、本話はその移行直前に作られたため、当時のデジタル制作作品に特有の、独特な発色がなかったのは良かった。もしそうなっていたら、雰囲気がぶちこわしになっていたかもしれない。
 個人的には、一番出来のいい「幽霊電車」だと思う。



・第5作 第9話「ゆうれい電車 あの世行き」(脚本/長谷川圭一、演出/角銅博之、作画監督/薮本陽輔)

 はじめて、オチに変えてきたエピソード。しかも、原作には登場しているねずみ男の出番がないなど、かなりひねりを加えている。
 妖怪をバカにする二人組のうち、初めてその一人が生きた人間ではなくなっているというショッキングな結末であったため、よく知っている「幽霊電車」とは異なるオチに初回放送時には観ていてかなり驚いた。
 この回より、「妖怪をバカにする人間をこらしめる」と言う原作のテーマが、本筋から離れてきたように思う。幽霊電車による恐怖は添え物になってきた感があるとは、言い過ぎだろうか。
 なお、この回のみ「骨壺」の読みが「ほねつぼ」ではなく「こつつぼ」になっていた。その意図は不明。



・第6作 第7話「第七話 幽霊電車」(脚本/吉野弘幸、演出/地岡公俊、作画監督/浅沼昭弘)

 そして現行シリーズだが、今回は第5作の展開にさらにひねりを加えたと言える。何と、幽霊電車に乗る二人が二人とも、生きた人間ではないのだ。
 ここまで来ると、本来の原作のテーマよりは、いかに原作読者や過去作の視聴者を引っかけるかが主眼に置かれているように感じてしまう。それでも、「因果応報」をテーマとしていることで、ギリギリ「幽霊電車」らしさは残しているか。
 「自分が幽霊だと気がつかない幽霊」とは意外な結末であるが、この「社長」が何人もの社員を死に追いやっているあたり、今までで一番罪深い幽霊電車の乗客であったと言えるだろう。ここまでやってしまうと、もし次のシリーズがあった場合、はたしてどんな「幽霊電車」になるのか、実に気になる。



 以上、全5作の感想を簡単に書いてみた。
 なお、「幽霊電車」関連のエピソードとしては、ここで取り上げた以外に、第4作の時期に公開された3D映画「鬼太郎の幽霊電車」(ストーリーはオリジナル)や、『墓場鬼太郎』の第7話「人狼と幽霊列車」などがある。これらも、「幽霊電車」を追っていく上では押さえておきたいエピソードだ。

 今回は、「幽霊電車」を取り上げたが、『ゲゲゲの鬼太郎』で「定番」のエピソードは「幽霊電車」だけではない。
 他にも、たとえば「妖怪大裁判」や「牛鬼」など、アニメ化の度に登場しているエピソードは数多い。それらが、はたして第6作ではどのような形で描かれるのか、今後の『ゲゲゲの鬼太郎』にも、大いに注目していきたい。
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『ゲゲゲの鬼太郎』第6作スタート!!

 本日より、フジテレビほか(地域によっては放送時間が異なる)で、『ゲゲゲの鬼太郎』の第6作が放映開始された。
 第5作の放映終了が2009年3月なので、実に9年ぶりのアニメ鬼太郎新シリーズだ。

 私は関西テレビで観たが、この局においては第3作終了以来、約30年ぶりの同時ネット放送となる鬼太郎である点は、特筆すべきだろう。関西テレビでは、第4作も第5作も遅れ放送だったのだ。と言っても、私自身が関西に引っ越したのは2年前なので、直接的には関係はないのだが。
 フジテレビ系の日曜9時台はそもそもローカルセールス枠であり、それ故に同時ネットする局は少なかったのだが、この10年間で同時ネット局がかなり増えた印象だ。

 とりあえず、第1話を観ていろいろと取り上げたいところはあるが、放送フォーマットがテレビアニメでは一般的な形式であるOP→Aパート→Bパート→ED→予告という形式に戻った点には触れておくべきだろう。第5作では、アバンタイトル→OP→本編→予告(前半)→ED→予告(後半)という特殊な形式だったが、やはりこれは慣れていなかったので、妙に据わりが悪い印象だった。
 また、OPが2コーラスとなったのも第4作までと同様であり、元の形式に戻ったといえるだろう。フルコーラスで言うところの1番と3番を流すのも、これまで通りだ。やはり、鬼太郎というとこの形式が一番しっくりくる感じだ。
 OPアニメについても、鬼太郎の誕生が描かれていたり、いきなり妖怪チンポが結構大きく登場したり(チンポは見えません)と、見所満載。また、過去作をどこか意識した画面になっている点も、以前からのファンとしては嬉しいところだ。

 そして、アニメ本編だが、人々が吸血木にされている様子をスマホで撮影する人たちがいるのは、現代ならではといえるだろう。そんな現代を描いていても、幾多郎への連絡手段が妖怪ポストなのは変わらず、不思議な安心感がある。
 記念すべき第1話の敵妖怪は、のびあがり。鬼太郎が吸血木にされて、その実より復活する流れもこれまでどおり。ここは、もうちょっと間の時間を長くして絶望感を出しても良かった気もする。

 今回、いわゆる「鬼太郎ファミリー」の妖怪たちは登場せず、出てきたのは鬼太郎と目玉親父のみ。予告を観ると、第2話には勢揃いするようだ。
 野沢雅子さん演じる目玉親父の声が一体どんな感じになるのか、大変気になっていたが、実際に聞いてみるとどう聞いても野沢さんの声でありながら、ちゃんと目玉親父として聞こえるようになっている。さすがは、野沢さんと言うほかはない。
 鬼太郎の声についてはシリーズによって変わるのが恒例なので、今回はこうなんだなという印象だ。前シリーズの鬼太郎は「やあ、人間の皆さん」と語りかけてくるフレンドリーな感じだったが、今回はどこか突き放したような雰囲気があり、その違いを見るのも面白い。

 今シリーズではアニメオリジナルの人間キャラ・犬山まなが登場したが、この子はなかなか可愛くていい。キャラのタッチが水木調ではないが、実際の水木しげる漫画作品でも、アシスタントが描いたと思しき女性キャラはいるので、まあ許容範囲内だろう。
 この子が、鬼太郎を呼び捨てにするのは、人間のレギュラーキャラとしては初めてのことで、なかなか新鮮だ。もっとも、これは第1話だからであり、次回以降もしかしたら「鬼太郎さん」呼びになるのかもしれないが。個人的には、このまま呼び捨てで行って欲しい。

 最後は、鬼太郎が矢らしき物で撃たれて終了。毎回、こういう風に次回への引きがある形式なんだろうか。鬼太郎としては珍しい試みだ。
 EDはタイアップ曲だと思うが、雰囲気とアニメーションは悪くない。前番組と同じなら1クールごとにEDは変わるだろうから、あまり愛着を持てないのは残念なところだ。

 といった感じでダラダラと書いてきたが、盛りだくさんの一話で、今後に期待が持てる出来だったと思う。
 今後、どのような敵妖怪が出るのか、定番の話(地獄流し、ゆうれい電車、牛鬼、妖怪大裁判など)はやるのか、原作にない妖怪は出るのか(水木妖怪図鑑等からの出演)など、気になるところはいろいろとある。最低でも1年はやるだろうから、また当分アニメ版『ゲゲゲの鬼太郎』を毎週楽しめるのは嬉しいところだ。
 このブログもおそらく毎週感想を書いたりはしないだろうが、節目節目で取り上げていきたいと思っている。と、言うわけで今後ともよろしくお願いします。

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『ゲゲゲの鬼太郎』の最終回

 『ゲゲゲの鬼太郎』の最終回というと、どの話を連想されるだろうか。
 私にとっての「鬼太郎の最終回」は、なんと言ってもアニメ第3作の最終話「鬼太郎ファミリーは 永遠に」だ。

 アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』は、今までに5作のシリーズが制作されているが、その中で最終回らしい話が作られる事もあれば、そうでない場合もある。
 各シリーズの最終話を簡単に紹介すると、


・第1作 第65話「妖怪ほうこう」:普通の話で終了

・第2作 第45話「死神のノルマ」:普通の話で終了

・第3作 第108話「鬼太郎ファミリーは 永遠に」:ぬらりひょんとの因縁の対決、最後はみんなで主題歌大合唱

・第4作 第114話「絶体絶命!死神の罠」:死神&ヒ一族の巫女との対決。鬼太郎の母がピンチを救う

・第5作 第100話「さらば父よ! 脅威の天狗王」:妖怪四十七士が選ばれて、まだまだ続くというところで終了


 以上のような感じだ。

 このうち、第5作は話半ばのところで終了してしまったので特殊な例だが、これを除くと、第1作・第2作は普通の話、第3作・第4作は最終回らしい話での締めくくりとなっている。意外な事に、これだけ長きにわたって話数も多いシリーズでありながら、最終回に前後編以上の長い話を持ってきた事は、一度もないのだ。特に、第4作では「妖怪王シリーズ」という4話にわたる長い話をやっているにもかかわらず、それが最終回というわけではない。
 また、たまたまだろうが、「死神」がサブタイトルに2回登場している点は興味深い。第4作はレギュラー悪役であったぬらりひょんではなく、死神を最後の敵に持ってきたのだ。

 そんな中で、個人的には「鬼太郎ファミリーは 永遠に」が印象深いが、それはやはり私にとって「初めて観た鬼太郎の最終回」であるから、なのだろう。
 幼い頃、初めて観たアニメ鬼太郎のシリーズは第2作だが、前述の通り第2作の最終話「死神のノルマ」は普通の話であり、最終回らしくはない。無理に最終回らしさを求めるならば、それまで数度にわたって鬼太郎と対決した死神が、パシャの持つ魂を得てようやく地獄に戻れる事になった点くらいだろうか。
 それに対して、第3作は「初めて本放送で観た鬼太郎」であり、その最終話は「初めて観た鬼太郎の最終回」であったのだ。
 1話完結である点は多少物足りないが、それでも敵味方の妖怪が多数登場しており、最後の敵となった妖怪本所七ふしぎもスケールが大きく、最終回として見応えはあった。
 ちなみに、この最終話の原作となったのは、コミックボンボンに連載されていた『最新版ゲゲゲの鬼太郎』の中の一編である。クレジットは水木しげるではなく水木プロ作品となっている『最新版』だが、この最終話をはじめとして何本かのエピソードがアニメ版に採用されている。

 ただ、「鬼太郎ファミリーは 永遠に」は、第3作本編の最終話ではあるが、第3作にはこの後も「つづき」がある。それが、時間帯を移して放映された『ゲゲゲの鬼太郎 地獄編』であり、全7話と短いシリーズでありながら、鬼太郎誕生の秘密なども盛り込まれた重要なエピソードである。
 その『地獄編』も最終話もきっちり最終回らしいエピソードではあるので、人によってはこちらを「第3作の最終話」と見なす場合もある。
 しかし、『地獄編』の放映時間帯はローカルセールス枠であったため、私の住んでいた名古屋では同時ネットされず、半年ほど遅れて夕方の再放送枠でようやく放映されたのだ。だから、個人的に『地獄編』は、あくまで番外編という印象が強い。私にとっての第3作の最終回は、「鬼太郎ファミリーは 永遠に」なのだ。

 せっかくなので、第4作の最終話「絶体絶命!死神の罠」についても、触れておこう。
 前述の通り、第4作にもレギュラー悪役としてぬらりひょんがいたが、そのぬらりひょんを最終回ではなく一回前の「鬼太郎対三匹の刺客!」(傑作ギャグ編!)で退場させて、最終話には死神とヒ一族の巫女を持ってきている点は面白い。しかし、1話でやるには詰め込みすぎた感のある内容であり、できれば前後編で観たかった話だ。なお、死神役は故・塩沢兼人氏。少々意外なキャスティングではあったが、しょぼくれた死神を好演していた。


 アニメの鬼太郎はそんな感じだが、そもそも原作からしてあまり最終回らしい最終回というのは存在しない。
 強いて最終回らしいエピソードを挙げるとすれば、週刊少年サンデー版の最終回「悪魔ブエル」だろうか。この話では、ヤカンズルを出した責任を取って、鬼太郎親子自らがヤカンズルに飲まれるのだが、外に出るには運がよくても7年はかかるだろうと言われており、悲壮感のある結末になった。ただし、アニメ版(第2作)では何の説明もなく鬼太郎が脱出に成功しており、やや不満の残るアニメ化だった。

 『鬼太郎』は週刊少年マガジンにも二度にわたって(1965~69年、1986~87年)連載されたが、いずれの最終話も最終回らしい話ではない。
 マガジン系列の雑誌で最終回らしいエピソードと言えば、1970年に読みきりで別冊少年マガジンに掲載された「その後のゲゲゲの鬼太郎」がある。
 これは、南方の島で最終的に鬼太郎が酋長に収まってしまう話であり、全鬼太郎エピソードを見ても、この話がいちばん最終回らしいかもしれない。しかし、その後もアニメ第2作とのタイアップで週刊少年サンデーに登場したのをはじめとして、長きにわたって鬼太郎の物語は描かれ続けており、「その後のゲゲゲの鬼太郎」の展開もどこかへ消えてしまっている。

 なお、水木しげる先生が生涯最後に描いた鬼太郎作品と言う意味では、『水木しげる漫画大全集』別巻1「未発表作品/未完成作品・未定稿集」に収録された「墓場の鬼太郎 妖怪小学校」がある。
 幼き日の鬼太郎が、妖怪小学校に四年生として入学したときのことを描いており、タイトルを「ゲゲゲ」ではなく「墓場」にしているあたり、いかにも古い時代の初めて明かされる秘話という感じだが、当然ながら終わりを感じさせるエピソードでは全くない。おそらく、水木しげる先生がまだご存命なら、さらに鬼太郎作品が描かれた事だろう。


 そんなこんなで、一口に「鬼太郎の最終回」と言っても、色々とある。
 今回は、久々に「鬼太郎ファミリーは 永遠に」を観たので、このように最終回についてまとめたくなってしまった。本来なら観られたはずの「第5作の最終回」についてもまだ未練があるが、放映終了からもう10年が経ってしまったからなあ。劇場版「日本爆裂」を最終回と解釈して、我慢するしかないか。
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水木しげる先生、死去

 11月30日、水木しげる先生が亡くなられた。享年93歳。

 人は、いや生き物はいつかは死ぬものだけど、水木先生に関しては、もういつまでも死なないのではないかと冗談半分で思っていた。少なくとも、御自身がおっしゃっていたとおりに100歳までは生きるものと思っていたので、訃報には非常に驚いた。
 亡くなられてから四日が経ったが、今でも水木先生の「死」については、確たる実感がない。なんと言っても「お化けは死なない」のだから。御自身が作品でも描かれているように、軽くちょっとあの世に行っているだけ、と言う印象がある。

 とは言え、亡くなられたことで、もう「水木しげる」名義の新作が発表されることはなくなったのは事実だ。これまでも、最近の作品はどれだけ関与されていたのか怪しい部分はあるが、それでも水木先生がご健在だったからこそ、「水木しげる作品」を発表することが出来ていたのだろう。そう考えると、寂しいことではある。
 また、残念な事ではあるが、これで刊行中の「水木しげる漫画大全集」も、全巻の編成のめどが立ったのではないだろうか。現在、第2期が刊行中だが、おそらく第3期あたりで全巻完結となるのではないだろうか。通巻では『神秘家水木しげる伝』が第101巻となっているが、はたしてこの後に何巻あるのかな。おそらく、藤子・F・不二雄大全集の巻数は超えない程度だろう。


 いい機会なので、私自身の水木しげる作品とのこれまでについても書いておくか。
 私が初めて水木しげる作品に触れたのは、アニメ版『ゲゲゲの鬼太郎』[第2作]の再放送だった。小学校に上がるかどうかという時期で、夕方やっていたのだと思う。個々のエピソードについて触れると、なんと言っても第43話「足跡の怪」の印象が強い。ゲストキャラ・山田の目が無くなるところから始まって、徐々に体のパーツが無くなっていき、最後に血の足跡だけが残るという描写は私の脳裏に強烈な印象を残したのだった。このエピソード、もう何十回観返したかわからないくらい何度も観ているが、何度観ても怖いのは、この幼児期の体験が影響しているせいもあるのだろう。
 とにかく、「足跡の怪」を観たせいで、私にとっては「鬼太郎=怖い」だったのだ。

 そして、それから数年後。フジテレビ系土曜18時30分からの枠で『ゲゲゲの鬼太郎』[第3作]が始まった。
 前述のように、私にとっての鬼太郎は怖いものという認識があったので、はじめはおそるおそる観たのだが、なんと今回の鬼太郎はそんなに怖くないではないか。エンディングラストのあれなどは、最初は不意打ちと言うこともあって結構怖かったりしたのだが、それでも「足跡の怪」の怖さとは質が違う。よく、第3作の鬼太郎はヒーロー然として怖さが無いと言われるが、だからこそ私にとっては安心して観られる鬼太郎でもあったのだ。
 シリーズ全108話(+「地獄編」7話)、はじめてリアルタイムで観た『鬼太郎』として、この第3作も私の心に強い印象を残したのだった。


 さて、ここまでアニメの鬼太郎についてばかり書いてきたが、原作の鬼太郎を初めて読んだのは、なぜか『鬼太郎の世界お化け旅行』だった。
 鬼太郎と言えば日本国内で日本の妖怪と戦う話の方が基本のフォーマットであり、『世界お化け旅行』はイレギュラーな存在なのだが、世界各地でおばけと戦うだけあって登場する妖怪のメンバーが豪華で、また一部で有名なあの妖怪「チンポ」も初登場するなど賑やかであったためか、今でも私は原作鬼太郎というとこのシリーズが一番好きだ。中でも最終話「ブードー」でねずみ男が溶ける様はこれまた夢に見そうな不気味さで、私の脳裏から離れてくれない。これが、貸本版『地獄の水』からの使い回しであることは、かなり後になって知った。
 原作鬼太郎に関しては、その後中央公論社から出ていた愛蔵版全5巻を入手して、マガジン版・サンデー版と、ひととおり読んだ。

 鬼太郎以外の水木作品については、講談社のKCSPと朝日ソノラマのサンワイドコミックスで出ていた短篇集をひととおり読んだくらいで、正直そんなに多くは読んではいないのだが、だからこそ現在刊行中の全集は、毎月楽しみにしている。
 せめて、この全集の刊行が終わるまでは水木先生にはお元気でいていただきたかった。そう考えると、やはり残念だ。
 しかし、全集が完結すれば、間違いなく水木しげる作品の集大成になるだろう。今から、全巻完結が楽しみだ。そうやって、作者は亡くなっても、作品は残っていくのだ。

 最後に、水木しげる先生のご冥福を心よりお祈りします。どうか、「あちら」の世界でもお元気で。
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『水木しげる漫画大全集』第1期刊行開始

 今月3日より、『水木しげる漫画大全集』の刊行が開始されて、まずは第1回配本の3冊が発売された。

 私は、この全集を集めるか否か、発売日までずっと悩んでいた。それが、実際に発売されて、とりあえず『ゲゲゲの鬼太郎』第1巻をどんな感じか見てみようと思い、発売日の翌日に買ってみたのだが、これがいけなかった。何度も読んでいる『鬼太郎』だが、京極夏彦氏のこだわりが反映された内容が予想以上にすばらしいのだ。こんな全集ならぜひ全巻揃えたいという気になるまで、あまり時間はいらなかった。気が付くと、手元には第1回配本の3冊が並んでいたのだった。


 この全集、体裁や編集方針は小学館の『藤子・F・不二雄大全集』に、かなり似通っている。A5判と言う判型からして同じだし、価格設定や巻末の資料に解説者、挟み込みの月報等々、共通点はたくさん挙げられる。そんな中で、F全集とは正反対といえる編集方針が「初出の形を尊重する」という点だ。これによって、『ゲゲゲの鬼太郎』第1巻ではすべての話が、これまでの単行本とは違って『週刊少年マガジン』掲載時の形で収録されている。
 初出時の形を復元したことが売りと言えば、数年前に講談社文庫で『少年マガジンオリジナル版 ゲゲゲの鬼太郎』全5巻が刊行されたが、こちらは「差別用語」の自主規制を含んだ、「大体は初出の形だが一部微妙に違う」内容だった。それと比べて、今回の全集版は「大海獣」の人食い人種のコマや、そのほか差別的とされるセリフも初出のままとなっており、真の「初出版」と言える。

 などと、知ったようなことを書いてきたが、私は人食い人種のコマは初見だったくらいで、大して初出状態に詳しいわけではないので、念のため。
 さらに言えば、水木作品の単行本も、実は大して持ってはいない。昔から持っていたのは『ゲゲゲの鬼太郎』(中央公論社)全5巻くらいだった。それが、ここ数年で、鬼太郎以外の水木作品も読んでみる気になって、サンワイドコミックス(朝日ソノラマ)やKCSP(講談社)で出ていた短編集を、アニメ版『ゲゲゲの鬼太郎』第2作でアニメ化された短編中心に集めていた。
 さらに、鬼太郎以外の代表作も読んでみようと、『悪魔くん(全)』や『悪魔くん千年王国』などにも手を出し、いよいよ水木作品を本格的に集めようとしていたところに、今回の全集刊行決定の報を聞いたのだった。

 元々、水木作品は色々な単行本で発売されているものが多く、しかも収録内容も全く同じではなく微妙なバージョン違いが含まれたり、リライトされている場合も多い。水木作品を集めるにしても、どれとどれを買えば効率よく作品が読めるのか、よく分からないのだ。
 だからこそ、水木作品初心者の私にとっては、初出雑誌ごとに系統立ててまとめる予定の全集はありがたい。とりあえずはこれを買っておけば問題ないという安心感がある。

 この全集、収録作品・編集内容にはほとんど文句はないのだが、カバーの装丁には少々注文をつけたいところだ。「帯ありき」のレイアウトになっているのが非常に残念だ。これは、F全集にも言えることだが、帯を外した時のバランスが非常に悪くて不格好だ。これだけは、何とかしてほしかった。


 現在、F全集の4期も刊行中だが、これは3期までと違って毎月1冊だ。出費に余裕ができた…と思っていたところに、水木全集の刊行が始まった。特に、今月はまだ集めるかどうか迷っていたので、3冊の購入費用は予定外の出費と言うことになってしまった。この6,000円弱の出費は少々きつかった。
 しかし、今日近所の書店に行って、第1期全33巻の予約を正式に済ませてきた。これで、もう後戻りはできない。来月以降は、想定内の出費と言うことになる。それでも、F全集4期と平行しての購入は少々きついのだが、できないわけはない。どちらかと言うと、購入した全集をどこに置くかという本棚問題の方が重要だ。もう本当にパンク寸前だというのに、今回の全集を始めとして、欲しい本はどんどんと出版される。本当に、どうしたらいいのか。
 とは言え、毎月の楽しみが増えたのはいいことだと思う。人間、楽しいことがなければ生きてはいけない。未読の水木作品を読めるのは、非常に楽しみだ。
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境港・水木しげるロード観光(後編)

 前回の続き。

 昼食をとった後は、いよいよ水木しげるロードを見て歩くべく、本筋へと入っていった。

 水木しげるロードと言えば、一番の見ものは何と言っても妖怪ブロンズ像なのだが、大部分の像は想像していたよりも小さかった。そのせいもあってだろうか、歩道に並ぶ妖怪たちは「かわいい」と言う印象が強い。もちろん、元々の水木先生の絵柄もあってのことだとは思うが。水木画の妖怪は、みな怖さと愛嬌を合わせ持っている。
 そんな中で、特別扱いとでも言うべき大きさだったのは、鬼太郎やねずみ男などの有名な妖怪や、水木しげる先生ご本人のありがたい言葉が刻まれた像などで、これらは実物大(?)で並んで写真が撮れるサイズだった。




「なまけ者になりなさい」



 水木ロードは、これら妖怪のブロンズ像を見ているだけでも楽しいのだが、観光案内所や水木ロード内の各店で販売されている「妖怪ガイドブック」(100円)を買うと、ロード内の各所に設置されているスタンプを集めてる、スタンプラリーにも参加できる。
 スタンプの設置場所はガイドマップにちゃんと載っているのだが、これを頼りにせずに自力で全部集めようとすると、結構難しい。私は何往復もして探したのだが、結局三つほど見つからなかった。次に行く機会があったら、何としてもコンプリートしたい。
 ちなみに、妖怪ガイドブックはもう第15版を数えており、境港だけでなく隠岐のスタンプまで押すページがある。この先にまた像やスタンプが増えていき、版を重ねるのだろう。

 水木ロードで妖怪ブロンズ像と並んで「見もの」となっているのは、ロード内のお店だ。これが、土産物屋から郵便局、交番に至るまで本当にさまざまあって、とても紹介しきれないが、そんな中で個人的にツボに入ったのはこの店だった。







 看板の内容がカオス過ぎて、どことなくとぼけた味がある。水木ロード内で「プロパンガス」を取り扱っているのだから、やはり「人だまプロパン」なのだろうか。この街ならブリガドーン現象に包まれても不思議ではないだろうし。

 10時~17時は水木ロード内車道の大部分が歩行者天国となり、特にロード内は人であふれていたが、そんな中で鬼太郎をはじめとする人気妖怪の着ぐるみも混じっており、すっかり町に溶け込んでいる様子だった。











 街を歩いているのは鬼太郎ファミリーだけかと思いきや、こんな人(?)までいたのにはびっくりした。





 さらには、ブロンズ像までちゃんとある。






 考えてみれば、彼・サラリーマン山田は水木しげる作品には欠かせないキャラクターなのだから、有名妖怪なみの扱いも当然のことかも知れない。名前を知らなくても(と言うか、作品によって名前が変わったり名無しだったりするし)、水木作品に触れたことがあれば彼の顔を覚えていることだろう。
 しょぼくれているくせに人気はあるようで、彼と記念写真を撮る子どももいた。







 さて、水木しげるロード見物で欠かせないのは「水木しげる記念館」だ。これは境港駅から水木ロードをずっと行って、アーケード街まで行くと見えてくる。ロードの東端に当たる場所だ。







 ここで展示されているのは「漫画家・水木しげる」の人生そのものであり、またそれは昭和から現代までの歴史でもあると言える。
 少年時代の絵やスクラップなどから始まって、『ゲゲゲの女房』でも登場した義手まである。水木先生ご本人は付けるのを嫌っていたという義手だが、だからこそ今まで壊れて捨てられることもなく残っていたのかも知れない。
 ともかく、激動の人生の重みが感じられる場所だった。



 と、色々と紹介しているときりがないほどに「妖怪の街」は見どころたくさんだった。先ほども触れたとおり個性的な店がたくさんあるし、テーマパーク「妖怪楽園」では、3D映画「鬼太郎の幽霊電車」がオリジナルの3D映像で観られる(劇場版DVD-BOXには2Dで収録)など、おさえておきたい場所はまだまだある。

 前編で書いたように、この境港には名古屋の自宅から電車で約6時間弱かかる。はっきり言って行くだけで結構疲れるのだが、今回の旅はそれだけの甲斐があるものだった。スタンプラリーもまだコンプリート未達成だし、またいつかかならず訪れたい。
 なお、今回は二日にわたって境港の街を楽しんだが、特に二日目・5月4日は大にぎわいで、この街の持つパワーを感じさせられた。また、周囲から聞こえてくる観光客の会話は関西弁が多く、関西人率が高いことがうかがえた。やはり、関西からなら距離的にも訪れやすいと言うことなのだろう。それでも、電車だと4時間はかかるので、結構大変なのだが。
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境港・水木しげるロード観光(前編)

 5月3日から4日にかけて、鳥取県境港市に行ってきた。

 境港は言わずと知れた水木しげる先生の故郷であり、水木先生の描かれた妖怪のブロンズ像で町おこしをしている「水木しげるロード」のある街だ。以前から訪れたいと思っていた土地だが、名古屋から行くには中途半端に遠い距離で、直通の飛行機はなく、電車だと特急利用でも5時間以上かかるので、これまでなかなか行けずにいた。
 今回は、ゴールデンウイークで都合よく6連休が取れたので、少々疲れることを覚悟の上で電車での旅に決めた。つまり、名古屋-岡山間は新幹線、そこから米子までは特急やくも、さらに米子からはローカル線の境線を乗り継いで、境港へとたどり着いたのだった。

 今回、旅の最終目的地は境港だったが、妖怪絡みでの見どころがあるという点では、米子に着いた時点ですでに観光は始まっていた。米子-境港間の境線は「妖怪列車」が運行しており、区間内の全ての駅には妖怪名による愛称が付けられているからだ。一駅ごとに妖怪をチェックしているだけでも楽しい。
 ちなみに、始発駅の米子は「ねずみ男駅」、終点の境港は「鬼太郎駅」となっている。米子駅ホームはこんな感じだ。







 そして、行きに乗った列車は「ねずみ男列車」だった。







 ねずみ男列車に揺られること45分、一駅ごとに妖怪駅名板をチェックしつつだったので、あっという間に着いた感じだった。
 そして、自宅を出てから約6時間弱かかって、ようやく境港へと到着したのだった。







 水木しげるロードのブロンズ像は100体以上を数えるが、駅を降りて最初に出迎えてくれるのは、執筆中の水木しげる先生&それを見守る鬼太郎たちの像だ。







 水木ロード本筋へと出て、いよいよ本格的に観光開始…の前に、お腹が空いたので先に食事をとった。
 食べたのは、某店の「特上海鮮丼」大盛り。名前の通り海の幸が山盛りで、質・量の両方の意味で非常に食べ応えがあった。食事時と言うこともあって30分くらい外で待たされたが、それだけの価値はあった。








 と言ったところで、とりあえず今回はここまで。思ったよりも写真が多くなってしまった。実際、米子-境港間だけでももっと写真は撮っていて、ここに載せたのはその一部に過ぎない。
 水木しげるロード本筋の感想は後編で書いておりますので、そちらをご覧下さい。
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田の中勇氏、死去

 田の中勇氏が亡くなられた。年明け早々、非常にショックなニュースだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100115-00000598-san-ent


 アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第5作が物語途中で突然終了してしまったのが、昨年の3月。いずれシリーズが再開して続きが観られればいいなと思っていたが、もしそうなったとしても田の中さんの目玉親父の声を聴く事は出来なくなってしまった。第5作の最終話本編が目玉親父による妖怪四十七士「決定じゃ!」で終わっていただけに、もう新たな『鬼太郎』であの声を再び聴けないと思うと、本当に寂しい。

 思い返せば、田の中さん演ずる目玉親父との出会いは、『ゲゲゲの鬼太郎』第2作の再放送だった。
 その後、何年かして新番組として『ゲゲゲの鬼太郎』第3作が始まった。目玉親父は田の中さんのまま。当時は「目玉親父はこの声で当たり前だ」と思って観ており、キャストがほぼ総入れ替えとなった中で一人だけ変わらなかったのがどれほどすごい事か、わかっていなかった。

 そして、大学生の時に『鬼太郎』第4作が放映された。この頃になると「目玉親父=田の中勇」が完全に頭に刷り込まれており、「鬼太郎の声は誰になるのだろう?」とは思ったが、目玉親父が他の人になるのではとは全く思いもしなかったし、実際に田の中さんが引き続き演じていた。
 更には、もうさすがにご高齢だからもしや交替かと思った第5作でさえ、相変わらずの健在ぶりで声を聴かせて下さったし、同時期には『墓場鬼太郎』でも目玉親父役で出演されていた。並行して2つの番組で同じ役を演じるなど、空前絶後だろう。『鬼太郎』というビッグタイトルに加えて、完全に定着した田の中さんの声があってのこそ可能だった事だと思う。


 私は『鬼太郎』が大好きなので、田の中さんの声と言うと目玉親父が第一に頭に浮かぶが、あの特徴的な声はどんなアニメでも聴いたらすぐに分かる。何十年にも渡って現役で活動されていたので、本当に様々な作品でその演技を楽しませていただいた。
 たとえば、『ハクション大魔王』のカンちゃんのパパは目玉親父と対照的に「情けない父親」として印象的だったし、『鬼太郎』からの水木作品つながりで『悪魔くん』のヨナルデパズトーリも忘れちゃいけない。『鬼太郎』第5作では目玉親父とヨナルデの二役までこなす活躍ぶりだったから、まだまだお元気で新たな声を聴かせて下さるものだとばかり思っていた。

 本当に、長い間ありがとうございました。心より、ご冥福をお祈りします。
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