2023年の終わりに

 とうとう、2023年が終わるまであと2時間ほどとなった。毎年恒例の一年のまとめを、今年も書いておきたい。

 今年は、ごく個人的な事情で、かなり色々とあった一年だった。
 とくに秋から年末にわたって色々な病院に通うことが増えたのは、自分でもちょっとどうかと思っている。それだけ、私も歳を取ったと言うことだろう。体にも、かなりガタが来ているなあ。


 趣味の方では、やはり色々とあった一年だった。

 藤子・F・不二雄先生が今年の12月1日で生誕90周年となったこともあって、今年も藤子・F・不二雄作品は出版ラッシュだった。なかでも、『藤子・F・不二雄 SF短編コンプリート・ワークス』普及版と限定版のダブル刊行は、正直言って「そこまでやるか」と感じてしまった。とくに、限定版の「コデックス装」は誰のこだわりなのかは知らないが、本当に必要だったのだろうか。他に、コデックス装を採用したマンガの単行本となると、『手塚治虫アーリー・ワークス』くらいしか知らないぞ。
 とは言っても、限定版に初版限定の小冊子(SF短編の初出版などを収録)を付けると言われてしまうと、買わざるを得ない。なんだか、小学館に藤子作品を人質にとられているみたいだ。

 そして、藤子不二雄A先生は亡くなられて一年が経ち、年末にようやく『藤子不二雄AメモリアルBOX』が刊行された。傑作集と未収録作品集の2冊組みだ。傑作集の方は『怪物くん』の最終話や『ブラック商会変奇郎』の第1話などで初出時のカラーを再現しているし、未収録作品集ではコミックエッセイとして名高い『パーマンの日々』が33話(全64話中)収録されているなど、見どころは多い。
 その一方で、既に中央公論社の愛蔵版ブラックユーモア短篇集に収録済みの『魔太郎が翔ぶ』を「初収録」と言ってしまうのはどうかと思った。まあ、この『魔太郎が翔ぶ』も、扉絵をカラー収録してくれたのはよかったが。
 ともかく、このメモリアルBOXが『藤子不二雄A大全集』につながってくれれば、こんなに嬉しいことはない。そうなるように、BOXが売れればいいなあ。

 藤子作品以外のマンガや小説などに関して言うと、単純に「本」というくくりだと雑誌込みで今年一年で550冊ほど購入しており、これはここ数年で最大の量となった。
 どうしてこうなったのか考えてみると、新刊も古書も「本は一期一会」という気持ちが強くなったためじゃないか。つまり「今買わないと、次にいつ出会えるかわからない」といったある種の脅迫観念じみた考え方だ。そのため、これまでよりも本を買う時に財布のひもが緩みやすくなったのではなかろうか。

 テレビアニメについては、色々と日々の仕事や雑事をこなしていると、どうしても視聴できるのは1クールに10本程度に限られる。
 と、言うことは1年に40本だ。アニメファンの視聴量としては、それほど多くない方か。前も言った気はするが、これに加えて気になる過去作品も観ていっているので、なかなか時間のやりくりが大変だ。
 そんな中、今年は劇場用アニメ映画もけっこう観た年だった。年末に観たせいもあるが、とくに「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」や「映画 窓ぎわのトットちゃん」の印象が今は強い。年末以外だと、『青春ブタ野郎』シリーズの2本もよかった。
 「けっこう観た」と言いつつ、振り返るとベスト10を作れるほどには観ていないな。それでも、私にとっては多い方だったのだ。

 と言ったところで、そろそろ締めるか。
 来年は、どんな年になるだろう。とりあえず、年明け早々には『ウメ星デンカ』DVD-BOXの再発版が届くはずだ。この『ウメ星デンカ』と『ジャングル黒べえ』のDVD-BOX再発も、藤子・F・不二雄先生ご生誕90年の恩恵のひとつだな。
 来年こそは、この波に乗って『新オバケのQ太郎』のソフト化を望みたいところだが、はたしてどうなるだろう。

 それでは、皆さま良いお年をお迎え下さい。
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2022年の終わりに

 今年も、もうすぐ終わり。
 例年のように一年を振り返ろうと思うのだが、今年はなんと言っても藤子不二雄A先生が亡くなられたことが最大級にショックな出来事だった。藤子ファンとして、これほど悲しいことはない。
 もちろん、A先生のお年を考えると、いずれはと覚悟しなければいけないことではあったが、それがこんなに突然にやってくるとは思いもしなかった。

 私は藤子ファンとしてこのブログに追悼文を書いたし、藤子不二雄ファンサークル「ネオ・ユートピア」の会誌にも、こことは異なる内容の追悼文を載せてもらった。
 残念だったのは、仕事の都合でどうしてもお別れの会に行けなかったことだ。A先生を悼む気持ちはもちろんだが、自分の気持ちにある種の整理を付ける意味でも、参加したかった。平日だったのが大きい。もしかしたら、私の他にも参加したくてできなかった人はいたのではないだろうか。
 A先生が亡くなられてから、あっという間に時が過ぎた気がする。テレビではNHKがいくつかの追悼番組を流したが、それ以外の局がほとんど追悼番組をやっていないのは残念だ。特に、テレビ朝日はあれほど世話になっておきながら、CSのテレ朝チャンネルで追悼特番を組んだのみで、地上波では音沙汰なしだ。
 各種雑誌でもA先生の記事はたくさん掲載されたが、特集と言える内容だったのは『昭和50年男』と『北國文華』くらいか。小学館はあれほど世話になっておきながら、以下くどいので略。
 非商業出版の同人誌においては、先述の「ネオ・ユートピア」会誌と「パラレルソレイユ」の最新号でA先生の追悼特集が組まれ、それぞれに読み応えのある内容だった。商業誌でできない内容もあるので、意義のあることだったと思う。
 なんとか、今後も藤子不二雄A作品が読み継がれていけばと思うが、A先生に限らず、現役で活動していない「昔の漫画家」の作品を今の読者が手にとるかとなると、なかなか厳しい面もあるのだろう。不完全な状態で出ている各種単行本も、完全版が出版されれば嬉しいのだが。特に『魔太郎がくる!!』あたりは何とかして欲しいところだ。
 ともかく、一ファンの立場としてはこれからも藤子A作品を読んで、応援していくだけだ。

 今年は、藤子不二雄A先生以外にもいろいろな方が亡くなられた。
 いちいちお名前を挙げることは控えるが、いちばん最近と言うことで、水木一郎アニキの訃報は特に衝撃的ではあった。私の母と変わらない年齢なので、まだまだ活躍していただきたかった。
 生きていればいつかはこういう別れもあるが、やはり寂しいものだ。

 アニメ関連では、面白い作品にはいくつも巡り会うことができて、その点では幸いだった。
 ただ、個人的にアニメ関連で今年いちばんのニュースは、ようやく『疾風!アイアンリーガー』のBD-BOX化が決定したことだ。この作品はLDで全話揃えてしまっていたが故にDVD-BOXにはあえて手を出さず、そのうちBDが主流となってからは10年以上もBD化を待ち望んでいたのだ。まさに、待望の発売決定だ。
 テレビシリーズ全52話+OVA全5話+特典映像と、けっこう話数が多いので、最近多くなってきている「SD画質で1枚のディスクに話数を詰め込みました」な、なんちゃってBD-BOX化だったらどうしようと思っていたが、今回はちゃんと2K画質でディスク枚数は8枚なので、画質にも期待できる。ライトニングクラッシュやスーパーノヴァが高画質で観られるのだから、来年3月の発売が本当に楽しみだ。

 ここには書かないが、今年は個人的にもいろいろあって、激動の一年だった。
 来年に向けての課題もいろいろあって、ひとつずつ乗り越えていかねばならない。とにかく、やれるだけのことはやろう。と、言うわけで、今年一年ありがとうございました。よいお年をお迎え下さい。
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Fミュージアムとトキワ荘へ

 9月3日、4日と、川崎市の藤子・F・不二雄ミュージアムと東京都豊島区のトキワ荘マンガミュージアムへと行ってきた。

 まずは9月3日に藤子・F・不二雄ミュージアムを訪れた。
 この日は、言わずと知れたドラえもんの誕生日。そして、ミュージアムの開館記念日でもある。今年で、ミュージアムは開館11周年だ。
 9月3日はミュージアムが非常に賑わって盛り上がるというのは前から聞いていたので、以前から9月3日に訪れたかったのだが、なかなか都合が合わなかった。今年は、土曜日と言うこともあって訪れることができたのだ。

 噂に聞いていたとおり、この日のミュージアムは非常に賑わっており、11年前の開館初日を除けば、私が訪れた中ではいちばんの盛況だった。
 友人・知人も多数来ており、おなじみの方から二十年ぶりにお会いする方、それに初めての方まで、多くの方にお目にかかることができた。この日の盛り上がりを肌で感じることができて、行ってよかった。
 それにしても、はらっぱ横のショップ「藤子屋」まで行列ができているのだから、本当にすごい賑わいだ。あの店にはあまり混雑する要素がない気がしていたのだが。

 そして、東京に泊まって翌日はトキワ荘マンガミュージアムへ。
 この施設が開館してからずっと気にはなっていたのだが、こちらもなかなかタイミングが合わずに訪れる機会がなかった。なにしろ、あの「トキワ荘」を再現した施設なのだから、『まんが道』ファンとしては行かずにはいられない。
 実際、行ってみるとこだわりが随所に感じられる施設であった。階段のギシギシ言う音から始まって、臭ってきそうなトイレ(ここは「便所」と言うべきか)に、実際に当時を再現したいくつかの部屋と、なるほどトキワ荘とはこういうところだったのかと感じられる作りになっている。もちろん、私は本物の「トキワ荘」実物を見たことはないのだが、それでも『まんが道』を通して非常に親しんでいた建物であるため、なんだか懐かしさすら感じられた。














 トキワ荘マンガミュージアムの1階では『漫画少年』の全号展示が行われていた。
 もちろん、実際に手にとって読めるわけではないが、藤子不二雄先生も新漫画党の一員として活躍したあの雑誌だ。トキワ荘ともども、『まんが道』ファンとしては見逃せない展示だろう。ズラッと並ぶ『漫画少年』の数々は、なかなか壮観な眺めだった。それにしても、国会図書館にもわずかしかない『漫画少年』を、よく全号揃えたものだ。

 トキワ荘マンガミュージアムを出たあとは、ふるいちトキワ荘通り店で少し休んだ後、「松葉」へ。
 「松葉」も、『まんが道』ファンには説明不要の中華料理屋だ。ここも、これまで不思議と訪れる機会がなかったのだが、ようやく入ることができた。








 チャーシュー麺をいただいた。
 正直なところ、『まんが道』を読んで、自分の中で「松葉のラーメン」が「ものすごく美味しい」というイメージが形成されてしまっていたので、それに比べるとまあ「普通に美味しい」という感じではあった。さすがに、想像の中の味には勝てないか。でもまあ、美味しいラーメンではありました。

 こんな感じで、一泊二日の旅行はおしまい。なかなか、楽しい二日間だった。
 東京方面にはもっと頻繁に行きたいのだが、時間的および金銭的な都合から、なかなかそういうわけにはいかない。だから、今回二つの施設を訪れることができたのはよかった。
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昨年末はコミックマーケット99へ

 いささか旧聞に属するが、昨年末は2年ぶりに上京して、藤子・F・不二雄ミュージアムと東京ビッグサイトで開催されたコミックマーケット(コミケ)99に行ってきた。そのうち、今回はコミケ99について書いておこうと思う。

 そもそも、コミケ自体この2年間、開催されずに来た。
 コミケ97が開催されたのが、2019年の12月だった。その後、世界的な新型コロナウィルスの蔓延により、2020年5月に予定されていたコミケ98は中止となった。従来通りならば8月の開催のはずだったが、東京オリンピック開催との絡みでビッグサイトが使えなくなるために、5月に開催するはずだったのだ。
 そして、今回昨年末に開催されたコミケ99も、本来予定されていた開催時期から大幅に延期された。重ねて言うが、全てはコロナ禍のせいだ。

 コミケ99は、最終的には無事に開催されたが、コロナが収まったわけではない。だから、非常に気を遣った上での開催となった。
 これまでとの大きな違いは、一般入場がチケット制になった点だ。コミケ97で、すでに入場用のリストバンドは採用されていたが、それでもリストバンドは冊子版カタログを買えばついてきたし、そうでなくても昼頃には入場フリーとなり、好きに入場できていた。
 しかし、今回は事前販売されるチケットを買った者でないと入場できなかった。昼になっても、入場フリーとなることはなかったのだ。さらに、東と西・南でチケットは分けられており、それぞれ希望する側の棟にしか入れないという徹底ぶりだった。もっとも、これに関しては昼過ぎに東西の行き来はできるようになってはいたが。
 そんなわけで、今回はまずチケットを入手しなければならなかったが、抽選制であるので当然ながら落選して入手できなかった人もいたようだ。2次販売は先着制だったが、サーバーが非常に脆弱だったらしく、なかなか購入手続きが先に進めず、入手は困難だった。

 私自身はどうだったかというと、とりあえず12月30日・31日の両方にチケット抽選を申し込んだのだが、30日だけが当選した。ネットでできる限り調べてみたが、30日・31日両日のチケットが当たったという人は見当たらなかったので、存在しないか、いたとしてもごく少数なのだろう。いずれかの日に振り分けるように調整が行われていたのではないだろうか。
 せっかく上京するのだから両日参加したいと思い、31日のチケット2次販売に挑戦してみたところ、何とかこれを取ることができた。前述のようにサーバーが脆弱だったせいか購入手続きのページが非常に重く、なかなか先に進まない状況が1時間弱続いたのだが、その後「サーバーメンテナンスに入ります。しばらくお待ち下さい」とのメッセージが出るようになり、それでも諦めずにリロードを繰り返していたら10分ほどでメンテが終わったのだ。張り付いていた人もメンテ終了はもっと後になると思っていたのか、メンテ終了後はスムースにチケットを購入することができた。

 このように、なんとか2日分のチケットを入手することができたので、30日・31日ともに参加してきた。
 30日は、東棟へのチケットで、集合時間が9時30分となっていた。予定時間頃に集合場所付近に行ったところ、すでに列ができていてしばらく並んだが、10時頃にはチケットとワクチン接種証明、身分証明書の三点セットによる入場チェックをすませることができた。
 非常に不思議なことに、この入場チェックまでの間の時間に、時たま反対方向へ帰っていくらしき人を見かけた。まだ開場前だったので、用を済ませた人とも考えにくい。想像するに、参加にチケットが必要と知らずに来て、入場チェックではねられてしまったのではないだろうか。そう言う迂闊な人がいたとしても、不思議ではない。
 10時頃に入場チェックをすませてリストバンドを受け取り、正式な待機列へと並んだ。一般入場の集合時間は、早い人で7時30分だったが、実際に入場できたのは11時からだ。開場自体は10時だが、チケットに5000円払ったアーリー入場者が10時からの入場だったからだ。
 11時に一般入場者の入場が始まり、私自身は11時15分頃に入場できた。7時30分に集合した人と9時30分に集合した人で、待ち時間は2時間も違うのに、入場時間は15分しか違わないのだ。正直、早く来るのがバカらしくなることではある。

 ともかく、11時15分に入場して、そこから先は普通にコミケの一般参加なので、特筆すべき事は少ない。
 ただ、一つ書いておくと、一般参加・サークル参加ともに人の少なさが感じられる光景が、そこにはあった。参加を取りやめて空いているサークルスペースがそこら中にあったし、一般参加者の人口密度も、これまでと比べて明らかに小さいものだった。コロナ禍でコミケを開催するというのは、こういう事なのかと思い知らされた。一言で言うと「寂しい」。

 次のコミケ100は今年8月に予定されている。コミケ99と同様の体制での開催となるのか、それともまた違った形を取るのか、それはまだわからない。
 ただ、コロナによってコミケの形さえも変わらざるを得なくなったのは間違いない。何も気にせず楽しめるのがいちばんであるが、そんな時はいったいいつになるのだろう。
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わが家のテレビアンテナについて

 このブログでも触れているが、私は働き始めてから何度か引っ越ししている。そのたびに、考慮しなければならないのはテレビ放送のアンテナ設置環境だ。
 と言っても、地上波のアンテナは付いているのが普通なので問題はほぼないが、注意しなければいけないのはBS・CSのアンテナだ。名古屋にいた頃は、ベランダが西向きに付いている部屋ばかりだったし、個別に付けるのもOKな物件だったので、全く問題はなかった。
 BS・110度CS共通のアンテナと、スカパー!プレミアム用のアンテナの二つを付けていたので、やや手間ではあったが、あらかじめ角度を測った上で、根気よく調整すればなんとかなるものだ。ちなみに、BS・110度CS用よりは、スカパー!プレミアム用の方が、より受信にはシビアな調整が必要のようだ。ほんのわずかにずれるだけで、入力が0になってしまう。

 このような感じで、アンテナの設置環境は、名古屋から大阪に引っ越すにあたって、引っ越し先で重視した要素の一つだった。
 最終的に選んだところは西向けに窓が開いていなかったが、大家に確認して屋上へのアンテナ新規設置が許可されたので、引っ越すことを決めた。実際、アンテナは設置できたのだが、業者にたのんだところ、高所作業をともうあったため作業代はけっこう高くなってしまった。

 最後が、現在住んでいる家で、引っ越してきたのが2年3ヶ月前のこと。
 この家は、かなり古くから建っている家だったので、テレビアンテナについても設備が旧式で、今どき3Cの細い線を屋上から壁を通して直にケーブルが部屋の中につきだしているという状態だったのだ。
 さらに、そのケーブルをテレビに繋いでも、一部のチャンネルは映らない状態だった。前の住人がテレビをどのように視聴していたかはわからないが、私にとっては話にならないので、屋根にBS・110度CS用アンテナを設置した上で、途中にブースターをかませることによって、ようやく一通りの局が普通に試聴できるようになった。なお、この作業も業者をたのんだので、またしても高所作業代が高く付いてしまった。
 しかも、たのんだ業者がスカパー!プレミアム用アンテナは扱っていないところだったため、こちらは自力で付けるしかなかった。自力で屋根に登るのは危険だし、そもそも仮に自力で取り付けることができたとしても細かな調整は不可能だ。困ったところだったが、意外な解決策が見つかった。
 この家は、西向きに庭が面しているのだが、道の向かい側には家が建っているので、一階の高さにはスカパー!プレミアム用アンテナの設置はできないと思い込んでいた。しかし、試しに付けてみたら受信できたのだ。角度的に、どうもギリギリ受信できる位置だったらしい。
 一階の高さにアンテナを付ければ、角度の微調整もたやすい。結局、スカパー!プレミアム用アンテナについては、自力で設置できてしまった。

 ここまでが2年前までのこと。
 それ以降、全く問題なく地上波もBSも受信できていたのだが、問題は昨年末に起こった。ある日、急にBSが受信できなくなったのだ。原因としてはアンテナだったりケーブルだったりと色々と考えられたが、しばらく様子を見たところ、同じ時間帯でも地上波は受信できてBSは受信できないことがあり、しかもBSも完全に受信できなくなったわけではなく、断続的に受信できる状態に戻ったりしていたのだ。
 この家ではBS・110度CS用アンテナからのケーブルと、地上波アンテナのケーブルが屋上の混合器で一つのケーブルにまとめられて家の中に来ているので、少なくとも地上波が問題なく受信できている以上、ケーブルの問題とは考えにくい。と、なるとBSアンテナの不調を疑うべきだろう。なにしろ、名古屋に住んでいた時から使ってきたアンテナで、長年風雨にさらされてきたので、ある日おかしくなったとしても不思議はない。
 結局、しばらく様子を見ても状況は好転せず、BSの受信はできたりできなかったりだったので、私は業を煮やした。屋上のアンテナをあきらめて、スカパー!プレミアムと同様に1階の高さにBS・110度CS用アンテナも新たに設置することにしたのだ。

 そして、結局どうなったか。結論から言うと、最終的には再度業者に頼ることになった。1階の高さにBS・110度CS用アンテナを設置するところまでは上手くいったのだが、従来のアンテナケーブルとの混合がどうやっても上手くいかなかったのだ。それに、今どき4Kも観ようというのに3Cのケーブルでは貧弱すぎる。
 そこで、屋上から部屋までのケーブルを全て張り替えた上で、1階の高さに設置したBS・110度CS用アンテナと混合することにしたのだ。大がかりな作業になるので、さすがに自力で行うのは無理だった。業者も2時間以上かけてやっと完了したくらいだ。たのんで正解だったと言えるだろう。

 ともかく、この工事を行ったのが1月10日で、それから12日が経ったが、さすがにBS・110度CS用アンテナは新品なので、今のところ全く問題ない。地上波に関しては、Eテレとテレビ大阪の受信品質が少し悪いようだが、これは業者に確認してもらった上でも変わらなかったので、今の家では限界なのだろう。
 長々と書いてきたが、結局言えるのは、アンテナの設置や修理には金がかかると言うことだ。一回業者を頼むと、簡単に数万円が飛んでいってしまう。その性質上、高所に設置する必要があるので、仕方のないところではあるのだが。
 願わくば、当分の間(10年くらい?)は新たな問題が起きませんように。
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2021年の終わりに

 今年が残り2時間を切ったところで、毎年恒例のブログ記事を書いていないことに気がついたので、あわてて書いている。

 今年一年、昨年に引き続いて新型コロナウィルスに振り回された形になった。詳細は書かないが、自分の仕事にもとうとうコロナが影響して、一時期ちょっといろいろとあった。
 それはさておき、趣味の面でも大いにコロナの影響を受けた。「映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021」の公開が一年延期になってしまったのは、その最たるものだろう。まるまる一年間ドラえもんの新作映画がないのは、2005年にアニメがリニューアルした時以来だ。それほどの異例の事態と言わざるを得ない。
 その代わりにと言うべきか、旧作の「のび太の宇宙小戦争」がリバイバル上映されたのは、それはそれで嬉しかったが、やはり一年に一作ちゃんと新作映画を観たいものだ。

 映画ドラえもん以外では、広島で開催された「藤子不二雄A展」が、思いっきり会期を短縮されてしまった。夏休みあたりに行ってみようかと思っていたのだが、休みに入ったまま終了してしまったので、結局行くことはなかった。せっかくの藤子A展だというのに、非常に残念だ。
 藤子関係だけでも、このように色々と影響があった一年だった。

 ただ、個人的にはずっと家にこもっていたかと言えば、そうではなかった。
 6月には高岡・氷見へ行ったし、年末には藤子・F・不二雄ミュージアムとコミケ目当てに2年ぶりに上京してきたところだ。これは、昨年に比べてややコロナが収まる傾向であったのと、ワクチンを接種したと言うことが大きいだろう。
 昨年と比べると、それなりの対策もできた年ではあった。

 コロナ以外で今年印象的だったのは、大物作曲家の訃報が相次いだことだ。菊池俊輔・小林亜星・すぎやまこういち(以上、敬称略)と、いずれも素晴らしいアニメソング・アニメ音楽で楽しませていただいた。もちろん、皆さんアニメの仕事以外にもいっぱい仕事をされているのだが、個人的にはどうしてもアニメソングが印象に残っている。本当に、今までありがとうございました。

 最後に、今年特に印象に残ったアニメを挙げておこう。テレビアニメでは『かげきしょうじょ!!』『スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました』『オッドタクシー』『白い砂のアクアトープ』『スーパーカブ』『プラオレ! PRIDE OF ORANGE』と言ったところか。
 劇場アニメはあまり多くは観ていないのだが、『アイの歌声を聴かせて』や『フラ・フラダンス』は面白いオリジナル作品だった。願わくば、来年も面白いアニメに出会えますように。

 と、言ったところで当ブログも今年はおしまい。今年は喪中なので新年の挨拶も控えます。
 とにかく、来年こそは真にコロナが収まって欲しいものだ。
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「ドラちゃんのおへや」今後の方針

 前回の更新から4ヶ月以上が経ってしまった。
 決してネタ切れというわけではないのだが、何となくやる気が出ずにいた。この間、「ドラちゃんのおへや」は2回更新しているので、そちらに注力していたということにしておこう。

 さて、今回はその「ドラちゃんのおへや」の、今後の更新の方針について触れてみたい。
 今年に入って、長いあいだ放置状態だった「短編「ドラえもん」初出リスト」を更新して、データを追加した。長いあいだ放置していたのには理由があって、できれば詳細な各話データと一緒に公開したいと思っていたからだ。
 現在は、各話データは「小学一年生」掲載分のごく一部(1972年3月号掲載分まで)しか公開できていない。これを、全話について初出誌をあらためて調査した上で、各話データを作成して公開しようと思っていた。
 しかし、ことはそう簡単ではない。前世紀中に単行本未収録だった話については、各地の図書館で一通りコピーを取ったので、それを参照すればいいが、問題は昔からてんとう虫コミックスおよび藤子不二雄ランドに収録されていたエピソード群で、これらについては図書館で新たに初出誌を閲覧してデータを確認するしかない。はっきり言って、そう簡単に済ませられることではない。
 なお、ここで必要となるデータは、初出サブタイトル・ページ数・描き足しの有無・白黒かカラーかなどで、描き足しがあるかどうかは藤子・F・不二雄大全集の巻末を見ればわかるが、具体的に何ページ描き足されているかはわからないし、いくつか大全集のデータにも誤りはあるので、結局のところ初出誌をあたるしかない。

 そんな訳で、作業が膨大になることは目に見えていたので、なかなか手を付けられなかったのだが、いつまでも初出リストを「一部限定公開」にしておくのもどうかと思い、とりあえず初出リストのみを先に公開することに決めた。初出リストに関しては、8割方できたので、次の更新で全て公開することができるのではないか。
 そして、各話データについても、来年から順次調査を行って、できるところから公開していきたいと思う。と、ここに宣言してしまおう。もちろん、すぐに全てを公開するのは無理なので、完成までに何年かかるかはわからないが、これが完成すれば『ドラえもん』という作品について、ネット上でかなりの情報が参照できるようになるのではないかと考えている。

 なんで今ごろになってこんなことを言い出したかというと、藤子作品の単行本については、内容的にバリエーションのある本は、セリフの差異など別にすれば、容易に買えるものはあらかた集めてしまい、今後は雑誌初出版を調べるのに力を入れざるを得ないなと思ったからだ。
 手塚治虫作品のように「雑誌オリジナル版」の単行本が出れば、そちらを読めばいいのだが、藤子不二雄作品に関しては、そのようなものは出る気配が全くない。藤子プロ・藤子スタジオともに、そう言う方針なんだろう。
 唯一の例外は『ドラえもん』第0巻だが、これが出たのはあくまで特例と見るべきか。そうなれば、自分で初出誌を調べてコピーを取るしかない。来年からは、各地の図書館に通うことも増えるだろう。初出誌の現物を購入してもいいのだが、膨大な量と古書価格の値上がり具合を考えると、現実的ではない。やはり、図書館だな。

 さて、このブログの次回更新はどうなるか、それはわからない。
 例年通りならば大晦日に更新して、今年は終わりという感じになるだろうか。問題は、その次だな。あまり期待せずにお待ち下さい。
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『はなバルーン倶楽部』、とうとう25周年

 本日で、私の個人サイト『はなバルーン倶楽部』が、開設から25周年を迎えた。
 と言っても、正確なサイトの開設日ははっきりと覚えておらず、便宜的にこの日にしたと言うことは、20周年の時に書いたとおりなので、ご了承下さい。

 一口に25年と言っても、長いようでもあり、短いようでもある。なんと言っても、四半世紀という呼び方もあるくらいだ。
 この25年間、色々なことがあった。このサイトを始めた頃には色々とあった個人運営の藤子ファンサイトの大部分が、現在は消滅してしまっていることを考えると、よく25年も続けられたなと思わざるを得ない。名前を挙げるのもなんなので、ここでは伏せるが、本当に色々なサイトがあったものだ。皆、それぞれに工夫を凝らしていた楽しいサイトだった。先に、私のサイトが消滅しても不思議はなかったのだ。
 では、なぜ私は25年もサイト運営を続けられたのだろう。一言でその秘訣を言うと、「無理しないこと」だと思う。要は、マイペースを守ることが大切だと言うことだ。最近は、一年に2,3回しか更新していないが、これくらいが今の生活ではちょうどいいと思っている。
 無理に、たとえば「この日は○○記念日だから更新しなくては」、などと自分を追い詰めるのはよくない。

 この『はなバルーン倶楽部』のメインコンテンツは、なんと言っても「ドラちゃんのおへや」なのだが、『ドラえもん』という作品を取り巻く環境も、この25年で大きく変わった。
 なかでも、藤子・F・不二雄大全集が刊行されて、誰でも『ドラえもん』全話を読めるようになったのが、一番大きいと思う。それ以前は、「ドラえもんカラー作品集」や「ドラえもんプラス」がそれぞれ刊行されることが決まるたびに、大騒ぎになっていたが、大全集と比べるとささやかなものだった。
 この25年の間には、テレビアニメ版の代替わりもあった。ここでアニメがリセットされて、1から再スタートとなったのも大きかった。わさドラに関しては、全てを完全に観ているので、自分のできる限りの情報を詰め込んだデータベースの構築が可能だった。これが、ある意味ではサイト運営のモチベーション維持の原動力となったのかもしれない。大山ドラは、今からデータ不明部分を埋めようと思っても、なかなかできないのだ。これが、本放送当時のオープニング・エンディングを使った再放送がほぼないことが原因であるのは、言うまでもない。私が生きているうちに、この問題はなんとかなるのだろうか。
 それはともかく、原作・アニメに加えて藤子・F・不二雄ミュージアムやドラえもん未来デパートなどの関連施設もこの25年の間に色々とオープンして、ファンが楽しめる要素はますます増えている。
 原作者の藤子・F・不二雄先生がすでに亡くなられていることを考えると、これは驚異的なことだと思う。やはり、テレビアニメが放映中で「現役作品」であると言うことが大きいのだろう。

 今後の『はなバルーン倶楽部』がどうなるか、それはわからないが、やはり私のサイトは『ドラえもん』あってのものなのは、間違いない。
 今後の『ドラえもん』のますますの隆盛を願って、この文を終わりたい。
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一つの別れ

 2月2日、父が亡くなった。
 ごく個人的なことであるので、ここに書くかどうかは迷ったのだが、私の人生において大きな節目の一つであることは間違いないので、書いておくことにした。また、ここに書くことで一区切りとしたいという気持ちもある。

 父は昨年5月から入院していたのだが、12月に状態が急変した。誤嚥性肺炎になってしまったのだ。その名の通り、食事の時に誤嚥してしまったことが原因で、それからは寝たきりとなってしまった。それまでは、まだすぐに亡くなるという状態でなかった。
 コロナの感染拡大のこともあって、面会はできない状態だったのだが、今年に入って病院から連絡があった。もうかなり危ない状態なので、会いたい人があれば面会してもいいですよと言われたので、母と妹と一緒に面会に行った。父はかなりやせ細っており、見るからにつらそうな状態だった。結局、その時も含めて2回面会に行ったが、その後に亡くなったのだ。

 私の気持ちとしては悲しいことはもちろん悲しいが、面会に行った時のつらそうな状態を見ていたので、やっと解放されたんだなと言う気持ちもある。親を亡くすと言うことが初めてであり、何とも言いがたい感情だ。
 きっと、もっと時間が経ってから、ふと父のことを思い出して、寂しくなるのではないだろうか。今月中は、役所などに何度も行って疲れた状態で、悲しんでいる暇もない感じなのだ。本格的に悲しくなるのは、もっと落ち着いてからのような気がする。

 この文は、最初は父の状態などもう少し詳細に書いていたのだが、考え直してこのような内容とした。母が倒れた時のことを書いたときにも思ったが、身内のことを書くのは難しい。
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2020年の終わりに

 あと少しで、今年も終わりとなる。
 このブログでは毎年恒例の、一年のまとめを今年も書いておきたい。

 今年も、一年間で色々なことがあった。それは間違いないのだが、とにかく新型コロナウィルスに振り回されたという印象が強い。
 趣味の事柄だけでも、春のドラえもん映画「のび太の新恐竜」が延期になり、玉突き状態で夏に予定されていた「STAND BY ME ドラえもん 2」まで延期になった。結局、2作とも年内に公開されたが、例年のような盛り上がりに欠ける面は否めなかった。
 コロナのせいで公開が延期になった映画はドラえもんだけではない。多くの作品が、当初予定していた公開日より遅く公開されることとなった。私が今年観た映画で、ギリギリ予定の公開日そのままで公開できたのは「劇場版 SHIROBAKO」くらいだ。この作品にしても、公開自体は予定通りだったが、舞台挨拶が中止になってしまった。舞台挨拶のチケットは当たっていたので、残念としか言いようがない。
 映画だけでなく、テレビアニメも大きく影響を受けた。春開始の作品のいくつかが冒頭の何話かを放送したところで中止となり、夏以降に延期となったほか、夏以降に予定されていた作品でも1クール以上放送予定が遅くなった作品もいくつかあった。NHK総合の深夜枠では、中止になった作品の代わりに『未来少年コナン』のリマスター版が放映されたが、これは思わぬ収穫だった。個人的には、上下カットのなんちゃってビスタサイズでなければなおよかったのだが。
 1クールの深夜アニメだけでなく全日帯のアニメも影響を受けており、『ドラえもん』は半年にわたって新作と再放送のカップリング放送が続いたし、『ヒーリングっど♥ プリキュア』は予定されている放送期間から推測して何話か削減されたであろうことがわかる。
 おそらく、表に出ていなかった計画中の作品も影響を受けたのだろうが、これは確かめようがない。

 個人的な趣味の範囲だけでも、これだけのコロナ影響があったのだし、社会全体が受けた影響は、おそらく計り知れないほどのものがあるだろう。
 幸いにして私は一応普通に生活できているが、世の中にはコロナにかかってしまった人もいるし、かからなくてもコロナの影響で職を失った人もいる。住む家があって生活していけるのは、恵まれた状態なのだと思う。

 趣味の分野での振り返りを続けよう。
 『ドラえもん』に関しては、作品の誕生から50周年と言うことで、記念出版物やグッズなど様々なものが出て、盛り上がりを見せた。
 中でもいちばんの目玉は「100年ドラえもん」であろう。これまで、当ブログでも触れていなかったが、正直言ってこれを買うかどうかは非常に悩んだ。悩みに悩んだ末、とりあえずは買わないことに決めた。色々と理由はあるが、最大は中身が今のてんとう虫コミックスと変わらない事だ。税込77,000円出して、中身がてんコミのものを買うことには、どうしても抵抗があった。豪華特典が付いていても、だ。
 また、単純に置き場所がないというのも理由の一つだ。下手に買うと、「ジャイアンへのホットなレター」のオチののび太の部屋みたいに、自分の居場所がなくなってしまう。ただでさえ、自宅が本であふれそうな勢いなのだ。そこに45冊+3冊が増えるのは、さすがにきつい。
 そんなわけで、「100年ドラえもん」は購入しなかった。もちろん、人間どこで心変わりがあるかはわからないので、ある日思いたって買ってしまうかもしれないが、そこは「あったか~い目」で見守っていただきたい。
 そう言えば、「ドラえもん未来デパート」には、まだ行けていない。そもそも、今年一度も東京に行っていないのだから、未来デパートどころの話ではない。ようやく完成したトキワ荘ミュージアムにだってまだ行っていないのだ。来年は、ぜひこれらの場所に行きたいが、コロナの終息がいつになるやら。これを書いている12月31日の時点で、東京の新規感染者が1,300人超などと言うのだから、全く楽観はできない。
 ドラえもんに関しては、映画のWOWOW一挙放送が私にとって非常に貴重なものだったが、これに関してはすでに当ブログでも取り上げているので、割愛する。

 と、ここまでだらだらと書いてきたが、とにかく来年は事態が少しでもよくなることを願う。
 GO TO トラベルとかは別になくていいから、とりあえず気兼ねなしに普通に東京-大阪間を往来できるようになってほしい。と、言うことはやはりコロナの感染拡大が収まらないと、どうにもならないな。
 願わくば、来年が人類にとって、よい年でありますように。
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