2019年の終わりに

 今年も、あと3時間ほどで終わり。毎年恒例の、一年のまとめを書いておきたい。

 今年の後半は、このブログをほとんど更新できず、我ながら残念だ。その理由は色々あるのだが、ここに書けることは少ない。
 その「ここに書けること」の一つとして、10月~11月にかけての引っ越しがある。三年半ほど住んだ大阪市を後にして、別のところに移り住んだのだ。新居住地については、とりあえず伏せておくとしよう。近畿地方には変わりはないので、交通事情などにあまり変わりはない。
 そもそも、引っ越しの話が最初に出たのは7月だった。実家の敷地内に、人に貸していた家があるのだが、その人が引っ越すので家が空く。そこで、引っ越してはどうだろうという話になったのだ。実家の持ち家なので家賃が要らなくなるし、家族と近いところで住めるというのも、大きな意味がある。そこで、引っ越すことに決めたのだ。
 ただ、毎度の事ながら、荷物が多くて大変だった。最初から150箱の段ボールを用意してもらったが、それでも入りきらず、結局自分で梱包した段ボール箱は160箱となった。もちろん、引っ越すに当たって不要なものは処分したし、本だって100冊ほどは処分したのだが、それでも母数が大きすぎて、焼け石に水の状態だったのだ。
 引っ越し直後の家は、特にすさまじかった。ある一つの箱を動かすために、他の多くのものを動かさなければならなくなっており、さながらパズルゲームをやっている気分だった。「倉庫番」や「パズルボーイ」などのゲームが該当するだろうか。その頃の写真を撮っていないのは今となってはもったいないが、写真を撮っても何が何だかわからない状態なだけだったような気もする。
 ともかく、引っ越しは終わった。この引っ越した新居(と言うか、かなり古くに建てられた家だが)には色々と問題があるのだが、それについてはいずれまた書く機会があるかもしれない。今回は一年の振り返りなので、ここまでにしておく。
 引っ越し以外にも、主に家族関係で色々とあった一年だった。とは言っても、誰かが亡くなったとかそういうことは全くないのだが、ここに書くのははばかられるような、そういうことだ。幸いにも、12月までにそのすべてがほぼ解決したので、今は落ち着いた気分でいられる。

 個人的事情についてはここまでにして、次は趣味関連を振り返ろう。
 藤子不二雄関係については、まずはアニメ『ドラえもん』の40周年があった。アニメのOPを「ドラえもんのうた 40th」にしたりと40周年を祝う姿勢は見受けられたが、アニメ『ドラえもん』に関しては10月の放送枠移動に話題が全部持って行かれたような感じはある。それだけ、「金曜19時」という枠が長年続いて定着していたという証であろう。これから、アニメ『ドラえもん』がどうなるかはまだわからないが、基本的には子どもの観やすい枠でこれまで通り長く続けてくれれば、と思う。朝6時台とかはやめてほしいな。特に、ローカルセールス枠になってしまうと地方局でそういうことが起こりやすいので。そういう意味では土曜17時はまだいい方なんじゃないか。
 そして、年末からは原作漫画『ドラえもん』の50周年を祝う動きが活発になってきた。その先陣を切って刊行されたのが、てんとう虫コミックス『ドラえもん』第0巻だ。『ドラえもん』の連載第1回ばかりを初出版・カラーページ再現で収録しており、非常にユニークな単行本だと思う。手塚治虫作品と違って、藤子作品では「初出版」を売りにした単行本がこれまでなかったが、その先陣を切った形になるのかもしれない。今後、さらに『ドラえもん』初出版大全集を出してくれれば、非常に嬉しい。
 『ドラえもん』50周年記念に関しては、色々とまだ企画されているようなので、楽しみに続報を待ちたい。来年出るという「てんとう虫コミックス」全45巻の豪華版は、あまりそそられないが。
 『ドラえもん』については、グッズショップ「ドラえもん 未来デパート」の開店も大きなニュースとなったが、残念ながら私自身はまだこの店に行けていない。昨日まで東京に行ってはいたが、他の用事で疲れた上に長時間の待ち時間があると聞いて、行く気になれなかったのだ。そのうち、混雑が収まった頃に行ければと思っている。「ひい木」のバッチや「タヌキさいふ」ポーチなどマニア心をくすぐられる品はあるので、ぜひ手に入れたい。
 藤子A先生についても、色々と動きはあったのだが、前述のように今年の後半は特に私が多忙だったせいもあり、あまり追い切れていない。故郷・高岡での藤子不二雄A展などは、行ければ行きたかったところなのだが、それもかなわなかった。
 手塚治虫関係については、今年も「オリジナル版」の単行本がたくさん出たが、もうネタも尽きてきたのか、「間違い探し」レベルの作品が増えてきたように思う。正直言って、『ボンバ!』や『ガラスの城の記録』までオリジナル版が出るなんて、ちょっと前までは想像もできなかったくらいだ。

 テレビアニメでは、新作で唯一ブルーレイを買ったのは『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』なのだが、この作品の放送自体は昨年10月~12月だった。まあ、映画の『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』は今年の公開だったので、いいか。
 それ以外にも面白く楽しんで観た作品はたくさんあるが、映像ソフトを買うまでには至らなかった。観返すだけならテレビ放送の録画で事が足りてしまうこのご時世は、アニメを作っている人たちにとっては大変なんだろう。かと言って、今更画質をわざとSDに落として放送なんてできないだろうし。もしやったら、ものすごい苦情が来るんだろうな。

 アニメ関係で、忘れてはいけないのが7月に起きた京都アニメーション第一スタジオの放火殺人だ。
 衝撃という言葉だけではすまされない、ひどい事件だったとしか言いようがない。これまで数多くの京アニ作品に楽しませてもらった者としては、これほど悲しいことはなかった。亡くなった人々は絶対に戻っては来ないので、ただただ悲しい。今は、命を取り留めた方の一日も早いご回復をお祈りするばかりだ。そして、京アニがふたたびすばらしい作品を世に送り出してくれる事を祈りたい。

 今年も、このようにいろいろなことがあった。だらだらと書いていても仕方がないので、この辺にしておこう。
 願わくば、2020年がすべての人にとって、よい年でありますように。
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「平成」時代の終わりに

 あと少しで、30年ちょっと続いた「平成」の時代が終わりを迎える。そこで、この「平成」時代を振り返ってみたいと思う。

 思い返せば、「昭和」が終わって、「平成」になったのが、西暦で言うと1989年のこと。1月7日までが「昭和64年」で、1月8日からが「平成元年」となった。
 当時、私は中学生だった。ちょうど、冬休みが終わって学校が始まろうかという時期だった。ひさしぶりに登校したら、担任がこのことについてコメントを述べていたのが思い出される。
 「昭和」→「平成」の代替わりは、今回の「平成」→「令和」とは違って、昭和天皇の崩御によって起こったものであるので、今回のような一種お祭り騒ぎのような状況とは違い、落ち着いた雰囲気の中での「平成」開始だったように思う。
 よく言われるが、前年の1988年あたりから、「天皇のご容態」がテレビで頻繁に流れるようになり、イヤな予感がしていた人も多かったと思う。そんな中での出来事だったのだ。もちろん、今回のように一ヶ月も前に新元号が発表されると言うことはあり得ず、発表されたのは改元前日だった。

 そんな感じで「平成」時代に突入してから、はや30年。中学生だった私も、高校生、大学生、社会人と着実に歳をとってしまった。はっきり言えば、すっかりおっさんになってしまった。
 いずれにせよ、人生の4分の3以上を「平成」で過ごしてきたのだ。もう、「昭和」ははるか昔のことのように思える。

 その「平成」30年間で変わったこと、変わらないこと、いろいろとあったが、どちらかというと私自身については変わっていないことの方が多いように思う。
 中学生の時と変わらず、マンガを読んでアニメを観て楽しんでいるし、藤子不二雄作品や手塚治虫作品は未だに私の中で大きな位置を占めている。まあ、人の好みがそうそう変わるわけはないのだ。ある程度の年齢になれば、なおさらだろう。
 逆に、「変わった」事の代表格は、テレビ放送の録画に関することだろう。VHSからS-VHSを経て、DVDレコーダーへと変わり、現在はPCとBDレコーダーで運用している。
 「番組を選んでビデオテープに録画する」と言うのと、「録れるものを録れるだけHDDにとりあえず録画する」と言うのは、全く違う。PCや家電などで形態は違えど、HDDへの録画ができるようになったのは、ある意味では革命的であると思う。「平成」時代が始まった頃には、全く考えられなかったことだ。
 携帯オーディオがカセットテープによるものから、HDDにデータとして曲をためる形式になったのも、個人的にはかなりの変化だ。カセット時代はA面・B面でそれぞれ曲の収録時間を計算して、収録順や面の割り振りを考えていたものだが、そういった事が全く不要になり、プレイリストを作ればどんな順番でも再生できるようになったのだから。
 こうして考えてみると、テレビ録画にせよ音楽にせよ、デジタルデータをHDDやメモリーカードなどで扱えるようになったのは、非常に大きい。技術の進歩とは、ありがたいことだ。

 明日からの「令和」時代が、私にとってどんな時代になるか、それはまだわからない。
 しかし、今度は中年から老年に至る時代になるのは、間違いない。そんな中で、どのように生きていくか。などと書いてみたが、やっぱり金曜19時にはアニメ『ドラえもん』を観ているんだろうな。放送時間が変わりさえしなければ。考えてみれば、『ドラえもん』の放映枠も「昭和」時代から「平成」をまたいで「令和」まで変わらず放映されているのだから、これはすごいことだ。

 ともかく、私にとっては、「令和」が人生の後半生になるのだろうから、一日一日を大切に生きていきたい。そんなことを思った、「平成」最後の日だった。
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2018年の終わりに

 今年も、もうあとわずかで終わりを迎える。
 そこで、このブログでは、例年通りに私自身の今年一年を振り返ってみたいと思う。

 まず、今年の私にとって痛恨事だったのは、なんと言ってもホームページを一度も更新できなかったこと。
 特に、今年後半にかけて「ドラちゃんのおへや」に、信じられないくらい大量の貴重な情報提供があっただけに、最低でも一度は更新したいと思っていたのだが、それが果たせなかった。
 情報を下さった方々には申し訳ないことであるし、私自身としても更新を多くの方に観ていただきたいと思っていたので、非常に残念だ。
 現時点で、更新準備の作業は7割ほどは終わっているので、何とか年度が替わるまでには一度更新するつもりではある。それまで、今しばらくお待ち下さい。

 趣味のマンガ・アニメ関連では、今年も色々とあったが、手塚治虫作品は今年も色々と復刻が盛んで、特に『ダスト18』の刊行は長年待っていただけに、非常に嬉しかった。これを出した立東舎では、さらに続けて『アラバスター』のオリジナル版まで出しており、個人的に今手塚作品の復刻で一番注目している出版社だ。某社より定価が安いのもありがたい。
 それでは、藤子不二雄関連はどうだったか。昨年に続いててんとう虫コミックスで藤子・F・不二雄作品が刊行されたが、あくまでこれまで出た物の新装版であり、あまり新鮮みはない。F作品は全集が出てしまっている以上、「初単行本化」で売ることも(ほぼ)できないので、単行本を企画する人も大変なんだろうな。てんコミ新装版も一段落して(まだ『バケルくん』『みきおとミキオ』は出ていないが)、今後はどんな藤子・F単行本が出るのか、来年に注目したい。
 藤子A作品に関しては、なんと言っても『わが名はXくん』全3巻の刊行につきる。よくぞ出して下さったというしかない。ほぼ全編未読だったので本当に嬉しかったし、作品としても面白かった。今後、未単行本化のA作品のさらなる刊行を期待せずにはいられない。
 単行本以外では、藤子不二雄A展が開かれたのも記憶に新しい。と言うか、私はまさに昨日ようやく行ったところだ。やはり、東京のイベントは行くタイミングが難しい。藤子A展は原画展示は少なめだが、各作品ごとに趣向を凝らした展示がされていて、なかなかに楽しめた。一つだけ残念な点があるとしたら、マイナー作品があまり取り上げられていなかったところだ。『仮面太郎』や『マボロシ変太夫』あたりも展示があったら嬉しかったのだが、そこまで求めるのは贅沢なのかもしれない。

 アニメ関連では、今年も多くの(と言うほどでもないか)作品に接したが、今年一番の作品は何だったかと聞かれたら、1~3月に放映された『宇宙よりも遠い場所』になる。久々にブルーレイソフトも揃えたし、8月に開催されたイベントにも参加した。全13話を、すでに3周しているくらいには気に入った作品だ。
 個人の印象だが、今年いいなと思ったテレビアニメは1~3月期と10~12月期に集中していた。4~9月も面白い作品がなかったわけではないが。特に、1~3月期は『宇宙よりも遠い場所』のようなストーリーと演出で見せるような作品があった一方で、『ポプテピピック』のようなテレビアニメの枠を飛び出した何でもありの作品もあり、非常にバラエティ豊かだったと思う。
 ところで、特に今年後半は録画だけしておいて未見のままという作品も増えている。HDD容量に余裕が出来るのも、いいことばかりじゃないな。このまま、来年になっても観るかどうかは怪しいのだが、来年はこういうことはあまりしないようにしたい。たいした量じゃないとは言っても、録画するにも電気がいるのだ。非常にムダなことをしているような気分になってしまう。

 そして、来年の目標の一つとしては、パソコンを新調したいというのがある。
 今年、何度も主に起動のトラブルに見舞われて、特に年末に向かうにつれて不調が多く見られるようになっており、数年前に組んだ現PCが、限界に来ているような気がするのだ。
 準備できる予算は多く見積もっても12万円くらいか。予算の枠内で、納得できるものが組めればいいのだが。なお、メインPCと別にある録画用PCは非常に安定しており、特に問題はない。とりあえず、Windows7のサポートが切れるまで、録画用はこのままにしておくことになるだろう。


 と、いった感じで、今年を振り返りつつ来年についても言及してみた。
 ともかく、今年一年ありがとうございました。皆様、よいお年をお迎え下さい。
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録画ファイルの視聴環境をアップデート

 今年の5月に、ブルーレイ(BD)プレイヤー(Panasonic DMP-BDT180-K)を購入した。
 すでにBDレコーダーは所持してはいたのだが、LAN接続によるスカパー!プレミアムの録画中にはBDを再生できないという仕様が、いい加減うっとうしくなってきたのだ。なにしろ、BDの再生途中であっても録画が始まると止められてしまうのだから質が悪い。楽しんで観ている途中だと、かなりストレスがたまる。
 そんなわけで、あくまでスカパー!プレミアムの録画と関係なくBDを再生できるようにと思ってBDプレイヤーを買ったのだが、思わぬおまけがあった。BD-Rに焼いたmp4ファイルもこのDMP-BDT180-Kで再生できることがわかったのだ。
 どうして、このことに気がついたのかは、よく覚えていない。なにしろ、DMP-BDT180-Kのスペック表を見ても、対応する再生ファイル一覧の中にmp4は記載されていないのだ。多分、試しにディスクを入れてみたら再生できてしまったとか、そういったことだったのだと思う。ちなみに、mp4だけでなくtsファイルも当然のように再生できる。
 せっかくこういった機能があるのに、Panasonicがそれを全く売りにしていないのは少々不思議ではあるが、要するにこういう使い方をする人がきわめて少ないのだろう。
 さらに、このプレイヤーはBD-Rからだけではなく、USB接続したHDD内のmp4ファイルも読むことができる。これを確認できたので、それまではメディアプレイヤーにHDDをUSB接続して録画ファイルを見ていたのだが、これをBDプレイヤーで同様の使い方をするように、切り替えたのだった。

 これによって、録画ファイルの視聴がUSBとBD-Rで一本化できてかなり快適にはなったのだが、まだ一つ問題があった。
 先述したように、録画ファイルの視聴時はUSB接続したHDDからファイルを再生していたのだが、このHDDはUSBのセレクターで録画用PCと切り替えて使用していたのだ。
 しかし、いちいちセレクターで切り替えるのも面倒くさくなってきた。そこで、視野に入れたのがNASの導入だ。
 視聴再生用のHDDをNASに組み込んでしまえば、いちいちセレクターでUSB接続を切り替える必要はなくなる。問題は、DMP-BDT180-Kが対応しているかと言うことだったのだが、ネット上をいくら探しても、はっきりした答えが見つからない。
 仕方がないので、私が人柱になることにした。NASのケースを購入して、試しにつないでみることにしたのだ。

 結論を言うと、これは上手くいかなかった。
 NASの導入自体は問題なくいけたし、DMP-BDT180-Kは「お部屋ジャンプリンク」に対応しているので問題なく再生できるかと思ったのだが、特定のフォルダしか開くことができず、運用上実用的ではないのだ。
 そこで、DMP-BDT180-K購入前に使っていたメディアプレイヤーを、再び引っ張り出してきた。これは、ネットワーク対応であったはずなので、こちらで使えればそれでもいい。
 と、言うわけで、こちらは問題なくNAS上のフォルダをすべて開くことができた。やはり、このあたりはメディアプレイヤーに特化した製品の方が、しっかりしている。

 このように、この3ヶ月ほどいろいろと視聴環境の再構築をしてきたのだが、結局メディアプレイヤー+NASの組み合わせに落ち着くことになった。
 人によって、録画の視聴環境は様々だろう。家電のBDレコーダーやプレイヤーのみを使っているという人もいれば、PCやスマホがメインという人もいると思う。
 私の場合は、普通にテレビでストレスなく観られる環境がほしかったので、こういう状態になった。けっこう手間はかかったが、それだけの価値はあった。mp4やtsファイルをメインにテレビで視聴する人には、おすすめしたい。
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2017年の終わりに

 (私にとって)激動の2017年も、もうすぐ終わり。
 このブログの更新は12月31日だが、実際にこの文を書いているのは、実は12月29日だったりする。だから、まだ「大晦日だよドラえもんスペシャル」も観ておらず、そのためいまいち年末という気はしない。もう、コミケも始まっているというのに。

 しかし、そんなことを言っていても仕方がないので、無理にでも年末気分を振り絞って、書いていくことにしよう。
 昨年末の記事で、個人的な一大転換期だったと書いたが、今年も本当にいろいろなことがあり、一大転換期の二年目だったような気がする。
 一番大きな出来事は、なんと言っても母が入院したことだ。全く予想外なことだっただけに、その衝撃は大きかった。
 長年実家から離れて一人暮らしをしていただけに、実家に一ヶ月も泊まり込んで父と二人で暮らすという日々は、本当に大変だった。詳しくは該当エントリを読んでいただくとして、その後の母の経過について、少し書いておこう。
 基本的には前と変わらないのだが、足の指先の感覚が少しおかしいらしくて、たまによろけることがある。だが、病気の影響はそれくらいにとどまっており、奇跡的に回復したと言っていいだろう。正直なところ、よくて車椅子生活くらいは覚悟していたので、ある意味では拍子抜けだが、本当によかった。
 それにしても、頭の病気というのは恐ろしい。特に、直前まで自覚症状が全くないというのが怖い。私も、いい歳なので気をつけなければ。

 もう一つ、個人的なことで大きく変わったのは、転職をしたと言うことだ。
 昨年大阪に移ったばかりでまたかと思われるかもしれないが、前の会社に問題があったため、一大決心をしてのことだ。先ほども書いたように私もいい歳であり、おそらくこれが最後の転職のチャンスだろう。その点で、慎重に事を進めた結果になったのだ。
 給料も前より上がった。労働条件も(ここまで勤めた限りでは)悪くはない。まあ、思い切ってよかったと言える。

 趣味の関係でも、色々と思い出されることがある。
 昨年「まだクリアしていない」と書いた『ドラゴンクエストVIII』も、今年秋にようやくクリアすることが出来た。クリア後のイベントが30分以上あったのには驚いた。さすがは、もともと据え置き機のPS2向けだっただけのことはある。3DS版でやっていて、もしバッテリーが切れたらどうするのだと思ってしまった。現在は、ゲームに関しては、いくつかのタイトルを平行して進めているところだ。やはり、同じのばっかりやっていると、飽きてしまう。
 藤子関係では、「藤子不二雄ランド」をついに全巻揃えたのも今年のことだ。長年にわたって集め続けていただけに、一つの目標を失った寂しさはあるが、これでさらなる藤子単行本コレクションの泥沼にはまりそうな予感はある。

 ともかく、大きく自分と周りが変わった一年間だった。
 来年は大阪に移って三年目でもあるし、これでそろそろ落ち着いて生活したいものだ。

 それでは、皆様よいお年をお迎えください。
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実家暮らしの一ヶ月間

 それが起こったのは、忘れもしない4月23日の事だった。

 その日は、日曜日。特に予定も無くだらだらと過ごしており、正午少し前に昼食の準備をしていた。
 そんな時、電話が鳴った。発信元を見ると、母からとある。何かな、と思いつつ出てみると、母ではなく叔母の声がした。「お母さんが倒れた」と言うのだ。最初は、何のことだかわからなかった。後から考えると、あのときは叔母もかなり混乱していたのだが、とにかく母が倒れてA病院に救急車で搬送されるところだと言う。いまいち要領を得ないところがあったが、緊急事態なのは確かなので、すぐにA病院に向かった。

 A病院は自宅から電車で40分ほど。病院に着くまで、なるべく事態は軽いものであってくれと祈り続けた。
 病院に到着すると、叔母がいた。母は、くも膜下出血との事。はっきり言って、想定していた中では最悪の部類に入ると言っていい。やがて医師が来て、説明を聞いた。この病気が発症すると、3分の1の人はその場で亡くなること、そして回復して歩いて家に帰ることが出来るのは10分の1ほどであること、などなど。聞いているうちに、余計に暗澹たる気持ちになっていった。
 正直なところ、この時点で心配していたのは、母の葬儀のことだ。このような説明を聞けば、誰だってそうなると思う。運良く命は助かったとしても、なんと言っても脳内の出血なのだ。どんな後遺症が残るか、わかったものではない。母がどうなろうと、これからかなり大変なことになるだろうと、覚悟したのだった。

 やがて、A病院からH病院へと移されることが決まった。医師や設備など総合的に判断しての事であり、よりよい対応が出来ると言われたので、断る理由はない。
 救急車で15分ほどかかって、H病院へと着いた。救急車への同乗という初めての体験をしたが、一刻を争う状況であり、今思い返してもあまりよく覚えていない。
 H病院で、母は手術を受けることになった。H病院の医師の説明によると、カテーテルですめば「コイル塞栓術」を行い、それではダメな場合は開頭してクリップで出血部を止める手術になるという。開頭手術なんて大変なことだぞと思ったが、運よく開頭には至らず、手術はコイル塞栓術で行われた。待つこと約3時間。その間に、名古屋から妹もやってきた。やはり、最悪の場合を覚悟していたようで、喪服も持ってきたと言っていた。

 そして、手術は無事に終了した。医師によると、手術後2週間が山だという。血管が収縮する「れん縮」が起きたり、頭に水がたまる「水頭症」になったりして、生命に危険があるのだ。
 「水頭症」については、『ブラック・ジャック』をお読みの人ならよくご存じだろう。チャンピオンコミックス版第6巻の最後に収録されているアレだ。私も、まっさきに『ブラック・ジャック』を思い出したが、まさか自分の身内が水頭症になるかもしれない事態になろうとは、全く想像だにしなかった。

 医師から説明を受けた後、母の意識が回復したというので、面会。妹を見て「娘です」と言っている。とりあえず、意識はまともらしくて一安心だ。
 これ以上付きそっていても仕方が無いとの事だったので、その日は帰る事になった。帰ると言っても、自宅ではなく実家の方だ。実家は両親の二人暮らしであり、母が倒れたら父が一人になってしまう。父は、一人ではちょっと危なっかしい状態なのだ。同じ敷地内に住む叔母もいるが、今回の事でかなり憔悴しているらしく、あまり頼れない。妹は、名古屋に住んでいるので、翌日には帰ってしまう。と、なると私が実家に泊まり込むしかない。

 そんなわけで、思わぬ形での実家暮らしが始まった。
 父の世話をしつつ、昼間は母のいるH病院に見舞いに行くという生活が、約一ヶ月間続いた。はっきり言って、非常に神経を使う毎日だった。老人との二人暮らしが、こんなに疲れるものだとは思わなかった。これが自分の親じゃなかったら、放り出していただろう。その意味で、介護などの仕事をしている人はすごいと思う。

 時は流れて5月18日。母が退院した。非常に幸運な事に、五体満足な状態で、だ。
 車椅子を使うような事にはならなかったし、頭もはっきりしている。つまり、10分の1の運のいい人の中に入る事が出来たわけだが、母がこれで一生分の運を使い果たしたのではないかと、ちょっと心配ではある。

 ともかく、4月23日より前とほぼ変わらぬ日常が戻ってきた。母はまだ、寿命ではなかったのだろう。
 今回の事で、親を看取るとはどういう事なのか、そして親の介護の大変さなど、色々と考えさせられた。いずれは、本当の親との別れがやってくるのだろうが、その時になってあわてる事のないように、今のうちに出来る事はしておかなければならないと、強く思わされた。

 この一ヶ月間、ネットは主にスマホで見ていたが、やはり身内が大変な事になると、ネットへの書き込みなど積極的な参加は精神的に無理になってしまう。
 ツイッターも一ヶ月間放置してしまったので、ご心配をおかけしたのではないかと申し訳ない気持ちだ。

 アニメは、実家で普通に観ていたが、母の発病から三日間くらいはやはり落ち着いて娯楽作品を楽しむという余裕もなかった。その頃に観た作品は、上の空だったのであまりよく覚えていない。
 録画については、数日に一回自宅に戻って設定していたので、録り逃したものはない。この点、大阪に引っ越していて本当によかった。名古屋だとこうはいかなかっただろう。時間的にも金銭的にも、負担が大きすぎる。

 長くなってしまったが、この一ヶ月間は、このような事がありました。と、言ったところで、この項を終わります。
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新春特別企画・我が家の本棚公開

 新年、あけましておめでとうございます。
 本年も、当ブログをよろしくお願いします。


 さて、新年一発目のネタを何にしようかと色々考えて、結局これになりました。
 自宅の漫画が入っている本棚を、新年と言うことで特別に公開してみようと思います。と言っても全部ではなく見せられる範囲で、ですが。






 まずは、この本棚。藤子・F・不二雄先生の作品メイン。とは言え、下の方には藤子不二雄A先生の作品もありますが。
 写真ではわかりにくいが、本を二重にして並べており、中の方にも色々と入っています。上から一段目の奥には『ドラえもん』以外のてんコミ藤子作品、二段目の奥には藤子不二雄ランド版『ドラえもん』『映画原作 大長編ドラえもん』、三段目には藤子不二雄ランド版『海の王子』『新編集 オバケのQ太郎』と言った感じ。
 基本的に、あまり珍しい本はなく、最上段のてんコミ『ドラえもん』も、一桁の巻は初版ではありません。まだ全巻揃っていない作品もあるし、色々とさらに揃える余地のある本棚と言えます。






 二つ目は、藤子不二雄A先生の作品メインの本棚。半分近くを藤子不二雄ランドが占めています。
 さらに言えば、藤子・F・不二雄大全集の第4期もこの棚。第1期~第3期は別の棚にまとめてありますが、一つの棚に一面F全集ばかりが並んでいて、面白味に欠けるので今回は省略。
 なお、少年サンデーコミックス版『プロゴルファー猿』が少ないですが、これは実は今集めている最中で、まだ半分の9冊しか手に入れていないというわけ。案外、初版を見かけないので、さすがは人気作品で、よく増刷されたと言うことなのでしょう。
 『猿』に限らず、私はまず藤子不二雄ランド版から集めていたので、それ以外の単行本は、恥ずかしながらまだ持っていないものも多いです。だから、こちらもまだまだ集める余地はあります。とりあえずは未読の作品を読みたいので、ダブっていないもの優先と言うことになるでしょうけど。はたして「藤子不二雄A大全集」が刊行される日は、来るのだろうか。






 調子に乗って、手塚治虫作品の棚も公開。と言っても、ほとんどが「手塚治虫漫画全集」なので、いまいち面白味に欠ける。
 この棚も、奥行きがあるので本を二重に並べています。上から一段目の奥には少年チャンピオンコミックス(『ブラック・ジャック』『ザ・クレーター』ほか)とサンデー・コミックスが入っております。最下段には、小学館ゴールデンコミックス版の「手塚治虫全集」が5冊だけ(『鉄腕アトム』4冊+『勇者ダン』)ありますが、これもぼちぼち集めているところ。まあ、全40巻なのでそんなに焦ることはないかと。ちなみに、『勇者ダン』は講談社版全集以降では改変されているアイヌ人差別のセリフがそのまま残っているので、一見の価値あり。


 さて、ここまではツイッターにも上げたものなので、今回はおまけにこれら以外の棚も見せようと思い、悩んだあげくSF文庫の棚をお見せすることにしました。こんな感じ(↓)です。





 上から星新一・小松左京・筒井康隆の順に並べてあります。このお三方の著書は、ほとんど文庫で集めました。
 下の方は、かんべむさし・横田順彌・梶尾真治・草上仁など。書名などはこの写真では読みにくいですが、あえてこのサイズだけにしておきます。

 と、言ったところで今回はおしまいです。
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2016年の終わりに

 もう少しで、2016年も終わり。今年も、色々なことがあった。
 例年通り、このブログでも今年一年を振り返ってみる。


 昨年末のエントリでは、今年は「個人的に、一大転換期が訪れるかもしれない」と書いたが、だいたいその通りになった。
 一番大きかったのは、長年住んだ名古屋を離れて、出身地である関西に戻ったことだ。もう合計で35年くらいは名古屋に住んでいたので、これは本当に一大転機と言えるだろう。こちらに越してきて半年あまりが経ったが、まだ完全になじんだとは言いがたい。とりあえず、東京に行くのに新幹線でこれまでより1時間近く余分の時間がかかるようになったのは痛いところだが、まあそんなにたびたび行くわけでもないので、これは我慢するしかない。
 他に、今までと大きく変わったのは、たびたび実家に帰るようになったことだ。近くに家族がいれば、案外色々と用事があるものだ。これに関しては、非常に便利になったと言える。

 あと、個人的なことだが、昨年に続いて2月に二度目の手術を受けたのも、大きな出来事だ。
 しつこいようだが、別に病気ではなく、不要不急だがいつかは受けなければならなかった手術で、それがこの時期と言うことになったのだ。昨年の一度目の手術での入院で色々と反省点があったので、今回はそれを踏まえて、手術後の時間つぶしのために本やDVD(病室にプレイヤー完備だった)など、色々なものを持ち込んだ。その中でも一番活躍していたのはレトロフリークだったかもしれない。本体が小さくて何百ものソフトをインストール済みだから、これだけ時間つぶしになるものは他にない。ニンテンドー3DSも持ち込んだが、実はその時に始めた『ドラゴンクエストVIII』を、中断したまままだクリアしていないというのは、ここだけの話だ。
 ともかく、二度目の手術は無事に完了した。これが、今後の人生にどんな意味があるかはまだわからないが、活かしていけたらいいとは思う。

 実は、まだ他にも色々とあったのだが、それはここには書けない個人的なことだ。ここまでにしておこう。


 藤子ファン的には、今年は何があったかなと振り返ってみると、肝付兼太さんの訃報があった。また、喪黒福造役・大平透さんも亡くなられた。
 なんだか、明るい話題があまりないような感じだが、むしろ『中年スーパーマン左江内氏』のドラマ化や『笑ゥせぇるすまん』の新作アニメ化が予定されている来年の方が盛り上がりそうな気もする。両方とも、一ファンとして、素直に楽しみだ。


 アニメファンとしては、ここ数年視聴テレビアニメの本数が減っていたのが久しぶりに増加に転じた年だった。
 理由は色々とあるのだが、一言で言えば「観られるうちに観ておこう」と言ったところか。また、今までアニメ録画ファイルをTS保存していたのを、夏頃からエンコードしてmp4ファイルの形に圧縮して保存するようになり、HDDの容量に非常に余裕が生まれたので、今までなら残しておかなかったようなタイトルまで、とりあえず残しておくようになり、それが結果的に視聴本数の増加にもつながったような気がする。
 また、新作だけでなく、旧作アニメも暇を見つけては観るようにした。旧作『パーマン』を一通り(DVD未収録の2話を除いて)観られたのは、特に今年の収穫と言っていいだろう。ちなみに現在はDVD-BOXで『ジャングル黒べえ』を視聴中。次回予告も含めて完全な形でこの作品を観るのは、おそらく初めてだと思う。再放送は、私が観た限りでは15分枠ばっかりだったので、予告どころかエンディングもまともに流れたことは少なかったのだ。
 他に、『宇宙戦艦ヤマト』や『無敵超人ザンボット3』なども、今年観た作品だ。「まだ観ていなかったのか」と言われそうな、いまさらなタイトルだが、観ていなかったのだから仕方がない。まだまだ、未見の名作はたくさんあるので、来年以降も機会を作っては観ていきたい。
 映画は、『映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生』『映画 聲の形』『シン・ゴジラ』『君の名は。』『この世界の片隅に』を観た。あと、昨年の作品だが『ガールズ&パンツァー 劇場版』も、引き続き劇場で観た。映画の鑑賞ペースは、だいたい昨年並みか。それぞれに、心に残る作品だった。


 さて、来年はどんな年になるだろう。
 おそらく、今年に引き続いて、いやもしかしたら今年以上に、一大転換期となる年になるのかもしれない。それだけ、色々なことが起こりそうな予感がある。いや、起こさねばならないといった方が正しいか。
 はたして、趣味にはどれだけ時間が割けるのかも怪しいところだ。だが、できる限りこのブログも更新していきたい。

 と、言うわけで今年一年、ありがとうございました。よいお年を。
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『はなバルーン倶楽部』20周年!!

 表題の通り、今日で私のサイト『はなバルーン倶楽部』が、20周年を迎えた。

 と、言っても、サイトを開設したのが20年前の7月23日であるというはっきりした証拠や記憶があるわけではない。
 ただ、サイト開設日については、漠然と「藤子・F・不二雄先生が亡くなる2ヶ月ほど前」だと覚えていたので、それで今回は便宜上、亡くなる2ヶ月前である7月23日を開設日とした。実際には、何日かずれている可能性が大いにある。
 また、『はなバルーン倶楽部』という大元の個人サイトについては、1996年に一度開設したものの、その後一時期消滅していた時があり、1999年に正式に再開している。ここでは、1996年を正式開設年として、20周年とした。以上の点、ご了承ください。


 そもそも、私が自分のホームページを持とうと思ったのは、大学の情報の実習で、ワークステーションを触ったことがきっかけだった。
 学生一人一人にホームページのアドレスが用意されておることを知り、せっかくだからと思って作ったのだった。だから、最初のサイトのURLは「大学名+大学の個人ID」と言う、身元がバレバレのものだった。当然、メールアドレスも、「大学の個人ID@大学名.ac.jp」であり、実にわかりやすかった。今の大学の事情は知らないが、同じようなシステムになっているんだろうか。最近は、個人情報の問題とかが面倒そうなので、身元を隠す方向に進んでいても不思議はないが。
 そんなわけで、アドレスから私が名古屋の某大学に通っていることがわかったせいか、ホームページ開設後は、何人かの東海地区在住の藤子ファンの方(中には、同じ大学の方も居た)からメールをもらい、後にオフ会で実際にお会いできたことも懐かしい思い出だ。

 残念ながら、開設当時の『はなバルーン倶楽部』のデータは残っていない。今回の記事を書くにあたって、過去のデータを探したのだが、一番古いもので1999年だった。そこで、記憶でこちらに開設当時のトップページを再現してみた。あくまで再現だが、かなり当時に近いものが出来たと思っている。ホームページ、いやコンピュータ初心者の作るホームページなんて、こんなものだろう。
 それから20年も、このサイトが続くことになろうとは、当時は全く思っていなかった。サーバーも、大学のものからリムネット、さくらインターネットと渡り歩いたが、基本的にやっていることは変わっていない。メインコンテンツとなる「ドラちゃんのおへや」(開設当時は「ドラちゃんのお部屋」)では、『ドラえもん』について、やりたいことをやりたいようにやっている。

 もちろん、20年前とは考え方に違いが生じた部分もあるので、そう言った点については逐次修正をしている。一番大きいのは、やはり個人情報に関する考え方だろう。前述したとおり、開設当時は思いっきり身元がわかるような状態だったが、徐々にそれを隠す方向に変わっていった。とは言っても、このブログの内容をはじめとして、いろいろなところに個人情報のヒントになりそうな記述はあるので、気休めのようなものかもしれないのだが。


 今後の、『はなバルーン倶楽部』がどうなるか、現時点では全くわからないが、私が「もうやだ、やめたい」と思うようになるまでは、マイペースに続けていきたいとは考えている。各コンテンツ、いつ更新するかは自分にもわからず、「気が向いた時」としか言いようがないのだが、「いつかは何かやるので、気長にお待ちください」と言っておこう。
 なお、この「はなバルーンblog」は2004年6月スタートなので、現時点で12周年。こちらも、長く続いたものだ。10周年あたりでなにかやればよかったかな。それをスルーしてしまったので、仕方がない。もしこちらも20周年になったら、何か記念企画をやろう。

 と、言うわけで、今後とも『はなバルーン倶楽部』を、よろしくお願いします。
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続・引っ越しました

 いきなりですが、5月13日に名古屋から大阪市の某区に引っ越しました。
 これはネタとかでは無く、本当のこと。詳しくは省略するが、急遽仕事の都合で大阪への引っ越しを余儀なくされたのだ。正式に引っ越しが決まったのが5月5日。準備期間がまるまる一週間しか無かった。前回、2年半前の引っ越しは丸一ヶ月以上かけてなんとか行った引っ越しなので、はたして一週間でできるものか非常に不安だったが、結論としては、なんとかなった。

 前回の引っ越しに倣って、段ボール箱の詳細を書いておくと、今回は大が30箱、小が100箱となった。前回は小が120箱なので、ある程度は物の減量に成功したと言うことになる。実際、引っ越しが正式に決まる前から本を150冊ほど(これは焼け石に水)と、大量の録画DVD-RAMを思い切って処分したのだ。DVD-RAMについては、BD-Rにコピーしたものもあるので、全てを捨てたわけではないのだが、それでも私としてはかなり思い切った。まあ、地上波アナログ末期のサイドカット放送やレターボックス放送は、今観ると画質的に非常に厳しいものがあるので、処分して当然と言う気もするが。
 もちろん、レターボックス放送でも貴重なタイトルは処分していない。たとえば、『やっとかめ探偵団』とか。おそらく、ソフト化も再放送も見込みは無いんだろうな。
 それはともかくとして、昨年から続けてきたDVD-R or RAMからBD-Rへのコピーが功を奏して、ディスク枚数はかなり減量できた。


 現在、これを書いているのが5月21日。大阪に引っ越してきてからまる一週間が経った。
 各種手続きも済ませ、昨日には新しい仕事場でもデビューした。なんとか、大阪での生活が形になってきたかな、という感じだ。今まで、長年にわたって名古屋で暮らしてきたので、出身地とは言え大阪での暮らしには正直なところ不安もあるが、もう私もいい歳なので、そろそろ今後のことも考えて覚悟を決めなければいけないかな、と思って決断した上での大阪行きでもあるのだ。なにしろ、私がいい歳と言うことは、当然ながら両親も年老いてきており、最近は色々と心配もある。そういった事も考えると、実家の近くに住んでおいた方がいいかな、とも思ったのだ。
 現在の詳細な居住地については、ここでは伏せるが、梅田・難波の両方に出るのに便利な場所とだけ書いておこう。交通アクセス的には結構いい方だと思う。

 自分で費用を出しての引っ越しというのははじめて体験したが、思った以上に金がかかった。痛かったのは、BSアンテナの設置費用だ。これまでは、自分でベランダにアンテナを付けていたのだが、今回のマンションは構造的にそれが不可能なので、大家の許可を得た上で屋上にアンテナを付けて、自分の部屋まで引っ張って来ることになったのだが、屋根に上るのはさすがに危ないので、プロに頼まざるを得なかった。この費用が結構かかったのだ。
 それでも、BS・CSは直接受信に限る。名古屋では、ちょっとした都合で短期間だけケーブルTVに入ったことがあったが、セットトップボックスを介さなければ観られない上に、CSのチャンネルは変なセットでしか契約できず、しかもAT-XがSD放送であるなど、不便きわまりないものだったので、すぐに解約した。ケーブルTVは地上波の再送信(パススルー)だけで十分だ。
 ちなみに、今のマンションは独立局はサンテレビ・KBS京都の両方が再送信されており、深夜アニメの録画には結構便利だ。KBS京都については2017年までの暫定措置であるため、今後継続して観られるかどうかはまだわからないのだが。


 思い返すと、昨年5月の入院以来、このブログでは特に触れてこなかった事も含めて、いろいろあった。
 今年2月には再度入院して二度目の手術を受けた。その入院が無事に終わったのが3月19日。それから、わずか2ヶ月で大阪に引っ越すという急展開になるとは、思ってもいなかったが、「いろいろあった」の締めくくりには、ふさわしいのかもしれない。

 大阪に引っ越したことのデメリットを挙げるとすれば、東京がまた遠くなってしまったことだろうか。何しろ、新幹線で2時間半はかかるのだから、結構これは大きい。それ以外は、今のところ特に不満は無い。深夜アニメの放映本数も、名古屋よりは多いし。ただし、テレビ愛知の『ゲゲゲの鬼太郎』の再放送は、ローカル枠なので途中で諦めざるを得なかったが。
 あとは、部屋が3DK→2DKに再び減ってしまったのも、デメリットと言えばデメリットか。大阪は家賃の相場が名古屋より高いので、致し方ない。二部屋のうち、本を置くための部屋がこれまで以上に「書庫」的になっているのは、怪我の功名とは言え、案外落ち着いて気分のいいものだ。今回の引っ越しも、やはり本が多くて苦労したが、それでも電子書籍に移行しようとは、全然思わない。本質的に私は紙の本が好きなのだと言うことが、よくわかった。本棚に並べた背表紙を眺めるのも大好きだし。
 また、三重テレビを観られなくなってしまったのは、かなり本気で残念だ。こればかりは、三重県か愛知県西部に住まないと、どうしようもないからなあ。


 これから、大阪で生きて行くにあたって、何が起こるかまだまだわからないが、とにかく今までよりもっといい生き方が出来ればと思う。
 このブログも、今年前半は更新が少なかったが、暇を見つけては色々と書いていきたい。コメントもいただいたまま放置していますが、こちらのお返事も今しばらくお待ちください。



(追記)

 今回の本文を書いたのは5月21日なのだが、ネットの開通が遅れたため、ブログ更新は6月29日になってしまった。その点は、ご了承下さい。
 名古屋からは離れることになったが、今年は7月16日から「藤子・F・不二雄展」もあるし、まだまだ名古屋に行く機会はありそうだ。新幹線を使えば、新大阪から51分で行けるのだし。
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