名古屋で辻真先先生のトークショー

 2月17日、名古屋市東区にある「文化のみち二葉館」(旧川上貞奴邸)に行ってきた。





 ここで、現在「辻真先ワンダーランド」と題して、ミステリやアニメ脚本などで知られる辻真先先生の著作や原稿、脚本などが多数展示されているのだが、この日はそれに合わせて辻先生のトークイベントが開催されたのだ。
 このイベントは13時からだったので、余裕を見たつもりで現地には11時30分頃に着いたのだが、なんとすでに整理券の配布が始まっており、私のもらった整理券は32番だった。しかも、もしかしたら椅子には座れないかもしれないと言われて、ちょっとこのイベントを甘く見ていたなと思ってしまった。
 その後は、トークイベント開始まで「辻真先ワンダーランド」の展示を見て過ごしたが、とにかく辻真先先生の著作の多さには圧倒させられた。私も辻先生の本はいくらか読んではいたが、それらは全体から見ればごく一部なのだと痛感させられるボリュームだった。

 12時30分になって、トークイベント会場である1階大広間への入場が開始された。
 座れないかもと言われていたので心配していたが、なんと私が椅子に座れた最後の一人だった。合計32席+関係者席だったのだ。33番以降の人は当然立ち見だが、その後も整理券番号が呼ばれ続けて、記憶にある限りでは77番までは呼ばれていた。大広間は人でぎっしり、大混雑だった。おそらく、最終的には100人くらいにはなったのではないだろうか。あらためて、幅広い年齢層に愛されている辻真先先生のすごさを実感させられた。

 13時になって、トークイベントの第1部がスタート。この第1部は1時間15分の予定だったが、ずっと辻先生が一人でしゃべるというのではなく、用意された辻先生を描いた映像を、辻先生の前説と後説付きで鑑賞するという趣向だった。
 その映像は、2006年にNHKが制作したものだったが、テレビで観た記憶はないので、はたしてテレビ放送されたのかどうかははっきりしない。しかし、辻先生のアニメ脚本家・小説家としての歩みが1時間程でよくまとめられた内容だった。
 驚いたのは、アニメ(実写との合成)で登場したキャラクター・サブタン(手塚治虫『ふしぎな少年』の主人公)の声を、清水マリさんが演じていたことだ。2006年と言えば、清水さんがアトムの声を演じなかった『ASTRO BOY 鉄腕アトム』よりさらに後だ。この時期の清水さんにこういうお仕事があったとは、全然知らなかった。
 なお、この映像では辻先生が関わったアニメが多数紹介されたのだが、中でもいちばん大きく取り上げられたのは、『サイボーグ009 [第1作]』第16話「太平洋の亡霊」だった。昔から名作と名高いエピソードだが、辻先生によるとコミカライズが予定されているのだそうで、これは楽しみだ。

 そして、15分の休憩を挟んで第2部が開始された。こちらは、名古屋在住の作家・太田忠司先生との対談形式。主に、最近の名古屋について詳しく知らない辻先生からの質問に対して、太田先生が解説するという形で進んだ。
 第2部のタイトルは「辻真先×ミステリ×名古屋」だったので、辻作品の名古屋絡みの部分の話題がメインになるかと思っていたのだが、実際には、これまででの名古屋と、これから名古屋がどうなっていくか、名古屋人はどうあるべきかといった話が多くなっていた。もちろん、『たかが殺人じゃないか』など、辻先生のミステリの話題もあったのだが。
 個人的にも、名古屋には長く住んでいただけに、頷けることも多くて興味深い内容ではあった。

 最後に、質疑応答があったのだが、「今、アニメは何を観ていますか」との問いに、辻先生は「(葬送の)フリーレン!」と即答。他にも、その後の話の流れで『戦国妖狐』『ダンジョン飯』『薬屋のひとりごと』『僕の心のヤバイやつ』などのタイトルがあげられた。
 『戦国妖狐』について触れた時には、「水上(悟志)さんの作品はアニメ化が難しいのだけど、前にやった『惑星のさみだれ』はひどかった」と、手厳しい一言もあった。『ダンジョン飯』については、「自分が書いたら、もっと面白くなる」とのこと。

 ここまででトークショーは終わったが、その後は当日販売していた辻先生の同人誌を対象としたサイン会が行われた。
 ただし、この同人誌が早々と完売してしまったせいか、それ以外でも辻先生の著作ならOKと言うことになったので、私も図々しくも持参していた『戯作・誕生殺人事件』の単行本にサインをしていただいた。
 辻先生のサインは、以前にコミックマーケット会場で一度同人誌にしていただいたことがあるので、今回で2冊目と言うことになった。

 といった感じで、非常に濃密なイベントだった。あらためて、辻真先先生、ありがとうございました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ポプラ社版『乱歩』『ルパン』そして『ホームズ』

 先日、作品社より山中峯太郎訳著による『名探偵ホームズ全集』第1巻が発売された。





 これは、かつてポプラ社から発売されていた、いわゆる『山中版ホームズ』を平山雄一氏の註付きで復刻したもので、第1巻には原本の7冊分が収録されている。そう、あの昔懐かしいホームズなのだ…と言いたいところだが、個人的には子供の頃に『山中版ホームズ』を読んだことはなかったので、特に懐かしくはない。
 しかし、ポプラ社から出た子供向けのミステリとなると、『少年探偵 江戸川乱歩全集』と『怪盗ルパン全集』の二つのシリーズは非常に愛読した。これらと並び称される『山中版ホームズ』のことは、前々から気になっていたので、今回の復刻版を買うことにしたのだ。


 そもそも、私が初めて読んだミステリは、忘れもしない小学生の時。学校図書館に置いてあった『少年探偵 江戸川乱歩全集』の「透明怪人」だった。懐中電灯の光に浮かび上がる怪しい顔が描かれた表紙絵と、「透明怪人」という不思議なタイトルに惹かれて読んだのを、今でもよく覚えている。
 最初は、ミステリではなくSFと思っていた気もする。つまり、透明怪人は本物の透明人間だと思って読み始めたのだ。しかし、実際に読んでみると透明怪人の正体は怪人二十面相であり、透明にもトリックがあるというもの。子供向けとは言え、この作品できっちりと論理に基づいて謎が解かれる面白さを味わったのだった。

 それから、このシリーズが気に入って、図書館に並んでいた『少年探偵 江戸川乱歩全集』を次々と読んでいった。
 すると、読み進むにつれて不思議に思うことがあった。シリーズ前半の巻は「ですます」調の文で書かれており少年探偵団の活躍が描かれているが、後半の巻になると「~だ。~である」調になって、殺人など残酷な犯罪が描かれるようになっていたのだ。
 後になって、このシリーズの第27巻「黄金仮面」以降は、乱歩の大人向け作品を別の作家が子供向けにリライトしたものだと知って納得したわけだが、小学生当時はそんなことは知らないから、一体なぜ巻によってこんなに作風が違うのかと、首をひねったものだった。
 ただ、個人的な好みとしては、シリーズ前半より後半の大人向け作品リライト版の方が特に好きだった。何というか、大人の世界を垣間見たような気分を味わっていたのだ。子供向けに直されているとは言え、基本的な筋は同じなので、「三角館の恐怖」で本格推理の面白さを、「影男」で地下の秘密の国の妖しさを、そして「恐怖の魔人王」ではめちゃくちゃに破綻した作品故の歪んだ面白さを味わったのだった。
 とは言え、本来は明智小五郎の出ない作品にまで明智を登場させたために、話に無理の生じた「大暗室」や「赤い妖虫」などの珍作もあったが。

 現在でもポプラ社から『少年探偵 江戸川乱歩全集』は刊行されているが、全26巻となり、第27巻以降の作品は省かれてしまっている。
 おそらく、あまりに残酷な殺人が描かれているのと、現在では差別的と言われる言葉が頻出するためなのだろうが、実に残念だ。仕方がないので、私は古本屋で旧版の第27巻以降を見つけたら、保護するようにしている。今はまだ9冊しか手に入れていないが、いずれは全21冊を揃えたい。さらには、前半の巻も可能な限り手に入れたいものだ。





 私が小学生の時に読んだのは、『少年探偵 江戸川乱歩全集』だけではない。南洋一郎・文による『怪盗ルパン全集』も、同様に愛読した。『少年探偵 江戸川乱歩全集』とはひと味もふた味も違う、怪盗と言いつつ正義の味方なルパンの冒険に熱中したものだ。
 こちらも、現在でもポプラ社から刊行されているが、やはり私が愛読した全30巻のシリーズではなく、10冊も減って全20巻となってしまっている。ルブランの短編を元に南洋一郎が書き下ろしたらしい「ピラミッドの秘密」や、ボワロー=ナルスジャックがアルセーヌ・ルパン名義で出した第26巻~第30巻の作品などは、今では容易に読むことが出来ないのだ。実にもったいないと言わざるを得ない。

 ただ、今でもポプラ社から刊行されている点で、『乱歩』『ルパン』は、まだ恵まれている。
 これらに対して、『山中版ホームズ』は、昭和50年代を最後に絶版になったままだったのだ。少なくとも、私が小学生時代を過ごした昭和60年前後の学校図書館には、すでに置いていなかった。あれば、『乱歩』『ルパン』と一緒に愛読していたはずだ。
 そんなわけで、今まで『山中版ホームズ』は未読だった。興味はあったが、古書価も高騰しており、おいそれと集められるものではなかった。だから、今回の復刻版刊行は非常にありがたい。挿絵がないなどの問題はあるが、それでも独特の味のある文章を読めて非常にうれしい。まだ少ししか読んでいないが、ホームズの「フッフッフー」には独特のリズム感があるし、「~ですよ」としゃべるレストレード警部は何となく可愛らしくていい。原典のホームズとはひと味もふた味も違う面白さがあると言えるだろう。今後、読み進めるのが楽しみだ。

 それにしても、全3巻が毎月刊行ではなくて助かった。毎月7000円はちょっときつい。まあ、せっかく第1巻を買ったのだから、2巻・3巻も買いますよ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

綾辻行人『奇面館の殺人』感想

 あけまして、おめでとうございます。ご挨拶が遅くなりましたが、本年も当ブログをよろしくお願いします。


 新年最初の話題は、綾辻行人『奇面館の殺人』(講談社ノベルス)の感想。前作『びっくり館の殺人』以来、実に6年ぶりの「館シリーズ」新作だ。名古屋でも、昨日ようやく店頭に並び、無事に購入することが出来た。その後、帰宅してから一気に読み続けて、本日昼前には読了した。ページ数にして2段組・約400ページでそれなりのボリュームだが、気にせず作品世界に没入することができた。
 ミステリはそれなりに読んでいるが、こういう感覚を味わえる作品は、そうは多くない。その意味で「館シリーズ」は、私にとって特別な作品群だ。そんなシリーズの最新作がついに出たのだから、ゆっくり読めと言う方が無理な注文だ。

 とりあえず、一読しての感想は、「なるほど、こうきたか」と言ったところ。まだ発売から間もないので、ここでは具体的な内容について踏み込んだ記述は可能な限り書かないでおくが、重要なアイテムである「仮面」の使い方については、よかったと思う。登場人物みんなが仮面を付けているという設定を聞いて、誰もが思いつくのは、顔が隠されていることを利用した「入れ替わり」だろう。本作では「同一性の問題」として論じられているが、実のところ、犯人は…。

 ここでは、これ以上は書くまい。久々の「館シリーズ」、十分に楽しめた。綾辻作品でお馴染みの○○トリックももちろんあり、ちゃんと「驚き」を味わうことが出来た。綾辻作品には「気持ちよく騙される」快感を求めているので、その点では満足だ。館の主人・影山逸史のキャラクターについては、もう少し踏み込んで描いたら、もっと面白くなったのではと思わないでもないが、それを過剰に行うと『暗黒館の殺人』の二の舞にもなりかねない。今回は、作品の分量はちょうどいいところに収まったと思う。
 ただ、『十角館の殺人』初読時のレベルでの驚きがあったかとなると、あれには及ばないと言うのが正直な感想だ。長年、綾辻作品を読んでいると、○○トリックに対して身構えて読むから、その分どうしても「驚き」は弱くなってしまう。
 思いかえすと、『十角館の殺人』は、中学生になってミステリから離れていた頃、母の本をたまたま読んで、はまってしまったのだった。あの頃は若かったので一晩で一気に読んで、見事なまでに騙されてしまい、結末近くのあの「一言」には大きな衝撃を受けた。私が、新本格作品を主としてミステリを本格的に読むようになったのは、『十角館の殺人』のおかげと言っていい。
 その後、「館シリーズ」は、ほぼ刊行順に読んで、追い続けてきた。『水車館の殺人』『迷路館の殺人』『人形館の殺人』『時計館の殺人』『黒猫館の殺人』と、それぞれトリックの中身は異なるが、どれもみな私に「驚き」を与えてくれた作品群だ。

 『黒猫館』の次は『暗黒館の殺人』だが、これは残念な作品だった。感想については発売当時に書いているので、そちらをご覧いただきたい。今更だが、『暗黒館の殺人』は、作品の長さに対して「驚き」が弱かった。気合いを入れて「暗黒館」内部の世界を描き込んでいるのはわかっても、話が先に進まない事に対する苛立ちの方が大きくなって、結末まで読んでも「なんだ、そんなオチか」と思ってしまった。
 そして、その次は『びっくり館の殺人』。唯一、初刊が講談社ノベルスでなく「ミステリーランド」だった作品だが、これは話が短いのはともかくとして、「驚き」が過去作と比べて一番弱く感じて、その点では『暗黒館』よりも更に残念だった。伏線めいた描写がいくつか放置気味なのも気になった。
 この二作を読んで、もう「館シリーズ」はダメなのかと思った時期もあった。それだけに、今回の『奇面館の殺人』が、原点回帰した感じで楽しめたのは嬉しかった。


 『奇面館の殺人』の名前は、かなり前から予告されていたが、現時点で次の「館」がどんなものになるのかはわからない。次はシリーズ完結作となるだけに、凝りに凝った「館」を期待したい。今度は、三年くらいで出たらいいなあ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「暗黒館の殺人」読了

 月曜日、朝起きたら右肩が少し痛かった。寝違えたか?と思い、気にせずにいたが、時が経つにつれて、どんどん痛みが増していく。最終的には、少し体の姿勢を変える程度の事も、つらくてできなくなったくらいだ。何がどうなってこんな事になったのか、さっぱり分からなかったが、仕方がないので昨日は病院に行って来た。どうやら、筋肉が腫れているらしい。もしかして、骨に異常が起きたのかと心配していたのだが、そうではなかったので、少し安心した。
 しかし、だからといってすぐに快方に向かうものでもない。結局、昨日・今日と会社を休んでしまった。現在これを書いているのは22日の22時過ぎだが、ようやく、ほぼ痛みが気にならなくなった。
 それにしても、昨日行ってきた某病院は、予約制のところに無理矢理入れてもらったため、かなり待たされてしまった。おかげで、400ページほど残っていた「暗黒館の殺人」を、読了してしまった。と、言う訳で、前置きが長くなったが、以下「暗黒館の殺人」の感想を書く。ネタばれもあるのでご注意をお願いしたい。


 感想を一言で言うと「微妙」。私が綾辻作品全般に求めているものは「結末の驚き」であり、もっと言えば「叙述トリックをどうしかけてくるか」を楽しみにしているのだが、今回は「視点」の問題についてしつこいほど何度も書かれていたことと、主人公(に相当する人物)の本名を徹底的に伏せていた&幾人かの登場人物について名字しか出していなかったせいで、「○○が異なる」と言うメイントリックが途中で読めてしまい、「驚き」を味わえなかった。
 また、久々の「館」シリーズ新作と言うことで、ガチガチの本格を期待していたのだが、どちらかというと殺人事件はおまけのような感じで、オカルト方面の描写が主になっていたことも残念。あとは、やはり「長すぎた」という印象がぬぐえない。著者の言葉では「無駄に長い訳ではない」と言っているが、どう考えてもいらない部分は多々あったと思う。例えば、美鳥&美魚の双子や、小田切鶴子、宍戸要作などのキャラはいなくても話に影響はなかったと思う。特に、双子については多く登場して入念に描写されていただけに、結局出てきただけのキャラだったのには拍子抜けである。
 結局、本作では「暗黒館」という館そのものは目立たず、異形の一族「浦登家」の描写に力が注がれすぎたために、ミステリとしてもホラーとして中途半端な作品になってしまったのだと思う。長年待ち続けた「館」シリーズの新作であっただけに、実に残念だ。まだ「館」新作の構想はあるようだが、次はぜひ「ミステリ」と呼べる作品を読みたい。はたして、次回作がいつになるのかも現時点では分からないが。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )