安孫子先生のお墓参りに氷見へ

 5月3日から5日まで、連休を利用して藤子不二雄両先生のふるさと・高岡と氷見へ行ってきた。
 昨年のこの時期にも行っているので、約一年ぶりの訪問だ。

 3日は、10時42分発の特急サンダーバードに乗って金沢経由で新高岡へ。本当は、もう少し早い時間に出かけたかったのだが、席が取れなかった。やはり、ゴールデンウィークの列車は競争率が高い。
 新高岡を経て、バスで高岡駅前に着いたのが14時前。やはり、けっこう時間がかかる。

 この日は、まず藤子・F・不二雄ふるさとギャラリーへ。ここでは、企画展「ピンチ・トラブル・ハプニング!!」をやっていた。ふるさとギャラリーは藤子・F・不二雄ミュージアムに比べると規模の小さい施設だが、ここでしか見られない原画があるので、訪れる意味は大いにある。今回の展示では『ドラえもん』の「七時に何かが起きる」の原画などが展示されていた。
 また、前回の訪問ですでに見てはいるが、子供時代の習作「妖怪島」などもまた見てきた。藤本先生の中学生時代の作品とあって、色々とやりたい放題で興味深い。
 さらに、ふるさとギャラリーでは藤子・F・不二雄ミュージアムのFシアターで公開された作品が遅れて流されているが、今回はまだ観ていなかった「ウメ星デンカ&ドラえもん パンパロパンのスッパッパ!」を観ることができたので、運がよかった。この作品、デンカ達や中村家は出てくるものの太郎くんは登場せず、代わりにドラえもんが常識的なことを言う役になっているのが面白い。
 ふるさとギャラリーを出たあとは、かなり久しぶりに高岡古城公園へ。特に目新しいものはないが、絵筆塔など藤子先生ゆかりの場所を訪れ、その雰囲気を楽しんだ。

 4日は、氷見線に乗って氷見へ。
 ここでの最大の目的は、昨年亡くなられた藤子不二雄A先生のお墓参りだ。他に、まんがロードに新たに設置されたモニュメントも目当ての一つだった。
 氷見駅に降り立ち、まんがロードを通って光禅寺へ。その途中で、新たに設置された「黒ベエ」「ウルトラB」「ビリ犬」「パラソルヘンべえ」のモニュメントを発見した。特に「黒ベエ」は「黒ベエのシャドウ・サプライズ」という一風変わった形になっており、面白かった。ただ、この新設置の4体のうち、「黒ベエ」だけはアニメ化されておらず(厳密に言えば、キャラを喪黒福造に入れ替えて『笑ゥせぇるすまん』でアニメ化されているが)、知名度的には厳しいのではないかと思うが。実際、地元氷見の人でもどれくらいが「黒ベエ」を知っているのだろうか。


















 そして、光禅寺で藤子不二雄A先生のお墓参り。
 実は、お墓の場所を知らずに行ったのだが、それほど大きな墓場ではないので、すぐに見つかるのではないかと思っていた。しかし、意に反してなかなか見つからず、ほぼ墓場の隅から隅まで見回ることになってしまった。
 そうして、やっと安孫子先生のお墓を発見したので、無事にお参りすることができた。ここのお墓は「○○家」と大きく書かれているものが多いのだが、安孫子先生のお墓はそうではなく、手がかりは横に書かれている「平成四年三月建立 安孫子素雄」の文字だけ。そのため、余計に探すのに時間がかかってしまった。





 安孫子先生のお墓に手を合わせて、胸に去来するものが色々とあった。安孫子先生のお墓は光禅寺にあると聞いてから、一度お参りしなければと思っていたが、亡くなられてから約一年一ヵ月で、やっとそれを果たすことができた。

 この日は他に、氷見市潮風ギャラリーなどを訪れた。ここも特に目新しい展示などはなかったが、ちょっと気になったのは2階の「まんが図書館」に、いくつか本が追加されていた(と、思う)こと。中公コミック・スーリの『笑ゥせぇるすまん』帯付き初版などは、前になかったはずだ。誰かが寄贈でもしたのだろうか。
 昼は、氷見漁港の魚市場食堂で食べようと思ったのだが、11時過ぎに行ってみると「8時間待ち」の文字が。いくら連休とは言え、混みすぎだ。結局、少し離れた氷見市漁業文化交流センターにある姉妹店の岸壁食堂へ行って食べた。こちらも、私が行った頃はまだよかったが、その後激しく混んできたので連休恐るべしだ。
 夜になり、時間に余裕があったので、高岡に戻って鉄道で富山まで足を伸ばした。
 以前に富山で訪れた、まるで秘密基地のようなブックオフ富山山室店が閉店して、その後継店が富山駅前に出店したというので、ちょっと気になっていたのだ。
 その店はブックオフマリエとやま店で、富山駅前の商業ビル「マリエとやま」の5階に店を出している。正直なところ普通のブックオフという感じで、特に面白味はなかった。以前の店と比べて、富山駅からすぐなので行きやすくなった点は、評価できるか。





 5日は、高岡市立中央図書館へ。
 ここは、『ドラえもん』ほぼ全話の初出誌コピーが揃っているので、初出誌に準ずるものとして初出データを調査してきた。と言っても、とにかく話数が多いので、けっこう疲れる。1時間を過ぎたところでこの日は終了した。やろうと思えばまだやれたのだが、『小学三年生』掲載分の製本にミスがあるようだったので、それをあらためて確認する必要もあったためだ。
 バスで新高岡へと向かい、11時32分出発の北陸新幹線に乗って大阪へ。あとは帰宅するだけと思って列車内でのんびりしていたのだが、京都を過ぎるか過ぎないかのところでradikoを聴いていたら「緊急地震速報」が鳴って、びっくりした。聞くと、石川県能登地方で最大震度6の地震とのこと。言うまでもなく、先ほどまでいた富山県の隣の県で、鉄道で通ってきたばかりのところだ。もし、もう少し新高岡を出る時間が遅ければ、鉄道の運転取りやめが発生していたかもしれない。それを考えると、タイミングがよかった。

 ともかく、地震による影響は私にはなかったので、無事に帰宅することができた。
 三日間の遠征でさすがに疲れたが、楽しかった。安孫子先生のお墓参りを済ませることができたのもよかった。またいつか高岡・氷見へは行こう。
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SF短編原画展第2期とまんが道展

 2月18日から19日にかけて、関東方面に遠征してきた。

 いろいろなところを訪れたが、最初に行ったのは藤子・F・不二雄ミュージアムだ。「藤子・F・不二雄のSF短編原画展」の第2期展示が始まったので、さっそく鑑賞してきた。
 今回、展示されていた原画は、

 「ミノタウロスの皿」
 「箱船はいっぱい」
 「ヒョンヒョロ」
 「旅人還る」
 「定年退食」
 「鉄人をひろったよ」
 「街がいた!!」
 「宇宙からのオトシダマ」
 「絶滅の島」(単行本版)
 「征地球論」

で、他に最終ページの描き直しの例として、「定年退食」「ノスタル爺」、さらに『ドラえもん』から「のろいのカメラ」「あべこべ惑星」も展示されていた。
 「ミノタウロスの皿」は第1期でも展示されていたが、藤子SF短編の第1作として重要作品という位置づけなのだろうか。
 今回、個人的に注目したのは「旅人還る」で、あのインパクト大の見開き2ページの原画はどうなっているかだったのだが…これに関しては、あえてここでは言うまい。本当に2ページ真っ黒なのか、それとも色指定だけで原稿は存在しないのか。長年の謎だったが、はたして。ご自分の目で確かめて下さい。
 「ヒョンヒョロ」の原画は、掲載誌『SFマガジン』のサイズに合わせたそうで、他の原画より少し小さい。漫画の原稿は雑誌のサイズにかかわらず同じなのかと思っていたので、ちょっと意外だ。
 なお、SF短編原画展については、2月22日より期間限定で原画の撮影がOKになった。ちょっとだけ訪れるのが早かったので、当たり前だが今回写真は撮影できていない。これについては、残念だ。関東に住んでいれば、気軽に行けるのだが。

 そして、Fシアターでは新作短編アニメ「ドラえもん&SF短編 宇宙からのオトシダマ」を鑑賞。
 Fシアターの短編映画は、どの作品を原作にしていてもドラえもんとのび太を登場させるようになっており、これに関しては賛否両論あると思うが、個人的には原作への忠実度は気にしないで、いったいどのようにして別作品に無理なくドラとのび太を出すのか、そのアレンジの妙を楽しむことにしている。
 今作に関して言えば、ドラえもんの道具を使えばタマゴンは簡単に宇宙に戻れるわけで、そこをどうするかが注目点だったが、ちょっと無理しているかなという感じだった。結局、ドラえもんの道具は使う形になっているわけだし。
 しかし、ラストの展開が妙にスケールがでかくて、納得せざるを得なかった感はある。なにはともあれ、SF短編がアニメ化されたのだから、画期的でめでたいことだ。登場人物は原作と全然違うが。

 翌日は、トキワ荘マンガミュージアムにて開催中の「藤子不二雄Aのまんが道展」に行ってきた。
 『まんが道』は藤子A先生の代表作のひとつであり、自伝的作品として「トキワ荘」も登場するのだから、トキワ荘マンガミュージアムでの開催はまさにベストマッチングと言えよう。
 その中身は、『まんが道』の原画展示や、二人の出会いからトキワ荘への入居までを描いた「まんが道」すごろく、A先生が撮影された貴重な写真の展示など。











 また、「鉄拳の怒り」などの初期作品の原稿が展示されていて、おおっと思ったものの、よくよく説明書きを読むと「『まんが道』の原稿から複製」したものだった。やはり、初期作品の原稿は、ろくに残っていないのだろう。ちょっと残念だった。
 売店では、『まんが道』グッズも売られており、どれを買うか悩んだが、今回はマグカップとポストカード、それにフラットポーチを購入した。
 藤子・F・不二雄ミュージアムで売られているSF短編グッズにも言えることだが、こうした作品のグッズが手に入る現状は非常に恵まれているので、買えるときに買っておくべきだろう。あとから、「やっぱり、ほしかった」と思っても遅いとなりそうなので。

 この二日間、藤子両先生に関する展覧会を鑑賞することができて、非常に充実していた。
 なお、18日夜には「デリシャスパーティプリキュア 感謝祭」に参加して、19日の午後には「ヤマノススメ Next Summit展 in AKIHABARA」にも行ってきた。
 これらも見どころ満載だったが、今回の記事では詳細は割愛させていただく。また、その気になったら別記事を立ち上げるかもしれない。
 ともかく、非常に楽しい二日間だった。
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FミュージアムでSF短編の原画を鑑賞

 9月3日から約2ヶ月ぶりに、10月29日に藤子・F・不二雄ミュージアムへ行ってきた。
 目的はもちろん、始まったばかりの「藤子・F・不二雄のSF短編原画展」だ。

 藤子ファンにとってはSF短編は説明不要の名作揃いだが、このミュージアムでは開館してからの11年間、ほぼドラえもんをメインとした展示を行っていた。正直、ドラえもん以外の作品メインの展示は半ば諦めていたところなのだが、そこへ来ての「SF短編原画展」だ。これは、鑑賞しないわけにはいかない。





 基本、原画の撮影は禁止だが、今回の展示は入り口部分のみ撮影可だった。撮ってもどうって事ないような気もするが。
 ともかく、「ミノタウロスの皿」から始まって、「ドジ田ドジ郎の幸運」「じじぬき」「流血鬼」「ベソとこたつと宇宙船」「イヤなイヤなイヤな奴」「値踏みカメラ」「四畳半SL旅行」などなど、SF短編の名作の数々の原画が展示されており、すっかり見入ってしまった。
 そして、今回の展示でも『ドラえもん』関連がないわけではなく、「神さまごっこ」など、SF短編とタイトルが共通するエピソードなどが紹介されていた。
 どの作品も原画は素晴らしいが、そんななかで「イヤなイヤなイヤな奴」は原稿の上部に手書きで「いやな奴」(ページによっては「イヤな奴」)と書かれており、なんだか妙におかしかった。冷静に考えれば、単にタイトルを短縮して書いただけなんだろうけど。なお、この字が藤本先生の手によるものかどうかは不明。と言うか、さすがにそこまでは解説されていない。
 解説と言えば、展示の説明でおなじみの「おはなしデンワ」が、今回の展示より自分自身のスマホからアクセスして使うタイプに変わっていた。やはり、感染対策の一環なのだろう。

 なお、今回は展示を観る前に、真っ先にミュージアムショップに行って、「『ミノタウロスの皿』の皿」を購入した。
 作品の内容を考えれば、ある意味では非常に悪趣味なグッズではあるが、SF短編のこういうグッズが出ること自体が非常にレアなので、購入しない選択肢はなかった。意外とサイズは小さいが、買えてよかった。





 といった感じで、なかなか収穫の多いミュージアム訪問であった。まだまだSF短編の名作は多いので、展示の入れかえも楽しみだ。「老年期の終り」の原画はぜひ観たい。
 そして、SF短編原画展が終わった後も、ドラえもん以外の作品を中心にした展示をまたやって欲しい。個人的には初期作品にもスポットをあてて欲しいが、原画が残っていない作品が多いから、難しそうだな。
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藤子不二雄A先生追悼で氷見へ

 5月3日、急に思いたって藤子不二雄A先生の出身地である富山県氷見市に行ってきた。

 この日に、特に氷見で何かイベントがあったわけではない。しかし、何となくいてもたってもいられない気分だったのだ。
 藤子不二雄A先生が亡くなられて、今の氷見はどうなっているのか、それを自分の目で確かめたいという気持ちが強かった。そのため氷見に行くには、ゴールデンウィークで連休になるこの時期をおいて他にないと、そう思ったのだ。

 当日、8時40分大阪発の特急サンダーバードに乗って出発し、金沢で新幹線つるぎに乗り換えて、11時41分に新高岡に着いた。大阪からでだいたい3時間で着くことになる。
 ただし、まだ新高岡であって氷見ではない。新高岡から氷見に行くために、いくつかのルートが考えられたが、今回は氷見市内まで行くバスを選択した。このバスに揺られること約1時間で、ようやく「氷見中央」バス停までたどり着いたのだった。自宅を出たのが7時40分くらいなので、結局氷見に着くまでに5時間かかったことになる。近いようで遠い地だ。

 氷見に着いたら、時間が時間なのでまずは昼食をとろうと思ったが、氷見の中心部であっても意外とやっている店はあまり多くない。
 最初は、以前に行ったことのある海鮮丼の店に行こうと思ったのだが、いざ行ってみると満員で店外にも待ちの人が多数で受付を終了しており、待つことすらできなかった。まあ、行ったのが13時少し前なので、仕方がないところか。
 その後、氷見漁港の食堂に行くも、ここも、受付終了。そうなると、もう他に思いつかなかったので、ちょっと歩いたところにある道の駅に設置されている「ひみ番屋街」まで行って、フードコートで食事を取った。

 食事をして落ち着いた後は、氷見市内の藤子不二雄A先生ゆかりの地を巡った。
 昨年氷見を訪れたときの記事にも書いたが、氷見では「藤子不二雄Aまんがワールド」として藤子A先生のキャラにまつわるスポットが多数設置されている。それを今回も回ったし、光禅寺にも行った。
 特筆すべきは氷見潮風ギャラリーで、なんと入場希望者が多数訪れているため、入場規制をしていたのだ。ここには何度か来ているが、こんなことは初めてだ。やはり、潮風ギャラリーで藤子A先生を偲びたいという人が、私の他にも多くいたのだろう。実際、県外から来ている人がどれくらいいたのかはわからないが。
 なお、私が見た限りでは、潮風ギャラリーの展示に特段の変化はなく、昨年訪れたときとほぼ同じだった。夏には富山新聞に連載されていた「記者A」と連動して藤子A先生の記者時代に関する展示が予定されているとのことなので、それに合わせてA先生が亡くなられたことについても触れられるのではないだろうか。
 なお、潮風ギャラリーでは「記者A」のスクラップブックも用意されており、全88回の連載を読むことができるようになっていた。実際には、藤子A先生とほぼ関係ない回も多いので、88回分を全て読む必要はないような気もするが、とにかく「記者A」を読みたいのであれば、氷見潮風ギャラリーに行くといいだろう。

 そうして市内の藤子A先生関連スポットを回っていると、いつの間にか夕方になっていた。
 とりあえず、氷見駅まで行ってJR氷見線に乗り高岡まで戻ったが、すでに夕方であるので特に行くような場所もない。時間に余裕があれば藤子・F・不二雄ふるさとギャラリーにでもいくところだが、あいにく閉館間近の時間だった。
 とは言え、まだホテルに行くには時間が早い。結局、バスに乗って以前にも行ったことのある高岡市内のブックオフに行ってしまった。ここでは、数冊の本を購入。それはいいが、高岡駅前まで帰るバスがなくて、30分くらい歩く羽目になった。道がわかりやすかったのはよかったが。
 高岡駅まで歩く途中には、藤子両先生が本を買っていたことで有名だった文苑堂書店高岡駅前店があった。この店は3年前にすでに閉店してしまっているが、まだ店の看板も当時のまま残っている状況で、後に入る店もないという駅前商店街の厳しい状況を垣間見てしまった。

 とにもかくにも、高岡駅前まで戻り、あいの風とやま鉄道で富山市に向かった。
 実は、今回の旅行を思い立ったのが遅かったため、氷見や高岡のホテルが全く空いておらず、富山市のホテルにせざるを得なかったのだ。富山市までは鉄道で約20分なので、そんなに遠いというわけではないが、微妙に面倒なのは言うまでもない。
 昨年は6月末に氷見・高岡を訪れたので全く問題なく宿が取れたが、今回は連休中なのを甘く見ていたようだ。

 こうして氷見での一日は終わったが、翌日は高岡市立中央図書館で『ドラえもん』の初出データを調査した。
 この図書館にあるのは、あくまで「初出誌のコピー」ではあるが、カラー掲載の作品はカラーでコピーされており、ほぼ「初出誌に準ずるもの」として調べる価値はある。なお、『てれびくん』『小学二年生』の付録掲載作品については初出の付録が入手できなかったらしく、コロコロコミック再録からのコピーで間に合わせているのはちょっと残念。やはり、付録の入手は難しいのだなあ。

 今回、氷見に行ったことで、何となく気分が少しスッキリしたような気はする。
 もちろん、藤子A先生が亡くなられたことは今でも悲しいのだが、氷見の様子を自分で見たことで、少し気分が整理できたような、そんな感じだ。
 次に氷見・高岡に行くのがいつになるかはわからないが、次は楽しいイベント絡みだったらいいなあ。久しぶりに、藤子ファン仲間と一緒での氷見・高岡旅行もしてみたい。
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藤子不二雄A先生、ありがとうございました

 4月7日に、藤子不二雄A先生(「A」は正しくは丸の中にAだが、機種依存文字なのでここでは「A」と表記させていただく)が亡くなられた。

 ご高齢ではあるので、いつかはこう言う日が来るとは思っていた。しかし、最近A先生のご体調が悪いという話は聞いていなかったので、その日がこんなに早く訪れるとは、全くの青天の霹靂だ。
 つい先月、お誕生日を迎えられたばかりで、数日前には富山新聞の『記者A』の連載が完結して、今後もお元気でいてくださるものとばかり思っていた。

 第一報はスマホで見たのだが、それを見た瞬間は何が何だかわからなかった。悪い冗談じゃないかと思ってしまったくらいだ。しかし、それは事実だった。
 そして、どうしようもない喪失感が私の心を覆ってしまった。私が生まれてから、ずっとA先生はお元気で活躍されてきたのだ。A先生がおられない世界というのは、想像以上に寂しいものだとわかった。
 もちろん、A先生は漫画家なので、ご本人が亡くなっても作品は残る。そして、これからも読み継がれていくのなら、A先生は永遠に生き続けるといってもいいだろう。しかし、それでもやはりA先生がもうこの世におられないというのは、どうしようもなく残念なことだ。

 思い返せば、私がはじめて藤子不二雄A先生の作品に触れたのは、いつだっただろうか。
 コンビの「藤子不二雄」としての合作を含めるならば、4歳頃に読んだてんとう虫コミックスの『オバケのQ太郎』第1巻が最初だと思う。A先生単独作としては、おそらく1980年にシンエイ動画版テレビアニメがスタートした『怪物くん』だろう。
 前年にシンエイ動画版『ドラえもん』がスタートして、いわゆる「藤子不二雄ブーム」が巻き起ころうとしていたときに『ドラえもん』に続くアニメ化作品として選ばれたのがA先生の『怪物くん』であり、私も怪物くんと多彩なモンスターたちの巻き起こす物語には夢中になった。
 そして、次に1981年にテレビアニメ化された『忍者ハットリくん』に触れることになる。

 『怪物くん』や『忍者ハットリくん』はテレビアニメ化に合わせて漫画の新作も連載されたが、どちらかというとテレビアニメ主体で動いていたように思う。
 私が本格的にA先生の作品に夢中になるのは、11歳頃の時に『まんが道』を読んでからだ。ちょうどNHKの「銀河テレビ小説」にて『まんが道』がドラマ化された頃だったと思うが、友人が秋田書店版の『まんが道』(あすなろ編)の単行本を持っており、それを見せてもらったのが私の『まんが道』との出逢いだった。
 同時期に、「藤子不二雄のコンビ解消」というファンにとっては重大な出来事があり、そこで大部分の作品は個別に描かれていたことが明かされた。私自身は、藤子作品に2種類の作風があることは何となく気がついていた程度で、コンビ解消となってようやく「この作品はA先生の担当だったのか」とはっきりわかったのだった。

 その後、中学生になって藤子不二雄ランドを集めるようになり、A作品・F作品を問わずに色々と読んでいくのだが、A作品では『まんが道』や『プロゴルファー猿』といった長編に特に引き込まれた。
 また、中学生の時はTBSの『ギミア・ぶれいく』内にてアニメ『藤子不二雄Aの笑ゥせぇるすまん』がスタートして一大ブームとなり、私もそれをきっかけに原作を読んだのだった。そして、A先生のブラックユーモア短編にも強く惹かれて、中央公論社から出た愛蔵版の『藤子不二雄Aブラックユーモア短篇集』(全3巻)は何度も何度も愛読することになった。
 他に、特に好きな作品を挙げるとするならば、『黒ベエ』『仮面太郎』『ビリ犬(『ぼくら』版)』などが思いつく。

 その後も、色々な藤子不二雄A作品に触れてきたが、あまり詳しく書いてもしつこいので、この辺にしておく。
 とにかく、A先生の作品の数々は、私の成長と共にあり、私は人生の大部分を藤子不二雄A作品と共に過ごしてきたのだ。

 私は人生の半分以上を名古屋で過ごしていたが、大人になってからはしばしば遠出で東京や高岡・氷見に遊びに行くようになり、そこで何度かA先生のお姿を拝見したり、お話しすることができたのは、非常に幸せな時間だった。
 直接お話しできたのは三度ほどで、そのうち2回はサイン会でサインをいただくときだが、あと一回は藤子ファン有志が高岡・氷見に旅行したときに、A先生と一緒に生家の光禅寺を訪れて、そこでお話しする機会があったのだ。
 この氷見旅行がいつのものだったか、当ブログの過去記事などを確認して調べたのだが、はっきりしなかった。21世紀になってからなのは、間違いないと思うのだが。一時期は毎年のように高岡や氷見で藤子ファンの集まりがあったものだった。
 なお、サイン会についてはこちらこちらで記事にしている。

 私は、物心ついたときはもう藤子ファンだったし、これからもずっとそうだろう。
 藤子不二雄A先生の作品は、一部の入手困難なものを除けば、電子書籍を含めて何らかの形で読めるようにはなっている。これからも、ずっと藤子A作品が読み継がれていって欲しい。
 もちろん、ファンとしてはいつかは完全な「藤子不二雄A全集」が刊行されることを望みたいが、まずは今あるものが読まれることが何よりだと思う。

 藤子不二雄A先生、これまで本当にありがとうございました。そして、これからも残された作品で楽しませていただきます。
 最後に、藤子不二雄A先生のご冥福を、心よりお祈りいたします。



(4/17 追記)

 本文中で、氷見でA先生と光禅寺へ行ったのがいつだったかはっきりしないと書いたが、その後ある方よりご指摘があり、2002年に「藤子不二雄Aまんが原画展」が開催されたときのことだと判明した。
 現在は公開していない過去のウェブ日記で、ちゃんとその時の興奮を書いていたのだ。せっかくなので、その部分をここに引用しておく。


(前略)
 同じく13時前にはA先生もご到着して、開会式。続いて「ひみキトキトまんが道大賞コンテスト」の表彰式を挟んで、A先生が「用心棒」を描くにあたって取材されたという黒澤雄太氏の剣技の実演があった。そして、その後は知人達と共にA先生の生家「光禅寺」にお邪魔させていただいた。光禅寺には、以前に藤子MLの高岡オフ会でも一度訪れているが、その時と大きく異なるのは、今回はA先生がいらっしゃるという点である。前回は中に上がらせていただいただけで感激だったが、今回はそれに加えてA先生と直接お話しをすることが出来たのだ。もう言葉に出来ないほどの大感激である。A先生のお話は、一つ一つがとても面白く、思わず聞き入ってしまった。ここで内容を書くわけには行かないのが残念だが、誰も知らなかったような興味深いお話をたくさんお聞きすることが出来て、気が付いたら1時間以上も経っていた。時間を忘れるとは、まさにこういう事だろう。
(後略)
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国際児童文学館で『ドラえもん』調査

 昨年12月に「「ドラちゃんのおへや」今後の方針」で宣言したように、昨年末から『ドラえもん』の初出誌調査を開始している。
 とりあえず、大阪府の国際児童文学館で、調査できる範囲のものは調査してしまい、そこで調べられなかったものは他の図書館を当たるという計画を立てている。そこで、今回は国際児童文学館での調査について書いてみる。

 まず、国際児童文学館は東大阪市の大阪府立中央図書館内にある。以前は、万博記念公園内に独立して存在していたのだが、大阪府の方針の変更により中央図書館に統合された形だ。
 この図書館の最寄り駅は近鉄の荒本駅だが、梅田方面から地下鉄に乗ると一駅だけ近鉄に乗ることになって料金が割高(一気に200円上がる)なので、私のようにせこい人は一駅前の長田駅で降りて、少し歩くのがお勧めだ。長田駅からでも、15分くらい歩けば図書館に到着できる。

 国際児童文学館を利用するにあたって、漫画雑誌を閲覧したい場合は一つ注意点がある。それは、前日までに閲覧予約を申し込んでおかなければいけないと言うことだ。これを忘れて、当日に行って頼んでも出してもらえない。幸い、ウェブから簡単に閲覧予約ができるので、目当ての雑誌をきちんと申し込んでおけばいい。
 ただし、小学館の学年別学習雑誌(いわゆる「学年誌」)は分類上は「漫画雑誌」ではないので、これにはあてはまらない。学年誌はいくらでも当日に頼んで出してもらえるので、『ドラえもん』を調べるにあたってはあまり関係がない。これは、『ドラえもん』以外の藤子・F・不二雄作品にもあてはまるのは言うまでもない。
 学年誌以外の、たとえば藤子不二雄A先生の『狂人軍』をぜひ読みたいというような場合は、前もって少年チャンピオンを予約しておかなければならないわけだ。

 実際に閲覧する場合、貸出は1回に15冊までという制限がある。この冊数であれば「『小学一年生』1983年10月号から1986年8月号まで」などと大ざっぱに頼んでも、一気に出してきて順番に15冊ずつ見せてくれる。あくまで、一度に手元に置けるのが15冊なのだ。
 閲覧した雑誌は、著作権法上で認められる範囲でコピーもできる。これは一度に何冊までできるのかわからないが、一枚の複写申込用紙には6冊分しか記入欄がないので、このくらいにしておくべきだろう。どうせ、大量に頼んでもできあがるまでに時間がかかるので、その間は動きが取れなくなる。
 複写は国際児童文学館内ではなく中央図書館の2階にある複写カウンターで、できあがったものを受け取る形だ。そこで、料金も支払う。カラーは1枚80円でモノクロは1枚25円だ。
 1980年代の『小学一年生』に掲載された『ドラえもん』は、1話あたり7ページでカラー掲載が基本となっている。7ページなら見開きで4枚となるので、カラーコピーの場合は1話あたり320円となる。『ドラえもん』の初出誌は全てコピーできればいちばんいいのだが、1話320円はけっこう金銭的にきつい。だから、『ドラえもんカラー作品集』にカラーで収録されている話はとりあえず置いておいて、てんとう虫コミックスにモノクロでしか収録されていない話を優先的にコピーするようにしている。
 よって、『ドラえもんカラー作品集』収録作品については、ひたすら初出データ(サブタイトル、ページ数、色数など)をチェックしてメモしている。作品自体は加筆もない(すべて藤本先生が亡くなられたあとの収録)ので、単行本で読むのとサイズ以外は変わらないから、データをリスト化できればいいのだ。

 ともかく、このようにして年末と三日前の2回、とりあえず調査を行った。両日共に昼過ぎに図書館に到着して半日滞在したが、ようやく『小学一年生』の調査を終えて『小学二年生』に入ったところだ。この調子だと、全ての学年誌掲載の『ドラえもん』を調査し終えるまで、あと何回通う必要があるのかまだ見当もつかないが、気長に行くしかないだろう。
 私の国際児童文学館での『ドラえもん』調査は、こんな感じだ。
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突発的高岡旅行2021(3)完結編

 前回の更新から間が空いてしまったが、高岡旅行のつづき。

 高岡旅行の三日目は、高岡市立中央図書館へと足を運んだ。





 ここは、藤子不二雄両先生のコーナーが作られており、藤子先生の単行本や関連本の蔵書が非常に充実している上に、資料のコーナーでは『ドラえもん』の初出版が初出誌からのコピーという形で全話揃っており、自由に閲覧することができるという藤子ファンにとっては夢のような図書館なのだ。
 藤子両先生の本が多数ある中でも、やはり藤子・F・不二雄先生の本が充実しており、藤子・F・不二雄大全集は全巻揃っているし、100年ドラえもんに至っては貸出可と館内閲覧用の2セットもある。さらに、藤子・F・不二雄大全集の全巻購入特典も置いてあり、「F NOTE」は三冊もあるので、この図書館は少なくとも大全集第1期を3セット購入していると思われる。
 100年ドラえもんに関しては、私は悩んだ末に買わなかったので、今回この図書館ではじめて読むことができた。
 中身を見ると、なるほど「現在のてんとう虫コミックス『ドラえもん』」そのまんまだ。だから、内容的に新鮮さは全くない。いや、昔のてんコミしか持っていない人からすると、現在のてんコミはトレスを排除する方向なので、原稿に差し替えられているという点で新鮮さはあるのかもしれない。
 そして、特典の「引くえもん」。これも、当然ながら初めて読んだが、なるほど評判に聞くとおりの常軌を逸した内容だ。この「濃さ」で240ページもあるのがおそろしい。さらに、奥付を見ると「第一版」と書いてあり、何らかの形で第二版以降を出す予定があるのかも気になるところだ。どうせこのような本を出すのであれば、てんコミだけを対象とするのではなく、藤子・F・不二雄大全集に収録されている全話を元にした方が、よりすごい本になりそうな気はするが、さすがに作る方が大変だろうな。
 『ドラえもん』初出版のコーナーでは、以前から気になっていた疑問点をいくつか解消することができた。たとえば、「空で遊んじゃあぶないよ」で、初出の時点で「のび太のくせに」と言っていたのかどうかとか、「はなバルーン」は初出でカラーだったのかモノクロ(薄墨)だったのか、とか。これらの調査結果は、いずれ「ドラちゃんのおへや」の方に反映させることになるだろう。

 そんな感じで、12時頃まで図書館にいて、その後は帰途の列車へと乗った。
 行きの反対で、新高岡-金沢は北陸新幹線、金沢-大阪間をサンダーバードで帰ったのだが、新高岡と金沢での列車待ち時間が合計で1時間以上あったせいもあり、13時前に高岡駅を出て、結局自宅にたどり着いたのが18時前になってしまった。ほぼ5時間かかっている。
 北陸新幹線ができて、関西方面から高岡への遠征は、かえって面倒になってしまった感はあり、そこは残念だ。とは言え、またいずれ行きたいとは思う。やはり、私にとっての高岡は、それだけ魅力のある街なのだ。

 今回の旅行は、天気が少し心配だったが、結局一日目に少し降られただけで、たいした影響はなかった。全体的に、よい旅行になったと思う。
 次の遠征はどこにしよう。行くとしたら、藤子不二雄A展が開催中の広島かな。
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突発的高岡旅行2021(2)氷見・富山編

 前回の続き。

 突発的に高岡までやってきて、二日目は氷見まで足を伸ばした。
 氷見は、言うまでもなく藤子不二雄A先生の出身地であり、高岡まで来たら氷見にも行くのは藤子ファンとしてはごく自然な行動だと思う。

 高岡から氷見まではJR氷見線で行った。ハットリくん列車を期待したのだが、残念ながら来たのは普通の列車だった。
 なにしろ、基本的には1時間に1本しか電車が走らない路線なので、ハットリくん列車待ちをするのはあまり現実的ではない。そんなわけで、仕方がなく普通の列車に乗ったのだった。

 藤子A先生の出身地である氷見では、「藤子不二雄Aまんがワールド」として、町中にA先生のキャラが見られる。
 氷見駅から商店街までの道を歩けば、ハットリくんはいるし、怪物くんファミリーもプロゴルファー猿もいる。その途中にはA先生の生家である光禅寺もあり、そこでも藤子Aキャラ4人の像が設置されているのは、9年前に訪れた時にも書いたとおりだ。まさに、藤子Aキャラだらけの町を楽しむことができるのだ。これで、『狂人軍』のキチ吉なんかがいたら最高なんだが、残念ながらそう言うマイナーキャラはさすがにいない。









 氷見駅前の商店街を歩いて行くと、氷見市潮風ギャラリーが現れる。





 ここでは、「藤子不二雄Aアートコレクション」として、1階に藤子A作品の複製原画や藤子A先生の作品リストなどの展示があり、2階にはA作品の読書コーナーや遊べるフォトスポットなどが用意されている。藤子・F・不二雄ミュージアムなどと比べると、ごく小さな規模の施設ではあるが、高岡にある藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー同様、先生の出身地にあると言うことに意味のある施設だと思う。
 この潮風ギャラリーに来たのも9年ぶりだが、展示には以前にはなかったアニメ『笑ゥせぇるすまんNEW』の制作資料(原画や設定資料など)が追加されていた。『笑ゥせぇるすまんNEW』でも氷見が登場する回があったし、富山県での放送は潮風ギャラリーがスポンサーになっていたくらいだから、つながりは大きいのだろう。
 なお、ここの2階には、氷見の人気者・ひみぼうずくんもいて、写真を撮ることもできる。読書コーナーは、残念ながら新型コロナウィルスの感染拡大を受けて、休止されている。





 その後、氷見市街を北上して、「氷見漁港場外市場 ひみ番屋街」へと到達。ここで昼食をとった。帰りは、運のいいことに怪物くんバスに乗ることができた。ハットリくん列車に乗れなかったのを取り返した気分だ。





 氷見から高岡へと戻る列車も、残念ながら普通の列車だった。
 高岡へと戻り、今度は富山市へと行った。富山市での目的地は、藤子不二雄関連のスポットではなく、BOOK OFF富山山室店だ。





 この店は、やたらと派手な店舗が一部で評判であり、どんな店なのか一度訪れてみたいと思っていたのだ。今回、ようやくその念願が叶った。中に入ってみると、さすがに普通にBOOK OFFだった。何か特徴的な陳列などがあったわけではない。
 ちなみに、店舗が大きいので、店として使っているのは1階だけだ。それでも全部回るのにはけっこう時間がかかった。

 富山市では、もう一軒BOOK OFFを回って、高岡へと戻った。
 バスや路面電車など富山市の交通事情をよく知らないので移動には歩くしかなくて、結果的にはよく歩いた。スマホの万歩計を見ると、この日は22,746歩あるいている。前日につづき、いい運動になった。

 と、言ったところで二日目はおしまい。三日目に続く。
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突発的高岡旅行2021(1)

 最近、全然旅行ができていなかった。
 もちろん、新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、不要不急の外出を控えるようにとの呼びかけがあったので、それに応えて旅行は控えていたのだ。しかし、コロナの感染が広まってから一年以上が過ぎて、もう精神的に限界に達してしまった。とにかく、どこかに行って気分転換したいという気持ちが強くなったのだ。
 そこで、6月27日から29日にかけて、高岡へと行ってきた。言うまでもなく、藤子・F・不二雄先生の出身地だ。

 このブログでも書いているが、前回高岡に旅行したのは2012年4月。今回は、実に9年ぶりの高岡旅行となった。ずいぶん久しぶりだが、高岡は魅力的な土地なので、行けるのならばもっと頻繁に行きたい。しかし、現実にはそうそう気軽には出かけられないので、9年ぶりになったという次第だ。





 そんなわけで、電車を乗り継いで高岡へとやってきた。
 わが家からだと、大阪まで出て大阪-金沢間はサンダーバード、金沢-新高岡間は北陸新幹線で行くことになる。前回、高岡を訪れた時は名古屋からだし、そもそも北陸新幹線はまだ開通していなかったので、今回初めて乗車することになった。
 新高岡まで来たら城端線で高岡まで行くのだが、今回は待ち時間が1時間近くあったので、この区間は徒歩にしてみた。地図で見るとそれほど距離がないように見えるのだが、実際歩くと結構かかる。徒歩で、30分くらいだろうか。いい運動にはなった。
 高岡駅は、工事中だった前回とはうって変わって、すっかり新しくなっていた。きれいな駅ビルだ。さすがに、9年も経つとすっかり変わるものだ。

 高岡駅では、まず路面電車・万葉線のホームへと向かった。
 目当ては、この路線で運行されているドラえもんトラムだったのだが、ちょうど私がホームについて少し経った時に、ドラえもんトラムがホームへと入ってきた。実についている。と言うわけで、高岡について早々に、ドラえもんトラムに乗ることができた。車体の外も中も、ドラえもんだらけだ。














 ドラえもんトラムを広小路で降りて、徒歩で高岡市美術館へ。目的は、ここの2階にある「藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー」だ。





 このギャラリーでは、藤子・F・不二雄先生の原画(主に複製)などの展示があり、以前から一度訪れたいと思っていた。最大の目玉は、藤本先生が14歳の時に描いたという作品「妖怪島」が複写で展示されている点で、何しろ100ページを超える全ページが展示されているので、読みごたえは十分だ。
 話は少年が謎の島に漂着して、そこで繰り広げられる冒険を描いたものだが、怪しげな中国人風の言葉(「~アルよ」など)をしゃべる人喰い人種が登場するなど、現代の視点からは考慮すべき内容を含んでいると言わざるを得ない。全ページ残っているのなら復刻出版してもいいのではと思っていたが、この内容では難しそうだ。
 なお、最後まで読むと「つづきは「続・妖怪島」を見よ」となっている。実は、これ一本で完結していないのだ。現在までに「続・妖怪島」の現存は確認されておらず、主人公の少年がどうなるのかはわからないままだ。
 完結していないのはともかくとして、「妖怪島」は一見の価値はある。藤子ファンがここに来る動機としては十分だろう。
 その他の展示も含めて、川崎市の藤子・F・不二雄ミュージアムと比べると規模はごく小さいものだが、やはり藤本先生の出身地にこう言う施設があるのはいいことだと思う。何度も言うが、「妖怪島」という目玉もあることだし。

 その他、いくつかの場所を巡ったが、9年前の高岡旅行の時と重複する内容になるので、ここでは割愛する。
 というわけで、一日目はこれでおしまい。二日目以降は、次回に続く。
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『モジャ公』を語る

 『モジャ公』は、私にとっては特別な作品だ。
 私は藤子・F・不二雄作品全般を愛読しているが、そんな中でも『ドラえもん』以外にもう一作をあえて挙げるとしたら、私は『モジャ公』を選ぶ。そのくらい好きな作品だ。今回は、そんな『モジャ公』について、語ってみたい。

 『モジャ公』との出会いは、中学生の時だった。
 「藤子不二雄ランド」を集め始めた最初の頃に出会ったタイトルで、購入したのは「知らないタイトルだったから」。あえて、それまで読んだことがなかった作品を選んで買ってみたわけだが、これが大当たりだった。モジャ公・空夫・ドンモの三人が繰り広げる奇想天外な宇宙冒険に、たちまち夢中になった。最も熱中していた頃は、一日に何回も読み返していたほどだ。
 それほど私を惹きつけた『モジャ公』の魅力とはなんなのだろうか。それは、やはりSF作品としてよくできていると言うことだろう。「ナイナイ星のかたきうち」における「種族が違うと顔が見分けられない」と言う目の付けどころや、「自殺集団」で繰り広げられるフェニックスの人々の狂躁、「地球最後の日」の一種独特な終末感、いずれも非常にユニークな発想と話の転がし方のうまさで、何度読んでも面白いのだ。

 そんな中で、「天国よいとこ」は、「偉大なる失敗作」だと思っている。と言うのも、この話で作者の藤子・F・不二雄先生がやろうとしていたことはわかるのだが、それが上手くいっていないと感じるからだ。
 「天国よいとこ」では、心が体を離れて独立している「シャングリラ人」が描かれている。シャングリラでは脳にニセの情報を送ることによってモジャ公や空夫は騙されて、天国のような暮らしを楽しむことになるのだが、ただ一人ロボットであるドンモだけは脳を持たないために生物のように「騙す」事はできず、結果としてドンモがシャングリラのからくりを見破ることになる。
 この発想はすばらしいのだが、話の後半でこのドンモの設定が消えてしまい、ドンモまでシャングリラの作り出す幻の宇宙船に騙されるようになってしまう。これは、残念だ。話の肝となるはずだった「ドンモの視点」が消えてしまっているのだ。
 ほかに、シャングリラの幻が生物の体に与える影響についても、混乱が見られる。あくまで幻は幻であるので、生物に直接的な影響はおよぼさないはずであった。しかし、話の終盤ではモジャ公たちを燃えたぎる火の中に落として殺そうとするのだ。この火はシャングリラの設備が破壊された後に消えたので、幻であったのは間違いない。そうであれば、モジャ公たちが落とされたところで死ぬことはなかったはずだ。
 さらに、シャングリラの設備の破壊についても、おかしなところがある。シャングリラ人は実体を持たないはずなのに、どうやって「コントロールセンターの配線をずたずた」にしたのだろうか。ここも、疑問が残る。
 このように、「天国よいとこ」には多くの矛盾点と疑問点があり、最初の構想が完遂できなかったと思われる点において、残念だった。この話が「偉大なる失敗作」なのは、こういう理由からだ。実を言うと、『モジャ公』のアニメ化が決まった時に、もしかしたら「天国よいとこ」の矛盾点を解消してアニメ化されるのではないかと少し期待した。しかし、残念ながら「天国よいとこ」はアニメ化されなかった。それどころか、『モジャ公』原作全エピソードのうち、アニメ化されたのは「さよなら411ボル」のたった一編だけという結果に終わってしまった。これは、残念だった。

 さて、『モジャ公』の単行本はいくつか刊行されているが、そんな中で「不死身のダンボコ」は、収録されたりされなかったりしているエピソードだ。初出時の最終話であるものの、一番最初の単行本である虫コミックスで省かれてしまったのをはじめとして、次のサンコミックスでも省かれた後に、藤子不二雄ランドでようやく初めて収録されたが、あくまで単行本での最終話は「地球最後の日」と言う位置づけだったようで、「不死身のダンボコ」は「地球最後の日」の前に配置されている。これによって、話のつながりが悪くなったのは否めない。「不死身のダンボコ」のラストで宇宙船を手に入れたはずの三人が、次の「地球最後の日」では、なぜかツアーに参加しているのだから。
 とは言え、「不死身のダンボコ」も、藤子不二雄ランド収録時にわずかではあるが加筆修正もされており、ちゃんと藤子・F・不二雄先生の手を経て単行本に入っている。
 なお、「地球最後の日」は、藤子不二雄ランド版までは、ほぼ初出通りの結末で収録されているが、中公愛蔵版刊行時に結末が描き改められて、より「最後」らしくなった。ただ、この描き換えは賛否両論だろう。個人的には、あっさり宇宙へ家出して終わる描き変え前の方が好みだ。描き変え後は、なぜかモナさんが三人の事情を知っているふうであったりして、無理を感じるところもある。

 そして、『モジャ公』の最新単行本となるのが、藤子・F・不二雄大全集版だ。
 この版は、それまでどの単行本にも未収録だった連載第2話や「たのしい幼稚園」版全話を収録するなど、「ほぼ完全版」と言っていい内容だ。ここで「ほぼ」と言ったのは、これでもまだ収録されていない部分が存在するからで、「地球最後の日」において、地球に戻ってきた時に空夫にタイム・ロックの説明をする内容が1ページ分、単行本では省かれているのだ。
 この部分が省かれた理由はわからないが、あえてタイム・ロックについて踏み込んだ説明は必要がないと判断されたのだろうか。昔の単行本はページ数に制限がある場合も少なくなかったので、この場合もそのためかもしれない。
 ともかく、ここさえ収録されれば大全集版を「完全版」と言ってもよかったと思うので、ちょっと残念ではある。

 ここまで、『モジャ公』について色々と語ってきたが、もしこの作品をご存じでないという方には、ともかく読んでみていただきたい。本当に、面白いのだ。今から読むなら、藤子・F・不二雄大全集版がベストだろう。と言うか、これ以外の単行本は絶版か品切れだと思われる。
 ともかく、生活ギャグSFを得意とする藤子・F・不二雄先生としては珍しい宇宙冒険物であり、その点でも見逃せない作品だ。
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