藤子不二雄A先生追悼で氷見へ

 5月3日、急に思いたって藤子不二雄A先生の出身地である富山県氷見市に行ってきた。

 この日に、特に氷見で何かイベントがあったわけではない。しかし、何となくいてもたってもいられない気分だったのだ。
 藤子不二雄A先生が亡くなられて、今の氷見はどうなっているのか、それを自分の目で確かめたいという気持ちが強かった。そのため氷見に行くには、ゴールデンウィークで連休になるこの時期をおいて他にないと、そう思ったのだ。

 当日、8時40分大阪発の特急サンダーバードに乗って出発し、金沢で新幹線つるぎに乗り換えて、11時41分に新高岡に着いた。大阪からでだいたい3時間で着くことになる。
 ただし、まだ新高岡であって氷見ではない。新高岡から氷見に行くために、いくつかのルートが考えられたが、今回は氷見市内まで行くバスを選択した。このバスに揺られること約1時間で、ようやく「氷見中央」バス停までたどり着いたのだった。自宅を出たのが7時40分くらいなので、結局氷見に着くまでに5時間かかったことになる。近いようで遠い地だ。

 氷見に着いたら、時間が時間なのでまずは昼食をとろうと思ったが、氷見の中心部であっても意外とやっている店はあまり多くない。
 最初は、以前に行ったことのある海鮮丼の店に行こうと思ったのだが、いざ行ってみると満員で店外にも待ちの人が多数で受付を終了しており、待つことすらできなかった。まあ、行ったのが13時少し前なので、仕方がないところか。
 その後、氷見漁港の食堂に行くも、ここも、受付終了。そうなると、もう他に思いつかなかったので、ちょっと歩いたところにある道の駅に設置されている「ひみ番屋街」まで行って、フードコートで食事を取った。

 食事をして落ち着いた後は、氷見市内の藤子不二雄A先生ゆかりの地を巡った。
 昨年氷見を訪れたときの記事にも書いたが、氷見では「藤子不二雄Aまんがワールド」として藤子A先生のキャラにまつわるスポットが多数設置されている。それを今回も回ったし、光禅寺にも行った。
 特筆すべきは氷見潮風ギャラリーで、なんと入場希望者が多数訪れているため、入場規制をしていたのだ。ここには何度か来ているが、こんなことは初めてだ。やはり、潮風ギャラリーで藤子A先生を偲びたいという人が、私の他にも多くいたのだろう。実際、県外から来ている人がどれくらいいたのかはわからないが。
 なお、私が見た限りでは、潮風ギャラリーの展示に特段の変化はなく、昨年訪れたときとほぼ同じだった。夏には富山新聞に連載されていた「記者A」と連動して藤子A先生の記者時代に関する展示が予定されているとのことなので、それに合わせてA先生が亡くなられたことについても触れられるのではないだろうか。
 なお、潮風ギャラリーでは「記者A」のスクラップブックも用意されており、全88回の連載を読むことができるようになっていた。実際には、藤子A先生とほぼ関係ない回も多いので、88回分を全て読む必要はないような気もするが、とにかく「記者A」を読みたいのであれば、氷見潮風ギャラリーに行くといいだろう。

 そうして市内の藤子A先生関連スポットを回っていると、いつの間にか夕方になっていた。
 とりあえず、氷見駅まで行ってJR氷見線に乗り高岡まで戻ったが、すでに夕方であるので特に行くような場所もない。時間に余裕があれば藤子・F・不二雄ふるさとギャラリーにでもいくところだが、あいにく閉館間近の時間だった。
 とは言え、まだホテルに行くには時間が早い。結局、バスに乗って以前にも行ったことのある高岡市内のブックオフに行ってしまった。ここでは、数冊の本を購入。それはいいが、高岡駅前まで帰るバスがなくて、30分くらい歩く羽目になった。道がわかりやすかったのはよかったが。
 高岡駅まで歩く途中には、藤子両先生が本を買っていたことで有名だった文苑堂書店高岡駅前店があった。この店は3年前にすでに閉店してしまっているが、まだ店の看板も当時のまま残っている状況で、後に入る店もないという駅前商店街の厳しい状況を垣間見てしまった。

 とにもかくにも、高岡駅前まで戻り、あいの風とやま鉄道で富山市に向かった。
 実は、今回の旅行を思い立ったのが遅かったため、氷見や高岡のホテルが全く空いておらず、富山市のホテルにせざるを得なかったのだ。富山市までは鉄道で約20分なので、そんなに遠いというわけではないが、微妙に面倒なのは言うまでもない。
 昨年は6月末に氷見・高岡を訪れたので全く問題なく宿が取れたが、今回は連休中なのを甘く見ていたようだ。

 こうして氷見での一日は終わったが、翌日は高岡市立中央図書館で『ドラえもん』の初出データを調査した。
 この図書館にあるのは、あくまで「初出誌のコピー」ではあるが、カラー掲載の作品はカラーでコピーされており、ほぼ「初出誌に準ずるもの」として調べる価値はある。なお、『てれびくん』『小学二年生』の付録掲載作品については初出の付録が入手できなかったらしく、コロコロコミック再録からのコピーで間に合わせているのはちょっと残念。やはり、付録の入手は難しいのだなあ。

 今回、氷見に行ったことで、何となく気分が少しスッキリしたような気はする。
 もちろん、藤子A先生が亡くなられたことは今でも悲しいのだが、氷見の様子を自分で見たことで、少し気分が整理できたような、そんな感じだ。
 次に氷見・高岡に行くのがいつになるかはわからないが、次は楽しいイベント絡みだったらいいなあ。久しぶりに、藤子ファン仲間と一緒での氷見・高岡旅行もしてみたい。
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藤子不二雄A先生、ありがとうございました

 4月7日に、藤子不二雄A先生(「A」は正しくは丸の中にAだが、機種依存文字なのでここでは「A」と表記させていただく)が亡くなられた。

 ご高齢ではあるので、いつかはこう言う日が来るとは思っていた。しかし、最近A先生のご体調が悪いという話は聞いていなかったので、その日がこんなに早く訪れるとは、全くの青天の霹靂だ。
 つい先月、お誕生日を迎えられたばかりで、数日前には富山新聞の『記者A』の連載が完結して、今後もお元気でいてくださるものとばかり思っていた。

 第一報はスマホで見たのだが、それを見た瞬間は何が何だかわからなかった。悪い冗談じゃないかと思ってしまったくらいだ。しかし、それは事実だった。
 そして、どうしようもない喪失感が私の心を覆ってしまった。私が生まれてから、ずっとA先生はお元気で活躍されてきたのだ。A先生がおられない世界というのは、想像以上に寂しいものだとわかった。
 もちろん、A先生は漫画家なので、ご本人が亡くなっても作品は残る。そして、これからも読み継がれていくのなら、A先生は永遠に生き続けるといってもいいだろう。しかし、それでもやはりA先生がもうこの世におられないというのは、どうしようもなく残念なことだ。

 思い返せば、私がはじめて藤子不二雄A先生の作品に触れたのは、いつだっただろうか。
 コンビの「藤子不二雄」としての合作を含めるならば、4歳頃に読んだてんとう虫コミックスの『オバケのQ太郎』第1巻が最初だと思う。A先生単独作としては、おそらく1980年にシンエイ動画版テレビアニメがスタートした『怪物くん』だろう。
 前年にシンエイ動画版『ドラえもん』がスタートして、いわゆる「藤子不二雄ブーム」が巻き起ころうとしていたときに『ドラえもん』に続くアニメ化作品として選ばれたのがA先生の『怪物くん』であり、私も怪物くんと多彩なモンスターたちの巻き起こす物語には夢中になった。
 そして、次に1981年にテレビアニメ化された『忍者ハットリくん』に触れることになる。

 『怪物くん』や『忍者ハットリくん』はテレビアニメ化に合わせて漫画の新作も連載されたが、どちらかというとテレビアニメ主体で動いていたように思う。
 私が本格的にA先生の作品に夢中になるのは、11歳頃の時に『まんが道』を読んでからだ。ちょうどNHKの「銀河テレビ小説」にて『まんが道』がドラマ化された頃だったと思うが、友人が秋田書店版の『まんが道』(あすなろ編)の単行本を持っており、それを見せてもらったのが私の『まんが道』との出逢いだった。
 同時期に、「藤子不二雄のコンビ解消」というファンにとっては重大な出来事があり、そこで大部分の作品は個別に描かれていたことが明かされた。私自身は、藤子作品に2種類の作風があることは何となく気がついていた程度で、コンビ解消となってようやく「この作品はA先生の担当だったのか」とはっきりわかったのだった。

 その後、中学生になって藤子不二雄ランドを集めるようになり、A作品・F作品を問わずに色々と読んでいくのだが、A作品では『まんが道』や『プロゴルファー猿』といった長編に特に引き込まれた。
 また、中学生の時はTBSの『ギミア・ぶれいく』内にてアニメ『藤子不二雄Aの笑ゥせぇるすまん』がスタートして一大ブームとなり、私もそれをきっかけに原作を読んだのだった。そして、A先生のブラックユーモア短編にも強く惹かれて、中央公論社から出た愛蔵版の『藤子不二雄Aブラックユーモア短篇集』(全3巻)は何度も何度も愛読することになった。
 他に、特に好きな作品を挙げるとするならば、『黒ベエ』『仮面太郎』『ビリ犬(『ぼくら』版)』などが思いつく。

 その後も、色々な藤子不二雄A作品に触れてきたが、あまり詳しく書いてもしつこいので、この辺にしておく。
 とにかく、A先生の作品の数々は、私の成長と共にあり、私は人生の大部分を藤子不二雄A作品と共に過ごしてきたのだ。

 私は人生の半分以上を名古屋で過ごしていたが、大人になってからはしばしば遠出で東京や高岡・氷見に遊びに行くようになり、そこで何度かA先生のお姿を拝見したり、お話しすることができたのは、非常に幸せな時間だった。
 直接お話しできたのは三度ほどで、そのうち2回はサイン会でサインをいただくときだが、あと一回は藤子ファン有志が高岡・氷見に旅行したときに、A先生と一緒に生家の光禅寺を訪れて、そこでお話しする機会があったのだ。
 この氷見旅行がいつのものだったか、当ブログの過去記事などを確認して調べたのだが、はっきりしなかった。21世紀になってからなのは、間違いないと思うのだが。一時期は毎年のように高岡や氷見で藤子ファンの集まりがあったものだった。
 なお、サイン会についてはこちらこちらで記事にしている。

 私は、物心ついたときはもう藤子ファンだったし、これからもずっとそうだろう。
 藤子不二雄A先生の作品は、一部の入手困難なものを除けば、電子書籍を含めて何らかの形で読めるようにはなっている。これからも、ずっと藤子A作品が読み継がれていって欲しい。
 もちろん、ファンとしてはいつかは完全な「藤子不二雄A全集」が刊行されることを望みたいが、まずは今あるものが読まれることが何よりだと思う。

 藤子不二雄A先生、これまで本当にありがとうございました。そして、これからも残された作品で楽しませていただきます。
 最後に、藤子不二雄A先生のご冥福を、心よりお祈りいたします。



(4/17 追記)

 本文中で、氷見でA先生と光禅寺へ行ったのがいつだったかはっきりしないと書いたが、その後ある方よりご指摘があり、2002年に「藤子不二雄Aまんが原画展」が開催されたときのことだと判明した。
 現在は公開していない過去のウェブ日記で、ちゃんとその時の興奮を書いていたのだ。せっかくなので、その部分をここに引用しておく。


(前略)
 同じく13時前にはA先生もご到着して、開会式。続いて「ひみキトキトまんが道大賞コンテスト」の表彰式を挟んで、A先生が「用心棒」を描くにあたって取材されたという黒澤雄太氏の剣技の実演があった。そして、その後は知人達と共にA先生の生家「光禅寺」にお邪魔させていただいた。光禅寺には、以前に藤子MLの高岡オフ会でも一度訪れているが、その時と大きく異なるのは、今回はA先生がいらっしゃるという点である。前回は中に上がらせていただいただけで感激だったが、今回はそれに加えてA先生と直接お話しをすることが出来たのだ。もう言葉に出来ないほどの大感激である。A先生のお話は、一つ一つがとても面白く、思わず聞き入ってしまった。ここで内容を書くわけには行かないのが残念だが、誰も知らなかったような興味深いお話をたくさんお聞きすることが出来て、気が付いたら1時間以上も経っていた。時間を忘れるとは、まさにこういう事だろう。
(後略)
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国際児童文学館で『ドラえもん』調査

 昨年12月に「「ドラちゃんのおへや」今後の方針」で宣言したように、昨年末から『ドラえもん』の初出誌調査を開始している。
 とりあえず、大阪府の国際児童文学館で、調査できる範囲のものは調査してしまい、そこで調べられなかったものは他の図書館を当たるという計画を立てている。そこで、今回は国際児童文学館での調査について書いてみる。

 まず、国際児童文学館は東大阪市の大阪府立中央図書館内にある。以前は、万博記念公園内に独立して存在していたのだが、大阪府の方針の変更により中央図書館に統合された形だ。
 この図書館の最寄り駅は近鉄の荒本駅だが、梅田方面から地下鉄に乗ると一駅だけ近鉄に乗ることになって料金が割高(一気に200円上がる)なので、私のようにせこい人は一駅前の長田駅で降りて、少し歩くのがお勧めだ。長田駅からでも、15分くらい歩けば図書館に到着できる。

 国際児童文学館を利用するにあたって、漫画雑誌を閲覧したい場合は一つ注意点がある。それは、前日までに閲覧予約を申し込んでおかなければいけないと言うことだ。これを忘れて、当日に行って頼んでも出してもらえない。幸い、ウェブから簡単に閲覧予約ができるので、目当ての雑誌をきちんと申し込んでおけばいい。
 ただし、小学館の学年別学習雑誌(いわゆる「学年誌」)は分類上は「漫画雑誌」ではないので、これにはあてはまらない。学年誌はいくらでも当日に頼んで出してもらえるので、『ドラえもん』を調べるにあたってはあまり関係がない。これは、『ドラえもん』以外の藤子・F・不二雄作品にもあてはまるのは言うまでもない。
 学年誌以外の、たとえば藤子不二雄A先生の『狂人軍』をぜひ読みたいというような場合は、前もって少年チャンピオンを予約しておかなければならないわけだ。

 実際に閲覧する場合、貸出は1回に15冊までという制限がある。この冊数であれば「『小学一年生』1983年10月号から1986年8月号まで」などと大ざっぱに頼んでも、一気に出してきて順番に15冊ずつ見せてくれる。あくまで、一度に手元に置けるのが15冊なのだ。
 閲覧した雑誌は、著作権法上で認められる範囲でコピーもできる。これは一度に何冊までできるのかわからないが、一枚の複写申込用紙には6冊分しか記入欄がないので、このくらいにしておくべきだろう。どうせ、大量に頼んでもできあがるまでに時間がかかるので、その間は動きが取れなくなる。
 複写は国際児童文学館内ではなく中央図書館の2階にある複写カウンターで、できあがったものを受け取る形だ。そこで、料金も支払う。カラーは1枚80円でモノクロは1枚25円だ。
 1980年代の『小学一年生』に掲載された『ドラえもん』は、1話あたり7ページでカラー掲載が基本となっている。7ページなら見開きで4枚となるので、カラーコピーの場合は1話あたり320円となる。『ドラえもん』の初出誌は全てコピーできればいちばんいいのだが、1話320円はけっこう金銭的にきつい。だから、『ドラえもんカラー作品集』にカラーで収録されている話はとりあえず置いておいて、てんとう虫コミックスにモノクロでしか収録されていない話を優先的にコピーするようにしている。
 よって、『ドラえもんカラー作品集』収録作品については、ひたすら初出データ(サブタイトル、ページ数、色数など)をチェックしてメモしている。作品自体は加筆もない(すべて藤本先生が亡くなられたあとの収録)ので、単行本で読むのとサイズ以外は変わらないから、データをリスト化できればいいのだ。

 ともかく、このようにして年末と三日前の2回、とりあえず調査を行った。両日共に昼過ぎに図書館に到着して半日滞在したが、ようやく『小学一年生』の調査を終えて『小学二年生』に入ったところだ。この調子だと、全ての学年誌掲載の『ドラえもん』を調査し終えるまで、あと何回通う必要があるのかまだ見当もつかないが、気長に行くしかないだろう。
 私の国際児童文学館での『ドラえもん』調査は、こんな感じだ。
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突発的高岡旅行2021(3)完結編

 前回の更新から間が空いてしまったが、高岡旅行のつづき。

 高岡旅行の三日目は、高岡市立中央図書館へと足を運んだ。





 ここは、藤子不二雄両先生のコーナーが作られており、藤子先生の単行本や関連本の蔵書が非常に充実している上に、資料のコーナーでは『ドラえもん』の初出版が初出誌からのコピーという形で全話揃っており、自由に閲覧することができるという藤子ファンにとっては夢のような図書館なのだ。
 藤子両先生の本が多数ある中でも、やはり藤子・F・不二雄先生の本が充実しており、藤子・F・不二雄大全集は全巻揃っているし、100年ドラえもんに至っては貸出可と館内閲覧用の2セットもある。さらに、藤子・F・不二雄大全集の全巻購入特典も置いてあり、「F NOTE」は三冊もあるので、この図書館は少なくとも大全集第1期を3セット購入していると思われる。
 100年ドラえもんに関しては、私は悩んだ末に買わなかったので、今回この図書館ではじめて読むことができた。
 中身を見ると、なるほど「現在のてんとう虫コミックス『ドラえもん』」そのまんまだ。だから、内容的に新鮮さは全くない。いや、昔のてんコミしか持っていない人からすると、現在のてんコミはトレスを排除する方向なので、原稿に差し替えられているという点で新鮮さはあるのかもしれない。
 そして、特典の「引くえもん」。これも、当然ながら初めて読んだが、なるほど評判に聞くとおりの常軌を逸した内容だ。この「濃さ」で240ページもあるのがおそろしい。さらに、奥付を見ると「第一版」と書いてあり、何らかの形で第二版以降を出す予定があるのかも気になるところだ。どうせこのような本を出すのであれば、てんコミだけを対象とするのではなく、藤子・F・不二雄大全集に収録されている全話を元にした方が、よりすごい本になりそうな気はするが、さすがに作る方が大変だろうな。
 『ドラえもん』初出版のコーナーでは、以前から気になっていた疑問点をいくつか解消することができた。たとえば、「空で遊んじゃあぶないよ」で、初出の時点で「のび太のくせに」と言っていたのかどうかとか、「はなバルーン」は初出でカラーだったのかモノクロ(薄墨)だったのか、とか。これらの調査結果は、いずれ「ドラちゃんのおへや」の方に反映させることになるだろう。

 そんな感じで、12時頃まで図書館にいて、その後は帰途の列車へと乗った。
 行きの反対で、新高岡-金沢は北陸新幹線、金沢-大阪間をサンダーバードで帰ったのだが、新高岡と金沢での列車待ち時間が合計で1時間以上あったせいもあり、13時前に高岡駅を出て、結局自宅にたどり着いたのが18時前になってしまった。ほぼ5時間かかっている。
 北陸新幹線ができて、関西方面から高岡への遠征は、かえって面倒になってしまった感はあり、そこは残念だ。とは言え、またいずれ行きたいとは思う。やはり、私にとっての高岡は、それだけ魅力のある街なのだ。

 今回の旅行は、天気が少し心配だったが、結局一日目に少し降られただけで、たいした影響はなかった。全体的に、よい旅行になったと思う。
 次の遠征はどこにしよう。行くとしたら、藤子不二雄A展が開催中の広島かな。
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突発的高岡旅行2021(2)氷見・富山編

 前回の続き。

 突発的に高岡までやってきて、二日目は氷見まで足を伸ばした。
 氷見は、言うまでもなく藤子不二雄A先生の出身地であり、高岡まで来たら氷見にも行くのは藤子ファンとしてはごく自然な行動だと思う。

 高岡から氷見まではJR氷見線で行った。ハットリくん列車を期待したのだが、残念ながら来たのは普通の列車だった。
 なにしろ、基本的には1時間に1本しか電車が走らない路線なので、ハットリくん列車待ちをするのはあまり現実的ではない。そんなわけで、仕方がなく普通の列車に乗ったのだった。

 藤子A先生の出身地である氷見では、「藤子不二雄Aまんがワールド」として、町中にA先生のキャラが見られる。
 氷見駅から商店街までの道を歩けば、ハットリくんはいるし、怪物くんファミリーもプロゴルファー猿もいる。その途中にはA先生の生家である光禅寺もあり、そこでも藤子Aキャラ4人の像が設置されているのは、9年前に訪れた時にも書いたとおりだ。まさに、藤子Aキャラだらけの町を楽しむことができるのだ。これで、『狂人軍』のキチ吉なんかがいたら最高なんだが、残念ながらそう言うマイナーキャラはさすがにいない。









 氷見駅前の商店街を歩いて行くと、氷見市潮風ギャラリーが現れる。





 ここでは、「藤子不二雄Aアートコレクション」として、1階に藤子A作品の複製原画や藤子A先生の作品リストなどの展示があり、2階にはA作品の読書コーナーや遊べるフォトスポットなどが用意されている。藤子・F・不二雄ミュージアムなどと比べると、ごく小さな規模の施設ではあるが、高岡にある藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー同様、先生の出身地にあると言うことに意味のある施設だと思う。
 この潮風ギャラリーに来たのも9年ぶりだが、展示には以前にはなかったアニメ『笑ゥせぇるすまんNEW』の制作資料(原画や設定資料など)が追加されていた。『笑ゥせぇるすまんNEW』でも氷見が登場する回があったし、富山県での放送は潮風ギャラリーがスポンサーになっていたくらいだから、つながりは大きいのだろう。
 なお、ここの2階には、氷見の人気者・ひみぼうずくんもいて、写真を撮ることもできる。読書コーナーは、残念ながら新型コロナウィルスの感染拡大を受けて、休止されている。





 その後、氷見市街を北上して、「氷見漁港場外市場 ひみ番屋街」へと到達。ここで昼食をとった。帰りは、運のいいことに怪物くんバスに乗ることができた。ハットリくん列車に乗れなかったのを取り返した気分だ。





 氷見から高岡へと戻る列車も、残念ながら普通の列車だった。
 高岡へと戻り、今度は富山市へと行った。富山市での目的地は、藤子不二雄関連のスポットではなく、BOOK OFF富山山室店だ。





 この店は、やたらと派手な店舗が一部で評判であり、どんな店なのか一度訪れてみたいと思っていたのだ。今回、ようやくその念願が叶った。中に入ってみると、さすがに普通にBOOK OFFだった。何か特徴的な陳列などがあったわけではない。
 ちなみに、店舗が大きいので、店として使っているのは1階だけだ。それでも全部回るのにはけっこう時間がかかった。

 富山市では、もう一軒BOOK OFFを回って、高岡へと戻った。
 バスや路面電車など富山市の交通事情をよく知らないので移動には歩くしかなくて、結果的にはよく歩いた。スマホの万歩計を見ると、この日は22,746歩あるいている。前日につづき、いい運動になった。

 と、言ったところで二日目はおしまい。三日目に続く。
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突発的高岡旅行2021(1)

 最近、全然旅行ができていなかった。
 もちろん、新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、不要不急の外出を控えるようにとの呼びかけがあったので、それに応えて旅行は控えていたのだ。しかし、コロナの感染が広まってから一年以上が過ぎて、もう精神的に限界に達してしまった。とにかく、どこかに行って気分転換したいという気持ちが強くなったのだ。
 そこで、6月27日から29日にかけて、高岡へと行ってきた。言うまでもなく、藤子・F・不二雄先生の出身地だ。

 このブログでも書いているが、前回高岡に旅行したのは2012年4月。今回は、実に9年ぶりの高岡旅行となった。ずいぶん久しぶりだが、高岡は魅力的な土地なので、行けるのならばもっと頻繁に行きたい。しかし、現実にはそうそう気軽には出かけられないので、9年ぶりになったという次第だ。





 そんなわけで、電車を乗り継いで高岡へとやってきた。
 わが家からだと、大阪まで出て大阪-金沢間はサンダーバード、金沢-新高岡間は北陸新幹線で行くことになる。前回、高岡を訪れた時は名古屋からだし、そもそも北陸新幹線はまだ開通していなかったので、今回初めて乗車することになった。
 新高岡まで来たら城端線で高岡まで行くのだが、今回は待ち時間が1時間近くあったので、この区間は徒歩にしてみた。地図で見るとそれほど距離がないように見えるのだが、実際歩くと結構かかる。徒歩で、30分くらいだろうか。いい運動にはなった。
 高岡駅は、工事中だった前回とはうって変わって、すっかり新しくなっていた。きれいな駅ビルだ。さすがに、9年も経つとすっかり変わるものだ。

 高岡駅では、まず路面電車・万葉線のホームへと向かった。
 目当ては、この路線で運行されているドラえもんトラムだったのだが、ちょうど私がホームについて少し経った時に、ドラえもんトラムがホームへと入ってきた。実についている。と言うわけで、高岡について早々に、ドラえもんトラムに乗ることができた。車体の外も中も、ドラえもんだらけだ。














 ドラえもんトラムを広小路で降りて、徒歩で高岡市美術館へ。目的は、ここの2階にある「藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー」だ。





 このギャラリーでは、藤子・F・不二雄先生の原画(主に複製)などの展示があり、以前から一度訪れたいと思っていた。最大の目玉は、藤本先生が14歳の時に描いたという作品「妖怪島」が複写で展示されている点で、何しろ100ページを超える全ページが展示されているので、読みごたえは十分だ。
 話は少年が謎の島に漂着して、そこで繰り広げられる冒険を描いたものだが、怪しげな中国人風の言葉(「~アルよ」など)をしゃべる人喰い人種が登場するなど、現代の視点からは考慮すべき内容を含んでいると言わざるを得ない。全ページ残っているのなら復刻出版してもいいのではと思っていたが、この内容では難しそうだ。
 なお、最後まで読むと「つづきは「続・妖怪島」を見よ」となっている。実は、これ一本で完結していないのだ。現在までに「続・妖怪島」の現存は確認されておらず、主人公の少年がどうなるのかはわからないままだ。
 完結していないのはともかくとして、「妖怪島」は一見の価値はある。藤子ファンがここに来る動機としては十分だろう。
 その他の展示も含めて、川崎市の藤子・F・不二雄ミュージアムと比べると規模はごく小さいものだが、やはり藤本先生の出身地にこう言う施設があるのはいいことだと思う。何度も言うが、「妖怪島」という目玉もあることだし。

 その他、いくつかの場所を巡ったが、9年前の高岡旅行の時と重複する内容になるので、ここでは割愛する。
 というわけで、一日目はこれでおしまい。二日目以降は、次回に続く。
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『モジャ公』を語る

 『モジャ公』は、私にとっては特別な作品だ。
 私は藤子・F・不二雄作品全般を愛読しているが、そんな中でも『ドラえもん』以外にもう一作をあえて挙げるとしたら、私は『モジャ公』を選ぶ。そのくらい好きな作品だ。今回は、そんな『モジャ公』について、語ってみたい。

 『モジャ公』との出会いは、中学生の時だった。
 「藤子不二雄ランド」を集め始めた最初の頃に出会ったタイトルで、購入したのは「知らないタイトルだったから」。あえて、それまで読んだことがなかった作品を選んで買ってみたわけだが、これが大当たりだった。モジャ公・空夫・ドンモの三人が繰り広げる奇想天外な宇宙冒険に、たちまち夢中になった。最も熱中していた頃は、一日に何回も読み返していたほどだ。
 それほど私を惹きつけた『モジャ公』の魅力とはなんなのだろうか。それは、やはりSF作品としてよくできていると言うことだろう。「ナイナイ星のかたきうち」における「種族が違うと顔が見分けられない」と言う目の付けどころや、「自殺集団」で繰り広げられるフェニックスの人々の狂躁、「地球最後の日」の一種独特な終末感、いずれも非常にユニークな発想と話の転がし方のうまさで、何度読んでも面白いのだ。

 そんな中で、「天国よいとこ」は、「偉大なる失敗作」だと思っている。と言うのも、この話で作者の藤子・F・不二雄先生がやろうとしていたことはわかるのだが、それが上手くいっていないと感じるからだ。
 「天国よいとこ」では、心が体を離れて独立している「シャングリラ人」が描かれている。シャングリラでは脳にニセの情報を送ることによってモジャ公や空夫は騙されて、天国のような暮らしを楽しむことになるのだが、ただ一人ロボットであるドンモだけは脳を持たないために生物のように「騙す」事はできず、結果としてドンモがシャングリラのからくりを見破ることになる。
 この発想はすばらしいのだが、話の後半でこのドンモの設定が消えてしまい、ドンモまでシャングリラの作り出す幻の宇宙船に騙されるようになってしまう。これは、残念だ。話の肝となるはずだった「ドンモの視点」が消えてしまっているのだ。
 ほかに、シャングリラの幻が生物の体に与える影響についても、混乱が見られる。あくまで幻は幻であるので、生物に直接的な影響はおよぼさないはずであった。しかし、話の終盤ではモジャ公たちを燃えたぎる火の中に落として殺そうとするのだ。この火はシャングリラの設備が破壊された後に消えたので、幻であったのは間違いない。そうであれば、モジャ公たちが落とされたところで死ぬことはなかったはずだ。
 さらに、シャングリラの設備の破壊についても、おかしなところがある。シャングリラ人は実体を持たないはずなのに、どうやって「コントロールセンターの配線をずたずた」にしたのだろうか。ここも、疑問が残る。
 このように、「天国よいとこ」には多くの矛盾点と疑問点があり、最初の構想が完遂できなかったと思われる点において、残念だった。この話が「偉大なる失敗作」なのは、こういう理由からだ。実を言うと、『モジャ公』のアニメ化が決まった時に、もしかしたら「天国よいとこ」の矛盾点を解消してアニメ化されるのではないかと少し期待した。しかし、残念ながら「天国よいとこ」はアニメ化されなかった。それどころか、『モジャ公』原作全エピソードのうち、アニメ化されたのは「さよなら411ボル」のたった一編だけという結果に終わってしまった。これは、残念だった。

 さて、『モジャ公』の単行本はいくつか刊行されているが、そんな中で「不死身のダンボコ」は、収録されたりされなかったりしているエピソードだ。初出時の最終話であるものの、一番最初の単行本である虫コミックスで省かれてしまったのをはじめとして、次のサンコミックスでも省かれた後に、藤子不二雄ランドでようやく初めて収録されたが、あくまで単行本での最終話は「地球最後の日」と言う位置づけだったようで、「不死身のダンボコ」は「地球最後の日」の前に配置されている。これによって、話のつながりが悪くなったのは否めない。「不死身のダンボコ」のラストで宇宙船を手に入れたはずの三人が、次の「地球最後の日」では、なぜかツアーに参加しているのだから。
 とは言え、「不死身のダンボコ」も、藤子不二雄ランド収録時にわずかではあるが加筆修正もされており、ちゃんと藤子・F・不二雄先生の手を経て単行本に入っている。
 なお、「地球最後の日」は、藤子不二雄ランド版までは、ほぼ初出通りの結末で収録されているが、中公愛蔵版刊行時に結末が描き改められて、より「最後」らしくなった。ただ、この描き換えは賛否両論だろう。個人的には、あっさり宇宙へ家出して終わる描き変え前の方が好みだ。描き変え後は、なぜかモナさんが三人の事情を知っているふうであったりして、無理を感じるところもある。

 そして、『モジャ公』の最新単行本となるのが、藤子・F・不二雄大全集版だ。
 この版は、それまでどの単行本にも未収録だった連載第2話や「たのしい幼稚園」版全話を収録するなど、「ほぼ完全版」と言っていい内容だ。ここで「ほぼ」と言ったのは、これでもまだ収録されていない部分が存在するからで、「地球最後の日」において、地球に戻ってきた時に空夫にタイム・ロックの説明をする内容が1ページ分、単行本では省かれているのだ。
 この部分が省かれた理由はわからないが、あえてタイム・ロックについて踏み込んだ説明は必要がないと判断されたのだろうか。昔の単行本はページ数に制限がある場合も少なくなかったので、この場合もそのためかもしれない。
 ともかく、ここさえ収録されれば大全集版を「完全版」と言ってもよかったと思うので、ちょっと残念ではある。

 ここまで、『モジャ公』について色々と語ってきたが、もしこの作品をご存じでないという方には、ともかく読んでみていただきたい。本当に、面白いのだ。今から読むなら、藤子・F・不二雄大全集版がベストだろう。と言うか、これ以外の単行本は絶版か品切れだと思われる。
 ともかく、生活ギャグSFを得意とする藤子・F・不二雄先生としては珍しい宇宙冒険物であり、その点でも見逃せない作品だ。
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映画ドラえもんの原点

 毎年、映画ドラえもんの新作を観るたびに、このブログで感想を書いている。今年はちょっと公開日が変わってしまったが、基本的には毎年3月の年中行事として、すっかり私の中では定着している。

 そんな映画ドラえもんについて、そのはじまりを振り返って書いてみようというのが、本稿の目的だ。
 そんなことを思ったのは、先日発売になった『映画ドラえもん超全集』を読んで、あらためて映画ドラえもんの一作一作について思いを馳せたのが影響している。また、2~3月にはWOWOWでの映画ドラえもん一挙放送があって、藤子・F・不二雄先生の原作がある「のび太のねじ巻き都市冒険記」までは観返しているというのも大きい。やはり、映画は実際に観てこそだと思う。
 そんなわけで、私にとっての映画ドラえもんのはじまりを振り返ってみる。



・ドラえもん のび太の恐竜

 記念すべき映画ドラえもん一作目。同時上映はこの年のみ藤子アニメではなく「モスラ対ゴジラ(短縮編集版)」。
 私が生まれて初めて映画館で観た映画だ…と書きたいところなのだが、これがよくわからない。はっきり言うと、幼すぎてはたして映画館に行ったかどうか、全く記憶にないのだ。なにしろ、私がまだ4歳の時のことなので、無理もない。
 ただ、原作にあたる大長編ドラえもんに関しては、「映画まんがドラえもん のび太の恐竜」のタイトルでカラーコミックスとして刊行されており、これは発売時に買ってもらったらしく、昔から家にあった。だから、「生まれて初めて読んだ大長編ドラえもん」は「のび太の恐竜」で間違いない。おそらく、一冊丸ごとの長編漫画を読んだ最初の体験だと思う。
 このカラーコミックス版をそれこそ数え切れないほどに読みたおしたために、未だにてんとう虫コミックス版での加筆部分に違和感を覚えてしまうのは、困ったものだ。
 なお、テレビ放送のアニメ『ドラえもん』は、すでに観ていたと思う。なぜなら、放送2年目に放映枠が1時間繰り下がって9時30分からになったときに、「これで寝坊しても『ドラえもん』を観られる」と、喜んだ記憶があるからだ。放送1年目も観ていたのは間違いない。
 このように、映画館に行ったかどうかははっきりしないが、おそらく秋のテレビ放送は観ただろうから、「生まれて初めて観たドラえもん映画」だと言っても差し支えはないだろう。
 その後、大人だけのドラえもんオールナイトなどをはじめとして、何度かリバイバル上映を観る機会はあったので、その時にはちゃんと劇場のスクリーンで観ることはできた。やはり、恐竜が動く姿はスクリーンで観てこその迫力だと思う。
 この映画は何度も観ているので、記憶に残っているシーンも数多い。ピー助のタマゴの化石を発見したときののび太のダンス、白亜紀最初の夜のジャイアンリサイタル、のび太たちの乗った恐竜が歩く躍動感あふれるシーンなどなど、挙げていくときりがない。
 この作品に、物心が付いた頃に触れられたのは、幸せな体験だったのだなとあらためて思う。この作品が、藤子不二雄ファンとしての私の生き方を、ある意味では決めたのかもしれない。



・ドラえもん のび太の宇宙開拓史/怪物くん 怪物ランドへの招待

 映画ドラえもん第2作は、豪華な2本立て。『ドラえもん』だけでなく『怪物くん』もテレビに登場して半年で、人気が盛り上がってきていた時期だ。
 この2本立てについては、間違いなく映画館で観た。これは、はっきり記憶しているし、挿入歌として流れた「心をゆらして」とエンディング曲の「ポケットの中に」の2曲に感激して、後日テレビ放送が行われた時にはこの2曲をカセットテープに録音したくらいなのだ。
 映画ドラえもんで一番好きな作品はと聞かれたら、私はこの「のび太の宇宙開拓史」を挙げる。前述の「心をゆらして」が流れるのび太たちとコーヤコーヤ星との別れのシーンが非常に感動的で、強く心に焼き付いているのだ。
 これは原作にも反映されており、てんとう虫コミックスでの加筆時に「心をゆらして」の歌詞の出る場面が足されたのは、映画と同じく別れのシーンだった。藤子・F・不二雄先生も、歌詞を入れるならここしかないだろうと思われたのだろう。
 この作品は、特にクライマックスの部分で原作と映画で異なるところがけっこう多い。一番よく言われるのは、のび太とギラーミンの一騎打ちがなくなっており、ロップルくんがギラーミンを撃つというようになっているところだろう。のび太の格好いいシーンを期待した人から不評なのはわかるが、私は映画版にも思い入れが強いので、映画はロップルくんの物語としてこれはこれでいいのかだと思っている。
 なお、エンディング曲「ポケットの中に」は1番のみが流れるのだが、ビデオ版ではなぜかサビの部分のみ2番に差し替えられており、これが長い間不満だった。現在では、Amazonプライムで観られるバージョンや、WOWOWのリマスター版は1番に戻っている。と言うより、これがオリジナルなのだから聴けて当然だ。
 同時上映の「怪物ランドへの招待」についても触れておこう。先ほど、『怪物くん』はテレビに登場して半年の時期だと書いたが、少なくとも映画を観に行くような層にはすでに大人気だったようで、オープニング主題歌の「ユカイツーカイ怪物くん」が流れると、場内の子供たちの大合唱になって驚いたと、一緒に観に行った母がよく言っていた。
 尺は「のび太の宇宙開拓史」には及ばないものの、それでも75分あるのだからボリュームは十分だ。はじめてお披露目となった怪物ランドでの冒険であり、怪物大王と怪物くんの親子の葛藤、戦怪族とのバトル、ヒロシとの友情など見応えは満点だ。この作品が未だにDVD化されていないのは、全く納得がいかない。テレビアニメのDVD-BOXに同時収録するか、単発でもいいから近い時期に発売すればよかったのにと今でも思う。




 最後に、映画パンフレットと原作にあたるカラーコミックスを紹介しておこう。
 「のび太の宇宙開拓史」のみパンフのサイズが大きく、また切り抜いて遊ぶようになっているため、現在では多少レアになっているらしい。古書店で見かけたら確保しましょう。
 この2作(「怪物くん 怪物ランドへの招待」を入れると3作)については本当に思い入れが強いので、本気で語り出したらいくら字数があっても足りないくらいだ。今回は、簡単にではあるが振り返ってみることで、私にとっての「映画ドラえもん」の原点を再確認することができた。特に2作に限定したのは、本文中にも書いたように「最初に映画館で観た作品」が2作のどちらであるかはっきりしないという事情があったためだ。
 もちろん、「のび太の大魔境」以降の作品についても、色々と思い出は尽きない。いずれまた機会があれば語ってみたいが、とりあえず今回はこれで終わりとする。
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WOWOWで映画ドラえもん一挙放送

 2月22日から、WOWOWで「ドラえもん50周年」を記念しての映画ドラえもん一挙放送が始まった。

 これは、映画第1作「のび太の恐竜」から、2018年公開の第38作「のび太の宝島」までの38作を、ほぼ公開順に放送するもので、大きな特徴としてはリマスタリングしたHD画質になっていることと、音声もオリジナルがモノラルの作品はそのままモノラルとなっていることが挙げられる。
 二つとも、従来のDVDと、その延長であるDVD素材を使ったテレ朝チャンネルなどの放送などではなかったことだ。

 これが、どう画期的なのか。まず画質についてだが、そもそも映画ドラえもんの従来のDVDは、特に画質がよろしくないことで知られる映像ソフトだった。過去のVHSビデオの時に作られた映像素材をそのまま使い回しているのではないかと想像しているが、VHSの時代はそれでもまだよかった。ブラウン管テレビは基本的に今で言うSD画質なので、そこまで画質にこだわるべきものでもなかったからだ。
 それは、DVDになってからも言えることで、2000年代序盤まではまだまだブラウン管テレビが多かったので、問題なかったのだろう。しかし、地上波テレビがデジタル放送に変わり、それに伴って家庭のテレビの多くがHD画質となったことで、そうは行かなくなったのだ。
 今のテレビで映画ドラえもん、特に初期作品のDVDを観ると、画質が悪すぎて素直に作品に入り込めない。少なくとも、私はそう感じるのだ。それが、WOWOWの放送ではHD画質になった。
 参考のために、「のび太の恐竜」のエンディングから画面をキャプチャして並べてみた。上はDVD版、下はWOWOW版だ。サイズは縮小してあるが、それでも画質の違いは一目瞭然だと思う。DVD版ではボケボケな画面が、WOWOW版では非常にクリアに見える。







 そして、音声についてだが、DVD版ではオープニング・エンディングや挿入歌として流れる歌の数々が、差し替えになっていたのだ。これは、おそらく音声をステレオにするための措置だと思われるが、これに伴って挿入歌は映画の場面に合わせたサイズだったものが、単にフルコーラス版を垂れ流すだけとなり、映像と音のシンクロも失われてしまっていた。たとえば、WOWOW版とDVD版の「のび太の宇宙小戦争」で、「少年期」の流れるシーンを見比べると、はっきりするだろう。
 エンディング主題歌の場合、「のび太の海底鬼岩城」がいい例で、DVD版はフルコーラスを無理に編集して差し替えているので、間奏がぶつ切りのひどい状態だ。これも、WOWOW版では本来の「映画サイズ」に戻っている。
 また、DVDでは歌自体が「だからみんなで」に差し替えられてしまった「のび太の魔界大冒険」も、WOWOW版ではオリジナルの「風のマジカル」を聴くことができる。「魔界大冒険」では本編中に流れるBGMも、「風のマジカル」をアレンジしたものはDVD版では他の曲に差し替えられてしまっていたが、これも元の曲を聴くことができるのだ。

 このように、画質が向上して、音声もオリジナルに戻ったことで、WOWOW版では映画館で観るのにかなり近い状態で、映画ドラえもんを観ることができる。この文章を書いている時点で「のび太の魔界大冒険」までを観たが、一度WOWOW版で観てしまうと、DVD版には戻れないと思わされた。私にとっては、それほどの違いがある。
 ただ、一つWOWOW版の問題点を挙げるとすれば、画面が16:9の画角になっていることだろうか。「のび太のねじ巻き都市冒険記」までの作品は本来は4:3で制作されており、DVDでは4:3のままで収録されている。
 しかし、映画館では上下を切ったいわゆる「貧乏ビスタ」の16:9で公開されており、その意味ではWOWOW版は映画館と同じ画面で観ることができると言える。実際に観てみると、元々16:9での公開を意図して作られているせいか、あまり画面の狭さは感じなかった。今では、これはこれでありかなと思っている。4:3で観られるに越したことはないだろうが。

 なお、WOWOWでの映画ドラえもん一挙放送は今回が初めてではなく、2年前にも一度行われている。
 私は、その時にはとりあえず様子見をと思っていたのと、HDリマスタリングされたならいずれBDが出るのではないかと考えて、WOWOWは契約しなかったのだが、結局2年経ってもまだBDは出ていない。このHD版の放送がWOWOWに限定されているところをみると、リマスタリング作業にWOWOWが出資でもしていて独占契約となっている可能性もあるのではないか。
 そうなると、いくら待っていても当分の間はBDは発売されないのかもしれない。WOWOWの一挙放送は始まったばかりなので、今ならまだ全作品の録画に間に合う。私のようにDVD版に不満を持っている人には、間違いなくおすすめできる品質になっているので、迷っている人は観た方がいいだろう。なお、当方はWOWOWの関係者ではなく、この文章はステマの意図はないので、念のため。
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『オヤジ坊太郎』作品リストを作成

 ある日、ふとアニメ『ビリ犬』の放映リストを作ろうと思い立った。
 『ビリ犬』のリストは、Wikipediaをはじめとしていくつか公開されているが、いずれにも若干のミスが見受けられ、以前から気になっていたのだ。また、なんとなく「なんらかのリストを作りたい」という欲求がわき上がっていた時期でもあった。
 都合よく、手元には本放送と同じ内容と思われるテレ朝チャンネルの録画があったので、そのオープニング・クレジットを元にしてリストを作成したのだ。

 話は、それで終わらない。アニメのリストを作ったら、今度は漫画のリストだと言うことで、藤子不二雄先生のなんらかの漫画作品のリストを作ろうと思ったのだ。
 藤子先生と言っても、F先生の作品については、すでに大全集が出ており、一通り作品情報は調べられたあとだ。リストを作るなら、A先生の作品であろう。と、言うことで、『オヤジ坊太郎』のリストを作ることに決めた。
 なぜ『オヤジ坊太郎』かと言うと、これが初出情報のはっきりしていない作品だったからだ。一応、藤子不二雄ランドで刊行されているが、それは単行本2巻分にとどまり、作品全体の半分以上は初出がわからない状態のままだったのだ。
 また、はたして単行本未収録エピソードが存在するかというのも気になるところだった。と言うのも、連載回数81回に対して、単行本に収録されているエピソードの合計は76話であり、連載途中での再録や休載がない限り、単純計算で5話の未収録話があるはずだからだ。
 ともかく、これらの全てを明らかにするために、『オヤジ坊太郎』の全初出誌をチェックすることにしたのだ。

 まず調査の最初は、地元・大阪に存在する国際児童文学館からだ。
 国際児童文学館は、昔は吹田の万博公園の中にあったが、現在は大阪府立中央図書館の中に存在している。それに伴い、資料の貸し出しが事前の予約制になるなど、はっきり言って手続きがやや面倒になった。
 それはともかく、まずはここで連載期間中の「週刊少年キング」をあるだけ全て借り出したのだが、23冊しかチェックできなかった。これでは、3分の1にもならない。そこで、他の図書館での所蔵状況を調べたのだが、まず関西の図書館にはまるで無いことが分かった。そうなると、次は関東だが、これも無料で借りられるところは全滅だった。国会図書館・多摩図書館など『オヤジ坊太郎』連載期間中の「週刊少年キング」に関しては、ほとんど所蔵がないのだ。

 と、言うわけで最終手段として、現代マンガ図書館を利用することにした。
 ここは、利用料が貸し出し一冊に付き100円かかるので、できればあまり使いたくはなかったのだが、他においていないのなら仕方が無い。意を決して、先日行ってきたというわけだ。
 現代マンガ図書館は初めて利用したのだが、想像していたよりはこぢんまりとした施設だった。現在は明治大学の施設だが、元々は個人運営だったのだから、考えてみればそんなに大がかりなわけはないのだが。
 ともかく、ここでの調査ははかどった。国際児童文学館でチェックできなかった分を46冊も読むことができたのだ。おかげで、入館料300円+閲覧料4,600円=合計4,900円もかかってしまったが。

 そんなわけで、とりあえず作成したリストがこれだ。
 このリストを見るとわかるが、結局単行本未収録話は3話だった。初出時に2話だったエピソードが、単行本で1話にまとめられているケースが2つあったからだ。未収録は「キョーレツ! フトンたたきゲーム」「フトンたたき大ブーム!!」「おれたちゃ自転車暴走族」の3本。
 前2話は藤子作品でおなじみである「フトンたたきゲーム」を題材にしたもの。『ドラえもん』『新オバケのQ太郎』『ウルトラB』と、両先生の作品でネタにされていることからも、藤子先生にとって特別な思い入れのある遊びであることはわかる。そんな話が、なぜ未収録になったのだろう。
 「おれたちゃ自転車暴走族」も、別に内容的に問題のある話ではない。むしろ「ナチスをたおせ!!」(タイトルで察して下さい)や「サルマネコング大暴れ!」(人食い人種が登場)などの方がやばそうな気がするのだが、これらは普通に単行本に入っているのだから、実にふしぎだ。
 もう一つ、特筆すべきなのは、単行本『新オヤジ坊太郎』で最終話として収録されていた「10億円犯人を追え!!」が、実は最終話ではなく連載一周年記念として発表されたオールスター登場の前後編だったことだ。坊太郎の秘密の一端が明かされており、最終回らしいと言える話なので、これは意外だった。そうなると、真の最終回は一体どの話なのか、まだ最終回の初出誌が確認できていないので、実に気になるところだ。

 ともかく、未調査の残りは11話。これについては、全国各地の図書館を探すとともに、古書で売られていれば購入するなどして、今後も調査を進めたい。
 今回は、単行本未収録話が確定しただけでも、成果はあったと言えよう。需要がどれだけあるのかは、はなはだ疑問だが。
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