『モジャ公』を語る

 『モジャ公』は、私にとっては特別な作品だ。
 私は藤子・F・不二雄作品全般を愛読しているが、そんな中でも『ドラえもん』以外にもう一作をあえて挙げるとしたら、私は『モジャ公』を選ぶ。そのくらい好きな作品だ。今回は、そんな『モジャ公』について、語ってみたい。

 『モジャ公』との出会いは、中学生の時だった。
 「藤子不二雄ランド」を集め始めた最初の頃に出会ったタイトルで、購入したのは「知らないタイトルだったから」。あえて、それまで読んだことがなかった作品を選んで買ってみたわけだが、これが大当たりだった。モジャ公・空夫・ドンモの三人が繰り広げる奇想天外な宇宙冒険に、たちまち夢中になった。最も熱中していた頃は、一日に何回も読み返していたほどだ。
 それほど私を惹きつけた『モジャ公』の魅力とはなんなのだろうか。それは、やはりSF作品としてよくできていると言うことだろう。「ナイナイ星のかたきうち」における「種族が違うと顔が見分けられない」と言う目の付けどころや、「自殺集団」で繰り広げられるフェニックスの人々の狂躁、「地球最後の日」の一種独特な終末感、いずれも非常にユニークな発想と話の転がし方のうまさで、何度読んでも面白いのだ。

 そんな中で、「天国よいとこ」は、「偉大なる失敗作」だと思っている。と言うのも、この話で作者の藤子・F・不二雄先生がやろうとしていたことはわかるのだが、それが上手くいっていないと感じるからだ。
 「天国よいとこ」では、心が体を離れて独立している「シャングリラ人」が描かれている。シャングリラでは脳にニセの情報を送ることによってモジャ公や空夫は騙されて、天国のような暮らしを楽しむことになるのだが、ただ一人ロボットであるドンモだけは脳を持たないために生物のように「騙す」事はできず、結果としてドンモがシャングリラのからくりを見破ることになる。
 この発想はすばらしいのだが、話の後半でこのドンモの設定が消えてしまい、ドンモまでシャングリラの作り出す幻の宇宙船に騙されるようになってしまう。これは、残念だ。話の肝となるはずだった「ドンモの視点」が消えてしまっているのだ。
 ほかに、シャングリラの幻が生物の体に与える影響についても、混乱が見られる。あくまで幻は幻であるので、生物に直接的な影響はおよぼさないはずであった。しかし、話の終盤ではモジャ公たちを燃えたぎる火の中に落として殺そうとするのだ。この火はシャングリラの設備が破壊された後に消えたので、幻であったのは間違いない。そうであれば、モジャ公たちが落とされたところで死ぬことはなかったはずだ。
 さらに、シャングリラの設備の破壊についても、おかしなところがある。シャングリラ人は実体を持たないはずなのに、どうやって「コントロールセンターの配線をずたずた」にしたのだろうか。ここも、疑問が残る。
 このように、「天国よいとこ」には多くの矛盾点と疑問点があり、最初の構想が完遂できなかったと思われる点において、残念だった。この話が「偉大なる失敗作」なのは、こういう理由からだ。実を言うと、『モジャ公』のアニメ化が決まった時に、もしかしたら「天国よいとこ」の矛盾点を解消してアニメ化されるのではないかと少し期待した。しかし、残念ながら「天国よいとこ」はアニメ化されなかった。それどころか、『モジャ公』原作全エピソードのうち、アニメ化されたのは「さよなら411ボル」のたった一編だけという結果に終わってしまった。これは、残念だった。

 さて、『モジャ公』の単行本はいくつか刊行されているが、そんな中で「不死身のダンボコ」は、収録されたりされなかったりしているエピソードだ。初出時の最終話であるものの、一番最初の単行本である虫コミックスで省かれてしまったのをはじめとして、次のサンコミックスでも省かれた後に、藤子不二雄ランドでようやく初めて収録されたが、あくまで単行本での最終話は「地球最後の日」と言う位置づけだったようで、「不死身のダンボコ」は「地球最後の日」の前に配置されている。これによって、話のつながりが悪くなったのは否めない。「不死身のダンボコ」のラストで宇宙船を手に入れたはずの三人が、次の「地球最後の日」では、なぜかツアーに参加しているのだから。
 とは言え、「不死身のダンボコ」も、藤子不二雄ランド収録時にわずかではあるが加筆修正もされており、ちゃんと藤子・F・不二雄先生の手を経て単行本に入っている。
 なお、「地球最後の日」は、藤子不二雄ランド版までは、ほぼ初出通りの結末で収録されているが、中公愛蔵版刊行時に結末が描き改められて、より「最後」らしくなった。ただ、この描き換えは賛否両論だろう。個人的には、あっさり宇宙へ家出して終わる描き変え前の方が好みだ。描き変え後は、なぜかモナさんが三人の事情を知っているふうであったりして、無理を感じるところもある。

 そして、『モジャ公』の最新単行本となるのが、藤子・F・不二雄大全集版だ。
 この版は、それまでどの単行本にも未収録だった連載第2話や「たのしい幼稚園」版全話を収録するなど、「ほぼ完全版」と言っていい内容だ。ここで「ほぼ」と言ったのは、これでもまだ収録されていない部分が存在するからで、「地球最後の日」において、地球に戻ってきた時に空夫にタイム・ロックの説明をする内容が1ページ分、単行本では省かれているのだ。
 この部分が省かれた理由はわからないが、あえてタイム・ロックについて踏み込んだ説明は必要がないと判断されたのだろうか。昔の単行本はページ数に制限がある場合も少なくなかったので、この場合もそのためかもしれない。
 ともかく、ここさえ収録されれば大全集版を「完全版」と言ってもよかったと思うので、ちょっと残念ではある。

 ここまで、『モジャ公』について色々と語ってきたが、もしこの作品をご存じでないという方には、ともかく読んでみていただきたい。本当に、面白いのだ。今から読むなら、藤子・F・不二雄大全集版がベストだろう。と言うか、これ以外の単行本は絶版か品切れだと思われる。
 ともかく、生活ギャグSFを得意とする藤子・F・不二雄先生としては珍しい宇宙冒険物であり、その点でも見逃せない作品だ。
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映画ドラえもんの原点

 毎年、映画ドラえもんの新作を観るたびに、このブログで感想を書いている。今年はちょっと公開日が変わってしまったが、基本的には毎年3月の年中行事として、すっかり私の中では定着している。

 そんな映画ドラえもんについて、そのはじまりを振り返って書いてみようというのが、本稿の目的だ。
 そんなことを思ったのは、先日発売になった『映画ドラえもん超全集』を読んで、あらためて映画ドラえもんの一作一作について思いを馳せたのが影響している。また、2~3月にはWOWOWでの映画ドラえもん一挙放送があって、藤子・F・不二雄先生の原作がある「のび太のねじ巻き都市冒険記」までは観返しているというのも大きい。やはり、映画は実際に観てこそだと思う。
 そんなわけで、私にとっての映画ドラえもんのはじまりを振り返ってみる。



・ドラえもん のび太の恐竜

 記念すべき映画ドラえもん一作目。同時上映はこの年のみ藤子アニメではなく「モスラ対ゴジラ(短縮編集版)」。
 私が生まれて初めて映画館で観た映画だ…と書きたいところなのだが、これがよくわからない。はっきり言うと、幼すぎてはたして映画館に行ったかどうか、全く記憶にないのだ。なにしろ、私がまだ4歳の時のことなので、無理もない。
 ただ、原作にあたる大長編ドラえもんに関しては、「映画まんがドラえもん のび太の恐竜」のタイトルでカラーコミックスとして刊行されており、これは発売時に買ってもらったらしく、昔から家にあった。だから、「生まれて初めて読んだ大長編ドラえもん」は「のび太の恐竜」で間違いない。おそらく、一冊丸ごとの長編漫画を読んだ最初の体験だと思う。
 このカラーコミックス版をそれこそ数え切れないほどに読みたおしたために、未だにてんとう虫コミックス版での加筆部分に違和感を覚えてしまうのは、困ったものだ。
 なお、テレビ放送のアニメ『ドラえもん』は、すでに観ていたと思う。なぜなら、放送2年目に放映枠が1時間繰り下がって9時30分からになったときに、「これで寝坊しても『ドラえもん』を観られる」と、喜んだ記憶があるからだ。放送1年目も観ていたのは間違いない。
 このように、映画館に行ったかどうかははっきりしないが、おそらく秋のテレビ放送は観ただろうから、「生まれて初めて観たドラえもん映画」だと言っても差し支えはないだろう。
 その後、大人だけのドラえもんオールナイトなどをはじめとして、何度かリバイバル上映を観る機会はあったので、その時にはちゃんと劇場のスクリーンで観ることはできた。やはり、恐竜が動く姿はスクリーンで観てこその迫力だと思う。
 この映画は何度も観ているので、記憶に残っているシーンも数多い。ピー助のタマゴの化石を発見したときののび太のダンス、白亜紀最初の夜のジャイアンリサイタル、のび太たちの乗った恐竜が歩く躍動感あふれるシーンなどなど、挙げていくときりがない。
 この作品に、物心が付いた頃に触れられたのは、幸せな体験だったのだなとあらためて思う。この作品が、藤子不二雄ファンとしての私の生き方を、ある意味では決めたのかもしれない。



・ドラえもん のび太の宇宙開拓史/怪物くん 怪物ランドへの招待

 映画ドラえもん第2作は、豪華な2本立て。『ドラえもん』だけでなく『怪物くん』もテレビに登場して半年で、人気が盛り上がってきていた時期だ。
 この2本立てについては、間違いなく映画館で観た。これは、はっきり記憶しているし、挿入歌として流れた「心をゆらして」とエンディング曲の「ポケットの中に」の2曲に感激して、後日テレビ放送が行われた時にはこの2曲をカセットテープに録音したくらいなのだ。
 映画ドラえもんで一番好きな作品はと聞かれたら、私はこの「のび太の宇宙開拓史」を挙げる。前述の「心をゆらして」が流れるのび太たちとコーヤコーヤ星との別れのシーンが非常に感動的で、強く心に焼き付いているのだ。
 これは原作にも反映されており、てんとう虫コミックスでの加筆時に「心をゆらして」の歌詞の出る場面が足されたのは、映画と同じく別れのシーンだった。藤子・F・不二雄先生も、歌詞を入れるならここしかないだろうと思われたのだろう。
 この作品は、特にクライマックスの部分で原作と映画で異なるところがけっこう多い。一番よく言われるのは、のび太とギラーミンの一騎打ちがなくなっており、ロップルくんがギラーミンを撃つというようになっているところだろう。のび太の格好いいシーンを期待した人から不評なのはわかるが、私は映画版にも思い入れが強いので、映画はロップルくんの物語としてこれはこれでいいのかだと思っている。
 なお、エンディング曲「ポケットの中に」は1番のみが流れるのだが、ビデオ版ではなぜかサビの部分のみ2番に差し替えられており、これが長い間不満だった。現在では、Amazonプライムで観られるバージョンや、WOWOWのリマスター版は1番に戻っている。と言うより、これがオリジナルなのだから聴けて当然だ。
 同時上映の「怪物ランドへの招待」についても触れておこう。先ほど、『怪物くん』はテレビに登場して半年の時期だと書いたが、少なくとも映画を観に行くような層にはすでに大人気だったようで、オープニング主題歌の「ユカイツーカイ怪物くん」が流れると、場内の子供たちの大合唱になって驚いたと、一緒に観に行った母がよく言っていた。
 尺は「のび太の宇宙開拓史」には及ばないものの、それでも75分あるのだからボリュームは十分だ。はじめてお披露目となった怪物ランドでの冒険であり、怪物大王と怪物くんの親子の葛藤、戦怪族とのバトル、ヒロシとの友情など見応えは満点だ。この作品が未だにDVD化されていないのは、全く納得がいかない。テレビアニメのDVD-BOXに同時収録するか、単発でもいいから近い時期に発売すればよかったのにと今でも思う。




 最後に、映画パンフレットと原作にあたるカラーコミックスを紹介しておこう。
 「のび太の宇宙開拓史」のみパンフのサイズが大きく、また切り抜いて遊ぶようになっているため、現在では多少レアになっているらしい。古書店で見かけたら確保しましょう。
 この2作(「怪物くん 怪物ランドへの招待」を入れると3作)については本当に思い入れが強いので、本気で語り出したらいくら字数があっても足りないくらいだ。今回は、簡単にではあるが振り返ってみることで、私にとっての「映画ドラえもん」の原点を再確認することができた。特に2作に限定したのは、本文中にも書いたように「最初に映画館で観た作品」が2作のどちらであるかはっきりしないという事情があったためだ。
 もちろん、「のび太の大魔境」以降の作品についても、色々と思い出は尽きない。いずれまた機会があれば語ってみたいが、とりあえず今回はこれで終わりとする。
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WOWOWで映画ドラえもん一挙放送

 2月22日から、WOWOWで「ドラえもん50周年」を記念しての映画ドラえもん一挙放送が始まった。

 これは、映画第1作「のび太の恐竜」から、2018年公開の第38作「のび太の宝島」までの38作を、ほぼ公開順に放送するもので、大きな特徴としてはリマスタリングしたHD画質になっていることと、音声もオリジナルがモノラルの作品はそのままモノラルとなっていることが挙げられる。
 二つとも、従来のDVDと、その延長であるDVD素材を使ったテレ朝チャンネルなどの放送などではなかったことだ。

 これが、どう画期的なのか。まず画質についてだが、そもそも映画ドラえもんの従来のDVDは、特に画質がよろしくないことで知られる映像ソフトだった。過去のVHSビデオの時に作られた映像素材をそのまま使い回しているのではないかと想像しているが、VHSの時代はそれでもまだよかった。ブラウン管テレビは基本的に今で言うSD画質なので、そこまで画質にこだわるべきものでもなかったからだ。
 それは、DVDになってからも言えることで、2000年代序盤まではまだまだブラウン管テレビが多かったので、問題なかったのだろう。しかし、地上波テレビがデジタル放送に変わり、それに伴って家庭のテレビの多くがHD画質となったことで、そうは行かなくなったのだ。
 今のテレビで映画ドラえもん、特に初期作品のDVDを観ると、画質が悪すぎて素直に作品に入り込めない。少なくとも、私はそう感じるのだ。それが、WOWOWの放送ではHD画質になった。
 参考のために、「のび太の恐竜」のエンディングから画面をキャプチャして並べてみた。上はDVD版、下はWOWOW版だ。サイズは縮小してあるが、それでも画質の違いは一目瞭然だと思う。DVD版ではボケボケな画面が、WOWOW版では非常にクリアに見える。







 そして、音声についてだが、DVD版ではオープニング・エンディングや挿入歌として流れる歌の数々が、差し替えになっていたのだ。これは、おそらく音声をステレオにするための措置だと思われるが、これに伴って挿入歌は映画の場面に合わせたサイズだったものが、単にフルコーラス版を垂れ流すだけとなり、映像と音のシンクロも失われてしまっていた。たとえば、WOWOW版とDVD版の「のび太の宇宙小戦争」で、「少年期」の流れるシーンを見比べると、はっきりするだろう。
 エンディング主題歌の場合、「のび太の海底鬼岩城」がいい例で、DVD版はフルコーラスを無理に編集して差し替えているので、間奏がぶつ切りのひどい状態だ。これも、WOWOW版では本来の「映画サイズ」に戻っている。
 また、DVDでは歌自体が「だからみんなで」に差し替えられてしまった「のび太の魔界大冒険」も、WOWOW版ではオリジナルの「風のマジカル」を聴くことができる。「魔界大冒険」では本編中に流れるBGMも、「風のマジカル」をアレンジしたものはDVD版では他の曲に差し替えられてしまっていたが、これも元の曲を聴くことができるのだ。

 このように、画質が向上して、音声もオリジナルに戻ったことで、WOWOW版では映画館で観るのにかなり近い状態で、映画ドラえもんを観ることができる。この文章を書いている時点で「のび太の魔界大冒険」までを観たが、一度WOWOW版で観てしまうと、DVD版には戻れないと思わされた。私にとっては、それほどの違いがある。
 ただ、一つWOWOW版の問題点を挙げるとすれば、画面が16:9の画角になっていることだろうか。「のび太のねじ巻き都市冒険記」までの作品は本来は4:3で制作されており、DVDでは4:3のままで収録されている。
 しかし、映画館では上下を切ったいわゆる「貧乏ビスタ」の16:9で公開されており、その意味ではWOWOW版は映画館と同じ画面で観ることができると言える。実際に観てみると、元々16:9での公開を意図して作られているせいか、あまり画面の狭さは感じなかった。今では、これはこれでありかなと思っている。4:3で観られるに越したことはないだろうが。

 なお、WOWOWでの映画ドラえもん一挙放送は今回が初めてではなく、2年前にも一度行われている。
 私は、その時にはとりあえず様子見をと思っていたのと、HDリマスタリングされたならいずれBDが出るのではないかと考えて、WOWOWは契約しなかったのだが、結局2年経ってもまだBDは出ていない。このHD版の放送がWOWOWに限定されているところをみると、リマスタリング作業にWOWOWが出資でもしていて独占契約となっている可能性もあるのではないか。
 そうなると、いくら待っていても当分の間はBDは発売されないのかもしれない。WOWOWの一挙放送は始まったばかりなので、今ならまだ全作品の録画に間に合う。私のようにDVD版に不満を持っている人には、間違いなくおすすめできる品質になっているので、迷っている人は観た方がいいだろう。なお、当方はWOWOWの関係者ではなく、この文章はステマの意図はないので、念のため。
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『オヤジ坊太郎』作品リストを作成

 ある日、ふとアニメ『ビリ犬』の放映リストを作ろうと思い立った。
 『ビリ犬』のリストは、Wikipediaをはじめとしていくつか公開されているが、いずれにも若干のミスが見受けられ、以前から気になっていたのだ。また、なんとなく「なんらかのリストを作りたい」という欲求がわき上がっていた時期でもあった。
 都合よく、手元には本放送と同じ内容と思われるテレ朝チャンネルの録画があったので、そのオープニング・クレジットを元にしてリストを作成したのだ。

 話は、それで終わらない。アニメのリストを作ったら、今度は漫画のリストだと言うことで、藤子不二雄先生のなんらかの漫画作品のリストを作ろうと思ったのだ。
 藤子先生と言っても、F先生の作品については、すでに大全集が出ており、一通り作品情報は調べられたあとだ。リストを作るなら、A先生の作品であろう。と、言うことで、『オヤジ坊太郎』のリストを作ることに決めた。
 なぜ『オヤジ坊太郎』かと言うと、これが初出情報のはっきりしていない作品だったからだ。一応、藤子不二雄ランドで刊行されているが、それは単行本2巻分にとどまり、作品全体の半分以上は初出がわからない状態のままだったのだ。
 また、はたして単行本未収録エピソードが存在するかというのも気になるところだった。と言うのも、連載回数81回に対して、単行本に収録されているエピソードの合計は76話であり、連載途中での再録や休載がない限り、単純計算で5話の未収録話があるはずだからだ。
 ともかく、これらの全てを明らかにするために、『オヤジ坊太郎』の全初出誌をチェックすることにしたのだ。

 まず調査の最初は、地元・大阪に存在する国際児童文学館からだ。
 国際児童文学館は、昔は吹田の万博公園の中にあったが、現在は大阪府立中央図書館の中に存在している。それに伴い、資料の貸し出しが事前の予約制になるなど、はっきり言って手続きがやや面倒になった。
 それはともかく、まずはここで連載期間中の「週刊少年キング」をあるだけ全て借り出したのだが、23冊しかチェックできなかった。これでは、3分の1にもならない。そこで、他の図書館での所蔵状況を調べたのだが、まず関西の図書館にはまるで無いことが分かった。そうなると、次は関東だが、これも無料で借りられるところは全滅だった。国会図書館・多摩図書館など『オヤジ坊太郎』連載期間中の「週刊少年キング」に関しては、ほとんど所蔵がないのだ。

 と、言うわけで最終手段として、現代マンガ図書館を利用することにした。
 ここは、利用料が貸し出し一冊に付き100円かかるので、できればあまり使いたくはなかったのだが、他においていないのなら仕方が無い。意を決して、先日行ってきたというわけだ。
 現代マンガ図書館は初めて利用したのだが、想像していたよりはこぢんまりとした施設だった。現在は明治大学の施設だが、元々は個人運営だったのだから、考えてみればそんなに大がかりなわけはないのだが。
 ともかく、ここでの調査ははかどった。国際児童文学館でチェックできなかった分を46冊も読むことができたのだ。おかげで、入館料300円+閲覧料4,600円=合計4,900円もかかってしまったが。

 そんなわけで、とりあえず作成したリストがこれだ。
 このリストを見るとわかるが、結局単行本未収録話は3話だった。初出時に2話だったエピソードが、単行本で1話にまとめられているケースが2つあったからだ。未収録は「キョーレツ! フトンたたきゲーム」「フトンたたき大ブーム!!」「おれたちゃ自転車暴走族」の3本。
 前2話は藤子作品でおなじみである「フトンたたきゲーム」を題材にしたもの。『ドラえもん』『新オバケのQ太郎』『ウルトラB』と、両先生の作品でネタにされていることからも、藤子先生にとって特別な思い入れのある遊びであることはわかる。そんな話が、なぜ未収録になったのだろう。
 「おれたちゃ自転車暴走族」も、別に内容的に問題のある話ではない。むしろ「ナチスをたおせ!!」(タイトルで察して下さい)や「サルマネコング大暴れ!」(人食い人種が登場)などの方がやばそうな気がするのだが、これらは普通に単行本に入っているのだから、実にふしぎだ。
 もう一つ、特筆すべきなのは、単行本『新オヤジ坊太郎』で最終話として収録されていた「10億円犯人を追え!!」が、実は最終話ではなく連載一周年記念として発表されたオールスター登場の前後編だったことだ。坊太郎の秘密の一端が明かされており、最終回らしいと言える話なので、これは意外だった。そうなると、真の最終回は一体どの話なのか、まだ最終回の初出誌が確認できていないので、実に気になるところだ。

 ともかく、未調査の残りは11話。これについては、全国各地の図書館を探すとともに、古書で売られていれば購入するなどして、今後も調査を進めたい。
 今回は、単行本未収録話が確定しただけでも、成果はあったと言えよう。需要がどれだけあるのかは、はなはだ疑問だが。
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絶版漫画と藤子不二雄ランド

 「絶版漫画」とは、なにか。
 そのまま素直に解釈すると、絶版になっていてすでに新刊書店では手に入らない漫画単行本のことだ。レーベル全体が絶版となっているものもあれば、レーベルとしては現役でも、作品単位で見ると絶版になっているものもあると思われる。いずれにせよ、現在では古書店でしか手に入らない漫画本と言うことで、いいと思う。

 なんで唐突にこんな事を書いたかというと、あらためて自宅の本棚を見渡すと「絶版漫画」は案外少ないと言うことに気がついたからだ。
 私の所有している漫画単行本を著者別に見ると、一番冊数が多いのは藤子不二雄作品で、それに次いで手塚治虫作品ということになるが、藤子作品にせよ手塚作品にせよ、絶版本はあまり持っていない。
 たとえば、てんとう虫コミックス版『ドラえもん』は言うまでもなく現役の本であるし、「手塚治虫漫画全集」全400巻だって、文庫全集の刊行によって少なくなったとは言え、まだ新刊で置いている書店はある。「藤子・F・不二雄大全集」全115巻+別巻4巻も、一時的に品切れの巻はあるにしても、今のところ絶版にはなっていないはずだ。

 虫プロ商事の虫コミックスや朝日ソノラマのサンコミックスは、そもそも出していた会社が今は存在せず、間違いなく絶版漫画ではあるが、私はどちらもあまり持っていない。
 虫コミックスは手塚治虫『キャプテンKen』全2巻しか持っていないし、サンコミックスも藤子・F・不二雄作品(『モジャ公』『宇宙人』『創世日記』)と『鉄腕アトム』全21巻+別巻だけだ。手塚作品や藤子作品が色々と出ているので、いずれは入手したいとは思っているが、古書価が高いこともあって、なかなか手が出ない。

 その他、本棚から絶版らしき漫画を探してみると、ゴールデンコミックスの手塚治虫全集(5冊)やスターコミックス(『オヤジ坊太郎』『マボロシ変太夫』『仮面太郎』)、パワアコミックス(『新オヤジ坊太郎』)くらいしか見つからない。いずれも、これらの本でしか読めないエピソードがあるから入手したもので、殊更に絶版を意識して買ったわけではない。
 後は、サンワイドコミックスが水木しげる作品を中心に20冊程度あるくらいか。朝日ソノラマと言えばサンコミックスだが、サンワイドだって絶版には違いあるまい。こっちの方が手に入りやすいし。

 そんな感じで、私は漫画ファンではあるが、絶版漫画コレクターではない。なにしろ、100冊も持っていないのだから…と締めようとして、気がついた。「藤子不二雄ランド」も、よく考えたら絶版漫画ではないかと。
 「藤子不二雄Aランド」として復刊された藤子不二雄A作品はまだ現役であるにしても、復刊されたことのない藤子・F・不二雄作品および合作の合計152冊は、現在新刊書店で入手できず、絶版漫画と称して間違いではないはずだ。刊行された年代が新しすぎて、すっかり失念していた。

 藤子不二雄ランドが刊行されたのは、1984年から1991年までの7年間。当時の私は小学生~高校生だった。
 最後の一年を除いて、毎週毎週刊行された本を子供が全部買えるわけもなかった。最初に買った『少年SF短篇1 宇宙人』は古書店で購入したものだし、その後もしばらくは新刊では買わなかった。
 最初に新刊で買った藤子不二雄ランドが何だったかはすでに記憶にないが、時期的には『ドラえもん』の36巻以降が刊行され始めた頃だ。『新オバケのQ太郎』の第1巻あたりかもしれない。A作品は、『きえる快速車』『怪人二十面相』『シスコン王子』などの初期作品を最初に新刊で購入したと思う。当時は、これら初期作品の単行本化は特にありがたく思ったものだった。
 いずれにしても、当時は毎週刊行される中からこれはと思った作品を買うのが精いっぱいで、とても全部を新刊では買えなかった。主に、てんコミなど他レーベルで出ていない作品を中心にして買っていたと思う。
 そう言えば、名古屋の池下にあった三洋堂書店の漫画コーナーでは、当時刊行済みの藤子不二雄ランドがほぼ全巻揃っており、たまに訪れては眺めて「いつか、全巻揃えたいなあ」と思っていたものだ。まさか、本当に揃えるまでに25年以上かかるとは思わなかった。

 藤子不二雄ランドで一番巻数が多いのは『ドラえもん』だが、これに関しては幸運なことに、『少年SF短篇1 宇宙人』を買ったのと同じ古書店に30冊セット(1~35巻のうち5冊欠け)と言う微妙なセットが安く売っており、これを買うことが出来たので一挙に揃った。もっとも、このセットを買ってからしばらくは、欠けている5冊を求めて古書店を探しまくったものだが。
 この古書店では、他にも『まんが道』の20冊セット(全23巻のうち3冊欠け)と言うのも売っており、こちらも購入した。藤子不二雄ランドのうち特に巻数の多い作品が労せずして手に入ったのだから、今考えるとかなり運がよかった。もちろん、絶版になってプレミアが付く前の話だ。

 現在は、大人になったから欲しい本を遠慮せずに買えるというわけでは全くなく、未だに予算と相談して、特に欲しい本を新刊で買っているが、それでも子供の頃と比べると使える金額は格段に増えた。だから、藤子・F・不二雄大全集は無事に全巻新刊で購入できたが、きっと子供の頃の私のように「買いたくても買えない」若い人はいただろう。なにしろ、藤子不二雄ランドを毎週買うよりも、一月あたりの金額は大きかったのだから。そう言う人のためにも、出来るだけ長く藤子・F・不二雄大全集が新刊で買える状態が続くことを願いたい。


 と、言うわけで、「藤子不二雄ランド」152冊をカウントしていいのなら、私も絶版漫画を200冊以上は持っていることになる。自分としては、藤子不二雄ランドが「絶版漫画」だという感覚は、あまりないのだが。やはり、新刊で買った経験のある本は、そういう風に思いにくい。
 藤子不二雄作品の単行本は、容易に入手できるものはほぼ入手してしまったので、今後収集を続けるとすれば、絶版漫画が中心になっていくのだろう。私としても、欲しい本はまだまだたくさんある。セリフが変えられてしまった作品については、できれば改変前のセリフで読みたいという気持ちはあるし、絶版漫画独特の古さが持つ「味」にも憧れはある。
 まあ、今さら焦ることはないのだから、ぼちぼちと集めていけたら、と思う。
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『笑ゥせぇるすまんNEW』感想

 4月より、「あにめのめ」枠で放映されてきたアニメ『笑ゥせぇるすまんNEW』が、今週で最終回を迎えた。
 ただし、今週の放送は「玄田哲章セレクション 特別リピート放送!」と言うタイトルでの再放送(第7話を放送)であったので、実質的な最終話は先週の第12話となる。
 アニメ旧作『笑ゥせぇるすまん』が放映されたのが1989年から1993年。今回の『笑ゥせぇるすまんNEW』は、それから24年経っての再登場となったわけだが、今回はその感想を書いておきたい。

 まず、この作品のよかった点だが、アニメオリジナルエピソードが頑張っていた点が挙げられる。
 たとえば、「ああ、愛しの583系」「ひげタクシー」と言った、原作に混ざってもおかしくないと思えるほどに藤子A作品らしい雰囲気を構築したエピソードもあれば、「マボロシガイシャ」「チャットルームの王様」など、現代ならではの題材を扱ったエピソードもあり、毎回「今週は、どんな話だろう」と、観るのが楽しみだった。特に、「チャットルームの王様」は、喪黒福造とお客が直接対面せず、PCのディスプレイを介しての「ドーン」が行われた点がユニークだった。
 原作付きのエピソードについては、前作でアニメ化されなかった原作が比較的多く選ばれており、その点で新たな気持ちで作品を観る事が出来た。そんな中でも「かいぶつかします」のサブタイトルは、原作は「怪物貸します」と漢字になっているのをひらがなにした事で、「怪物貸します」と、オチの「怪物化します」とのダブルミーイングになっていたのが面白かった。
 また、主題歌もよかった。オープニング・エンディング共に喪黒福造の決めぜりふである「ドーン」を歌詞に織り込んでおり、まさに本作のための曲となっていてよかったし、特にエンディングの「ドーン!やられちゃった節」は、歌唱を担当した高田純次のキャラクターと歌詞がよくマッチしており、聴いていて楽しい曲だった。

 次に、残念だった点についても、触れておこう。
 特に、アニメオリジナルのエピソードでいくつか観られた事だが、オチがわかりにくい話があった。「走行者天国」などは、その典型的な例だろう。人がめちゃくちゃ増えたのはわかるのだが、それだけなのか、それでさらに「何か」がおこったのか、よくわからなかった。おそらく、脚本よりは演出の「見せ方」の問題だったのではないか。
 そして、これが一番残念だったのだが、特に女性のゲストキャラクターが藤子Aっぽくなかったのは気になった。美女をよりきれいに描きたいのはわかるのだが、あくまで藤子Aキャラとしての美女を追求して欲しかった。
 これが、美女ではない「ニッポン海外旅行」の島井ちか子になると、まだ藤子Aテイストが感じられたので、やはり美女限定での作画の問題だったのではないかと思う。

 といった感じで、とりあえず1クール全12話で終了した『笑ゥせぇるすまんNEW』だが、はたして続きはあるのか。インド版『忍者ハットリくん』のように、2期、3期と続いて言ってくれれば嬉しいところだが。
 もし、続きをやるのであれば、今回選ばれなかった傑作の原作エピソードをぜひ現代に甦らせて欲しいものだ。たとえば、「たのもしい顔」。旧作アニメでは「かんのんさま~」のセリフがなぜか削られてしまっているので不満がある。これを、「完全版」としてアニメしてくれたら、非常に嬉しいのだが。他にも、今回は選ばれなかった『帰ッテキタせぇるすまん』『踊ルせぇるすまん』の原作も、ぜひアニメ化して欲しい。
 アニメオリジナルエピソードについては、今回のような水準でやってくれるなら、期待は出来る。

 それにしても、最近の傾向ではあるが、1クール全12話で完結してしまうのは短すぎる。『笑ゥせぇるすまん』のように豊富な原作がある作品は、最低でも2クールはやって欲しいものだ。やはり、それは2期に期待するしかないのかな。
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『スーパーサラリーマン 左江内氏』感想

※ドラマ『スーパーサラリーマン 左江内氏』の内容に触れています


 昨日、藤子・F・不二雄作品『中年スーパーマン左江内氏』を原作としたドラマ『スーパーサラリーマン 左江内氏』が、最終回を迎えた。

 思えば、藤子不二雄両先生の作品は、いままでアニメ化のみならず、何度もドラマ化されてきた。それらを振り返ってみると、


 『エスパー魔美』(連続ドラマ)→一応、全話完走。原作とは「超能力」の解釈が大きく違っていた点に引っかかったのを覚えている。後半のストーリーはほとんど記憶にない。原作から大きくかけ離れていたことだけは覚えている。

 「キテレツ」(単発ドラマ)→特番の一回きりだったこともあって、無難にまとめたなという印象。コロ助役が初代アニメ版の小山茉美さんだった点は好印象。オチは、「帰ってきたドラえもん」を連想した。

 『笑ゥせぇるすまん』(連続ドラマ)→全話完走。原作ありきの作品だったので、ストレス無く観ることが出来た。ただ、1時間枠だったために、どうしても間延びする印象は否めなかったが。伊東四朗の喪黒は、アニメ版を意識していた節もあり。

 『怪物くん』(連続ドラマ)→1話のみ視聴して脱落。怪物くんのキャラクターがあまりにも原作の印象とかけ離れていて、ダメだった。あれはミスキャストだろう。

 「未来ドロボウ」(単発ドラマ。『世にも奇妙な物語』枠内で放映)→主人公の年齢が上がっていたが、基本的には原作通り。これも、無難にまとめた感じか。



 と、言った感じ。上記以外にも藤子ドラマはあるが、観ていないのでここでは触れない。「山寺グラフティ」のドラマ版「逢いたい」なんかは、結構原作に忠実だと聞くので観てみたいのだが、関西ローカルのドラマでソフト化もされていないとあっては、どうしようもない。『夢カメラ』あたりは、今観るとどうなんだろうな。

 さて、それでは今回の『左江内氏』はどうだったか。

 正直言って、最初の方は相当に強い違和感を持って観ていた。左江内氏の「責任を取りたくない」という性格付けや、鬼嫁など家族のキャラ付け、小池刑事などドラマ独自の設定が原作からかけ離れているように感じて、また本筋のストーリーもオリジナルのものばかりで、これなら別に『左江内氏』ではなくてもいいのではないかと思ったためだ。

 しかし、中盤以降は基本的に楽しんで観ることが出来た。
 私が福田雄一監督の独特の演出に慣れたというのもあるだろうし、コピーロボットを登場させたりと言ったF作品を意識したお遊びがあったり、原作をモチーフとしたストーリーが展開されるようになってきて、藤子・F・不二雄作品のドラマ化としての意義が見出せるようになってきた事も大きかったと思う。
 今挙げたほかにも、悪人のスーパーマン化や、左江内氏以外のスーパーウーマン(女性なので「スーパーさん」を意識しているのか?)を登場させるなどの展開は、面白く感じた。

 最終回では、原作と違ってパーやんは登場しなかったが、その代わりにバードマンをモチーフにしたと思われる「キャプテンマン」が登場して、忘却光線ネタを絡めつつ、それまでの伏線が回収された。
 正直なところ、パーやんは出さないだろうなとは思っていたが、それでもパーマンっぽい人を出してくれたことは素直に嬉しい。それにしても、役者の顔がでかいせいもあるのだろうが、実写でパーマン(っぽい)マスクを被ると、非常にマヌケに見えると言うことをあらためて確認できた。
 最後には、原作でも触れられたスーパーマンの条件が挙げられて、ある意味では原作1話につなげる感じで終了。まあ、きれいにまとまったと思う。

 このドラマに不満があるとすれば、前半は色々と雑な部分が目に付いた点だろうか。特に、第1話で左江内氏がスーパーマンになっているところをテレビ中継されていたのにはびっくりした。
 F作品では『T・Pぼん』でも触れられていたが、いくら忘却光線があっても映像として残ってしまってはどうしようもないはずで、それで押し通すなら押し通すで、何らかの説明が欲しかったところだ。そういう細かい設定の部分のきまりごとをしっかり守るのが藤子・Fテイストだと思うのだが、その点については無頓着な部分が観られたのは残念だった。そういう所も含めての、福田監督の作風だったのかもしれないが。


 とは言え、2017年と言うこの年に『中年スーパーマン左江内氏』がドラマ化された意義は大きい。
 原作は新しい単行本が出て脚光が当たった。『ドラえもん』だけでなく、藤子・F・不二雄作品は他にも色々とあるのだということが、少しでも多くの人に伝わったとしたら、非常に嬉しい。それだけでなく、地上波テレビのゴールデンタイムで堂々と『左江内氏』が放送されているというのは、観ていて妙に可笑しいというか、愉快なことだった。
 と、言うわけで、このドラマを観てよかったと思う。4月からはアニメ『笑ゥせぇるすまんNEW』がスタート。こちらも、楽しみだ。2~3月に放映されたインド版『忍者ハットリくん』第4期も含めて、藤子作品の映像化という点で今年は非常に恵まれた年になりそうだ。
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藤子不二雄ランド 全301巻 完集!!

 長年、一冊一冊と集めてきた「世界初の週刊漫画全集」こと藤子不二雄ランドを、とうとう全301巻揃えることが出来た。
 先日、NU上映会で東京に行った際に、まんだらけ渋谷店で購入した『新編集 オバケのQ太郎』第13巻が、最後の一冊になる。

 ちなみに、私が最初に買った藤子不二雄ランドは、忘れもしない中学生の時、家の近所の古書店「小林書店」(既に閉店)で購入した『少年SF短篇1 宇宙人』だった。それから、約27年くらい経っただろうか。ようやく、全巻が揃ったのだ。



全巻揃っての記念写真




私にとっての最初と最後の巻


 あらためて揃えてみると、やはり301巻というのは半端じゃない数だ。
 長い間にこれだけたくさんの作品を描かれてきた藤子不二雄両先生は偉大だと言うことを、今回の藤子不二雄ランド完集を機に、あらためて思い知らされた。

 藤子不二雄ランドが揃ったと言っても、まだまだ持っていない藤子単行本はたくさんある。
 あまり高価なものはなかなか手が出ないが、自分の可能な範囲で、これからも藤子本は集めていきたい。

 ともかく、今回のことが自分にとっての一つの区切りであることは間違いない。本当に、長かったなあ。
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第12回NU藤子アニメ上映会に参加

 2月11日に東京で開催された、藤子不二雄ファンクラブ「ネオ・ユートピア」(NU)の第12回藤子アニメ上映会に参加してきた。

 前回は2014年秋に行われたので2年半ぶりの開催となったが、今回はNUの30周年を記念しており、実際にこの会が発足したのが2月11日だったので、ちょうど記念の日の開催となったのだった。
 ちなみに、私自身は藤子・F・不二雄先生が亡くなられた後に入会したので、会員歴は20年くらいか。それでも、会の歴史の3分の2は付き合っていることになる。






 写真は、会場で展示されていたNUのこれまでの会誌。これを見るだけでも、長い歴史が感じられる。

 ところで、最近は色々な藤子アニメのソフト化が続き、「珍しい映像」のハードルがかなり上がっていると思う。なにしろ、あの『ジャングル黒べえ』ですらDVD化されてしまったのだから。昔なら、上映会の目玉になっていたタイトルだ。
 そんな中で、「珍しい」と思える映像を発掘してこられるNUスタッフの皆さんの努力には、頭が下がる思いだ。今回も、十分に珍しい映像の数々を観て、大いに楽しむことが出来た。

 どこまで内容について書いていいかが判断付かないので、ぼかした書き方になるが、上映作品の中で非常に藤子不二雄A先生のタッチを忠実に再現したアニメがあった。制作年代を考えると、驚異的と言ってもいいくらいだ。あれが、もし実際に放映されていたら、藤子アニメの歴史も変わったのではないかと思わされるような作画だった。
 どうやら、藤子A先生ご自身も関わったことをお忘れだったらしいが、このような貴重な映像がまだ存在したこと自体が驚きだ。何しろ、事前のアナウンスではラインナップに上がっていなかった作品なのだ。こうなると、あとは幻の藤子アニメ『フータくん』の発掘が待たれるところだ。次回の上映会あたりで、本当に流れたりして。いや、まさかね。

 それ以外に、藤子不二雄両先生が出演された貴重な番組も紹介されたが、一緒に出演されていた楳図かずお先生とまことちゃん(声・杉山佳寿子)のキャラのインパクトが強すぎたせいで、肝心の藤子先生の印象が薄くなると言う妙な番組だった。一応、藤子先生と楳図先生それぞれに見せ場があったはずなのに、実に不思議だ。それだけ、楳図先生のインパクトは大きかったのだ。これも、番組自体は非常に貴重な映像だと思います。

 と、いった感じで、他にも色々な映像を見ることが出来たが、どれも貴重なものだった。繰り返しになるが、このようなタイトルを用意するのは大変だったと思う。本当に、ありがとうございます。


 上映会の後は、2次会(懇親会)も行われた。会場に集まった数十人がみんな藤子ファンと言う夢のような空間。誰とでも話が通じるのだからすばらしい。おなじみの方はもちろん、初めてお会いした方や久しぶりにお会いした方ともたくさんお話しすることが出来て、非常に楽しい時間だった。

 この2次会では、NUの作成した問題による「ドラえもんクイズ」も行われて、これに私も参加したのだが、結果は準優勝。決勝(3ポイント先取で優勝)でリーチをかけながら、優勝は別の方にさらわれてしまったので、ちょっと悔しい。
 問題は、よく練られた難問揃いだったが、個人的にはキャラ名を当てる問題で「太山三限」、ではなく「犬山三郎」を答えられなかったのが残念だ。もっとも、この問題は唯一の正解者なしだったので、みんなダメだったのだが。「犬山太郎」と答えそうになったのは回避したのだが、肝心の「三郎」が出てこなかった。

 といった感じで、「藤子不二雄」の縁で集まった人たちとの、藤子づくしの非常に楽しい一日だった。企画してくださったNUスタッフの皆さん、そして参加された会員の皆さん、本当にありがとうございした。
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アニメ『モジャ公』を振り返る【補遺編】

 前回、「アニメ『モジャ公』を振り返る」というエントリを書いたが、そのときに書き切れなかった事が結構あるので、今回はそれらの書き残したネタについて、触れておきたい。


 まずは、テレビ愛知における放映形態について。
 『モジャ公』は、テレビ東京系のネットで放映されたが、そのうち同時ネットだったのはテレビ愛知を除く5局であり、テレビ愛知のみ平日18時30分の時間帯にアニメ再放送枠「まんがのくに」を設置していた関係で、遅れネットとなっていた。
 その、遅れネットの時間帯は土曜19時。ゴールデンタイムであり、テレビ朝日系の『美少女戦士セーラームーンSuperS』の裏だ。テレビ愛知は、視聴者層が被らないと判断したのだろうか。とにかく、遅れネットの割にはいい枠での放送だったのだ。ただし、他局から18日遅れだったが。

 これだけなら、ただ単にテレビ愛知だけが違う時間帯で放映していたに過ぎないのだが、実際にはそれだけではない。
 テレビ愛知の土曜19時枠というのは、たびたび特番でつぶれる時間帯だったのだ。つぶれた場合はどうなったか。昔『桃太郎伝説』や『機甲警察メタルジャック』を放映していた頃は、春休みなどの平日午前中の時間帯に休止分をまとめてやっていたのだが、なにしろ『モジャ公』は、最初から18日遅れなのだ。これ以上、さらに遅れを広げる訳にはいかないと判断されたのか、休止時は同日6時30分の枠に振り替え放映という事になったのだ。
 念のため言っておくと、18時30分ではない。朝の6時30分だ。おそらく、同じ土曜日に他に適当な枠がなかったのだろうが、これはなかなかにひどい。「今日『モジャ公』はないのかな」と昼間に気がついた時には、もう手遅れなのだ。一応、前週の本編最後に「時間を変更してお送りします」とテロップは出るが、それだけなので観逃す可能性は高かっただろう。今数えてみたら、6時30分の枠で放映されたのは、6回もあった。
 さらに、冬休みには朝7時30分からの特別枠で2話連続放送も行われており、最初の2クール25話のうち、土曜19時で放映されたのは17回と言う事になる。

 3クール目に入ったところでテレビ愛知は「まんがのくに」枠を廃止したため、第26話からはテレビ愛知も同時ネットされる事になったが、その半年後にはまたもや月曜19時に移動になるのだから、テレビ愛知で『モジャ公』を観ていた人にとっては、「よく時間帯の変わるアニメ」という印象がある事だろう。われながら、これでよく全話録画できたものだと感心せざるを得ない。


 もう一つは、作品内容に関わる重要な事だ。シリーズ構成・寺田憲史氏の加入に伴って作品の路線変更が行われた件について、その証拠と言えるものがあるので、取り上げておきたい。
 それはすなわち、モナシスさんの扱いだ。原作読者には説明の要はないと思うが、モナ=モナシスさんと言えば、原作(加筆版)ラストで空夫たちを導く役目のある、重要なキャラクター。アニメ版の初代オープニングでも、大きな扱い(モジャ公を抱きしめてキスする)で登場しており、原作同様に重要キャラになると思われた。

 そのモナシスさんのアニメでの最初の出番は、第21話「ちょっとポッドでお買いもの」。これは、原作「さよなら411ボル」のアニメ化であり、モナさんの出番も原作に準じるものとなっている。つまり、この時点では、そんなに大した役どころではない。なお、声は林原めぐみが務めている。林原さんの藤子ヒロインと言えば、『チンプイ』の春日エリ以来であり、スタッフの力の入れようがうかがえる。モジャ公の弟、モジャルと二役ではあったが。
 さらには、前回も触れたキャラクターソング・アルバムに、モナシスさんのテーマ「セントエルモの火」も収録されているのだ。モナさん以外のキャラソンは、レギュラー・キャラクターのものばかりであり、この点でも重要なキャラクターであった事をうかがわせる。
 ちなみに、他のキャラソンはキャラの声優本人が歌っているのだが、モナさんのテーマだけはコロムビアの歌手である石田よう子(当時)さんの歌唱。林原さんはキングレコードに所属しているから、コロムビアのアルバムで歌う事はできなかったのだろう。

 そんなモナさんに、再度の登場が期待されたが、結論から言うと第21話がアニメ版では最初で最後の出番であり、その後アニメ版にモナさんが登場する事はなかった。3・4クールの2代目オープニングにもモナさんは出ていたが、他の宇宙人と一緒にその他大勢という感じに格下げされており、露骨に路線変更が行われた事がわかるものだった。

 もし、開始当初のように監督のえんどうてつや氏が3クール目以降もシリーズ構成を務めていれば、宇宙での冒険が続いてモナさんの出番ももっとあったのではないだろうか。「月刊アニメージュ」1996年12月号の藤子・F・不二雄先生追悼特集に掲載されたえんどう監督のコメントでも、原作の話を1本しかやれなかった事を残念がっていたので、大いにあり得る事だと思う。
 徹底的に子ども向けに設定が変更されたアニメ版『モジャ公』では、スタッフにその気があってもどれだけ原作の話をやれたか怪しいものだが、それでも『21エモン』ですでにやってしまっている「アステロイド・ラリー」「ナイナイ星のかたきうち」を別にしても、「うまそうな三人」「天国よいとこ」「不死身のダンボコ」あたりは、何とかなりそうな気もする。「さよなら411ボル」は結末が改悪されていたので、他に原作ものがあったとしても同様になった可能性も高いが。
 それでも、路線変更は残念な事であった。


 と言った具合に、二題ほどアニメ版『モジャ公』について、前回書き残した事を書いた。
 今になって振り返ってみれば、頻繁な放映時間帯の移動で、観るのに苦労はさせられたが、それだけに忘れられない作品になっているのは確かだ。作品の出来は、別にして。
 よくも悪くも、アニメ版『モジャ公』には、振り回されたと言える。
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