藤子不二雄や、好きな漫画・アニメの話がメイン(ネタバレもあるので要注意)
はなバルーンblog
最近のわさドラに対する失望
今年に入ってから、このブログでドラえもん・藤子不二雄関連のネタを取り上げていない。
最後にアニメ「ドラえもん」を取り上げたのは、昨年末の「「わさドラ」を長生きさせるために」「わさドラ問題点について補足」の2本であり、最近は「奏光のストレイン」など新作テレビアニメや、「ゲゲゲの鬼太郎」関係の話題ばかりだ。
現状では、ブログトップの「藤子不二雄や、好きな漫画・アニメの話がメイン」と言う説明文には、我ながら違和感を覚える。
新作映画「ドラえもん のび太の新魔界大冒険 7人の魔法使い」公開まで2週間を切って、アニメ「ドラえもん」に関する話題はいくらでもある。そんな状況で、アニメドラの話題を取り上げないのは、はっきり言って現状では、取り上げようと言う気に全くならないからだ。
昨年末までは、テレビアニメにも新作映画にも、まだかなり期待していた。
映画に関しては、若手の寺本幸代監督の起用や真保裕一脚本によって、「魔界大冒険」が、どのようにアレンジされるか楽しみだった。声優については、美夜子役の相武紗季は不安だったが、重要なキャラにアフレコ経験の少ない人を起用するからには、他の役はベテラン声優で固めてフォローするだろうと思っていたのだ。
しかし、今年に入ってから発表されたキャストは、メジューサに久本雅美、満月牧師に河本準一と、アフレコ経験がほとんど無い芸能人ばかり。しかも、相武紗季を含めて非常に重要な役なのだから問題だ。このキャスティングで、今回の映画に対する期待が、一気にしぼんでしまった。
大山時代の映画でも、主題歌を担当した歌手のゲスト出演は演技に難があったが、それ以外のゲストキャラは、ほぼプロの声優が起用されていて、安心して声を聴く事が出来た。例外として「南海大冒険」は、ゲストキャラの多くが専業声優ではなかったが、役者として演技の出来る人が揃っており、私は気にはならなかった。さすがに、ジャック役にマッハ文朱はミスキャストではないかと思ったが、演技力とは別の話だ。
また、アニメ映画における芸能人の起用と言えば、スタジオジブリ作品を思い浮かべる人も多いだろう。こちらは監督やプロデューサーが声優を使わない理由を公言しているし、出演者も木村拓哉クラスならば、かなりの集客力が見込める物と思われる。だから、ジブリの方針自体の是非はともかくとして、狙いは十分に理解できる。
それに対して、今回の「新魔界大冒険」のキャストは、どんな層を狙っているのかがわからない。メインの客層であるはずの子供が興味を惹かれるようなメンバーとは思えないし、子供を映画館に連れて行く親にとっても同様だろう。
それに、あえて「魔界大冒険」をリメイクするのだから、子供だけではなく、「ドラえもん」で育った大人をも、ある程度ターゲットにしていると考えられるが、昔の元祖「魔界大冒険」に思い入れがある人(私自身も含む)にとっては、なおさら拒否反応が起きるのではないか。
結局、昨年からテレビで展開されていた中途半端な芸能人起用路線が、映画にまで波及したようにしか見えない。
ここまでは新作映画の話だったが、最近はテレビアニメも迷走がさらにひどくなっていると感じる。
昨年は、芸能人起用のミニコーナーはともかく、本編はまだ「ドラえもん」として楽しめる水準だったが、今年に入って本編もおかしくなっている。
最初に本編に疑問を感じたのは、「しずかちゃんをとりもどせ」を、1月12日のBパート・19日のAパートと、二週に分けて放映した時だった。テレビアニメの「ドラえもん」で次週への引きが入ったのは初めてで、試みとしては興味深いのだが、1回で放映できる内容をわざわざ分けた所にあざとさを感じた。
そして、2月16日・23日には、ついに二週にわたっての前後編「地底の国探検」が放映された。
これが、原作の長いエピソードをじっくり時間をかけて丁寧に描いたのであれば歓迎なのだが、実際には原作の要素は前編のAパート半ばまでで、それ以降は映画「のび太の太陽王伝説」もどきの国を舞台としたアニメオリジナル展開となり、それが最後まで続いた。原作「地底の国探検」の要素は全体の1割くらいしか見受けられず、ほぼアニメオリジナルのエピソードと言っていいだろう。
放映開始から二年も経っていないこの時期にオリジナル話を放送する事自体に疑問はあるが、それでも話が「ドラえもん」として面白いものであれば、まだいい。しかし、今回の「地底の国探検」は、はっきり言って全然面白くなかった。
特に、後編の探検部分はひどい。しずかを生け贄の人質にとられた状態での宝さがしにも関わらず、ドラえもん一行にはまるで緊張感がなく、早い段階で色々な罠が仕掛けられていると判明しているのに、対策は「通路の真ん中を歩く」だけで、道具を使おうとしない。
後半になって、ようやく道具がある事を思い出したらしく、スモールライトやタケコプターを使っていたが、最初から一行を争うような状況なのに、これらの道具の存在自体を無視するような前半の展開は、あまりにも無理がありすぎる。
「ドラえもん」でこのような冒険を描く場合、道具自体を使えなくしてしまうか、もしくは道具があってもなお過酷な状況にして制約を付けないと、道具を使う事で「何でもあり」になって、話に緊張感が無くなる。今回は、まさにその点への配慮が欠けていて、話の展開に合わせて道具を出しているようにしか思えなかった。「ドラえもん」の話作りとしては、あまりに稚拙であり、話はご都合主義で面白さが感じられない。
今後も、昨年募集された「ひみつ道具コンテスト」の最優秀作品を題材にしたオリジナルエピソードが春に放映される予定だが、今回の「地底の国探検」を観た限りでは、このスタッフのオリジナルには期待できない。どうも、スタッフの実力の「底」が見えてしまったようで、わさドラに期待していた身としては、失望せざるを得ない。
長くなってしまったが、現状でアニメ「ドラえもん」をブログで取り上げる気にならない理由は、以上である。
「ドラえもん」ファンサイトの管理人としては、今回のような内容を書くのは非常に心苦しいのだが、放映開始当初から「わさドラ」に期待して、ブログで毎週感想を書いていた以上、責任を感じるので、やはり触れないわけには行かない。
映画「新魔界大冒険」は観に行くつもりだが、もし東京限定で舞台挨拶があったとしても、わざわざ今回の出演者を生で見るために上京する気にはなれない。地元・名古屋で済ませるつもりだ。
実を言うと、昨年末の時点では、映画公開に合わせて「ドラちゃんのおへや」のオフ会を開き、映画について語り合おうと言う考えもあったのだが、アニメドラに対するテンションが下がりきっている現在では、気力が沸かない。
テレビアニメも、放映が続く限りは視聴を止めるつもりはないが、現在観ているテレビアニメの中では、視聴優先順位はかなり下がっている。テレ朝チャンネルで放送している「パーマン」の方が、よっぽど毎回楽しみだ。
ともかく、今のアニメ「ドラえもん」は、本編・ミニコーナー共に、観ていても何をやりたいのかがさっぱりわからない。年末にも書いた事だが、長寿番組としてこれからも長く続けていこうとする長期的展望があるようには思えない。今のテレビ朝日なら、映画の興行成績次第でテレビ・映画共にあっさり打ち切られても不思議ではないだろう。
果たして、「ドラえもん」はどこへ向かうのだろうか。
最後にアニメ「ドラえもん」を取り上げたのは、昨年末の「「わさドラ」を長生きさせるために」「わさドラ問題点について補足」の2本であり、最近は「奏光のストレイン」など新作テレビアニメや、「ゲゲゲの鬼太郎」関係の話題ばかりだ。
現状では、ブログトップの「藤子不二雄や、好きな漫画・アニメの話がメイン」と言う説明文には、我ながら違和感を覚える。
新作映画「ドラえもん のび太の新魔界大冒険 7人の魔法使い」公開まで2週間を切って、アニメ「ドラえもん」に関する話題はいくらでもある。そんな状況で、アニメドラの話題を取り上げないのは、はっきり言って現状では、取り上げようと言う気に全くならないからだ。
昨年末までは、テレビアニメにも新作映画にも、まだかなり期待していた。
映画に関しては、若手の寺本幸代監督の起用や真保裕一脚本によって、「魔界大冒険」が、どのようにアレンジされるか楽しみだった。声優については、美夜子役の相武紗季は不安だったが、重要なキャラにアフレコ経験の少ない人を起用するからには、他の役はベテラン声優で固めてフォローするだろうと思っていたのだ。
しかし、今年に入ってから発表されたキャストは、メジューサに久本雅美、満月牧師に河本準一と、アフレコ経験がほとんど無い芸能人ばかり。しかも、相武紗季を含めて非常に重要な役なのだから問題だ。このキャスティングで、今回の映画に対する期待が、一気にしぼんでしまった。
大山時代の映画でも、主題歌を担当した歌手のゲスト出演は演技に難があったが、それ以外のゲストキャラは、ほぼプロの声優が起用されていて、安心して声を聴く事が出来た。例外として「南海大冒険」は、ゲストキャラの多くが専業声優ではなかったが、役者として演技の出来る人が揃っており、私は気にはならなかった。さすがに、ジャック役にマッハ文朱はミスキャストではないかと思ったが、演技力とは別の話だ。
また、アニメ映画における芸能人の起用と言えば、スタジオジブリ作品を思い浮かべる人も多いだろう。こちらは監督やプロデューサーが声優を使わない理由を公言しているし、出演者も木村拓哉クラスならば、かなりの集客力が見込める物と思われる。だから、ジブリの方針自体の是非はともかくとして、狙いは十分に理解できる。
それに対して、今回の「新魔界大冒険」のキャストは、どんな層を狙っているのかがわからない。メインの客層であるはずの子供が興味を惹かれるようなメンバーとは思えないし、子供を映画館に連れて行く親にとっても同様だろう。
それに、あえて「魔界大冒険」をリメイクするのだから、子供だけではなく、「ドラえもん」で育った大人をも、ある程度ターゲットにしていると考えられるが、昔の元祖「魔界大冒険」に思い入れがある人(私自身も含む)にとっては、なおさら拒否反応が起きるのではないか。
結局、昨年からテレビで展開されていた中途半端な芸能人起用路線が、映画にまで波及したようにしか見えない。
ここまでは新作映画の話だったが、最近はテレビアニメも迷走がさらにひどくなっていると感じる。
昨年は、芸能人起用のミニコーナーはともかく、本編はまだ「ドラえもん」として楽しめる水準だったが、今年に入って本編もおかしくなっている。
最初に本編に疑問を感じたのは、「しずかちゃんをとりもどせ」を、1月12日のBパート・19日のAパートと、二週に分けて放映した時だった。テレビアニメの「ドラえもん」で次週への引きが入ったのは初めてで、試みとしては興味深いのだが、1回で放映できる内容をわざわざ分けた所にあざとさを感じた。
そして、2月16日・23日には、ついに二週にわたっての前後編「地底の国探検」が放映された。
これが、原作の長いエピソードをじっくり時間をかけて丁寧に描いたのであれば歓迎なのだが、実際には原作の要素は前編のAパート半ばまでで、それ以降は映画「のび太の太陽王伝説」もどきの国を舞台としたアニメオリジナル展開となり、それが最後まで続いた。原作「地底の国探検」の要素は全体の1割くらいしか見受けられず、ほぼアニメオリジナルのエピソードと言っていいだろう。
放映開始から二年も経っていないこの時期にオリジナル話を放送する事自体に疑問はあるが、それでも話が「ドラえもん」として面白いものであれば、まだいい。しかし、今回の「地底の国探検」は、はっきり言って全然面白くなかった。
特に、後編の探検部分はひどい。しずかを生け贄の人質にとられた状態での宝さがしにも関わらず、ドラえもん一行にはまるで緊張感がなく、早い段階で色々な罠が仕掛けられていると判明しているのに、対策は「通路の真ん中を歩く」だけで、道具を使おうとしない。
後半になって、ようやく道具がある事を思い出したらしく、スモールライトやタケコプターを使っていたが、最初から一行を争うような状況なのに、これらの道具の存在自体を無視するような前半の展開は、あまりにも無理がありすぎる。
「ドラえもん」でこのような冒険を描く場合、道具自体を使えなくしてしまうか、もしくは道具があってもなお過酷な状況にして制約を付けないと、道具を使う事で「何でもあり」になって、話に緊張感が無くなる。今回は、まさにその点への配慮が欠けていて、話の展開に合わせて道具を出しているようにしか思えなかった。「ドラえもん」の話作りとしては、あまりに稚拙であり、話はご都合主義で面白さが感じられない。
今後も、昨年募集された「ひみつ道具コンテスト」の最優秀作品を題材にしたオリジナルエピソードが春に放映される予定だが、今回の「地底の国探検」を観た限りでは、このスタッフのオリジナルには期待できない。どうも、スタッフの実力の「底」が見えてしまったようで、わさドラに期待していた身としては、失望せざるを得ない。
長くなってしまったが、現状でアニメ「ドラえもん」をブログで取り上げる気にならない理由は、以上である。
「ドラえもん」ファンサイトの管理人としては、今回のような内容を書くのは非常に心苦しいのだが、放映開始当初から「わさドラ」に期待して、ブログで毎週感想を書いていた以上、責任を感じるので、やはり触れないわけには行かない。
映画「新魔界大冒険」は観に行くつもりだが、もし東京限定で舞台挨拶があったとしても、わざわざ今回の出演者を生で見るために上京する気にはなれない。地元・名古屋で済ませるつもりだ。
実を言うと、昨年末の時点では、映画公開に合わせて「ドラちゃんのおへや」のオフ会を開き、映画について語り合おうと言う考えもあったのだが、アニメドラに対するテンションが下がりきっている現在では、気力が沸かない。
テレビアニメも、放映が続く限りは視聴を止めるつもりはないが、現在観ているテレビアニメの中では、視聴優先順位はかなり下がっている。テレ朝チャンネルで放送している「パーマン」の方が、よっぽど毎回楽しみだ。
ともかく、今のアニメ「ドラえもん」は、本編・ミニコーナー共に、観ていても何をやりたいのかがさっぱりわからない。年末にも書いた事だが、長寿番組としてこれからも長く続けていこうとする長期的展望があるようには思えない。今のテレビ朝日なら、映画の興行成績次第でテレビ・映画共にあっさり打ち切られても不思議ではないだろう。
果たして、「ドラえもん」はどこへ向かうのだろうか。
コメント ( 10 ) | Trackback ( 0 )
« アニメの感想... | 「奏光のスト... » |
もっと悲惨な打ち切り方が考えられるんじゃないですか?どこかの某健康情報番組のように。
テレ朝ならやりかねない
映画ですが、内容はともかく、同志で集まってオフ会をやるのは楽しみにしていたのですが、これでは望み薄ですねえ…。いいかげん懐も苦しいし、これでは映画館に見に行くかどうしようかと思ってしまいます。
それにしても「あるある」騒動といい、受信料義務化と言いながら値下げは渋る公共放送といい、いまやテレビ業界そのものがおかしくなっているのかもしれません。
>もっと悲惨な打ち切り方が考えられるんじゃないですか?どこかの某健康情報番組のように。
テレビアニメで情報捏造はないでしょうから、出演した芸能人の不祥事による打ち切りなどを想定していらっしゃるのでしょうか。
もし、そう言う事があるとしても、テレ朝が意図的にやる事ではないでしょうから、ちょっと論点が違うのではないかと思います。
◆Annabel Leeさん:
>「地底の国探検」には、小生も頭を抱えてしまいました。スタッフは「インディー・ジョーンズ」を意識したのかもしれませんが、
芸能人起用のバラエティ路線ではなく、純粋に本編がつまらなかったと言う点で、より事態は深刻だと思います。
>映画ですが、内容はともかく、同志で集まってオフ会をやるのは楽しみにしていたのですが、これでは望み薄ですねえ…。
本文中にも書きまとおり、昨年末まではオフ会を行うつもりでいましたが、今年に入ってどんどんとやる気がなくなってしまいました。楽しみにしていただいて大変申し訳ないのですが、オフ会は次の機会にさせて下さい。
ちなみに、映画は11日(日曜日)に、地元名古屋で観る予定です。
>もっと悲惨な打ち切り方が考えられるんじゃないですか?どこかの某健康情報番組のように。
>テレビアニメで情報捏造はないでしょうから、出演した芸能人の不祥事による打ち切りなどを想定していらっしゃるのでしょうか。
aruaruさんが心配されてることって、「や○せ」のことじゃないですか?
番組内でドキュメンタリーみたいな企画をやって、実はそれが「や○せ」だったという。
あながちありえないとも言い切れない・・・
>番組内でドキュメンタリーみたいな企画をやって、実はそれが「や○せ」だったという。
私の書き方がわかりにくかったかも知れませんが、「情報捏造」は、いわゆる「やらせ」も含めて書いたつもりでした。「あるある大事典」のように、捏造したネタが番組全体に関わるような番組ならともかく、テレビアニメ内の企画コーナーで、そこまではしないでしょう。
また、程度の問題になりますが、ある程度の「やらせ」(例えば、インタビューで事前に用意した事を言わせるなど)は、おそらく多くの番組で当然行われていると思っています。ドラの大晦日特番も、生放送でなかったらそういった仕込みが入ってもう少しマシな内容になったのではないでしょうか。
いずれにせよ、やらせなどよりは、本編にまで変に思わざるを得ない部分が見え始めた事の方が、アニメ作品として深刻な問題だと思っています。
そんでもってその内容が、速水と相武が特別声優陣としてアフレコしてたり、挙句の果てに芸能人のトークが1/3を締めていた。「ドラえもんってバラエティー番組だっけ?」と家の母も言っていた。
宣伝も嫌というほど聞かされた。ところが、レガッタの視聴率を調べてみたところなんと平均5%弱なのであった。ざまあみろ!とおもったね。快感!!
ドラえもんなんかにたっよて宣伝している間にもっと脚本を練り直すとかいろいろできたはずなのにね。んでもって10回放送するはずだったのが9回になっちゃいましたとさ!レガッタめ、ざまあみろ!
それから、TV朝日の愚か者たちよ、もうこんなおもいをしたくなければ、正々堂々内容で勝負しやがれ!
旧作、原作、リメイクの魔界大冒険見たけど面白かったぞ? そんなに大山ドラもち上げて
わさドラ批判するのが楽しいの?
つか、今の流れだと打ち切りはないよ(笑)
仮にこの記事だけを読まれたとしても、相当に曲解しない限り、あなたのような感想は生まれてこないと思うのですが。
百歩譲ってこの記事からそう思われても仕方がないとしても、わさドラ放映開始後のこのブログのドラ関連記事を一通り読んでいただけば、私がわさドラアンチでも大山ドラの熱狂的信者でもないことはおわかりいただけるかと思います。
その上で、まだ何かおっしゃりたいことがあれば、どうぞまたの書き込みをお待ちしています。
大山さんも、手抜きの一途を辿っていた
ドラえもんはこういう声だったんですねと言われた気持ちを取り戻して貰いたかったが最後までそれは叶わなかった
わさびさんに至っては、私なりの可愛いドラえもんを演じたいという先生が存命ならば私の作品を理解していないと言われてしまうような意気込みをされた方なので、何も語ることがない
大山ドラ、わさドラ、ではなく
先生の存命中か以降かで区切るべきだと思っています
たしかに、それもひとつの考え方ですね。
藤本先生が亡くなられてからの大山さんが手抜きというのは、私は特にそうは思いません。年齢と共に演じ方が変わっただけだと思っています。
わさびさんについても、就任時のひとつのコメントだけ切り取ってどうこうは言いたくないですし、現在もちゃんとドラえもんを演じられていると思います。
その上で、スタッフ・キャストが総入れかえになったのですから、二つを分けることには意味があるというのが私の考え方であると言うことです。