『みんなのうた 発掘スペシャル』に感謝

 NHK『みんなのうた』放送50周年を契機にして、「みんなのうた 発掘プロジェクト」が始まったのは、昨年の正月のことだった。

 それから一年余が経って、プロジェクトの成果が『みんなのうた 発掘スペシャル』として、今月深夜に5回にわたって63曲が放映された。
 懐かしの曲から今まで知らなかった曲まで、いずれも近年は観ることが叶わなかった貴重な映像ばかりで、この録画は私にとっては永久保存版だ。せっかくの素晴らしい機会なので、各回ごとに分けて感想を書いておきたい。



・VOL.1:古すぎたせいで知らない曲ばかりだったが、いずれも味わい深い。『みんなのうた』放送初期と言うこともあってか、童謡的な曲が多いように感じた。そんな中でも特に気に入った曲を挙げると、「イナレオタ ~さかだちのうた~」「ごめんなさい」「歩いて行こう」「ラ・ゴロンドリーナ(つばめ)」など。

・VOL.2:ようやく、何らかの形で聴いた事がある曲が出てきた。「この広い野原いっぱい」は有名曲なのに、映像が失われていたのは意外だった。あるいは、有名曲であるが故に、『みんなのうた』で残す必要はないと判断されたのか。「風の子守歌」のオリジナルは岸部シローだったのか。コロムビアカバーの堀江美都子Ver.に慣れてしまったせいか、こちらの方がパチモン臭く聞こえてしまったが、よくよく聴いてみるといい味を出している。やはり、オリジナル音源を埋もれさせてはいけない。

・VOL.3:カセットテープへ録音して、曲だけをよく聴いていた歌の映像が観られて感動した。「さびしがりやさんこんにちは」は、「ひとりぼっちの歌」と同じく、歌・クニ河内&アニメ・ひこねのりおの組み合わせだったのか。「風の歌」は、少し前にラジオのみで再放送していたので、その頃にはまだ映像が見つかっていなかったのだろう。今回陽の目を見たのは実に喜ばしい。「天使のパンツ」は、長年の謎だった「人魚がパンツをはいている」図が見られたのがよかった。「川」は伊藤アキラ作詞・小林亜星作曲。「この木なんの木」のコンビだ。映像に登場する謎の女性はいったい何なのだろう。不思議な印象がある曲だ。

・VOL.4:個人的に一番嬉しいのは、「だるまさんがころんだ」が放送されたこと。これもカセットテープに歌を録って、繰り返し聴いた曲だ。レコード版音源は「山本正之大全集」でCD化されているが、こちらはテレビ版音源と違って「斉藤こず恵&ゆかり」の二人の歌になっている。斉藤こず恵単独ボーカルの放送版を綺麗な音で聴けて感激した。知らなかった曲の中では、「ホロスコープ ~あなたの星座~」が、よかった。みんなのうたで星座と言えば「星うらないキラキラ」が有名だが、「ホロスコープ」の方が洒落ていて格好いい。

・VOL.5:この年代になると、懐かしい歌が多い。今回、あらためて観返すまでは記憶があやふやだったが、やはり「走れジョリィ」は実写だったか。子供達が歌っている場面は何となく覚えていた。「紅葉」は、よく知られているお馴染みのあの歌だったのが、かえって意外だった。てっきり、みんなのうたオリジナルの同名異曲かと思っていた。この「紅葉」のアニメの、クモが出てきてハチを襲う場面は『ミクロイドS』のOPアニメを思い出してしまった。可愛いキャラで誤魔化されてるが、実は厳しい自然の掟を描いている。なぜ「紅葉」にこんな映像を付けようと思ったのか、不思議だ。「雪娘」は、やはりカセットテープでくりかえし聴いた曲。ラジオでしか再放送がないのでおかしいとは思っていたが、これも映像が失われていたのか。



 以上、もっと書こうとすればいくらでも書けるが、この辺にしておこう。
 この発掘プロジェクト、やはり色々と苦労があるようで、その一端は『みんなのうた コラム「発掘プロジェクト」』にて明かされている。これを読んで、スタッフと映像・音源提供者の方々に、あらためて感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。

 それにしても、曲ごとに映像の状態が全然異なるのが実に興味深い。大昔の家庭用ビデオで録ったのだなと思われるものから、非常に綺麗なものまで、様々だ。「かくれんぼ」「のらねこ三度笠」などは非常に綺麗な部類に入る。これらの曲は歌詞のテロップもあらためて入れ直されており、ノンテロップの原盤が発掘されたのではないかと想像している。

 そう言った事情を抜きにしても、『みんなのうた』の一曲一曲には歴史がある。私はそんな歌の数々を聴いて、育ってきた。
 だからこそ、「発掘」という形で、今まで失われていた懐かしの曲、知らなかった曲の数々に出会えたことを、幸せに思う。映像を今まで保存されてきた提供者の方々一人一人にも、きっとそれぞれの歴史があるのだろう。
 未だ、失われたままの曲も多いが、それらの曲もいずれ発掘されて、あらたな歴史を刻む日が来ることを期待したい。
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『少年サンデー版 キャプテンKen』感想

 先月末に、小学館クリエイティブから『少年サンデー版 キャプテンKen 限定版BOX』が発売された。
 『キャプテンKen』は『スリル博士』『0マン』に続く、手塚治虫の週刊少年サンデー連載第3作。すでに『0マン』は、2011年6月に『少年サンデー版』としてほぼ初出状態で全編を復刻した限定版BOXが発売されており、今回の『キャプテンKen』がシリーズ第2弾となる。


 このシリーズ、連載物でページ数が多いせいもあってか、かなりお高い価格設定になっているが、今回刊行された『キャプテンKen』は、全手塚作品の中でも特に好きな部類に入るので、『0マン』ともども、ちょっと無理して購入してしまった。
 以前、手塚作品との出会いについて書いた時に、一番好きな作品について、「とりあえずタイトルは伏せておく」としておいたが、それが、この『キャプテンKen』の事だったのだ。
 『キャプテンKen』は、手塚作品を本格的に集め始めた最初の頃に手塚治虫漫画全集版で読んだのだが、全2巻と短めでありながらまとまったストーリーと、開拓地・火星の世界の魅力、魅力的なキャラクター(特にランプは、悪役ながら格好良かった)など、大変面白くて感激してした。
 それから何度も読みかえした作品であり、いつかは『週刊少年サンデー』連載当時の初出版を読みたいと思っていた。だから、今回の出版は本当に待ちに待ったものだった。

 気になっていた初出版の内容だが、実際に読んでみると単行本とあまり大きな違いはなかった。これまでの単行本でカットされていたのは、物語中盤でデブン知事がキャプテン・ケンを捕らえた時に、心を読みとる機械にかけてその正体を知る場面と、モロ族の襲撃を知らせるケンがへデスに着く前に、いくつかの街に立ち寄る場面がある程度だ。単行本と初出で違いが少ないのは『0マン』も同じで、この2作品は手塚先生としても単行本化で手を入れる必要を感じないほどに、出来に満足していたのではないだろうか。
 だから、手塚作品によくある描き換えを楽しみたいと言う目的で買おうと言う人には、あまりお薦めできないが、作品としての『キャプテンKen』を特に好きだという人は、買って損はないと思う。毎回の扉絵は眺めるだけで楽しいし、本作で語りぐさになっている「キャプテン・ケンの正体当て懸賞」の募集と正解者の発表の様子が毎回確認できるので、これを追っていくのも面白い。「今までに、五千通以上の答えをもらいましたが、まだ正解者がありません。ともだちとも、よくそうだんしてふるって応募してください」などと出てくるのはある意味泣けるし、その後の発表で正解者が出た時には「よかったなあ」と、思わず喜んでしまった。

 ところで、本作品の単行本は手塚全集版と虫コミックス版を持っているのだが、後者を読んで以来、気になっていた事がある。登場人物の一人、火星の総統スラリーの名前が虫コミの初登場場面では「ロンカーン」となっているのだ。それが、途中から何事もなかったかのように「スラリー」になっているので、これはもしかして連載途中で名前を変えたのでは無いかと推測していたのだが、今回の少年サンデー版を読むと初登場時から「スラリー」になっていた。
 と、なると怪しいのは私の所有していない鈴木出版の単行本だ。これは第3巻までで未完に終わっている。推測するに、鈴木出版で単行本を出した時にスラリーをロンカーンに変えたはいいが、その後それを忘れて、虫コミ版では鈴木出版版未収録の部分をスラリーのままで収録してしまった、と言ったところだろうか。いずれ、鈴木出版版も入手して、この点を確かめてみたい。
 ちなみに、念のため確認しておこうと思って「ロンカーン スラリー」で検索してみたら、「一致する結果は見つかりませんでした」になってしまった。この件を気にしているのは世界中で私だけなのだろうか。


 今後、「少年サンデー版」のシリーズは『白いパイロット』『勇者ダン』と続き、また国書刊行会からも『W3』『バンパイヤ』『どろろ』の3作が「手塚治虫トレジャー・ボックス」というシリーズで初出版が出版される予定となっている。これで、少年サンデー連載の手塚作品は、大半が初出版で刊行されることになる。
 しかし、以前に書いたように価格が高すぎるので、今のところは新刊での購入は『0マン』『キャプテンKen』の2作にとどめておくつもりだが、迷作と名高い(?)、『サンダーマスク』や『ダスト18』を出してくれるなら、少々高くても(マイナー作品だから多分高くなる)買いたい。

 また、小学館クリエイティブからは4月末より『三つ目がとおる』の完全版が刊行開始になるので、こちらは買うつもりだ。
 紹介文を読む限りでは、本編も初出版に戻した上での復刻なのか、扉絵とカラーだけで本編は単行本版なのかがはっきりしないが、前者であって欲しい。『三つ目がとおる』は、単行本でかなり描き変えられており、「グリーブの秘密編」「イースター島航海編」などは初出と単行本でかなり違いがあるので、ぜひ初出版で出して欲しいものだ。
 それにしても、本体価格1,429円という価格を見て「安い」と思ってしまったが、普通のB6判単行本と比べれば、これも高いか。やはり、復刻漫画の値段について考えが麻痺しているようだ。
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『映画ドラえもん のび太と 奇跡の島 アニマルアドベンチャー』感想

 例年通り、昨日は今年の新作ドラえもん映画『のび太と奇跡の島 アニマルアドベンチャー』(以降、『奇跡の島』)を観に行ってきた。
 今回は、名古屋・大阪・東京と三大都市圏の藤子ファンが名古屋に集結した、ある意味では非常に豪華なメンバー(?)での映画鑑賞だった。以下、映画の感想を書いておく。これまた例年通りにネタばらしをしているので、未見の方は注意されたい



 まず、全体の感想を一言で述べると、「意味不明」。この一言に尽きる。
 すでに黒幕組合さんにばらされているので恥を承知で書いてしまうが、今作は見ていて非常に眠たく、あろう事か中盤はすこし意識がとんでしまった。決して前日に徹夜したとか言うことはなく、それどころか映画に備えるために少し長めに寝ていたにもかかわらずだ。はたしてこれは自分だけのことだったのかと観賞後に聞いてみたら、他にも「眠くなった」という人がいて、ホッとした。
 ともかく、ウトウトしていた時間も含めて途中の15分くらいはまともに映画を観ていないので、この後の感想は、その事を頭に置いた上でお読みいただきたい。本来ならきちんと全編を観なおした上で感想を書くべきだろうが、とても貴重な金と時間を消費してもう一度観る気にはなれないので、勘弁してください。

 今作の悪いところをあらためて挙げると、第一に全体のストーリーが意味不明だった。冒険の発端からして、「タイムホールでのび太の部屋につれてきたモアを、22世紀(?)の島へ連れて行く」のだから、わけがわからない。元ネタとなった「モアよドードーよ永遠に」と違って、のび太たちが絶滅動物を集めた島を作るわけではないのだから、素直にモアを元の時代に帰せばいいと思うのだが。
 全編このような調子で、「こうしたから、こうなった」ではなく「こうなるために、こうする」と言うご都合主義で話が進んでいき、全体として短い話をツギハギしたような印象で、何を見せたいのかが伝わってこなかった。
 登場キャラクターも、話の展開のために動かされている感じで、いつもの五人すら、自分の知っているドラやのび太達ではなかった。映画になると格好良くなる…ではなく、島からこっそりカブト虫を持ち出すのび太とか、のび太のドラだよりを異常なまでに非難するしずかたちとか、誰が観たいんだ。

 今作は、少年時代ののび助が冒険に絡むという、今までにない要素があった。これは、ある意味今作の目玉と言っていいと思う。
 のび助の動かし方次第では面白い展開になるかもしれないと思って、この点に多少なりとも期待して観ていたのだが、この新要素も残念な結果に終わった。ストーリーのほとんどはダッケ=のび助でなくとも成り立つ展開であり、最後にのび太がダッケ=のび助と知った場面も取って付けたようだったし、その後現代に戻ってもパパとのやりとり一つもないので、のび太が少年時代の父を見てどう思ったのか、のび太の心の成長があったのか、さっぱり伝わってこなかった。

 さらに、アクションシーンのお粗末さも、特筆すべき点だろう。のび太が崖から落ちようとしている時にダッケだけが助けに行って、それをボーっと見ているドラえもん達とか、カブ太が大きくなってメカと戦っている時にはその足下をうざったく動いているだけだったりとか、どうやったらこれほど緊張感のないコンテを切れるのか、実に不思議だ。他にも、チアガールてぶくろをはめているはずのしずかの応援が全然効いていないとか、突っ込みはじめるとキリがない。

 そもそも、今回の冒険の舞台となった「ベレーガモンド島」はいつの時代にあるのだろう。不思議に思ってパンフレットを読んでみたが、「未来の世界」としか書いていない。と、なると、今回は珍しく22世紀を舞台にした冒険だったのだろうか。そのあたりも、なぜこんな島があるのか、とかロッコロ族とはどんな種族なのか、などの説明がないので、さっぱりわからない。あまりに根本的な疑問なだけに、これらのことは私がウトウトしていた時に説明されたのではないかと思って聞いてみたが、どうもそうでもなかったようだ。
 おかげで、ゴールデンヘラクレスが捕らえられた時に島のバリア(らしきもの)が消えて絶滅動物が弱る場面なども、意味不明だ。モアをカブト虫一匹でダメになる島に送るより、元の時代に戻した方が絶対にいいと思うのだが。

 と、そろそろ疑問がループし始めたので、このあたりで感想も終わりにしよう。今作を過去のわさドラ映画と比べると、展開の意味不明さでは『のび太の人魚大海戦』といい勝負だろう。ただし、『人魚』よりも敵がスケールダウンしている分、今作の方がショボく感じることは否めない。怪魚族は一応宇宙征服を狙うやつらだったからなあ。
 今作は、前述のようなツギハギ的な物語と、無駄に過去のドラ短編や大長編から取り入れた要素の数々とで、余計に何を見せたいのかがさっぱりわからない作品だった。過去の要素では、特に『のび太の大魔境』からそのまんまセリフを引用した「これから何が起こるにしても、ぼくらはずっといっしょだよ」を使ったのは、元が非常に好きな場面なだけに許せない部分だった。

 今作の唯一の収穫は、ゴンスケグッズが多数作られたことくらいだろうか。多すぎて全部は買えないので、マグカップだけを買ったが、使ってみるとなかなかいい感じだ。


 と言うわけで、今作はネタ映画に突っ込みを入れて楽しみたい人にはお薦めだ。素直にドラえもん映画で楽しみたいという人は、昨年の『新・鉄人兵団』の映像ソフトを見ていた方がよっぽど有効な時間の使い方だと思う。ドラ映画としては全くお薦めできない。
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