25日に、藤子・F・不二雄大全集『チンタラ神ちゃん』が、発売になった。
この作品は、以前に双葉社のパワアコミックスで単行本化されていたが、数少ない合作作品で今後復刊されないだろうと思われていたせいか、古書価が高騰して気軽に買えるような値段ではなくなっていた。
大阪の国際児童文学館には「少年ブック」の本作掲載号が揃っていたので、別冊付録掲載の2話(「クルパー教」「チンタラスマスで祝おう」)を除いて一通り読んではいたのだが、やはりちゃんとした単行本で読むのとはわけが違う。そんなわけで、この全集版の刊行で、ようやく『チンタラ神ちゃん』をきちんと読む事が出来た。パワアコミックスでは収録順がメチャクチャなので、今回の全集で誰もがまともな順番で全話を読む事が出来るようになったと言える。
それで、この作品の感想なのだが、いざ文章にしようと思うと難しい。とりあえず、つまらなくはない。実際、発売から5日間たった今日まで、既に何度も読み返している。言葉をどれだけ選んでも、「何とも言い難い面白さ」としか表現できない。
この「何とも言えない感」は、本作が藤子不二雄両先生の合作による事に起因するのだろう。他の大部分の合作作品と違って、単に二人でキャラを描き分けているだけではなく、話によってはネームまで分担しているために、藤本テイストと安孫子テイストのギャグが入り乱れて、両先生の持ち味が渾然一体となった結果として、合作ならではとしか言えない味が醸し出されたのだと考えられる。
その最たるものが、「クルパー教」だろう。「Neo Utopia」32号でも分析されているが、雷に打たれて神ちゃんが狂うまでは藤本先生、狂ってからは安孫子先生がネームを担当していると言われている。実際にこのエピソードを読んでみると、なるほど前半の理路整然とした話運びは明らかに藤本先生の持ち味であるし、後半の、話がどんどんエスカレートしていく展開は、安孫子先生の得意とするところであり、NUの分析は妥当だと言う事がわかる。
この「クルパー教」は、後半の派手な展開を安孫子先生が担当されたため、どうしてもみんなでクルパーしている話という印象が強烈に残ってしまうが、これはこれで面白くて「藤子不二雄の合作」の一つの完成形と言えるのではないだろうか。欲を言えば、逆に安孫子先生が前半、藤本先生が後半(オチまで)を担当したらどのような話が出来るのかも読んでみたかった(私の読み込みが足りないだけで、そう言う話もあるのかも知れないが)。
「クルパー教」以外でも、オチを安孫子先生が担当していると思われる話もいくつかある。「神ちゃんの大好物は…」「チンタラコマーシャル」「南の島で海水浴しよう」などで、これらは妙にしらけて唐突で捻りがない終わり方をしており、いかにもA先生っぽい。それに対して、例えば「神ちゃんハイキングへ行く」などは、オチが『ドラえもん』の「いやになったらヒューズをとばせ」とほぼ同じで、オチまで藤本ネームであるのがわかりやすい。
他にも、細かいコマ単位で藤本先生っぽい、もしくは安孫子先生っぽいネタがあちこちに見受けられる。本格的に分析するとなると大変な作品だが、それだけに読み込み甲斐はある。両者の味が存分に見受けられる(必ずしもそれが成功しているとは言えないが)という点で、本作が一番合作らしい合作と言えるのではないだろうか。繰り返すが、不思議と何度も読み返したくなる作品なのだ。
さて、感想としては前段落で終わりだが、今回の全集版を語る上でで避けて通れないのが、当ブログで何度も取り上げてきた「クルパー」問題だ。
要するに、「クルパー」の言葉がこれまで自主規制で違う言葉に変えられてきたため、本作の「クルパー教」がどうなるかが問題だったのだが、意外な事に全く問題なく「クルパー教」のままで収録されており、本編中の「クルパー」もそのままだ。ここまで出来るのであれば、『ドラえもん』の「クルパーでんぱ」もそのまま載せて欲しかった。
とは言え、これまでの「クルパー」と、今回とには大きな違いがある。それは、『チンタラ神ちゃん』が両先生の合作である点だ。つまり、藤子プロの一存ではセリフの改変などが行えないのではないかと推測される。しかし、やはり合作である『オバケのQ太郎』や『海の王子』ではセリフの自主規制が見受けられるので、正直なところ実情はよくわからない。あるいは、「クルパー教」のようにクルパーを連発して話の中心にあるのでは改変のしようがなく、自主規制の担当者がさじを投げた結果なのかも知れない。「クルパーでんぱ」の場合、「クルパー」はサブタイトルと本編に一回だけの登場なので、「おかしなでんぱ」でごまかしたのだとの推測が出来る。
結局、考えても結論は出ない。理由はともかく、「クルパー教」がそのまま収録されたのは、実に喜ばしいことだ。
ともかく、藤子・F・不二雄大全集もあと3ヶ月で第3期が完結する。今まで3年間、あっと言う間に経ってしまった。今の最大の関心事は、果たして第4期はあるのだろうかという事だ。4期がないと、未収録のまま埋もれてしまう作品群が、たくさん残されている。
色々、難しい問題もあるのかも知れないが、一ファンとして無責任な立場で言うならば、ぜひ4期を出していただきたい。
この作品は、以前に双葉社のパワアコミックスで単行本化されていたが、数少ない合作作品で今後復刊されないだろうと思われていたせいか、古書価が高騰して気軽に買えるような値段ではなくなっていた。
大阪の国際児童文学館には「少年ブック」の本作掲載号が揃っていたので、別冊付録掲載の2話(「クルパー教」「チンタラスマスで祝おう」)を除いて一通り読んではいたのだが、やはりちゃんとした単行本で読むのとはわけが違う。そんなわけで、この全集版の刊行で、ようやく『チンタラ神ちゃん』をきちんと読む事が出来た。パワアコミックスでは収録順がメチャクチャなので、今回の全集で誰もがまともな順番で全話を読む事が出来るようになったと言える。
それで、この作品の感想なのだが、いざ文章にしようと思うと難しい。とりあえず、つまらなくはない。実際、発売から5日間たった今日まで、既に何度も読み返している。言葉をどれだけ選んでも、「何とも言い難い面白さ」としか表現できない。
この「何とも言えない感」は、本作が藤子不二雄両先生の合作による事に起因するのだろう。他の大部分の合作作品と違って、単に二人でキャラを描き分けているだけではなく、話によってはネームまで分担しているために、藤本テイストと安孫子テイストのギャグが入り乱れて、両先生の持ち味が渾然一体となった結果として、合作ならではとしか言えない味が醸し出されたのだと考えられる。
その最たるものが、「クルパー教」だろう。「Neo Utopia」32号でも分析されているが、雷に打たれて神ちゃんが狂うまでは藤本先生、狂ってからは安孫子先生がネームを担当していると言われている。実際にこのエピソードを読んでみると、なるほど前半の理路整然とした話運びは明らかに藤本先生の持ち味であるし、後半の、話がどんどんエスカレートしていく展開は、安孫子先生の得意とするところであり、NUの分析は妥当だと言う事がわかる。
この「クルパー教」は、後半の派手な展開を安孫子先生が担当されたため、どうしてもみんなでクルパーしている話という印象が強烈に残ってしまうが、これはこれで面白くて「藤子不二雄の合作」の一つの完成形と言えるのではないだろうか。欲を言えば、逆に安孫子先生が前半、藤本先生が後半(オチまで)を担当したらどのような話が出来るのかも読んでみたかった(私の読み込みが足りないだけで、そう言う話もあるのかも知れないが)。
「クルパー教」以外でも、オチを安孫子先生が担当していると思われる話もいくつかある。「神ちゃんの大好物は…」「チンタラコマーシャル」「南の島で海水浴しよう」などで、これらは妙にしらけて唐突で捻りがない終わり方をしており、いかにもA先生っぽい。それに対して、例えば「神ちゃんハイキングへ行く」などは、オチが『ドラえもん』の「いやになったらヒューズをとばせ」とほぼ同じで、オチまで藤本ネームであるのがわかりやすい。
他にも、細かいコマ単位で藤本先生っぽい、もしくは安孫子先生っぽいネタがあちこちに見受けられる。本格的に分析するとなると大変な作品だが、それだけに読み込み甲斐はある。両者の味が存分に見受けられる(必ずしもそれが成功しているとは言えないが)という点で、本作が一番合作らしい合作と言えるのではないだろうか。繰り返すが、不思議と何度も読み返したくなる作品なのだ。
さて、感想としては前段落で終わりだが、今回の全集版を語る上でで避けて通れないのが、当ブログで何度も取り上げてきた「クルパー」問題だ。
要するに、「クルパー」の言葉がこれまで自主規制で違う言葉に変えられてきたため、本作の「クルパー教」がどうなるかが問題だったのだが、意外な事に全く問題なく「クルパー教」のままで収録されており、本編中の「クルパー」もそのままだ。ここまで出来るのであれば、『ドラえもん』の「クルパーでんぱ」もそのまま載せて欲しかった。
とは言え、これまでの「クルパー」と、今回とには大きな違いがある。それは、『チンタラ神ちゃん』が両先生の合作である点だ。つまり、藤子プロの一存ではセリフの改変などが行えないのではないかと推測される。しかし、やはり合作である『オバケのQ太郎』や『海の王子』ではセリフの自主規制が見受けられるので、正直なところ実情はよくわからない。あるいは、「クルパー教」のようにクルパーを連発して話の中心にあるのでは改変のしようがなく、自主規制の担当者がさじを投げた結果なのかも知れない。「クルパーでんぱ」の場合、「クルパー」はサブタイトルと本編に一回だけの登場なので、「おかしなでんぱ」でごまかしたのだとの推測が出来る。
結局、考えても結論は出ない。理由はともかく、「クルパー教」がそのまま収録されたのは、実に喜ばしいことだ。
ともかく、藤子・F・不二雄大全集もあと3ヶ月で第3期が完結する。今まで3年間、あっと言う間に経ってしまった。今の最大の関心事は、果たして第4期はあるのだろうかという事だ。4期がないと、未収録のまま埋もれてしまう作品群が、たくさん残されている。
色々、難しい問題もあるのかも知れないが、一ファンとして無責任な立場で言うならば、ぜひ4期を出していただきたい。