『映画ドラえもん のび太の 宝島』感想

 3月3日より、『映画ドラえもん のび太の 宝島』の公開が始まった。
 私は、3月4日に藤子ファン仲間と観てきたので、例年通りにこのブログに感想を書いておきたい。これまた例年通りだが、映画の内容に触れる箇所があるので、未見の方はご注意いただきたい



 さて、今回の映画の感想だが、一言で書いてしまうと、残念ながらあまりノリ切れなかった作品になった。
 だからと言って、作品の出来が悪いと思ったかというと、そうではない。ストーリーは王道の親子物で手堅く泣かせに来ているし、アニメーションとしてのアクションはなかなか見応えがあったと思う。
 それでは、何が物足りなかったかというと、それはストーリーがあまりに王道すぎたせいだ。

 序盤、のび太が船を手に入れて宝島に出発するまでの流れは、果たしてどのような冒険が待っているのだろうかとワクワクさせられた。
 しかし、しずかが取り違えでさらわれてしまって以降は、ああこれは親子愛で泣かせに来ているのだなとあからさまにわかる描写が続き、果たしてここからどうひねってくるのだろうと思って観ていたら、そのまんまストーリーが進んで終わってしまった。
 もちろん、王道であるからにはしっかり描写を重ねて泣かせようとはしているのはわかるのだが、それだけでは私には物足りなかったのだ。たとえば、昨年の『南極カチコチ大冒険』で、2体のパオパオが実は10万年眠った同一個体だったというのは意表を突いていて面白かったが、それくらいのひねりが物語に欲しかった。
 今年は、そういったひねりを求めるべき作品ではなかったのかもしれないが、「藤子・F・不二雄原作」を謳うからには、観る側としてそれを求めてしまうのだ。
 ストーリー上の不満としては、まだある。「宝島を求めての冒険」が、完全にメインのストーリーへの導入として使われるだけで終わってしまい、宝探しが本筋でなかったのも、個人的には残念だ。「のび太の宝島」とタイトルに付いているのに、宝はどこかへ行ってしまった。

 結論としては、私のドラえもん映画に対して求める物と、今回の映画とが合っていなかったということで、作品自体を否定する気は毛頭無い。
 毎年一作公開されているドラえもん映画であり、最近は一作ごとに監督や脚本家が変わっているのだから、今年のように出来はよくても個人的に合わないと言うことはあってもおかしくない。

 そう言えば、映画ドラえもんでオープニングの歌とアニメーションがなかったのは今回が初めてではないか。
 これには、驚かされた。と言うより、一体いつになったらオープニングが始まるのだろうと、最初のうちは話に集中できなかったくらいだ。これにどんな意図があるのかはわからないが、オープニングが無いと寂しいので、できれば来年以降は復活させて欲しいところだ。
 エンディング主題歌と挿入歌は、ともによかったと思う。エンディングは、映画の主題歌と言うよりは『ドラえもん』という作品全体の世界観を歌った歌になっているが、それが逆に新鮮ではあった。

 ここで、キャラクターデザインについても触れておこう。「大山ドラ風ではないか」と公開前から言われていた本作だが、「大山ドラ風」と言うか、「中村英一ドラ風」だなと感じたのは、ドラえもんの正面顔だ。口を閉じている正面顔は、テレビアニメの大山ドラ後期における中村氏の描くドラにかなり寄せている感じがした。
 だが、大山ドラを感じたのはそれくらいで、他のキャラクターについてはあまり大山ドラを感じることはなかった。

 それにしても、あの海賊団の面々は、どうなるんだろうな。どこでも働いていけそうな奴もいるが、とてもまともに更正できそうにない奴もいて、おそらく海賊団が解散となるだろうが、その後はどうやって生きていくのだろう。あんな組織を作ってしまったシルバーの責任は重大だと思う。
 あと、クイズはいちいちクイズを出題するので話のテンポがそがれる感があったなあ。『宇宙英雄記』のバーガー監督の時にも思ったが、今回は悠木碧の無駄遣いだったような気がする。テレビの方で、またいい役でもあればいいのだが。

 奇しくも、今年は『のび太の南海大冒険』公開から20年だ。藤子・F・不二雄先生亡き後はじめての映画ドラえもんだった『南海大冒険』は、正直なところ厳しい出来ではあったが、それから20年を経て、『南海大冒険』と同じ短編を元にして新たな映画が生まれたことは、映画ドラえもんがこの20年で大きく変わったことを象徴しているのではないか。その意味で、非常に記念すべき作品ではあると思う。

 と、言ったところで今年の感想は、終わる。来年は「異説クラブメンバーズバッジ」を元にしたオリジナルだろう。どんな異説世界を見せてくれるのか、今から楽しみだ。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )