『じゃあまん探偵団 魔隣組』感想

 東映チャンネルで『おもいっきり探偵団 覇悪怒組』に続いて再放送されていた『じゃあまん探偵団 魔隣組』が、最終回を迎えた。

 本放送当時、東海地区では金曜朝から夕方へと放映枠の移動が行われたせいで、途中からあまり観なくなってしまった作品であり、今回初めて全50話を通して観たが、正統派の少年探偵団ものという印象だった『おもいっきり探偵団 覇悪怒組』と比べると、ずいぶんと妙ちくりんな作品だったなあという印象を受けた。
 それは、なんと言っても浦沢義雄氏の脚本によるところが大きいのではないだろうか。浦沢氏は『覇悪怒組』にも参加しているが、こちらは全50話中16話と約3分の1の登板である上に、探偵団グッズの販促回の担当も多くて、他の不思議コメディ作品と比べるとあまり浦沢氏の色は強く出ていなかった気がする。もっとも、あくまで比較の問題であり、単体で観ると十分に変な話もあったのは、『覇悪怒組』の感想で書いたとおりではあるが。
 そんな『覇悪怒組』と比べると、『魔隣組』では全50話中24話とほぼ半数の話を担当している上に、リミッターが外れたかのように変な話が連発されていたように思う。

 個人的に特に印象が強いのは、第25話「トマトの告訴」だ。これは、トマト嫌いのトシカズが、なぜかトマトから告訴されて裁判を起こされると言うストーリー。トマトは、トシカズがいかに自分を嫌っているかを涙ながらに訴える。このような展開だと、普通は最後にトシカズがトマトを食べられるようになってめでたしめでたしとなりそうなものだが、浦沢脚本ではそうはいかない。トシカズがトマトを食べられるようにするために、ゲンタがどんな野菜でも食べられるようになる魔法のドレッシングを盗んでくることになるのだ。
 実は、それがジゴマの罠で、ドレッシングを手に入れるためにトシカズをダシにしていたと言う展開。ジゴマはまんまとドレッシングを手に入れ、トシカズはゲンタに友情を超えた何かを感じると言うよくわからないオチで、しかもこれは夢オチだったりする。トマト嫌いの話は途中で完全に忘れ去れてしまっており、観ていて非常に困惑させられた。
 この話に限らず、浦沢回のジゴマは魔隣組のメンバーをダシにして目的を遂げようとすることが多い。一応、ジゴマは「盗みはするが非道はしない」と言うことになっているはずなのだが、浦沢回の魔隣組は何度もジゴマのせいでひどい目に遭っているのだ。『覇悪怒組』ではあまり見られなかったことだが、本作では脚本家によるジゴマのキャラの違いが際立っていた。
 本作のメイン脚本家は、第1話・最終話や一連の雨宮タロウのエピソードを手がけた大原清秀氏と言うことになるのだろうが、大原氏をさしおいて浦沢回の個性が強すぎた気がする。

 ところで、『覇悪怒組』では担任教師の落合先生が怪人・魔天郎ではないかと疑われていたが、今作では魔隣組リーダー・タカシの伯父さんにして自称小説家のシャーロックおじさんがジゴマではないかとの疑いがかかっていた。
 しかし、教師である落合先生と比べると、シャーロックおじさんは元からいい加減な謎の人物として描かれていたため、ジゴマであってもそれほど意外ではなく、あまりジゴマの正体暴きにまつわるストーリーのおもしろさはなかったように思う。
 それどころか、第6話「ジゴマの晩餐」では、ジゴマが奪ったはずのキャビアをおじさんが猫にあげている場面を入れており、早々にジゴマ=シャーロックおじさんを視聴者にはばらしてしまっているのだ。これはさすがにどうかと思ってしまった。これ以降の話で「おじさんがジゴマでは?」と疑う場面があっても、視聴者的には「そんなこと、わかっているよ」となってしまうのだから。
 この点について、スタッフの意図がどこにあったかはわからないが、ジゴマの正体を明かした上でのある意味での茶番を描きたかったのだろうか。そうだと考えた方が、浦沢回で変な話が連発されていたことにも納得がいく気がする。全部わかった上で観てくださいねということだったのかもしれない。

 本作は『覇悪怒組』の後番組だったので、どうしても観ていて『覇悪怒組』と比べてしまっていたが、それはよくなったような気がする。明らかに『魔隣組』は『覇悪怒組』とは全く違う方向性の作品であったからだ。まっさらな気持ちで『魔隣組』だけを観ていれば、一風変わった少年探偵団ものとして、もっと楽しめたかもしれない。
 だからと言って、『魔隣組』は全然つまらなかったということではない。それなりに楽しんで観ていた。ただ、『覇悪怒組』ほどには素直に楽しめなかったのは確かだ。子供の頃楽しんでいたかという思い出補正の問題もあったのかもしれないが。

 ともかく、これで『覇悪怒組』『魔隣組』の探偵団2作は観終わった。最後に「探偵団スペシャル 魔隣組対覇悪怒組 ジゴマVS魔天郎」を観れば締めくくりとなるのだが、なぜかこの特番の放送予定が東映チャンネルの2月までにはないのだ。なんということだろう。一日も早い放送を祈りたい。
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『おもいっきり探偵団 覇悪怒組』感想

 東映チャンネルで再放送されていた『おもいっきり探偵団 覇悪怒組』が、先日最終回を迎えた。

 この作品を観たのは、本放送以来。その本放送で非常に気に入って観ていたので、今回の再放送は本当にうれしかった。
 以前にも東映チャンネルでは再放送した事があったようだが、その時は観逃してしまっていたのだ。


 今回、あらためてこの作品を観て驚いたのは、怪人・魔天郎が思ったよりも「何でもあり」の存在だった事だ。
 なにしろ、普通に怪盗として盗みを働くだけではなく、覇悪怒組のメンバーを過去や未来に送り込んだり、空中浮揚させたり、魔天郎自身も飛んでみたりと、底が知れない不気味さがある。
 考えてみれば、本作も東映不思議コメディーシリーズの一作であるわけだから、当然と言えば当然なのだが、ここまで何でも出来る奴だったとは、完全に忘れていた。

 そもそも魔天郎は、覇悪怒組のリーダー・ヒロシがパソコンで作り出した怪人(このあたりも、今回観るまで忘れていた)であり、それが現実のものとなったという不思議な部分があったわけで、そのあたりや落合先生との関係性も含めて、最終的に視聴者にとっては謎のままで終わる。
 作中で、落合先生を慕う純子先生にだけは、落合先生自らが秘密を打ち明けたようだが、その肝心の場面は存在せず、それがどのような秘密であったかは明らかにされない。

 だが、それでいいのだろう。魔天郎と覇悪怒組との一年間にわたる戦いは、単に怪盗と探偵団との戦いと言うだけではなく、覇悪怒組メンバーを精神的に大きく成長させるものであったはずだ。教師として現れた落合先生が、はたして魔天郎だったのか。最終回のラストシーン、落合先生の乗る電車から、魔天郎が現れて、空へと去って行く。それで、十分だと思う。

 なお、最終回は特別版のエンディングとなっており、本編からそのまま話が続いてエンディングテーマ「少年色のメルヘン」が流れる。
 これが、非常に心に残る名シーンとなっている。元々名曲である「少年色のメルヘン」が、最終回という事で特別な意味を持って歌詞が心に伝わってくる感じだった。


 ここで、各エピソードごとの感想も書いておきたい。
 何人かの脚本家が参加している本作だが、やはりというか何というか、個性が際立っていたのは浦沢義雄脚本回だった。東映不思議コメディーシリーズでメインを張った他作品ほどに変な話はないような気もするが、それでも豆板醤婆あのような変な怪人を出してみたり、精神入れ替わりネタを書いてみたり、宇宙人とのファーストコンタクトを描いてみたりと、やはり浦沢回は一発でわかるものが多かった。辛切警部に関する一連のエピソードも、すべて浦沢脚本だ。浦沢回は、主役となる者以外の覇悪怒組メンバーが妙に醒めているのも特徴か。とにかく、ノリが独特だった。

 この作品ではメイン脚本家は、浦沢氏ではなく江連卓氏だった。江連氏の脚本回では、第37話「水飲み男」が印象的だ。
 魔天郎が話に直接は関わらないという異色回だが、いわゆる「ホームレス狩り」の問題を描いており、非常に社会派のエピソードだった。

 とにもかくにも、全50話、今観ても非常に楽しむ事が出来た。浦沢脚本回については、本放送時とは違う楽しみ方をしてしまっている気がするが。


 ちなみに本作は、私の住んでいた名古屋の東海テレビでは、フジテレビとは違って毎週金曜日の朝7時30分から放送されていた(月~木曜日はアニメ再放送枠)。だから、毎週朝、覇悪怒組を観てから登校するというパターンになっていたのだ。
 後番組の『じゃあまん探偵団 魔隣組』になると、このパターンが崩れた。放送途中で、番組が夕方16時に枠移動したためだ。そのせいもあって、『魔隣組』は途中からあまり観なくなってしまった。
 今回の東映チャンネルは、『覇悪怒組』に引き続いて『魔隣組』も再放送するので、せっかくだから一度、ちゃんと観てみようと思っている。『魔隣組』も、楽しみだ。
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