十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

手毬

2012-01-15 | Weblog
手毬つく死の刻限の過ぎたるに   八田木枯

「死の刻限の過ぎたるに」とは、随分あっけらかんとしたものだが、
漠然とした死の恐怖からの解放感でもあるのだろう。
「手毬つく」の期待を裏切らない展開が、とっても洒脱。
「俳句」1月号〈新年詠8句〉より抄出。(Midori)

去年今年

2012-01-14 | Weblog
去年今年大河は底の早瀬なす    神蔵 器

大河というゆったりとした時の流れは、ひとつの人生にも似ているが、
「人に余生などない」と仰る作者に、そんな悠長なことなど言っていられない。
彼にとっては、過ぎゆく時の早さを日々実感していることこそが、
真に生きていることの証しなのだろうか。
去年今年という静かな時の移り変りに、新たな感慨を覚えた。
「風土」主宰。「俳句」1月号〈新年詠8句〉より抄出。(Midori)

四日

2012-01-13 | Weblog
人来ねば二階を下りぬ四日かな    鷹羽狩行

三日までは賑わっていた階下も、四日となると平常に戻ってしまう。
歳を重ねるごとに、次第に正月という非日常が、
時に煩わしく思うようになるものかもしれない。
「俳句」1月号〈新年詠8句〉より抄出。(Midori)

2012-01-12 | Weblog
いとしい雪よわがてのひらで水となる   津田清子

とりわけ初雪であれば、思わず手のひらに受けてみたくなる雪。
やがて、雪が水に変わるまでの一部始終を見ている作者に、
どこかサディスティックな情愛も感じられた。
「圭」代表。「俳句」1月号〈新年詠8句〉より抄出。(Midori)

冬瓜

2012-01-11 | Weblog
荒れ畑の自生の冬瓜ごろんごろん    高本伊都子

淡白で癖のない味わいが特徴の冬瓜。
実際に、冬瓜が生っているところを見たことはないが、
冬瓜の存在感が充分に伝わってきて納得してしまう。
飾らないストレートな表現が魅力の一句。
「阿蘇」1月号〈雑詠〉より抄出。(Midori)

稲架

2012-01-10 | Weblog
峡深きほどに香り来稲架襖    米澤貞子

山峡深く行くほどに、疎らになる民家。
山々に囲まれた丸い空の下、行き交う人も車も少なくなる。
最近では随分珍しくなってしまった稲架を見かけると、
日本の原風景に出合った気分になる。
長閑な里の秋の深まりに、稲架襖の深い香りに癒される。
「阿蘇」1月号〈雑詠〉より抄出。(Midori)

秋思

2012-01-09 | Weblog
面打ちの秋思の翳を彫りにけり   宮崎 勧

もともとは、一つの平面な板材であり、
翳などあるはずもなかったものが、彫るほどに翳が生まれてゆく。 
能面は喜怒哀楽の全てを表すものだと思うが、
彫り方一つで、さまざまに表情を変えるものだろう。
日本の伝統芸術、「翳」にその詩情を感じた。
「阿蘇」1月号〈雑詠〉より抄出。(Midori)

紫苑

2012-01-08 | Weblog
あきらめて紫苑の風に吹かれをり
黄落や記憶の中に棲めるひと
ハイヒール脱いで夜寒の灯をともす
長き夜の紅茶に火酒したたらす      平川みどり


*「阿蘇」1月号に掲載されました

2012-01-07 | Weblog
食欲の秋の弁当係かな    村上正子

吟行の楽しみは、何と言っても外でいただく昼のお弁当。
各自で持参する場合も多いが、大きな大会では主催者側で、
準備することも多いようだ。そんな弁当係だろうか。
手配されたお弁当は、きっと大好評だったに違いない。
弁当係の御苦労も、大満足の笑顔に吹っ飛んだことだろう。
「阿蘇」1月号〈雑詠〉より抄出。(Midori)

式部の実

2012-01-06 | Weblog
式部の実文字に飢ゑてゐた時代   つのだともこ

紫式部が書いた「源氏物語」は、当時、宮中の女性たちに、
大変な人気となった王朝物語だが、今のように印刷技術もなく、
回覧して読み合っていたと、何かの本で読んだことがある。
さて、文字に飢えていた時代とは、少なくともインターネットによって、
世界中の情報を一瞬にして得ることができる時代ではないはず。
読みたい本、読まなければならない本は限りなく、
まさに文字の洪水に自ら溺れそうになってしまう。
中世を偲ばせる「式部の実」に、そんなことを思った。
「阿蘇」1月号〈雑詠〉より抄出。(Midori)

草の絮

2012-01-05 | Weblog
古墳より魂のとび翔つ草の絮    井芹眞一郎

その形状により、円墳、方墳、前方後円墳とさまざまだが、
副葬品とともに、古代の有力者の魂が眠っている古墳。
春に萌え出した草がいつしか茂り、やがて紅葉する。
古墳に四季折々の彩りを見せてくれた草が、
花を咲かせ絮となり、古代人の魂を乗せて飛んで行く。
草の絮の辿りつくところに咲く花はどんな花なのだろう。
「阿蘇」1月号〈雑詠〉より抄出。(Midori)

秋水

2012-01-04 | Weblog
こころ照り昃り秋水照り昃り    荒牧成子

人間の器官にはそれぞれに名称があり、固有の働きがあるが、
喜怒哀楽を司る心という器官?は一体どこにあるのだろう。
そのかたちは定かではないが、うれしい時には照り、
哀しい時には昃るものであるようだ。
「秋水」と同格に置かれた「こころ」は、
いつも静かに澄みわたる泉のようなこころだ。
「阿蘇」1月号〈雑詠〉より抄出。(Midori)

翁忌

2012-01-03 | Weblog
   翁忌や楽しきことに身を削り     岩岡中正

俳句に出合っていなかった頃の自分に戻ることができたら、
もっと気儘に人生を楽しむことができたかもしれないと、思うのだが、
一度、俳句の魔力にとり憑かれてしまってはもう手遅れというもの。
しかし、身を削るほどには程遠く、学ばなければならないことは一杯だ。
「楽しきこと」と「身を削り」とは、一見矛盾しているようだが、
俳句が、一つの文学であることの所以がここにあるのかもしれない。
俳聖、芭蕉の忌に、感慨深い思いを新たにした。
「阿蘇」主宰。「阿蘇」1月号〈近詠〉より抄出。(Midori)

襟巻

2012-01-02 | Weblog
襟巻や熱いコーヒー入れませう    森 京子

寒い道のりをやって来た襟巻の君、
二重に三重に巻いた襟巻を解きながら、何を伝えたかったのだろう。
こんな時の最高のもてなしは、やっぱり淹れたての熱いコーヒー。
飾らない作品にドラマティックな想像が膨らんだ。
「滝」12月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

オリオン

2012-01-01 | Weblog
オリオンや紅玉を割る力瘤     佐々木博子

紅玉は、林檎の一種で酸味の効いたジューシーな果物だ。
よく丸齧りして食べていた懐かしい記憶がある。
そんな紅玉を両手に持って、カパリと割って見せてくれたのだろう。
ギリシア神話の美しい狩人、オリオンの雄姿とオーバーラップしてしまう。
「紅玉」が作品のポイントとなって、迸るような生命感を覚えた。
「滝」12月号〈滝集〉より抄出。(Midori)