十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

2011-06-15 | Weblog
  わが句碑の立つ地よ白き蝶よぎる    栗田やすし

作品12句の中で、一番好きだった句だ。
どんな句碑だろうかと思って、ネット検索してみると、
何と今年5月22日に、栗田氏の句碑の除幕式が行われたばかりだった。
しかし、ここに詠まれているのは「句碑」ではなく、句碑が立つ「地」だ。
純白の蝶にはじまって、四季折々の小さな生き物や草花が、
伊吹嶺主宰の句碑を、きっとさまざまに彩るのだろうと思った。
「俳句」6月号「作品12句」より抄出。(Midori)

多佳子忌

2011-06-14 | Weblog
ゆふづつは空のうたかた多佳子の忌   鷹羽狩行

夕星は、西の空に見える金星のこと。
ギリシャ神話では、愛と美の女神、ヴィーナスのことだ。
その夕星を「空のうたかた」とは、ちょっと寂しい喩えだが、
空に浮かぶ宵の明星を見ていると、確かにそう思えてくる。
  雪はげし夫の手のほか知らず死ぬ
  夫恋へば吾に死ねよと青葉木菟
5月29日は、美貌の俳人、橋本多佳子の忌日だった。
「俳句」6月号「特別作品38句」より抄出。(Midori)
 

木蓮

2011-06-13 | Weblog
逆光の白木蓮君はどこにいる    神野紗希

逆光は、対象の背後から照らす光線のことで、
物の輪郭を捉えることはできても、色彩を識別するのは難しい。
ましてや、白木蓮となると、まさに「君はどこにいる」ということになってしまう。
発想のユニークさと、口語のリズムが楽しい一句。
「俳句」6月号「新鋭俳人20句競詠」より抄出。(Midori)

沈丁花

2011-06-12 | Weblog
  沈丁花心重たき日を香り    宅野幸子

「沈香」と「丁字」の香りにたとえて、沈丁花の名があり、
とても強い芳香を放つ。その香りに出会う時、あるいは気づく時というのは、
一体どんな時なのだろう?心弾む日ではなく、やはり「心重たき日」
でなければならないような気がする。「心重たき日に」でなく、
「心重たき日を」とした一字の助詞に、作者の詩心が感じられる。
ふっと、震災の日のことが頭を掠めた。
「阿蘇」6月号「雑詠」より抄出。(Midori)

春の野

2011-06-11 | Weblog
6月9日、作家、村上春樹がスペインのカタルーニャ国際賞を受賞した。その時の受賞スピーチの全文が、今日11日の熊日新聞の紙面いっぱいに掲載されている。「僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのはこのバルセロナだけです」ではじまる彼のスピーチのほとんどは、東日本大震災と福島の原発事故に関することだった。福島の事故は「日本人自らの手で過ちを犯した」という哀しい指摘。無常「mujo」という日本人の精神性。春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を、移ろいゆくものを愛する民族性・・・。そして最後に、「我々は夢を見ることを恐れてはいけない」「効率という名の経済成長を優先させてはいけない」「非現実的な夢想家でなければならない」という日本へのエールに、胸が熱くなる思いがした。
3月11日の震災から、今日、ちょうど3か月が経過した。(Midori)

ここからは風に乗り換へ春の野に
遠野火の乱ある如く立ちにけり
野火熾ん言の葉たかく舞ひあがり
はばたけば翼とならむ春の風      平川みどり


*「阿蘇」6月号に掲載

春光

2011-06-10 | Weblog
春光のその曼陀羅の只中に   坂田美代子

春に芽生えた小さな煌きは、波紋のように広がって、
やがて、春爛満の陽光となり、いっぱいに溢れ出す。
鳥たちは恋を語り、色とりどりの花が競い合うように咲いている。
まるで曼陀羅のような春光の只中に居るのは、作者。
「の」の畳みかけるようなスケールの大きな構図に、
春到来の喜びが、存分に伝わってきた。
「阿蘇」6月号「雑詠」より抄出。
(Midori)

黄水仙

2011-06-09 | Weblog
わが心ちよつと正して黄水仙   光本とよいち

「心」というものは、見えないだけに、正すにしても、
自分の心がけ程度、くらいのものだろうか。
黄水仙の凛とした美しさに出会えば、こちらまで、
心洗われるような気持ちになるのは誰でも同じだ。
水仙は、ギリシャ神話によると、美少年ナルキッソスの化身。
黄水仙の美しさは、そのまま見る者の心と同じであるようだ。
「阿蘇」6月号「雑詠」より抄出。(Midori)

春の月

2011-06-08 | Weblog
 
  晩学の吾が窓高く春の月    山下接穂

晩学は、年齢が長じてから学問をはじめることをいうが、
本当に学びたいものは、結構晩学であることも多いようだ。
さて、夜遅くまで晩学の灯を点している作者だ。
気がつけば、窓の外には春の月が、空高く輝いている。
作者の志もまた、この日の月のように、高く輝いているのだろう。
「高く」が、重層的に関わって意味深い作品となっている。
「阿蘇」6月号「雑詠」より抄出。(Midori)
 

末黒野

2011-06-07 | Weblog
来し方の大末黒野となり果てし   井芹眞一郎

放たれた火は、瞬く間に広がって野を焼き尽くしてしまう。
あとには、ただ一面の末黒野があるばかりだ。
さて、ここに「来し方」を振り返って見ている作者がいる。
眼前に広がる景かもしれないが、心象風景だと解したい。
「大末黒野となり果てし」と、すべての大切な記憶や想い出を
無に還してしまうほどの潔さだ。しかし、余韻のある作品に、
決してそうではない、ノスタルジックな感慨が伝わってきた。
「阿蘇」6月号「雑詠」より抄出。(Midori)

山笑ふ

2011-06-06 | Weblog
  逡巡の眼の先の山笑ふ   山下さと子

目にするもの全てが、ひかり輝きはじめる早春、
眩しすぎる陽光に戸惑いを感じている作者の心。
果たして、何が彼女の心を戸惑わせているのだろうか?
何気なく見渡す視線の先には、いつも目にしていたはずの山々が・・・。
逡巡の眼が、ふっと煌めいた瞬間だ。
「阿蘇」6月号「雑詠」より抄出。(Midori)

竹の皮脱ぐ

2011-06-05 | Weblog
  竹皮を脱ぐさざなみのかがやきに    岩岡中正

「竹の皮脱ぐ」は、筍が生長するにつれて、その皮を下の方から、
一枚ずつ落としていく様子を擬人化していう季語だが、
竹が皮を脱ぐにも、思わず脱いでしまうような、そんな瞬間があるようだ。
竹林の中を流れる小川のさざなみ・・・、
さざなみは、陽光を受けてきらきらと輝いている。
きっと初夏の横溢するエネルギーに誘われて竹は皮を脱いだのだ。
いっぱいに光溢れる作品に、心地よい清涼感と瑞々しい生命力が感じられた。
「阿蘇」6月号より抄出。(Midori)

春宵

2011-06-03 | Weblog
   春宵や給水を待つ最後尾    矢島 敏

大震災がもたらした断水は、当たり前の生活が、当たり前でなくなった、
瞬間でもあった。きっとやっと到着した給水車だったに違いない。
交通も混乱している状況の中、すぐに給水の列に加わることのできなかった
大勢の人たちがいたことだろう。春の宵、やっと給水の最後尾に並んだ作者。
給水の水はたっぷりと残されていたことを祈りたい。
作者は仙台市在住。「滝」5月号「滝集」より抄出。(Midori)

春の星

2011-06-02 | Weblog
   激震の後や春星つかめさう    遠藤玲子

大地震は、被災地から水道、ガス、電気などのライフラインを奪い、
家、家族、故郷さえも容赦なく奪い、壊滅的な打撃を残して行った。
しかし地震は奪うだけでなく被災地に夜を返してくれたのではないだろうか?
停電によって、蠟燭だけの灯りで過ごされたに違いないたくさんの夜、
それでも夜空には満天の星が、まさに掴めそうなくらい輝いていたのだ。
明る過ぎるネオンやコンビニなどの灯りで、気付かないでいた、
春の星の美しさに、一時でも癒される夜があったことに救われる思いがした。
作者は仙台市在住。「滝」5月号「滝集」より抄出。(Midori)

風光る

2011-06-01 | Weblog
  始祖鳥の想像模型風ひかる    佐々木博子

始祖鳥は、ジュラ紀に生息した最古の鳥類だ。
始祖鳥が、その翼を広げて飛んでいたと思われるジュラ紀の空・・・
それは今から一億年以上も前の空だ。どこまでも青い空の下では、
恐竜が全盛期を迎え、シダ類やソテツ類が繁茂していた。
「風ひかる」の季語を得て、始祖鳥の想像模型に生命が吹き込まれた。
見事な季語の斡旋により、5月号巻頭となった作品
「滝」5月号「滝集」より抄出。(Midori)